〜〜〜 花冷え 〜〜〜

(冷酒三品)



「神谷さん、遅いですねぇ」

夕餉の後、副長室でごろごろと転がっていた総司が呟いた。
片手にはどこから持ってきたのか菓子の袋を抱えている。

「南部先生の手伝いだ。門限までに帰れねぇかもしれんと連絡は来てる」

「ええっ? そうなんですか?」

「ああ」

そっけない土方の言葉に総司は不満そうに頬を膨らませた。


以前から度々セイが南部の手伝いと称して医術の手ほどきを受けているのは周知の事だ。
確かに父の手伝いをしながら覚えた見よう見真似の技術より、
確かな教えを受けた最近のセイの腕は上がったと思う。

けれど今日の呼び出しが南部の名を借りた松本からのものだという事を、
総司はセイから聞いて知っていた。
桜が散った事で酔いに任せて乱暴を働く愚か者が減ったと思われるが、
セイを女子だと知っている松本が夜道を一人で歩かせる筈は無いと思う。
何かが自分の胸の内で警告を発している気がした。


「迎えに行って来ますね」

す、と総司が立ち上がった。

「また何か厄介事に巻き込まれているかもしれません。あの人の事ですから・・・」

土方が何かを言う前に総司の姿は部屋から消えていた。




木屋町の南部の家へ総司は早足で向かっていた。
屯所から幾ばくも離れていない小川にかかる橋を渡りかけた時、
思いもしない光景が目に飛び込んできた。

薄く雲のかかった月光が淡く照らし出すその人の姿は、間違いなく自分が求めていたもので。
膝までの深さの小川に浸かってゆるりゆるりと歩んでいる。


水面には桜花弁が広がる。
町中であるこの場所よりも春の訪れが遅い上流から、流れ流れて辿り着いたのだろう。
月明かりに照らされほの白く輝く花弁は言葉のままに花筏(はないかだ)の如く。
さながらセイは花筏に乗る乙女と見える。

神秘的とも思われるその光景に総司は魅入られていた。

淡い笑みを浮かべていたセイがほっそりとした手に持った竹筒を口元に当てた。
こくりと動く白い喉に総司の瞳が細められる。

何事かを呟きながら、一度、二度と川面に竹筒の中の雫を零す。
自分に気づきもしないその様子に総司の中に苛立ちが生まれた。


「神谷さん」

ざっと故意に足音を立ててセイに自分の存在を知らしめる。
その姿を視認したセイがほんのり微笑んだ。

「こんな所で何をしているんです? 門限はとうに過ぎましたよ?」

苛立ちを含んだままの総司の声は硬い。
けれど普段であれば姿勢を正し即座に謝罪するセイが、
総司の怒気を気にする様子もなく、再び竹筒を口に運んだ。

「今日は・・・」

それを唇から離したセイが小首を傾げて総司を見上げる。

「松本先生とお墓参りに行ったのです。先生は声を上げて泣いてしまわれて。
それから供養だと言って今まで酒の相手をさせられました。
これはその時 いただいた供養酒・・・」

また一口、セイがそれを口に含む。
唇から離した竹筒からぽたりぽたりと水面へ酒を垂らす。

「父と兄が逝ったのもこの時期でした。
桜は散ったはずなのに、お山から流れてきた花弁が川面を覆っていた・・・
それに乗って兄の所へ行けないものかと幾度も思ったものです。
でも私は逝けなかったから・・・」

だからこれは逝った者たちへの供養酒。手向けの酒なのだと笑った。


ぱしゃり。


袴が濡れる事も構わず総司が小川に足を踏み入れた。
セイに近づくとその手から竹筒を取り上げる。

不思議そうに空になった自分の手と総司の顔を交互に見やるセイの腰を支え、
総司は竹筒から酒を口にした。

良い酒なのだろう。
柔らかな芳香が喉の奥から体の中に沁み込んでいく。

傾けたそれから酒の雫を川面に落とす。
敷き詰められた桜花弁を乱すように乱暴に。
この人を連れていこうとする花筏を壊すが如く。

「私にも供養させてくれても良いでしょう?」

抱えた腰を引き寄せて耳元で囁いた総司の言葉に桜の乙女は無垢に笑む。


たとえ迎えが来ようとも、一人でなどは行かせない。
咲くを笑うも散るを嘆くも全ての刻を寄り添って。
両手に包み守れずとも、貴女の前を凛として共に歩むと誓いましょう。
この花筏で黄泉路さえ離れる事無く辿ろうと。


口に含んだその酒は、桜花の香りを宿していた。






2008.01.02.〜02.03.