〜〜〜 母子草 〜〜〜
バタバタと音を立てていた足音が部屋の前で止まると同時に
スパーンと勢い良く障子が開かれた。
中で思い思いに寛いでいた隊士達が何事かと顔を上げる。
障子の向こうに仁王立ちしていた小柄な隊士が部屋の奥に
こっそり身を隠すようにしていた上司を指差した。
「まぁぁぁだ、そんな格好でいらっしゃるんですかっ! 沖田先生っ!」
怒声にびくりと肩を揺らした総司がそろっとセイに背中を向ける。
ズカズカという音が聞こえるような足取りで総司の前に立った
セイの柳眉が逆立った。
「・・・しかも朝餉を食べたばかりだというのに、何してるんですかっ!」
「何って・・・食後の口直しを・・・」
「ほほぅ・・・口直しをしないといけないほど、朝餉が不味かった、と
そういう事ですか?」
ジロリとセイに睨まれて総司が周囲に救いの視線を向けるが
一番隊にその視線に応えて総司を助けるような者はいない。
後で聞かされる上司の愚痴よりも、セイの怒りの方が数倍恐ろしいからだ。
「い、いえ、そういう意味じゃなくてですねっ! 美味しかったですよ、とても。
本当っっっに朝餉は美味しかったですっ! ただ、お菓子も少し食べたいなぁって」
隊の朝餉の支度はセイも手伝っている。
賄い方の者達は揃って京の者だ。
江戸を始めとした東国出身者にとって彼らが作る物よりも、セイが味付けする
江戸風の料理の方が何倍も口に合う。
「不味かった」などと言われてセイが臍を曲げ、今後は食事の支度を
手伝わないなどと言い出したら、どれほど仲間達に恨まれる事か。
切実な思いから総司が必死にセイを宥めた。
「ああ、もう、そんな事はどうでも良いですっ!」
腕組みをして総司をねめつけていたセイが、はっと気づいたように焦りだした。
「今日は午後から会津様に呼ばれているんでしょう? 早く着替えてください!」
「え? でもまだ時間があるじゃないですか?」
きょとんと見返してくる身体を腕を掴んで立たせたセイが、
男の手から愛用の菓子袋を取り上げた。
ああっ、と悲しげに呟いた言葉など聞く気も無い。
「局長や副長はもう準備を済ませておいでですよ。遅れては失礼になりますが、
早く行く分には問題ありません。途中で何があるかわからないんですから!」
懇々と言い聞かせるようにしながら、手は忙しなく総司の着物を調えていく。
会津藩主松平容保からの呼び出しだ。
少しの乱れもあってはならない。
後ろに回っては袴の皺を伸ばし、前に立っては髪の乱れを整える。
羽織の紐の捻じれすら几帳面に正したセイが満足気に総司を見上げた。
「これでよしっ!」
「あ、ありがとうございます・・・」
セイの勢いに飲まれたようになされるがままだった総司が我に返って礼を口にした。
けれどすでにセイは目の前にいない。
「はい、先生。新しい手拭と懐紙です。きちんとこれを持って!」
「は、はい」
総司の行李から必要な物を取り出したセイに差し出された物を懐に収めると
小さく頷いたセイの視線が足元に落ちた。
「あ〜〜〜っ!」
「え? なっ、何ですっ?」
「足袋っ! 足袋を履き替えてないじゃないですかっ!
会津様の前に、そっっっんなヨレヨレの足袋で出る気ですかっ!
早くっ、早く履き替えてっ!」
――― どかっ!
「いっつぅぅ! 神谷さん、いきなり片足を掬わないでくださいよぅ」
セイに片足を持ち上げられた総司が受身を取る暇も無く
背中から畳に落ちて悲鳴を上げた。
けれどぽちぽちっと総司の足袋の金具を外したセイは、
すでに行李へと向かっている。
「いいからっ! とっとと脱いでくださいっ!
すぐに新しい足袋をお持ちしますからっ!」
「はいはい・・・はぁぁぁ・・・」
深い溜息と同時に穴が開きそうなほど使い込まれた足袋が、ぺいっと空を舞った。
「あのよ・・・」
「あぁ?」
「俺は常々、神谷は沖田先生の世話焼き女房だと思ってたんだけどな」
「ああ、俺もだ」
「あれってさ」
「うん」
「ほとんど出来の悪い息子と母親の図じゃねぇ?」
「・・・・・・・・・・・・」
相田の言葉に山口の視線が件の二人の下へ戻る。
ぎゃいぎゃいと口うるさく言いながら、総司の脱ぎ散らかした
古い足袋を片付けるセイと、
小さく唇を尖らせながら新しい足袋を履き直す男。
「確かにな・・・」
山口が複雑な表情で頷いた。
女房だろうと母親だろうと、あの小さな隊士に誰より心を砕いてもらえるなら
これ以上の幸いは無いじゃないか、と眼差しが語っている。
その思いは室内にいる他の隊士達も同様で。
少しの悋気と大いなる羨望を向けられた二人は、今日も賑やかだ。
2009.02.07.〜03.26.