〜〜〜 相生の こぼれ話 〜〜〜




「そういえば、どうして総司様はそんなに私に
『沖田先生』と呼ばれるのを嫌がるんですか?」

庭先の白梅も見事に咲き揃い、気高い薫りが室内にも満ちる頃、
洗濯物を畳む手を止めてふとセイが問いかけた。
セイの邪魔にならないようにと珍しくも文机に向かって
江戸の姉宛へと文を認めていた総司の手が止まる。

「屯所では気になさいませんよね?」

セイが小首を傾げた。
身重となっても相変わらず屯所に出かけ、内向きの仕事に目を配っているセイは
総司の職場であり公の場でもあるその場では『沖田先生』と呼ぶ事が多い。
実際年々大所帯となっている隊には来客も多く、夫婦としてよりも
同僚としての会話が多い為でもあるからだ。

屯所内で『沖田先生』と呼ばれても全く気にする様子も無く普通に返答する男が、
どういう訳か家で呼ばれると途端に膨れ、拗ねるのだ。
以前は呼称に何か特別な思い入れでもあるのだろうかと納得したけれど、
もしもそうであるならば屯所内でも不機嫌になるはずだろう。
それが無いのはどういう事かと以前から不思議に思っていた事だった。


「嫌な事を思い出させてくれますねぇ・・・」

相変わらず文机に向かったままの総司の背から、何やら黒い瘴気が漂ったようで
思わずセイが洗濯物を握り締めた。

「聞きたいですか?」

ブンブンと首を横に振っているセイの姿は背を向けている総司からは見えない。
くすりと笑みを零すと総司が語りだした。




あれはまだ私達が名ばかりの夫婦だった頃。
いずれは離縁を、と衝撃的な言葉を聞かされて、それでも共に暮らしていれば
そのうちには貴女の気持ちも軟化するのではないかと小さな希望を胸に
私が日々を耐え忍んでいた頃です。

他の隊の稽古を指導して一番隊の部屋へ戻った時、
中から貴女と何人かの隊士の声が聞こえました。
そっと室内を覗いてみると隊士達の繕い物をする貴女を囲んで、
相田さん達が何やら楽しそうに話をしていたんです。

家でも隊でも私には仕事がらみの事しか話そうとしなくなっていた貴女ですから
今その場に私が入ってしまっては空気を壊してしまいそうで。
少しそのまま話を聞いていたんですよ。


「神谷はさぁ、夫婦になっても『沖田先生』って呼んでるのかよ?」

「ああ、そうだよな。沖田先生も『神谷さん』だし」

「他人行儀だよなぁ」

「普通は『旦那様』とかさぁ。若妻らしく、こう、しっとりと?」


口々に問われる言葉に貴女は頬を染めて言い返したでしょう?


「旦那様・・・ですか?」

「そうそう。優し〜い感じで」

「う〜〜〜ん、難しいですねぇ。『旦那様?』」

「くぅぅぅっ、いいじゃねぇかっ! 頼む、もう一遍!」

「くすくす。だ・ん・な・様v」

「うっわぁぁぁ!! 沖田先生が羨ましいぜぇぇぇ!!」

「あっははは、相田さん。暴れないでくださいよ〜」


皆さん楽しそうでしたよね。
貴女も終ぞ私の前では見せなくなっていたような顔で笑って、
私になんて言ってくれない言葉を幾度も続けて・・・。
飛び込んで怒鳴りつけたいのを必死に我慢していたんですよ?

その後でしたねぇ。


「で、実際は家では何て呼んでるんだよ、沖田先生の事」

「おお、俺もそれを知りたい」

「え? 家で・・・ですか?」

「そうそう。いいじゃねぇか、教えろよ〜」

「総司様〜、とか?」

「なんだって良いじゃないですか。家の中の事まで喋るものじゃありません!」

「そんな事言わないで教えろよ〜」

「そうだそうだ、減るもんじゃ無し」

「か〜み〜や〜」

「・・・・・・総司様・・・・・・ですよ(ひそり)」

「「「ひょぉぉぉぉぉぉぉぉ!!!!」」」


散々貴女をからかう人たちの手に、貴女が手に持っていた針を差しまくった事や
痛みに叫ぶ男達の声も遠いものとしか感じませんでしたねぇ。

(総司様・・・総司様・・・総司様・・・総司様・・・)

もしかしたら今夜家に帰ったらそう呼んでくれるかもしれない。
いや、間違いなく呼んでくれるだろう。
だって皆の前でそう言ったのだから!!

先に家へと戻った貴女の後を追うように期待に胸を高鳴らせて帰宅したものです。

玄関先で大きく深呼吸して。
貴女が呼んでくれたのなら、私も声を大にして
「ただいま戻りましたよ、セイ!!」
と呼ぶつもりで、何度も言葉を反芻して。
勢いつけて戸を開けた瞬間。

「お帰りなさいませ、沖田先生っ!」

「・・・・・・ただいま戻りました、神谷さん・・・(超小声)」






コトリと持っていた筆を置いて総司が振り返った。

「胸の中で、どれほど涙した事か・・・。
まぁ貴女は覚えてなどいないでしょうけれど」

確かに相田達とそんな会話をした事は薄っすら記憶にあるが、
その晩の総司の様子など全く記憶に残っていなかった。
セイは妙に座った眼で自分を見つめる総司から視線が外せない。

「私は『沖田先生』なのに、私より先に『旦那様』なんて
呼んでもらったんですよね、相田さん達・・・」

文机に置かれたままだった総司の手の下で、書いていたはずの文が
クシャリと握り潰される。

「貴女のおかげで思いだしちゃいましたよ・・・」

ふふふ・・・と、総司の口元から笑みが零れた。

「明日の一番隊の稽古は入念に力を込めて指導してあげましょうねぇ。
最近、すこぉし手を抜き気味だったような気もしますし」

それはアンタが妻ボケしていたせいだろう、
とはいくらセイでもこの場では口に出来なかった。

「そんな理由でね。家で『先生』と呼ばれると、と〜〜〜っても切なくなってしまうんです。
だから呼ばないでくださいねv」

明るい口調ではあるが、相変わらず座った瞳が異様な気を放っている。
セイはコクコクと頷いた。

「おや、せっかく書いた文が駄目になってしまいましたね。また書き直しですか」

何事も無かったように文机に向かった夫の背後では、
すでに時期を過ぎた比叡おろしが直撃したように凍りついた妻が一人。
しっかりしろとばかりに“どんっ”と腹を内から蹴りつけられて
セイが正気に戻ったのは春の陽も傾こうという頃だった。



沖田総司。
彼の内には複雑怪奇な闇がある。







2008.02.14.〜04.01.