〜〜〜 青梅雨 〜〜〜
「あ、兄上! お帰りなさいませ」
井戸端で山と詰まれた洗濯物を盥に放り込みながらセイが呼びかけた。
その声に奉行所から戻った斎藤が足を止める。
「ああ。・・・いつもながら、すごい量だな」
朝餉を終えた斎藤が土方に命じられて奉行所へ向かう時、すでにセイは
この場に盥を持ち出して洗濯を始めようとしていたはずだ。
あれから三刻近い。
昼餉も過ぎた頃合だというのに一向に洗濯物が減ったように見えない事に
斎藤が首を捻った。
「ここのところ雨続きでしたからねぇ・・・」
セイが大きく腕を回して、同じ姿勢でいたために
堅く強張った身体を解そうとしている。
「皆、洗濯物が溜まっていたみたいで」
困ったようにセイが笑っている。
なるほど・・・ようやく訪れた梅雨の晴れ間に具合良くこの隊士が
洗濯しているのを発見して、誰も彼もが自分の分を押し付けたという訳か。
事情を察した斎藤が苦笑を浮かべつつ、思い出した疑問を問いかける。
「だが今日アンタは非番じゃなかったか?」
昨日の夕餉の時、セイを挟んで反対側に座った忌々しい黒ヒラメが
嬉々として甘味処巡りをねだっていたはずだ。
「ええ、非番なんですが・・・今日ばかりは洗濯優先ですから」
ゴッシゴッシと盥の中で布地を擦る腕に力が増している。
きっとあの大人気無い甘味大王と激しくやりあったのだろう。
セイに振られた恋敵を思えばいい気味だ、とも言えるところだが、
そのせいでこの可愛い弟分が萎れてしまうのは見たくない。
「全くねっ! 梅雨の晴れ間がっ! どれほど貴重なんだかっ!
どうして理解できないんでしょうかねっ!!」
そんなに力を入れたら生地が傷むだろう・・・。
喉元まで出かけた言葉を斎藤が飲み込んだ。
変わりに。
「ほら、これをやろう」
ぽんっとセイの頭上に何かの包みが置かれた。
「兄上?」
濡れた手を襷に掛けていた手ぬぐいで拭いて、セイが包みを開く。
「え? これって亀屋廣和の“青梅”じゃないですかっ!」
斎藤が足を運んだ奉行所より北に位置するこの和菓子屋は、
ほんの十数年前に開いたばかりだが、その菓子の斬新な造形と
老舗で修行したという確かな味に定評がある店だ。
しかも淡い緑に色づけた求肥で白餡を包み、肉桂の粉を叩いた
この“青梅”という生菓子はまさしく青梅の姿を写していて
梅雨時期の湿気を吹き飛ばすような清々しさを感じさせる。
それゆえに人気も高く、昼前には全て売切れてしまうという生菓子なのだ。
たいして甘味が好きとも思えない斎藤が、わざわざ足を伸ばして手に入れてきた
というなら、きっと評判のこれを口にしてみたいと思ったのだろう。
そんな物を貰うわけにはいかないとセイが包みを斎藤に返そうとした。
「駄目ですよっ! 兄上が召し上がる為に買ってきたのでしょう?」
その言葉に斎藤が首を振った。
「いや・・・俺は甘い物は好かんからな。たまには勤勉な弟分に褒美でも、
と思っただけだ。気にするな」
「勤勉な仲間にご褒美は無いんですかぁ〜〜〜〜〜?」
背後から響いた地を這うような声に二人がぎょっとして振り向いた。
だが既に遅い。
セイの手の中にあった包みは、件の黒ヒラメの手に移っており
しかも十個もあった菓子の半分はその口の中に消えていた。
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・(怒)」
「おっ、沖田先生っ! 何をなさるんですっ!
それは私が兄上に頂いたものなんですよっ!」
怒りに震えて言葉も出ない斎藤に比べれば、この程度の攻防は日常茶飯事と
なっているセイの方が立ち直りが早く、総司に向かって怒りを投げている。
「むぐむぐむぐ・・・」
口一杯に菓子を頬張った男の言葉ははっきりと聞き取れない。
「か・え・し・て・くださいっ!」
言葉と共にずいっと差し出したセイの手にガサリと紙包みが乗せられた。
「神谷さんには、こっち」
包みの中には色とりどりの金平糖が納まっている。
「子供にはこっちの方が似合いですよ。洗濯しながらでも食べられるし、ねv」
良い子にはご褒美が必要だな〜って思って買ってきたんですよ〜、
と間延びした口調で語るその言葉にセイが嬉しげに頬を緩める。
甘味処に付き合えないと言った自分に散々駄々をこねた挙句、ぷいと屯所を
出て行った想い人の後姿に胸が痛まなかった訳ではないのだから。
そのままキラキラと輝く砂糖菓子を見ていたセイがハッと目を上げた時、
総司の口の中に最後の青梅が消えていった。
「っ!! だからって、どうして全部食べちゃうんですかっ!!」
「んぐむぐっ」
返せ戻せと掴みかかろうとするセイの手をひらりひらりとかわしながら
総司の視線がチラリと斎藤に向けられた。
その目の中に顕かな敵対心を見つけて斎藤が拳を握る。
――― 確信犯という訳か
それならそれで受けて立ってやろうと斎藤が歩を進めセイの肩を抱いた。
「また買って来てやろう。だから今日は残った洗濯物を片付けてしまえ」
その指摘に山積みの洗濯物を思い出したセイが慌てて井戸端へと戻って行き、
相手をしてもらえなくなった総司が不満げに頬を膨らませた。
本日の対戦は引き分け。
けれど勝負は始まったばかりと男達は視線を交し合った。
2008.06.16.〜08.02.