〜〜〜 てのひら 〜〜〜



するりと滑った指先の後で、頬に留まるのは大きな手の平だ。
行き過ぎた指先が優しく耳たぶをくすぐる。
それが口づけの誘いだと気づいたのは、いつだったか。

あの頃は石のように硬かった手の平が、今は柔らかだという事に。
重なる唇から囁かれる声音が、どれほど甘いかという事に。
眼差しだけは変わらぬ熱を湛える男は、この生で嫌というほどセイに教えた。



唇から熱が離れた事を冷たい木枯らしに教えられたセイの意識が
急激に鮮明さを取り戻す。

「こっ、こっ、こっ、ここがどこだと思ってるんですかっ!」

雪が降り出したために人影は無い。
けれどここは公共の場である公園だ。
セイにしてみれば、こんな場所で交わすような行為ではない。

「だって思い出してしまったんですから・・・」

頭から湯気を吹き上げそうな少女に、ぐいぐいと胸を押しやられながらも、
苦しいような切なげな眼差しの男は腕の中の身体を離そうとはしない。

「あの頃の貴女は、いつも赤い頬をしてて」


真冬の巡察で最初に思い浮かぶのは、セイの真っ赤な頬と鼻の頭だ。
そして冷え切っているだろう、華奢な指先。

江戸城の目と鼻の先で起こった大老襲撃は雪の中で行われた。
登城の行列に従っていた者達は雪を避けるために刀の柄に柄袋をかけていたという。
突然の襲撃に柄袋は抜刀の妨げとなり、どうにか抜けた大刀もかじかんだ手では
思うように握る事はできなかったであろう。

密やかに伝え聞いていたその時の話から、隊では柄袋の着用は禁じられ、
常であれば武士として行儀が悪いと叱責される懐手も、真冬に限っては推奨された。
懐で温めた手で時折冷え切った刀の柄を握り、温もりを移す。
いつでも不慮の事態に対応できるようにだ。

けれどセイの指先は懐手などでは温まらない事を総司は知っていた。
体質なのか冷えやすい身体は、冬場になると末端が氷のように凍えていた。
周囲に気づかれないように、そっと指先に息を吹きかけて温める姿を見るたびに
隊務の最中でありながらも、握り締めて自分の体温を分け与えたいと思っていたのだ。


「いくら温石を持てと言っても、自分だけが甘やかされるのは嫌だ、って言い張って。
 貴女が指先から凍ってしまうんじゃないかと不安だったんですよ?」

苦笑を浮かべた総司がようやく華奢な身体から腕を解き、相変わらず冷たい指先を握りこんだ。
二人の足元でカサカサと音を立てて枯葉が渦を巻く。

「・・・温かかったですよ?」

大きな手の平に包まれた自分の手の先を見やって、セイが困ったように微笑む。

「非番の日は一緒に出かけたじゃないですか?」

「ええ」

握られた指先を少しずつずらし、こればかりは時代を経ても変わらない
無骨な指にセイが指を絡めた。

「甘味を食べに行きますよ〜! って誘われて出かける時、いつもこうやって
 手を繋いでくれてたでしょう?」

植物達のほとんどが眠りにつく時期に、ひっそりと雪の中から頭をもたげて花開く
福寿草の花を見つけたかのように愛しげな眼差しを向ける。

「冷たいですねぇ、って言いながら絶対に離さないで」


自分の右手は懐に。
けれどセイの右手は大きな左手で包み込んで歩いていたのは総司の記憶の中にもある。

「凍りつきそうな北風が吹く真冬の巡察でも、沖田先生がちらちらと私の手を見るたびに
 大きな手の平の温かさを思い出したんです」

だから温かかったんですよ・・・内緒話をするように、ひそりと告げたセイの言葉に
総司が照れたように笑った。

あの時、北風にさらされて真っ赤になっていた頬の幾らかは、自分のために
色づいていたのかと思えば、今更ながらくすぐったいような感情が胸に満ちる。


「だったら・・・」

あの頃よりももっと愛しい人の頬を濃く染めたいと、欲が出た男がニヤリと笑う。

「今は手の平だけじゃなくて、私の身体の熱さを思い起こしてくれると嬉しいですね」

「・・・・・・・・・・・・」

一瞬で寒椿の紅を写し取った少女の頬に総司が満足気な笑みを漏らした。

「うっ、うううっ!」

反論したいけれど言葉が浮かばないセイは上目遣いで唸るしかない。
あの頃の野暮天からは想像できない男の言動に、振り回されてばかりの今の自分が
悔しいのか楽しいのか。
いっそ地団駄でも踏んでやろうかと頬を膨らませた時、総司がプッと吹き出した。

「本当に貴女は可愛いんですから。さぁ、早く帰ってちゃんと温まりましょう?」

そんな必要も無さそうなほど、全身から照れによる熱を放っている可愛い人の手を引いて
総司が歩き出した。


大きな背中を恨めしげに見つめつつ歩いていたセイの頬が徐々に緩んでくる。
時を越えても変わらぬ温もりが互いの手の平を包み込んでいる。
それを幸せだと知っていながらいつまでも膨れてなどいられないと、足を速めて並んで歩く。



降り始めていた雪は二人の熱に溶かされたのか、いつの間にかやんでいた。




2010.01.21.〜03.18.