〜〜〜 涼冷え 〜〜〜

(冷酒三品・夢行シリーズ)



京でも有数の神域に程近い為か、川上の北山から清浄なる神気が吹き降りるゆえか、
真夏というのにこの土地は暑さを感じさせない。


祇園祭りの宵山を過ぎた頃に、総司は体調を崩した。
元々暑さに強くない事は周囲も承知していたが、今年の夏は異様ともいえる
猛暑となっており、夜になっても一向に気温の下がる様子がなかった。
その上春の終わりに生まれた赤子が連日の熱帯夜に夜泣きを繰り返し、
ただでさえ寝つかれない夜を尚の事眠れなくしていたのだ。

仕事に支障が出る事を案じたセイが屯所で寝泊りする事を薦めても
ヘラリと笑っては家に戻ってくる。
案の定、過酷な隊務と睡眠不足は猛暑で弱った身体に変調を引き起こした。

見かねた近藤と土方によって強制的に休養を言い渡されたのが昨日の事。
そして近藤から護衛と本人の休養を兼ねて土方にも同行する命が下り、
こうして上賀茂神社近くの宿で避暑をしている。



湯から上がったセイが部屋へ戻ると土方が祐太を抱え込むようにして眠っていた。
眠りの深い体質では無いと聞いていたが、セイの気配にも起きないという事は
やはり近藤が気遣ったようにこの男も酷暑に参っていたのだろう。
町中に比べると段違いに涼しいこの地で風邪など引かぬようにと、
二人に上衣をかけて総司を探した。


部屋から川面に張り出した川床とも呼べる板の間に、
総司は片肘をついて寝そべっていた。
闇の中、蛍の灯りが仄かに身体の輪郭を浮き上がらせている。

「珍しいですね、お酒なんて」

背後から近づいたセイの気配は感じていただろうに振り返りもせず、
片手に持った杯を総司は口元に運ぶ。
虫の声に被さるようにサラサラと瀬の音が耳に心地良い。

「また熱を出しても知りませんよ?」

休養を命じられる元となった事をセイが指摘すると、拗ねたような声が返った。

「少しぐらいいいじゃないですか。それにちょっと熱が出たくらいで、
皆心配し過ぎなんですよ・・・」

夏場に体調を崩すという事が以前の池田屋での失態を思い起こさせるのか、
総司の不機嫌さは増すばかりらしい。

「体調管理も仕事の一環だとご承知の事でしょう?」

総司の隣に座ってセイがその手から杯を取り上げる。
と、総司がコロリとセイの膝に頭を乗せた。
けれど頑なにセイの顔を見ようとせずに川面に顔を向ける姿が幼子のようだ。
クスリと笑むとセイはその半分膨れた頬を突いた。

「拗ねたって駄目ですよ。ちゃんと体調が整うまで休養を取るようにと
局長の命令なんですからね」

「駄々っ子を宥めるみたいに言わないでくださいよ」

「だって駄々っ子じゃないですか」

クスクス笑いながらサラリと総司の前髪を撫でると不服そうに益々頬が膨らんだ。

「何だか嫌ですねぇ。貴女ばっかり大人になってしまったみたいで・・・」

「何を言ってるんですか」

「気づいて無いですか? 時々知らない女子みたいな顔をするんですよ、貴女は」

「私は私ですよ。確かに清三郎ではなくなりましたが、何も変わりません」

穏やかなセイの言葉に総司ががばりと起き上がり盛大に首を振った。

「変わりましたってば! 綺麗になりましたし、時々ドキッとするぐらいに
大人っぽい表情をして・・・」

途中から自分の言葉の意味を自覚したのか、総司の声が小さくなり顔が紅潮する。
セイも耳まで真っ赤にして視線をそらした。


互いに言葉を紡げぬ沈黙の中、川面から水の香りが揺らいで漂う。
火照った頬を冷まそうとセイは川に浸されていた酒壺を抱え上げ杯に酒を注いだ。
深山から送られてくる冷たい清流は程好く中の酒を冷やしていて、
こくり・・・と音を立てて喉を滑らせる。

ふわりと周囲を舞う蛍の灯火の中、赤く染まる唇が総司を誘っているようで。
もう一口と酒を含んだその唇に口付けてその内から冷えた雫を啜り取る。


月の雫の如きその清涼感が熱帯びた自分を癒す。
見知らぬ女子の表情さえも自分故の変化というなら悪くない。

蒼き月光の中で微笑む男はセイの手から杯を取り上げると酒を含み。
重ねた唇から愛しい妻に涼やかな甘露を流し込んだ。


(大人っぽい艶を増したのは、そっちじゃないですか・・・)

セイの反論の言葉は塞がれた唇から零れる事は許されず、上賀茂の宵は
静寂の中に更けていった。





2008.01.03.〜02.03.