〜〜〜 文よりも 〜〜〜



西本願寺の裏手には一本の大木がそびえ立っている。
壬生に生えていた泣き虫の付く木によく似たその大木が総司は好きだ。
隊務の合間に休息がてらやってきては高い梢から京の町を眺めている。
東山の方角は大きな御影堂が遮って見る事はできないが、北に眼を向ければ
北山の幽玄な連なりを背景にして、二条城が存在を誇示している。
強い日差しに照らされる瓦の輝きが眩しい。


「沖田先生〜!」

ふと自分を呼ぶ声に反応して下に眼を向けるとセイが手を振っている。
そのままするすると登ってくる姿が相変わらず身軽すぎて、
まるで猿のようだと小さく笑った。
顔を真っ赤にして本気で膨れるから言わないけれど。

「さっき飛脚が多摩からの手紙を皆さんに届けにきました。はい、これが先生の分」

総司の少し下の枝に腰を下ろしたセイが懐から一通の文を取り出した。
それを受け取った総司は差出人の名を見て頬を綻ばせる。

「ああ、姉さんからですね。どれどれ・・・」

そのままガサガサと文を広げ、中の文字を眼で追っていた総司がぷぷっと吹き出した。

「先生?」

怪訝なセイの問いに笑いを含んだまま総司が答える。

「いえ、たいした事じゃないんですが、子供たちがやんちゃで大変みたいですよ。
昔の私が懐かしいってボヤいているので可笑しくて」

くすくすと笑う総司にセイも同様の笑みを返した。
しばらくそのまま文の続きを読んでいた総司がふと顔を上げると、
幹に身体を預けたセイがぼんやりと空を見上げている。
その横顔に微かな影を感じ、はっと気づいた。

セイには文をくれるような身内はいない。
少なくとも神谷清三郎にいないのは確かだ。
この先富永セイに戻ったとしても、近しい身内など残っていない。
それらはどうしようもない事だと承知していても、寂しげなセイを見ると胸が痛む。


「いつか・・・」

考えるよりも先に言葉が口をついて出た。

「いつか私がずっと遠くに行ったら、貴女に文を出しましょうか」

総司の言葉に一瞬きょとんと眼を瞬かせたセイが、大きく首を振った。

「いりません、そんなもの! いえ、そうじゃなくて、必要ありません!」

思った以上に強く響いたセイの声音に総司が眉間に皺を寄せた。

「ひどいですねぇ。師が愛弟子に送る文を“そんなもん”なんて・・・」

「そうじゃなくてっ!」

セイがぐいっと総司の袴を掴んだ。

「先生が遠くに行かれる時には私もご一緒いたします! だから文なんて不要なんです!」

「一緒にって・・・貴女簡単に遠出なんて出来ないじゃないですか」

以前総司に江戸東帰の話があった時にもそれで散々悩んだのだ。
それを思い出して小さく首を傾げた。

「大丈夫ですっ! 気合で何とかしますっ! 私だってあの頃より修練を積んだんです!」

「修練って・・・貴女・・・」

今も月に三日の居続けは必要なのだ。
その時のセイの不調具合を知っているだけに、総司としても
気合でどうにかできるものだとは思えない。

「見ていてください。先生にそんな心配をさせないよう、これまで以上に努力しますから!」

「努力って・・・どうやって・・・」

「ええ、もうこれは修行ですね。自分の身体との戦いです。いっそ“神谷流馬術”とか」

「ば・・・馬術・・・」


一瞬絶句した総司が、ついで“ぶほっ!”と派手に吹き出し身体を折って笑い出した。

信じられない、堪えきれない、たまらないじゃないですか、この人ってば。
全てに対して前向きにあろうとするこんな人、滅多にいるものじゃない。
誰より可愛いと思ってしまうのは仕方が無い事でしょう、ねえ。


内心で誰に言うでもなく呟きながら笑いこける男の眼には、城の瓦よりも輝く人が映っている。
何があってもどこまでも、ずっと共に居るのだと誓ってくれた可愛い人が。

総司の笑声が晴れ渡る青空に向かって高らかに響き続けた。




2009.05.28.〜06.30.