〜〜 これもいつもの 〜〜




ここはいつもの店。
いつもの隊士の慰労会。
いつもの男達が、いつものように飲めや歌えの乱痴気騒ぎをしていて。
けれど・・・ここに、いつもと違う光景があった。



すり・・・とセイが男の胸元に頬を寄せる。

潤んだ瞳は上目遣いに物言いたげな彩を含み。
組んだ男の足に添えられた指先は、無意識にも柔らかな力を込めて蠢く。

艶を帯びたその一連の行為に、男は必死に顔が紅潮するのを抑える。

いっそこの場に二人きりだったのなら、躊躇せずにその蒼い血管が透けて浮く
華奢な手首を握り締め、押し倒し、その悪戯な行為が招き寄せるものを
とことんまでも味わわせてやるものを。


ふう・・・。


胸元に寄せられた淡く色づく唇から吐息が吹きかけられる。
背筋を這い登った衝動に、今度こそ己の動揺を抑えきれず、
斎藤はセイを引き離そうとした。
本来ならばこの限り無く幸福で不幸な責め苦を味わうのは
自分では無い。

そう。
いつもの光景にあるはずの男がこの場にはいない。



「あにうえ?」

斎藤らしくもない乱暴さで身を押しのけられ
セイが小首を傾げ不思議そうに問いかける。
酔った者特有の舌足らずな口調で。
ドキリと高鳴った胸を必死に宥めながら斎藤は視線を逸らした。

「沖田さんは、どうした?」

その言葉にみるみるセイの瞳に涙が盛り上がってゆく。
酒精に上気した頬から血の気が引いていき、伏せた睫の濃さが際立つ。

「知りません」

そう言いながらも斎藤の肩に頬を押しつけたその身が小さく震えている。
またくだらぬ事で喧嘩をしたのかと小さく溜息を吐き出した。
周囲の隊士達は見て見ぬ振りを決め込んでいるようで、
時折視線を投げてはくるが、言葉をかける者もいない。



鬼の居ぬ間に、という言葉ではないがこれを好機と取るべきか。
斎藤がセイの背に手を添え両腕で華奢なその身を抱え込む。

「あにうえぇ・・・」

熱を持ち涙に濡れた吐息が耳朶を掠め、斎藤の鼓動を激しくする。
ひくりひくりと嗚咽の度に揺れるその背を撫でながら
斎藤は己の欲に抗う限界が近い事を理解する。

「神・・・」

「また、こんなに酔って、この人は!」

今、最も聞きたくなかった声が、斎藤の言葉を遮って放たれた。


「ほら、神谷さん。しっかりなさい」

言いながらセイを斎藤から引き離そうとする。
けれどセイは総司の腕に抗ってがしりと斎藤にしがみついたまま、
その身から離れようとしない。

その様子に一瞬眉間に皺を寄せた総司が斎藤をチラリと見やった。

「斎藤さんにもご迷惑でしょう。離れなさい!」

先程より強い口調の総司が、斎藤を見た視線の中には
明らかな苛立ちが含まれていた。
それはセイに酒をこれほど飲ませた事に対してか。
それとも、先程までその背を撫でていたこの腕に対してか。
どちらにせよ、その苛立ちの大部分に悋気が混じっていたのは確かだろう。


「神谷?」

これ以上総司を苛立たせては後が何かとうっとおしい事になりかねないと、
斎藤はセイに声をかける。

「あにうえ・・・」

その声に顔を上げたセイが甘えるが如くに呼びかけた。
じっと見つめ合うふたりに周囲は固唾を飲み、そして・・・。


「ほらっ!」

セイと斎藤の間に何やら紙の束が差し出された。

「これは?」

斎藤が意味がわからないと総司を振り仰ぐ。

「昨夜寝る前にちょっとお菓子を食べていたらですねぇ・・・」

寝る前に物を食べるなとセイに言われていたにも関わらず、
部屋の隅で溜め込んでいた甘味をこそこそと食べていた総司を
見つけたセイがいつもの如く怒鳴りつけた。
見つかった事に驚いた総司が片手に持っていた茶碗から水を零し、
それがたまたま脇にあったセイの行李にかかり、
一番上に乗せていた医学書の写しの文字を滲ませてしまった。
松本に頼んでようやく写させてもらった貴重なものだったのに、と
セイが激怒して今に至る。



総司の説明を聞きながら、やはりくだらない痴話喧嘩かと
斎藤は呆れ交じりの溜息を吐いた。

「それで?」

先を促すと同時に、ぱらぱらと紙の束を確認していたセイが総司に問う。

「写してくださったんですか? あれをっ!」

「ええ。松本法眼にお願いして・・・」

照れたような笑みを浮かべる総司にセイは抱きついた。

「ありがとうございますっ。こんなに・・・大変だったでしょうに」

「いいえ。悪いのは私ですから・・・許してくれますか?」

こくこくと頷くセイを抱き締めて満足気な総司はそのまま立ち上がった。

「この人は飲みすぎているようですし、私達は先に屯所に戻っていますね」

周囲をざっと見回し、最後に斎藤に視線を止めたその面には勝者の笑みが。
腕の中ではセイが安心しきったままに微笑を浮かべている。

この二人に横槍を入れられる者がこの場にいるものだろうか。


「・・・ああ。ゆっくり休ませてやれ」

斎藤が遠い目をして答えると、
周囲の隊士達も大雨の後のししおどしの如く頷きを繰り返す。

「では・・・」

小さく会釈してセイを抱き上げ総司が部屋を出て行った。



「ちゃんと屯所に戻るのかな?」

誰かが小さく呟いた声が、寂寥を伴ってその場に響く。
その一瞬後、皆が同時に手元の酒を一気に煽った。


その夜、珍しくも酔い潰れ、宴会場に大の字で寝ている三番隊組長の姿を
多くの隊士が目撃する事となった。




2007.10.08.〜2008.01.01.