〜〜〜 誠忠の士 〜〜〜
「神谷さ〜ん!!」
午後の稽古を終えて井戸場で汗を拭っていたセイの元に、
一足先に着替えたらしい総司が走り寄ってきた。
「神谷さんっ! 早く早くっ、近藤先生が良い物をくださるって!」
ぐいぐいと細い腕を引いて局長室へ向かおうとする上司の手を、慌ててセイが押し止めた。
「ちょっと! 駄目ですよ! いくら何でもこのままでは失礼です。
着替えて参りますので少し待ってください!」
その言葉にセイの稽古着姿を上から下まで眺めて総司が頷いた。
「わかりました。でしたら着替えてからお茶を淹れて持ってきてください。
え〜と・・・五人分お願いしますね」
にっこり笑ってセイの返事を受け取ると、再び局長室へと走り去っていった。
「失礼します」
総司に頼まれたように五人分の茶を淹れてセイが局長室に赴くと、
笹で包まれた粽(ちまき)を盛った盆を囲んで男達が座っていた。
「待っていたんですよ。神谷さん、早く早く!!」
ぺしぺしと自分の隣を叩いて座る事を命じると、最早待てないとばかりに
盆の上の粽に手を伸ばす。
「沖田先生、お行儀が悪いですよ。まずは局長と副長がお先でしょう?」
近藤と土方の前にお茶を出したセイが総司を嗜めるが、甘味を前にした男の耳に
届いた様子も無い。
「うわ〜、これが京の粽ですか〜。白いのに透き通るようで。
うわっ、ふるふると柔らかい!」
近藤と土方も興味深そうに粽を取り上げると包んである笹を開いてゆく。
その様子を見ながらもう一人、その場に同席していた男の前にセイが茶を置いた。
「山崎さんがおいでなんて珍しいですね?」
「いやぁ、土方センセにちょっと報告があって来てましたら、近藤センセが黒谷で
面白いもんを貰てきた言わはるんで、その顛末を見てみとうなったんですわ」
ニヤリと口端だけに笑みを乗せた表情が何かを含んでいるようで、セイが首を傾げた。
「顛末・・・とは?」
山崎に問いかけたセイの手がぐいと後ろに引っ張られる。
「早くっ、神谷さんも食べましょうよっ!」
見ると総司が笹を剥いた粽をぶんぶんと振っている。
珍しい事にセイが隣に来るまで待っているようだ。
「あ、はい。でも・・・」
幹部達が揃っている中に自分のような平隊士が混じってよいものかと
一瞬言葉を濁したが、近藤にも勧められ総司の隣に腰を下ろした。
近藤に目礼すると総司から粽を受け取って笹の包みを開いてゆく。
透明感のある乳白色の粽はとろりとした光沢の中に滑らかな美しさを醸し出し、
ただの菓子というには勿体無いほどでもあった。
「いっただきま〜すv」
隣から聞こえてきた待ちきれないという感情を乗せた声に背を押されるように、
小さく口を開いてその先端を噛み千切る。
ふわりと鼻腔を抜けるのは爽やかな笹の香り。
続けて仄かな甘味が口に広がる。
歯を立てるとぷちりと千切れるようでいて、寒天のように角ばった舌触りではなく
ふるふると柔らかな感触を残す。
笹で包まれた素朴な風情でありながらも、中に隠された菓子の繊細さに惹かれてもう一口と
口を開いたセイの視線の先では、総司が妙な表情で手元の菓子を見つめている。
食べるのを止めて近藤達に視線を向けてみれば、皆同様に微妙な表情で
手元の菓子を見ているではないか。
「沖田先生?」
小首を傾げてセイが問いかけた。
「う〜〜〜〜ん・・・」
何やら言いにくそうに言葉を濁しながら総司がセイに視線を向けた。
「何か、お気に召しませんか?」
「う〜〜〜ん。なんだか、こう・・・お菓子というには・・・」
困ったように頬を掻く総司の言葉に土方の声が重なった。
「美味くねぇ。ふにょふにょしてて、甘いんだか何だかきっぱりしねぇ。
生っ白いところまで、京の骨の座らねぇ公家みてえじゃねぇか」
仮にも黒谷の会津公から戴いて来た菓子なのだからと近藤も総司も控えていた言葉を、
何の遠慮も無く土方が吐き捨てた。
と、同時に山崎が吹き出す。
「あっははは! やっぱり思った通りの反応や! 絶対に先生方には好まれんと
思うとりましたんや、この菓子は!」
腹を押さえて爆笑する山崎の背中をセイが強く抓り上げた。
「失礼でしょう、山崎さん。会津様が下された品なんですよ?」
「いや、そうかて・・・あははは」
セイの怒りの視線が一層厳しくなったのを見て、ようやく山崎が笑いを納める。
「あっは。堪忍や、神谷はん。お詫びにこの菓子に関して、少ぅし教えたるから、
それで勘弁したってや」
他の人間も口直しのように茶を口に運びながら、山崎の言葉に耳を傾けた。
「これは室町時代から続く“川端道喜”いう菓子屋のもんでな。
この店はその時代から朝廷に毎朝塩餡を包んだ餅を献上しとるんや。
まあ、その頃や戦国の時代を通して朝廷もえろぅ貧乏で満足な祭祀も
できん有様やったからそれを見かねて、って事らしいけどな」
「へぇ、それって今もなんですか?」
興味深そうに総司が尋ねる。
「建礼門の東横にある小さな門が“道喜門”という名の専用門で、
今も“朝餉の儀”として毎朝の慣習になっとります。その店の看板なのが、これ。
“道喜粽”いいますのや。朝廷はもちろん公家衆や茶人からの注文がひきもきらない、
繊細な味わいが評判の逸品なんやけど・・・」
言葉を切った山崎が、土方にチラリと視線を流して人悪げに喉の奥で笑いを噛み殺した。
たかが菓子とはいえ典雅と言われる人々が絶賛するものの価値が
理解できないと笑われたようで、土方にしてみれば面白くない。
不機嫌をそのまま表情に表して、手元に残っていた粽を口に放り込んだ。
「たいしたものだな・・・」
黙って一連の話を聞いていた近藤がポツリと呟く。
皆が視線を向けた先には、まじまじとまだ手をつけられていない粽を見つめている
無骨な男の姿がある。
「たかが菓子屋などと言えぬだろう。長い時を重ねて朝廷に仕え、誠を示してきたんだ。
だからこそ御門に名までつけていただける」
心から感心している事がわかる表情で改めて粽を一つ手に取ると、丁寧に笹を剥いていく。
「我々も負けぬように誠を見せねばならんな。それを心に刻むためにも、
今一度この粽を噛み締めさせて貰おう」
大きな口には一口で放り込める粽を、大事そうに一口一口噛み締めるその姿に
山崎は勿論、他の者達も表情を引き締める。
武士で無くともこのように名を残すものもある。
けれど自分達は武士である事を選んだのだ。
だから武士として名を残す。
新選組という名を。
そして近藤勇という名を、必ず残す。
再び口中で味わう仄かな甘味と共に、各々の胸に新たな想いが刻まれた。
2008.04.28.〜07.06.