〜〜〜 風の刻印 拾遺 〜〜〜
「どうして隊に残すなんて言ったんですか?」
帰宅する松本法眼を見送るためにセイが下がった部屋に、怒りを滲ませた総司の声が響いた。
「落ち着きなさい、総司」
鋭い視線を向けられている土方ではなく近藤が気遣わしげに総司を宥めるが、
この時ばかりは敬愛する師の言葉も総司の耳には届かない。
「このまま隊に居ればあの人はまた刃を揮う事になる! そんな暮らしはさせたくない!
今はまだ気が昂ぶって切腹だ何だと言ってるけれど、松本法眼や里乃さんにゆるゆると
説得してもらえばあの人だっていずれは女子として生きる気にもなるはずです!
それなのに!」
「そうか?」
自分の枕辺に座り腕組みしたまま半眼で話を聞いていた土方に鋭く問われ、
総司の口が閉ざされた。
「おめぇは本当に誰かの説得で神谷の意志が変わると思ってるのか?」
「それは、多少はごねると思いますけど、誰が見ても理に叶った事なんですから」
「近藤さん」
総司の言葉の途中で土方が近藤に顔を向けた。
「総司の病は容易く治るもんじゃねぇ。京に置いても悪くなるばかりで好転はしねぇだろう。
こいつがここに居なくなれば、神谷だって考えを変えるかもしれねぇしな。
俺は日野の義兄さんのところへ預けようと思ってる。あんたも異論はないな?」
確かに将軍家茂に続いて孝明天皇が逝去して以降、日に日に胡乱な空気が濃くなる京では
総司が落ち着いて療養できるとも思えない。
江戸に戻す事も選択肢のひとつとして考えていた近藤は即座に首を縦に振った。
「ああ。俺もそれを考えていた」
「近藤先生っ!!」
悲鳴のような総司の声も土方には聞こえないように先を続ける。
「それでも色々五月蝿く言いやがるだろうからな。
『江戸へ戻れ』とあんたが命じちゃくれねぇか?」
ちらりと視線を向けられた総司の体が固まった。
武士として、主君たるべき近藤の命令は絶対だ。
けれど従える事と従えない事があるのだと、冷たくなった指先が囁いてくる。
「総司・・・」
「嫌ですっ!! 絶対に絶対にそれだけはっ! 生きていても死んでるのと変わらないっ!」
総司の叫びから一拍置いて、兄分達が吹き出した。
「そっくりじゃねぇか、馬鹿な弟子とお前はな」
「・・・って事があったんですよ」
自分が隊に残る事を渋々ながら容認した理由を尋ねたセイに、布団の中で総司が苦笑した。
「それにね。私は貴女が大切だから、やっぱり手放すと淋しいし・・・」
その言葉に微かにセイが頬を染めた。
「私も沖田先生が大事ですから!」
喧嘩を売るような口調で告げられた言葉も、総司の耳には甘やかに届く。
(でも武士の恋は忍ぶが至極、と言いますし。常の男女の関係は私達には許されない)
胸の内の呟きは切なく沁みて、溜息と共に思わず小さな呟きが漏れた。
「忍ぶのも楽じゃないですねぇ・・・」
「全然忍んで無いじゃないですか!」
頬を膨らませるセイの視線の先には、病人とも思えないほどの甘味が袋に詰められ
枕元に鎮座している。
今後は全て管理しますと言い放ったセイを見つめて、総司が眉尻を下げた。
「忍んでますよ・・・色々・・・」
吐息だけで告げられた言葉を聞き返そうとしたセイの頬に、一瞬だけ硬い指先が触れた。
「私はここに居ます。そして貴女もここに残る。だから、ね。
今宵からは安心して眠るといい」
重なる不安のせいで眠れずにいた証が目の下に濃い影を残している。
それを気遣う総司の言葉にセイがこくりと頷いた。
自分達の先行きが明るいものではない事を、総司は漠然と感じ取っている。
けれど大切な人がいつも身近にいてくれるのだ。
そして敬愛する男達が自分達を見守っていてくれる。
今だけはその幸いを噛み締めていたいと願った。
2009.10.04.〜11.27.