〜〜〜 雪冷え 〜〜〜

(冷酒三品・現代版)



静かなホテルのバーラウンジで窓の外に広がる夜景を見るともなく眺めていた
土方の前に背の高い青年が腰を下ろした。

「何だ、総司ひとりか。あいつは?」

「今日は私の入る隙間なんてありませんよ」

家族が過ごす中に入ったら悪いでしょう? そう微笑みながらウェイターへ
冷酒を注文した総司に土方が意外そうな顔をする。
土方の記憶にある限り総司が頼む酒は女が好むような甘ったるいカクテルばかりだったからだ。

「お前がそんなまともなもんを頼むなんざ、明日は雪を降らせるつもりか?」

「あはは。私が何を飲もうと明日は雪だそうですよ。
それにね・・・やっぱり この街は少し苦いですから・・・」

窓の外に視線をやって総司が呟いた。



北の果て。
蝦夷と、あの頃は言われていた箱館。
総司の記憶に無い土方やセイが戦った土地が、今はすっかり様子を変えて
世界に誇る夜景を眼下に繰り広げている。


「しかし、あいつも悪趣味だよな。何もこの街を選ばなくてもいいだろうに。
しかもこの時期だ」

北の大地はすっかり白い掛け衣を纏って冬将軍の君臨する時期だ。
新年を寿ぐイルミネーションと白い雪の対比が、この異国情緒溢れる街に
独特な雰囲気をかもし出す。

「ここが良いんですよ。あの人が新しい一歩を踏み出すためには・・・」

そう。
この街は誰よりも愛おしいあの娘が、
必死に駆け抜けた僅か20年の人生の幕を下ろした場所。
哀しみを抱いたままに、瞼を閉じた街なのだから。
その記憶を幸いなるものへと塗り替えるには、この街から始めなくてはならない。

いつか言っていた。
北にいる時、最も苦しかったのは戦っている最中では無かったと。
雪に閉ざされ一時戦闘が停止していた時期こそ、何かと物を思う時間ができてしまい、
寂しくて切なくてつらかった。
そう自分の腕の中で涙を滲ませていた顔が忘れられない。



「でもお前にしちゃ、随分頑張ったもんだよな」

夜景に目をやったまま考え込んでいた総司の意識が土方に戻された。

「何度振られようと諦めずに食らいついて、とうとう口説き落としたんだからな。
昔も今もお前が女に執着するなんざ思いもしなかったぜ」

少し癖のあるバーボンの香りを楽しむようにグラスを鼻先に近づけた土方の言葉に、
総司が困ったように笑う。



夏に入ったばかりの頃に、ふと思い立って昔の自分の墓があるという場所へ足を向けた。
辿り着いた細い路地にぽつりと佇む制服姿の少女は何かを祈っているのか、
低い塀の向こうにむけて一心に手を合わせていた。

人の気配に気づいて振り返ったその顔を見た瞬間、心臓が止まるかと思った。
駆け寄って腕の中に抱きしめて幾度も懐かしい名を呼んだ。
昔の記憶が鮮明になった時から、ずっと探し続けていた少女がここにいる。
零れそうな涙を堪えてその顔を確かめようと腕を緩めたとき、
胸を強く押され腕の中の温もりが離れた。



「本当に・・・随分手ひどく振られましたよ、あの人には」

「“あなたは違う。私は沖田先生に会いたい”・・・だったか?」

「ええ・・・」


呆然とする総司の前でその少女は大きな瞳からぽろぽろと涙を零しながら言い続けたのだ。

(私は沖田先生に会いたい! あなたじゃないっ!
沖田先生っ、沖田先生っ、沖田先生っ!!)

握り締めた拳を口元に当て、血を吐くような叫びは総司から言葉を奪った。




「まさか昔の自分が恋敵になるなんて思いもしませんでしたよ」

苦笑と言うには苦すぎる笑みを浮かべて総司は手元のグラスを呷る。
それほどにあの月代の娘にとって『沖田総司』という武士は絶対の存在だったのだろう。
その記憶を引き継いだ今の少女にとっても。

「どうしたら昔の沖田に戻れるんでしょうか、って泣きそうな顔をして
俺の部屋に駆け込んできたよなぁ」

「だってあの人ってば、今の私を見てくれないんですもん。でも諦められなかったし・・・
そうしたらあの人の求める沖田になるしかないじゃないですか」

その時と同じ言葉を口にする総司の頭に、土方の拳が向かう。
小さな溜息を零しながらコンコンと軽い音をさせて幾度か叩いた。

「生まれ変わろうと、ここの中身がスカスカなのは変わらねぇんだよな、お前は・・・」

「痛いですってば・・・わかってますよ、あの時も殴られましたし。昔は昔。
今を生きている私をあの人に認めてもらわなくちゃいけないって事は」

土方の手から逃れるように身を引いて総司が言い募る。

「だから頑張ったんじゃないですか。何度振られても口説いて口説いて、
ようやく1年かけてあの人の目に今の私を映してもらって・・・」

「それから2年、昔と今をゆっくり重ね合わせる事に費やしたって訳だ」

「ええ・・・」


諦められるはずがないではないか。
昔、幾度も伸ばしかけた腕を無理矢理に引き戻した。
自分の生きるべき道は修羅の道だと知っていて、それに巻き込みたくないと思ったから。
けれど道は閉ざされ先の見えなくなった自分の傍に最後まで寄り添っていたその娘が、
今度こそ何の障害も無い世界で自分の前にいるのだ。

何があろうと手に入れようと思った。
あの時代の波に翻弄される中では言えなかった言葉を、必ず伝えようと思った。
どれほど拒絶されようとも、絶対に伝わると信じていた。
だってあの人だって昔の事を忘れていなかったのだから。

それを妄執と言うなら言えばいい。
刻を越えてさえ手放せなかった想いなのだ。
ただひとりの娘を恋う事が、自分の魂に刻まれているのだから。



ふっ・・・と土方が吐息を漏らした。

「それにしても、あいつが大学を卒業するまで待てなかったのかよ」

「待てませんよ。少しでも長く一緒にいたいですからね」

今も時折、昔の事を思いだしては夢の中で涙する娘なのだ。
泣きながら目覚めた時に、自分が最も近い場所にいてその涙を拭ってあげたい。
あの人の涙を拭くのは自分の役目だと、遠い昔にも約束したのだから。


「まあ、いいさ・・・。そろそろ部屋に戻るか。寝不足の新郎なんぞ、みっともねぇからな」

グラスに残った酒を飲み干し席を立った土方に総司も続く。

ちらりと見やった窓ガラスの向こうには、重い雲が垂れ込めて星々の輝きを隠している。
雪の中に押し込められた娘の哀しい記憶が、明日には明るく暖かなものと転ずるように。

「明日は雪を降らせてくださいね・・・」



祈りを込めた呟きに答えるように空から一片の六花が舞い降りた。







2008.01.01.〜02.13.