〜〜〜 天上の花、笑う 〜〜〜



――― ぱしんっ!

突然開かれた障子に男達が驚いたように振り返った。


「副長! なんとかしてください、これっ!!」

室に踏み込むと同時に叫んだセイが、室内にいるのが土方だけでない事に気づき
慌てて膝をついた。

「し、失礼しました。局長もいらっしゃったんですか・・・」

頭を下げようとしたセイだったが、それは叶わなかった。
背後にベッタリ張り付いた物体が体の動きの邪魔をしていたからだ。

「・・・・・・おい。なんだソレは」

近藤と自分に対する態度の違いも腹立たしかったが、それよりセイの背にある
物体の方が気になったらしく土方が眉を顰めながら問う。

「総司?」

近藤の呼びかけにセイの体を抱え込むように離れずにいた男が顔を上げた。

「神谷さんが私のお願いを聞いてくれないんです」

ぷぅと膨れた頬は赤く熟れている。
すでに散々駄々を捏ねた様子がそこから見て取れた。

「どういう事だ、神谷」

重ねて土方に問われ、セイが口を開いた。

「・・・おはぎを作って欲しいと言うんです。沖田先生・・・」

「あぁ?」

予想もしなかった話に土方が目を剥いた。

「盆も正月もしないというのが隊の姿勢です。お彼岸だからといって、
おはぎを作るなどできないと言っても“作ってくれ”ときかなくて・・・」

「そんなに食いたいなら、どっかで買ってくりゃいいじゃねぇか」

土方の言葉ももっともだ。
セイも何度もそう言った。
だがこの男は「神谷さんに作って欲しい」と譲らず、挙句「作ってくれると
約束してくれるまで絶対に離れません!」と宣言し、この状態なのだ。
困りに困ったセイが助けを求めた場所が土方の元だった。



一連の話を聞き、まるで駄々っ子そのままの様子に近藤が小首をかしげた。

「なぁ、総司。どうして神谷君の作ったものが良いんだ?」

「だって!」

それまで黙り続けていた総司がようやく口を開いた。

「だって京のおはぎって、さらし餡じゃないですか! 私はつぶ餡が良いんです!」

「「「・・・・・・・・・・・・」」」

セイは勿論、近藤も土方さえも返す言葉を失って沈黙した。

この男の甘味に対する執着と拘りは誰もが承知している。
まして幼い頃から一緒にいた者であれば尚更だ。
だが、だからといって年下の配下に対してのこの姿は情けなさを通り越し
哀れみさえ感じさせてくる。



――― ふう・・・

溜息を落とした男に視線が集まる。
そこでは近藤が苦笑を浮かべていた。

「すまないが、神谷君。おはぎを作ってやってくれないか」

「局長?」

「近藤さん! この阿呆を甘やかしてどうするんだ」

セイの言葉に被せて土方の怒声が響く。

「いや、俺も食べたいと思ったんだよ。試衛館にいた頃に皆で食べたじゃないか。
幼い総司が顔中を餡まみれにしながら、お前と取り合いをしてたよなぁ」

細められた近藤の目には、その頃の風景が見えているのかもしれない。

「馴染みの無い京のおはぎじゃなくてな。江戸の味を知っている神谷君が作ったものを
総司が食べたくなるのもわかる気がしたんだ」

しみじみとした近藤の言葉に土方も口を閉ざし、そのまま顔をそむける。
それが同意を示している事など、この場の人間には伝わっていた。

「非番の日にね。頼んだよ」

「はいっ!」

柔らかに目元を緩めた近藤の言葉に威勢の良い返事を返したのは
セイではなく背後に張りついたままの男だった。






翌日。
ちょうど非番に当たっていたセイは、前日から準備をしていた材料で
昼前には大量のおはぎを作成し終わった。
それを近藤と土方の元に持っていき、同じく試衛館出身の幹部達にも配り終えて
賄所に戻ってくると総司が風呂敷を抱えて待っていた。

「沖田先生?」

男の背後には空の大皿が見える。
総司の分にと取り分けておいた大量のおはぎが載っていたはずの皿だ。
まさか自分が不在にしていた僅かの間にあれを全部食べたのか。
信じられないと思う一方、この男だったら不可能ではないと
セイが眩暈を感じた時、強く腕を引かれた。

