〜〜〜 同猫相哀れむ 〜〜〜
「痛っ!」
副長室で作業をしていたセイが手を止めた。
公式の書面を冊子に閉じている途中、うっかり小刀で指先を切ってしまったらしく
じんわりとした痛みと共に赤い線が滲み出す。
「ああ〜、失敗した・・・」
ぶつぶつと呟く声音を背中で聞いていた土方が、小さく舌打ちして文机から振り返った。
「ぼんやりしてやがるからだ。お前が怪我なんぞしやがると、総司の野郎が
うるせぇだろうが。とっとと手当てしとけ」
「は? 沖田先生が何ですって?」
傷ついた指を咥えながらセイが首を傾げる。
「あの野郎がお前に関しちゃ異様に過保護な事、知らねぇ訳じゃねぇだろうが」
口にするのも不快だと眉間の皺が語る男を見て、セイが声を上げて笑った。
「あっはは。確かに隊務に関しては私が頼りないからか、色々と気を配ってくださいますが、
副長の言うような過保護さなんて無いと思いますよ」
「何だと?」
「沖田先生って、あれでけっこう切れると手が出るじゃないですか」
「ああ?」
「坂本の一件の時もそうでしたけど、何度か殴られてますから、私」
近藤の養子騒ぎの時にも頬を張られたし、それ以外にも襟首を掴んで
壁に叩きつけられたり、投げ飛ばされた事もあった。
あの男は絶対に欠片ほども自分を女子と意識していないはずだ、と
改めて認識したセイは微妙にへこみながら言葉を続けた。
「副長の暴力は慣れっこですけど、沖田先生もそれに負けず劣らずの所を見ると
試衛館とはそういう場所だったのかと思ってたんですよね」
頭に血が上ると口より先に手が出るんですから、とセイが笑う。
「・・・・・・・・・・・・」
そんな自分を土方がじっと見ているのを感じ、セイが眉根を寄せた。
「何ですか、副長」
「いや、お前、凄ぇな」
「は?」
「総司の野郎が我を忘れて手を上げるなんざ、俺は見た事が無ぇぜ」
言われてセイも記憶を辿る。
近藤土方のように従うべき上の存在は別として、仲間である以上は対等と
見ているだろう原田や藤堂を始め、平隊士達にでも総司が感情のままに
手を上げるのはおろか、声を荒げさせた所でさえ見た事が無い気がする。
「あれ・・・そう言えば・・・そうか、も?」
「お前だけには一切の抑え無しで、素のままに反応しちまうって事か」
総司だけではなく自分もそうなのだろうと感じた土方が、苦々しげに歪んだ唇を
セイに悟られぬようにと湯呑みで隠した。
他人に対する垣根無しで誰より近しい存在と認識しているからこそ、
自制無する事無く感情が表に出るという事なのかもしれない。
それを改めて指摘されたようで、セイはじわりと感動した。
総司は思っている以上に、自分の事を懐深く入れてるのかもしれないと。
その夕刻。
賄い方の手伝いをしようとセイが賄所へと赴いた時。
「こらっっ、お行儀が悪いっ!」
――― ベシッ!
屯所に居ついている大きな白猫が、ゴミ箱から昼餉の食べ残しの干魚を
引っ張り出すのを見つけた総司がその頭を思い切り叩いた。
何のためらいも無く。
感情に従って。
素のままで反応している。
(・・・私もあの猫と同じ扱いのような気がする)
遠い眼をしたセイが、次の瞬間猫を抱えて逃げ出した。
「ちょっ、神谷さんっ! 何してるんですかっ! ちゃんと叱らないとっ!」
背中から追ってくる総司の声に首を振り、白猫を抱えたセイが屯所を飛び出していく。
「だってだって、何だか他人と思えなくなっちゃったんですっ!」
少しだけ特別な存在なのではないか、と期待してしまった心は無残にも粉々だ。
乙女心は武士になっても繊細なのだった。
2010.09.20.〜2011.01.19.