〜〜〜 春到来 〜〜〜
土方さんに用を言いつけられた私達は一緒に屯所を出た。
私は黒谷へ、神谷さんは木屋町の松本法眼の元へと書状を届けに行く。
町中はすっかり春めいていて、あちらこちらの桜の木々から
柔らかな色の花弁が舞っている。
「この季節は京が一番優しい顔になりますね〜」
ふわりと目の前に降って来た花弁を手の平で受けた神谷さんが
輝く春の陽射しにも負けぬ笑顔で私を見上げてきた。
「優しい顔・・・ですか?」
とくん
微かに胸に響いた鼓動は聞こえない振りで、小さく首を傾げて問い返す。
「はい。町も山も桜色に染まって、ほんのり頬を染めた娘さんみたい」
――― まるで貴女のようですね。
喉元まで出かかった言葉を無理矢理飲み込んでポンと月代に手を置いた。
「私には大きな桜餅にしか見えませんけどね〜」
「もう、本当に先生は食べる事ばっかり!」
ぷんぷんと膨れた頬が、ほらほんのり桜色。
つい突いてみたら尚更膨れられてしまう。
――― 柔らかそうで美味しそうな桜餅みたいじゃないですか。
くすりと笑みが零れてしまう。
「ごめんなさい。お詫びに・・・帰りに待ち合わせて美味しい物をご馳走しますよ」
「美味しいもの?」
途端に目を輝かせた神谷さんに笑ってしまう。
貴女だって食べる事が大好きじゃないですか、と。
「七条に美味しい甘味処を見つけたんですよ〜」
「だったら、ついでに雪弥さんの所にも顔を出しましょうよ。
最近すっかりご無沙汰だったしv」
嬉しそうな神谷さんの顔を見ていると私まで嬉しくなってしまう。
楽しい気持ちって伝わるんですよね、特に私と貴女の場合は。
「では、用事が済んだら七条橋で待っていてださい」
私の言葉に神谷さんが大きく頷いた。
「まいったなぁ・・・」
足早に五条を過ぎ、六条も通り抜けた。
辺りはすっかり暮れている。
夕刻前に済むと思っていた用事だったが、先方の都合でこんな時間になってしまった。
松本法眼の事だ、暗くなる前に神谷さんを送り出しただろう。
こちらの方が早く待ち合わせ場所に辿り着くと考えてした約束が、
結局は彼女をひどく待たせる結果になってしまったと思う。
あの人の事だ、自分が遅いからといって先に屯所へ戻るとは思えない。
きっと待っているだろう。
早足だったものが気づけば小走りになっていた。
――― いた
七条橋の袂にある大きな桜の木の傍に見慣れた後ろ姿を見つけ、
走り寄ろうとした自分の足が止まる。
東に上った月を見上げるその背はひどく小さい。
ぽつりと佇む背中がとても頼りなげに見えて胸のどこかがチクリと痛んだ。
桜の雫がはらはらと月の光を弾きながら、彼女の頭上に舞い落ちてくる。
小さな姿が桜の花弁に埋もれてしまいそうで、思わず大きくその名を呼んだ。
「神谷さんっ!!」
びくりと揺れた背が次の瞬間くるりと振り返った。
「沖田先生っ!!」
月を背にしたその人の面は影に沈んでいるはずなのに。
確かに私の目には輝くような笑顔が見えたのだ。
「遅くなってごめんなさい」
傍らまで駆け寄ってペコリと謝罪した私に、ふるふると首を振って気にするなと笑う
神谷さんには、先程までの頼りなさは微塵も残っていない。
けれど私の胸には未だチクチクとした痛みは残ったままで・・・。
ふいに抱き締めたい衝動に駆られて見下ろした彼女は、穏やかに月を見ていた。
「綺麗ですよね〜。まん丸のお月様v」
子供のように素直な感嘆を示すその姿が尚愛おしい。
「手を伸ばしたら届きそうですよね? 沖田せん・・・きゃっ!」
言葉の途中で神谷さんを抱え上げて肩車をした。
「な〜に〜を〜、するんですかっ!」
肩の上で暴れる体をしっかり支える。
「ほら、暴れないでくださいよぅ。この方が月に近いでしょう?」
笑み交じりの私の言葉に肩の上で暴れていた人が大人しくなり、
小さく溜息を吐いた。
そのまま私の頭に両手を添えて空を見上げる気配がする。
「ほんとだ〜。月が近く感じられますね〜。綺麗だぁ〜」
きゅ、と髪を握られて走った痛みは胸の痛みとは違って微かに甘い。
小さく頼りなかったはずの背中は、今どのように見えるのだろうか。
はらはらと舞う桜花弁の色にも負けず、優しい輝きを放っているだろうか。
「ねぇ、沖田先生。春、ですね?」
小さく囁かれたその言葉が、何故か胸に残って空を見上げた。
まん丸の月が笑う。
春は・・・この胸の内にこそ来たのだろうと。
春を届けた娘が。
今、肩の上にいる。
2008.04.01.〜04.08.