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~~~ 蝉時雨 ~~~
「あれ? 何をしてるんです、神谷さん?」
裏庭一杯に干していた洗濯物を取り込んでいたはずのセイが、
庭の片隅にしゃがみこんでいる。
総司の声も聞こえないのか地面に落とした視線を上げようともしない。
夏の日差しが傾きかけて蝉時雨の降る中、まるでその音に押し潰されかけているような
頼りない後姿に不審を感じた男が、下駄をつっかけて華奢な弟分の隣に立った。
「神谷さん?」
「これ・・・」
「ああ、蝉ですね」
セイの足元に二つ並んで落ちていたのは蝉の骸だった。
「仲間達は、あんなに賑やかに鳴いているのに・・・」
続く言葉は“可哀想”だったのか、“悔しいだろう”なのか。
けれどそれを口にする前に総司の明るい声音が遮った。
「まるで私達みたいですね」
地に転がる塊を前にしての、その言葉に驚いたようにセイが顔を上げた。
「蝉は長く土の下で成虫を夢見て過ごすんですって。そして地から這い出したら
一心不乱に鳴いて鳴いて成虫となった事を誇り、役目を終えて土へと還る。
私達も長く無名の修行の時を過ごし、ようやく己の誠忠を謳えるようになった。
生ある限り全身を震わせて音を発する蝉のように、この身と心で発し続けて
その果てがこの姿なら悔いはない。そう思いませんか?」
「その時も沖田先生の隣にいられるなら・・・」
縋るように震えるセイの言葉をかき消さんと、一際激しい油蝉の鳴声が響き渡った。
「あははは、それは駄目ですよ。私の後を継いでくれる人が必要ですもん。
さしずめ今の賑やかな油蝉が神谷さんかなぁ」
「そんなっ!」
「あ、ちょっと静かに」
自分を置いていくなど許さないと、怒鳴りつけようとしたセイの言葉を総司が遮る。
瞼を閉じて何かを聞き取ろうとする姿を睨むセイの耳朶にもそれは届いた。
――― カナカナカナカナカナカナ・・・
「ヒグラシですねぇ。もう夏も終りなんだ」
ゆるりと眼を開いた総司がセイへと視線を向けた。
「私は油蝉よりもヒグラシが良いですね。しみじみと余韻を残すこの風情が趣深くて」
「沖田先生に“風情”なんて高尚なものが理解できるんですか?」
先程の“置いていく”発言が心に刺さっているセイは、まだ膨れっ面だ。
「わかりますよ~。葛饅頭は夏に食べてこそのもので、あれは冬には向きません!
冬には冬の甘味がある! これこそ風情というものです」
「ああ、はいはい。そうですか・・・」
この男はどれほど真面目な話をしていたとしても、結局は局長か甘味へと
思考が帰着するのだとセイが溜息を吐いた。
――― カナカナカナカナカナカナカナ・・・
哀愁を帯びた鳴声が油蝉の声に取って代わり、広い裏庭に満ちていく。
赤く染まりつつある西山へと視線を投げたセイの月代に大きな手の平が乗せられた。
「私達は蝉じゃありませんからね」
ポンポンと弾む手の平は硬いはずなのに、とても優しい。
「さっきは蝉だって言ったじゃないですか」
頭上の手はそのままで、セイが唇を尖らせた。
「生き様が似てるというだけですよ。私達はもっとしぶとく長く叫び続けるんです。
うんとうんと齢を取っても。その果てがこの姿なら、それも良いじゃありませんか?」
再び足元の塊に視線を落したセイの頬が微かに緩んだ。
ずっと未来の自分達など想像した事も無いけれど、今のように隣に並んで
季節の移り変わりを感じられれば幸せだろう。
「しぶとく・・・ですか」
くすくすと喉の奥から漏らすような笑声が蝉の鳴声に混じり、それと重なる怒声が
廊下を近づいてきた。
『総司っ! どこまで神谷を探しにいってやがるっ! 総司っ! どこだっ!』
「ああ、隊で一番しぶとい人が来たみたいですねぇ」
「そのうち頭の血管が切れませんか、副長・・・」
パタパタと袴の裾を叩いて立ち上がったセイの面からは、先程までの翳りは消えている。
それを確かめた総司が身近な洗濯物を取り込みながら軽口を叩いた。
「まぁ、土方さんのしぶとさは油蝉というより油虫かもしれませんけどね」
「あ・・・あぶら・・・」
ヒグラシの声もかき消すようなセイの爆笑が裏庭一杯に響き渡った。
高く澄んだ笑い声に負けじとばかりにヒグラシの音が降り注ぐ。
身を炙るような京の夏も終ろうとしていた。
2009.08.12~10.04.