「え? 沖田先生?」

「出かけますよ。冷やし水の二の舞はごめんです」

総司に手を引かれたまま屯所を出ながらセイがようやく納得した。
夏の盛りに今回同様総司にねだられて作った江戸風の冷やし水は、
仲間の隊士達にあっという間に食べ尽くされ、この男は盛大に拗ねたのだ。
同じ事にならぬようにと、屯所の外で味わう事に決めたらしい男が
大切そうに抱えている風呂敷包みを見やってセイが噴き出した。

「誰かに取られないようにって・・・。こ、子供じゃないんですから・・・」

あははは、と高い笑い声を響かせるセイを総司がちらりと振り返った。

「いいんですよ。ただその前に一ヶ所行きたい場所があるので、
まずはそちらに付き合ってくださいね」

「はいはい、どうせ非番なんですから、どこへなりともお付き合いいたします」

その答えを聞いた総司が小さく頷いた。




「・・・ここ・・・」

目の前の風景にセイは言葉を続けられなかった。
その手を離した総司が道端にいた大原女から花を買い、
立ち尽くしたままのセイに渡して先に歩き出す。
慌てて後を追うセイだったが総司が足を止めた場所で大きく目を見開いた。

そこはセイにとって特別な場所。
滅多に来る事は無いけれど、時に己の覚悟を確かめる為、
そしてその場に眠る人の安寧を祈るために訪れる場所だ。


「沖田先生・・・どうして・・・?」

庫裏で借りた手桶に水を汲んできた総司が、二つ並んだ小さな墓石の
周囲に生えた雑草を抜いている。
その背にセイの微かな声が届いた。

「だって貴女、忙しいからって滅多に来れないでしょう?
たまにはきちんとお参りをするべきだと思ったんですよ」

「で、でも・・・隊ではそういう行事は・・・」

「隊としてではなく個人がする事までは何も言われませんよ。
それに近藤先生だってご承知です」

「え?」

墓域を清め終わった総司が振り向いて微笑む。

「“非番の日に”と仰ったでしょう? わかっておいでだったんですよ」

セイは昨日の近藤の言葉を思い返した。
確かに非番の日におはぎを作ってくれ、と言っていた。
本来であれば隊務の合間でも事足りるものを、わざわざその日を指定したのだ。
そしてその非番の日は彼岸の入り日だったのだから。

セイの面に理解の色が広がるのを確認して、総司が風呂敷から
竹の皮に包まれたおはぎを出して其々の墓前に供えた。

「おセイさん手製の江戸のおはぎですよ。懐かしいでしょう?」

墓石に向かって語りかけるその背中にセイがしがみつく。

この男は最初からそれが目的で自分に菓子作りをねだったというのか。

大きな背中に顔を埋めてセイがしゃくりあげる。
困ったように視線を彷徨わせた総司が、肩越しに腕を伸ばして
背後の月代をぽんっと叩いた。

「泣かないでくださいよ。貴女の父上や兄上に私が叱られてしまいます」

「だ、だって・・・先生が・・・優しいから・・・」

「・・・優しくなんてないですよ・・・」

だからこそこの可愛い人を手放す事ができず、未だ修羅の道を歩かせているのだ。
これは自分の自己満足であり小さな贖罪でしかない。
けれどそんな事を口にすれば、この優しい人を悲しませるから口にはしない。

「ほら、ちゃんと花を供えてお参りしましょう。
父上と兄上に元気な貴女の姿を見ていただかなくては、ね?」

「は、はいっ!」

ようやく泣き止んだセイが総司の背から離れ、ごしごしと目元を擦りながら
墓前に膝をついた。
そのまま静かに花を生けて手を合わせる。

「父上、兄上・・・」

その先にセイが何を語ったのかは総司も知らない。
けれど浮かんでいた穏やかな笑みが、
何よりもその胸中を表していた事は確かだろう。



そして暫しの後。

「って、沖田先生! 私がお参りしているうちに残ってたおはぎを
全部食べちゃったんですかっ!!」

「ご、ごめんなさいぃ! 暇だったので、つい・・・」

「つい、じゃないっ! 神妙さが足りないっ!」


静寂が支配するはずの聖域に、いつも通りの光景があり
真っ赤な彼岸花が笑うように揺れていた。





2008.09.14.〜11.20.