〜〜〜 竹露 〜〜〜




「神谷さん! 神谷さん! 神谷さんっ!」

眼を焼く真夏の日差しの中で洗濯物を干していたセイの元に
総司が駆け寄ってきた。

「沖田先生? 随分早いお帰りですね」

黒谷へ赴く近藤の供をして総司が屯所を出たのは朝餉のすぐ後だったが、
帰りは夕刻過ぎる予定のはず。
けれどまだ日輪は頭上にある。

「ええ、先方が急な御用とかで都合が悪くなったんです。
だからまた日を改めて、という事に」

「ああ、そうなんですか。お疲れ様でした」

無駄足を踏まされた上司に対してセイが真摯に労いの言葉をかけた。

「いえ、そんな事はどうでも良いんです。
それより近藤先生がこれを買ってくださったんですよ〜v」

抱えていた風呂敷を嬉々として総司が開くと、中には十本を遙かに越える
竹筒があった。

「これ・・・」

「ええ、竹流し。“竹露”っていうんですってね」

細い竹の中に水羊羹を流し固めたそれは京の夏を代表する菓子の一つだ。
セイに風呂敷を預け、中から一本取り出した総司が懐から出したキリで
竹の底側に小さな穴を開けた。
続けて反対側についている紙の覆いを外し、セイに口を開けるように合図をする。

「駄目ですよ、先生。これは冷やして食べるものじゃないですか・・・んっ」

諌める言葉を聞く気も無い男の手で開いたセイの口に竹筒が押し込まれる。
少し傾けられたそれからツルリと口に滑り込んだ固まりは程好く冷えていた。

「んんっ? 冷たい?」

「そうなんですよ〜。お店の人が冷えてるのを出してきてくれたんです」

得意気なその表情を見ながらセイが小さく笑った。
この男の甘味好きは近隣の菓子匠であれば知らない者はないだろう。
であらばこそ、すぐに食べられるようにと気を回してくれたに違いない。

「では、局長達にも召し上がっていただきましょうか」

茶の用意をしようと歩き出したセイの腕を総司が掴んだ。

「近藤先生達のは別にあります。これは私達の分ですよ」

「こんなにですか?」

「ええ、こんなになんですよv」

幸せそうな男の顔にセイも苦笑するしかない。

「では私達の分のお茶を淹れてまいります」

その言葉に総司が嬉しげに頷いた。




「はぁ・・・美味しかった・・・」

セイが目を背けるほどの速度で空の竹管の山を作成した男が
満足気に溜息を落とした。

「・・・・・・本当に美味しかったですか?」

「ええ、とっても!!」

あれほど食べたら味などわからなくなりそうな気がするとセイは遠い目をした。
いつもながら甘味に対するこの男の執着だけは理解できない。
そんな思考に陥っているセイの隣で空になった竹筒を
ためつすがめつしていた男が突然声をあげた。

「これっ、これでアレを作りましょう!」

「は?」

突然何を言い出したのか理解できずにセイが首を捻った。
けれど総司はセイの手を握り走り出す。

「アレですよ、アレ! 暑いですし、ちょうどいいですっ!」





――― びしゃっ!

「うわっ!」

突然顔にかけられた水しぶきに永倉が驚きの声を上げた。
中庭の木の陰からセイの体が半分見えていて、その手には竹で出来た
水鉄砲らしきものが掴まれている。

「脅かすんじゃねぇよ、総司・・・」

「ええっ、どうしてわかるんですか〜?」

セイの背後から総司が顔を出した。
自分は完全に木の影に入っていて、永倉から見えるはずもなかったのに。

「神谷が自分からこんな悪戯をするなんて誰も思わねぇよ。
 お前以外にこんな事をするわきゃねぇだろうが」

からからと笑いながら永倉が去っていく。
むぅぅぅっと総司の頬が膨れた。
それではまるでセイよりも自分の方が子供っぽいと思われているようではないか。

それは違えようも無い事実なのだと認めたくない男は意地になった。
セイを盾に自分の身を隠し、その場を通る者通る者に水を放ち続ける。
けれどその全てに言われたのだ。

『総司(沖田先生)、子供じゃないんだから・・・』



「どうして、どうしてなんですか!」

ぶるぶると竹筒を握る総司の手が震えている。
始めはセイの影から総司が水を放っていたが、途中からセイにやらせてみても
誰もが自分のした事だと思うのだ。
それはやはりセイより自分の方が子供と思われているという事で。
けれどそれを認めるのは己の矜持が許さない。

「あと一人、あと一人だけ付き合って貰いますよ・・・」

今のこの男には何を言おうと意味が無いと最早止める気も失せて
黙々と駄々っ子の我侭を聞いていたセイが深い溜息を吐いた。



薄暗くなりかけた中庭に人影が通りかかる。
(今ですっ!)
背後から肩を押されたセイが、泣きたい思いで竹筒から水を放った。

「おおっ?」

その声は総司が誰より敬愛する男のものだった。
しまったとばかりに背後の気配が小さくなるのを感じて、ここだけは自分が
代わりに謝罪しようとセイが一歩を踏み出そうとした時。

「・・・総司。お前ももう良い大人なんだから・・・」

呆れを交えた近藤の声が空間を揺らす。
白々とした静寂がその場を支配し。
次の瞬間。

「近藤先生までっ、ひどいですぅぅぅっ!!」

セイの背後から駆け出した男が悲痛な泣き声を上げながら
屯所の門を飛び出して行った。




その夜、随分遅くにしおしおと戻って来た駄々っ子黒ヒラメは
セイから報告を受けていた土方にこっぴどく説教をされた上に
その夏の間、竹露を食べる事を禁じられたという。






2008.08.03.〜09.13.