〜〜〜 桃合戦 〜〜〜



「神谷さんっ、神谷さんっ!」

バタバタバタという足音と共に、開け放たれたままだった副長室の障子の向こうから
総司が姿を現した。

「っるせいぞ、総司っ! 何の騒ぎだっ!」

部屋の主である土方の怒りも耳に入らぬらしい一番隊組長は、ここ三日ほど土方の補佐を
命じられて報告書とにらめっこをしていた愛弟子の前にペタリと腰を下ろした。

「沖田先生?」

京都守護職へ提出する今月の報告書はいつにも増して量が多い。
その上、とある事情で土方が別件に手を取られてしまっているため、
文書関係では使い勝手の良いセイが引っ張り出されたのも仕方が無い事。
とはいえ副長室に半ば軟禁状態におかれ、睡眠も削られての仕事となれば
セイの精神状態も良いとは言い難い。

けれど不機嫌を如実に表す部下の表情など総司にとっては見慣れたものだ。
全く意に介さないとばかりにニコニコと笑んで口を開いた。

「あのですね」

キラキラと瞳を輝かせる男が、セイの文机から書きかけの書類を除ける。
開けた場所にカタリと置かれたのは四つほど桃の載った皿と小刀だ。

「巡察に行ったら町で売っていたんですよ。美味しそうでしょう? ね?」

良く熟れている桃は洗ったばかりらしく、水滴を纏って涼しげに鎮座している。

「このくそ忙しい時に仕事の邪魔をするつもりか?」

苛立った土方の言葉も聞こえないように、総司がセイを見つめる。
ねだるような瞳を見なくてもセイにはその意図がわかっていた。


「はぁ・・・」

普段であれば場所を考えろと一言二言文句を言うところだが、今日ばかりは
そんな余裕の無いセイとしては、さっさとこの厄介な上司の希望を満たして
この場を退散してもらいたい切実さが勝った。

「しようがないですね・・・」

小さく呟くと共に桃を手に取ったセイが、するすると皮を剥いていく。

「こら、神谷! そんな事をしてる場合じゃねぇだろうが!」

「うるさいですよ、土方さん。ちょっとぐらい良いじゃないですか」


青筋を立てて怒鳴りつける土方を、期待に眼を輝かせる総司が宥める。
そんな二人のやりとりをよそに器用に皮を剥き終ったセイが、桃の実を一口大に
切り分けつつチラリと総司に視線を向けた。
それを待っていたとばかりに総司の口がパカリと開いた。

「あ〜ん」

「はいはい」

ぽい。
ぱくり。

セイの指先が果汁の滴りかけた桃を総司の口元に運ぶ。
大きく開かれた口がそれを受け止める。

「むぐむぐ。うん、美味しい」

満面の笑みで甘い果実を咀嚼した総司が再び口を開ける。

「はいはい」

ぱかりと開かれた口の中に再び桃が放り込まれる。

「むぐむぐむぐ・・・」

ぱかり。
ぽい。

ぱかり。
ぽい。


その光景を唖然とした表情で見ていた土方が、ハッと我に返って
怒鳴りつけようと大きく口を開いた。

「てめえらっ」

「はいはい」

ぽい。

「っ!!!!」


口が開けば放り込む。
既にセイにとっては条件反射である。
疲れから相手を識別できるほどの判断力が無くなっている今なら尚更の事。


「あ〜、土方さんずるいっ! 私もっ!」

「はいはい」

ぽい。

「てめぇ、神谷っ! 何をっ」

「はいはい」

ぽい。

「あ〜ん」

「はいはい」

ぽい。

「俺はっ!」

「はいはい」

ぽい。


結局総司が持ってきた桃が無くなるまでその光景は続いた。




セイが果汁で汚れた手を洗いに出て行った後には、妙に寒々しい空気が漂っていた。

「・・・・・・・・・・・・」

何かを口にすれば不機嫌全開のセイに睨まれて、とうとう口を挟むことの
出来なかった土方を総司が冷ややかに眺める。

「・・・美味しかった、ですか? 桃」

「・・・まあまあ、じゃねぇか?」

「へぇ・・・。神谷さんに手ずから食べさせてもらっておいて、
 そういう事を言いますか?」

弟分から滲む妙な威圧感に、鬼副長ともあろうものが言葉を詰まらせる。

「うっ・・・別に、俺が食いたかったわけじゃねぇっ!」

「そう、ですか。ふぅん・・・」


セイを借り出したまま独占している土方へ、当てつけをしたくて買ってきた桃を、
自分同様にセイに食べさせてもらうなど面白いはずがない。
その感情を如実に全身から滲ませたまま、総司が腰を上げた。

「桃代、特に神谷さんに食べさせてもらった分は、高くつきますよ。
 この貸しは、いずれ、たっぷりと、返してもらいましょうかね」

黒い笑みより余程危険さを感じさせる邪気の無い笑みを残し、
軽い足取りで総司が部屋を出ていった。
後に残されたのは彫像のように固まった鬼副長のみ。


金輪際、神谷に自分の仕事をさせるのはやめよう、と土方が誓ったある初夏の話。



2011.01.19.〜07.12.