天壌無窮  ―― 誓 ――




あの日。
セイを水の中から救い上げ、その想いを確かめてから初めての非番の日。
総司は一番隊に戻ったセイを伴って北山の宿を訪れた。
夏は涼を求める者で、それなりの賑わいを見せるこの地も、冬の寒さが
一際厳しくなるこの時期に訪う物好きはいないらしい。
まして今にも雨粒が落ちてきそうなこんな日だ。
西の空を黒々と覆っている雲の中に、時折雷光が走る。

閑散とした道筋を辿る間、互いに口を開く事は無かった。

総司が何を求めているのかをセイは理解していた。
セイが何に緊張しているのかを総司も理解していた。
だから総司は少し先を歩き、いつでもセイが踵を返す余地を残した。
けれど背後の小さな気配が消える事は無く、宿の前で一瞬だけ振り向いた
総司の視線と絡んだセイの瞳には確かな覚悟が見て取れた。







遠くで雷の落ちる音がする。


触れた指先にピクリとセイの身が震えるのが伝わった。
震えを齎したのは雷なのか、男の指なのか。

灯火の消えた室内に時折閃く雷光の中で、白い肢体が清らかに浮かび上がる。
輝く肌の艶やかさは青白き刹那の中にこそ本来の美しさを垣間見せ、総司が息を呑む。

無骨な男姿(おとこなり)の下に、これほどの宝花を隠しているのだ、この娘は。
芳しきその香りは常の中で放たれる事は無く、ただ己の為だけにこうして
つかの間、夢ともいえる刻の中で妖しく漂う。

そうっと頬を辿っていた指が顎にかかり、反らしていた花の顔を上げさせる。
伏せた睫が時折頼りなげに揺れ、その下に隠された瞳のきらめきを覆っている。

「神谷さん」

総司の囁きにセイの睫が小さく震えた。

「・・・神谷さん」

再びの呼び声に一度軽く唇を噛んだセイがそっと瞼を開く。
その様は清浄なる曙光の中、薄い花弁を震わせてゆるやかに、けれど確かな
生の息吹を伴って花開く奇跡を見るような。

大きな瞳の中に映る己の姿を見止めた瞬間、総司の身に言い知れぬ動揺が走った。

穢れを知らぬ少女を修羅の道に引き込み、生有る者を彼岸へと
送り込む術を身につけさせた。
例えセイ自身が己の求めた事だと言い張ろうと、それを許した自分がいたからこそ、
この娘はその身を血に染めて鬼の住処に居続けたのだ。

大いなる罪をその背に背負わせたというのに、まだ自分はこの娘から
純潔という尊い宝を取り上げようというのか。
天はそれを許そうものか。




――― どぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉんっ・・・・・。



雷が近づいてくる。
この娘に触れることはならぬと、天が己を撃つために迫り来るのだろうか。

一際大きな雷鳴にセイの手が無意識に総司の袖を掴んだ。
時折雷光が一瞬の光明を投げかけようと、厚い雨雲に覆われた空は
室を闇に沈ませている。
着物の前を肌蹴られている羞恥よりも、闇と雷鳴に対する恐怖の方が勝るのか。
すがれるものは目の前の男だけだとばかりに、セイの握る手に力が加わる。


「怖いですか?」

雷が? それとも・・・私が?

胸の内だけで苦く問いかける。

「先生が一緒だから平気です!」

真っ直ぐにただ自分だけを見つめるその瞳の強さに射抜かれた。
全幅の信頼と全てを凌駕する峻烈な恋情。


そうだ。
そうなのだ。
儚き女子の身でありながら、何一つ男に勝るものを持たぬはずのこの娘は、
ただこの想いだけを剣とし盾として自分の心に攻め入ってきたのだ。
それは男の持つ苛烈な攻め方ではなく、永き刻をかけて雨だれが石を穿ち
その下の柔らかな土に辿り着くように、ゆるゆるとけれど確かな優しさと潤いを持って
頑なだった自分の心の壁を突き崩し、その内に染み渡っていった。
気づいたときにはすっかり奥陣まで攻め込まれ、白旗をあげるしか
術が残されてはいなかったのだ。
そう、それはあまりに幸福で歓喜に満ちた白旗。




――― どぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉんっ・・・。



また少し雷鳴が近くなる。

総司が強く瞼を閉じた。

穢れ無きこの娘に触れる事が罪だというなら、その天から降る槍で己を撃つが良い。
なれど最後の瞬間まで自分はこの愛しき娘を手放さぬ。
たとえ天の意に背こうとも、血に塗れたこの手でこの娘を抱き締め続ける。

神も仏も我には無用。




閉じた瞳を開いた時には、先程の動揺は鎮まっていた。

「後戻りは許されませんよ?」

一度でもこの娘を抱いたなら、たとえ何が起きようとも
自分はこの娘を手放す事はないだろう。
何一つ与える事など出来ずとも。

「戻る気などありません」

セイの瞳は揺らがない。

「私は貴女に何もあげられませんよ?」

「いりません。ただ何時までも何処までも先生のお側で戦うだけです」

寸分の間もなく返されるセイの答えはどこまでも快い。
酩酊感を押さえ、最後の確認とばかりに総司が問いかけた。

「何の代償も無く、貴女はその身も心も私に差し出すと?」

言葉と同時に総司はそっとセイのむき出しのままだった乳房に触れた。
これから自分が何を求めようというのかを、はっきりとした行為で
セイに認識させるために。

今更ながら総司に圧し掛かられ押し倒された状態と、無防備に肌をさらしたまま
だった事を思い出したのかセイの頬がかっと紅潮した。
けれど部屋を照らした雷光の中でセイは確かに微笑んだ。

「はい。全てを差し上げます」

凛とした声音が闇の戻った室内に響いた。




――― どぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉんっ・・・。




激しくなる総司の愛撫に思考が途切れかけながら、セイはただ強く思う。
いずれこの武士は敬愛する兄達の命令でいずこかの娘を妻とするだろう。
沖田の家を継ぐ身である以上、それは決まった事なのだ。

自分がその立場に立つ事は無い。
二度と女子に戻るつもりも無いのだから。

けれどこの一夜、この男の情熱だけを約定として心に刻む。
それを抱えてこの武士の背を守り続ける。
孤独な戦場で一人になどさせない。
他の場所では離れようとも、死線の淵では共に在り続ける。

そして総司が死線を越える時が来たのなら、半歩も遅れず自分も行くのだ。
地獄の果てまでつき従う。

今この瞬間も秘所に残る、身を裂いた痛みと流された血が誓いの証。





――― どぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉんっっっっっ・・・・・・。





セイの中でその心地良さに溺れかけながら総司は誓う。

己の血肉、現にある一かけらまで近藤土方の為にある。
それは命ある限り変わる事はない。
けれど形にならぬ男としての心と魂の全てを、セイ以外に添わせる事は無いと。

天壌無窮、我誓う。
魂の全てをこの娘に与える事を。

この先どちらかが彼岸の向こうに旅立とうとも、いずれは必ず逢い合うのだ。
そのための呪をここに刻む。
真白きセイの胎内(うち)に、己が精を誓いの証として・・・。
すなわち、己が果てる時が誓い成立せし時。





――― どどぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉんっっっっっっっっっ!!




一際激しく寒雷が轟いた。

光の眷属たる乙女に、その足を踏み止めよと。
闇の眷属たる男に、その腕を引き戻せと。


天の意思を突きつけるが如き轟音すら、すでに呪に縛られ始めた
ふたりには届かない。





クッと総司は喉の奥で笑った。

狂人じみたこの本能のままの行為の果てが、互いを縛る誓約の結ばれし時とは。
いや、死せし後まで縛り合う事を誓う事、すでにそれこそが狂人の証なのやもしれぬ。
しかも辿るその路が赤き血と怨嗟に満ちている事を承知の上なのだから・・・。


すでに魂を飛ばしつつあるセイを見下ろしながら、限界近い鼓動をどうにか宥め、
果てを見据えて腰を揺らす。


セイの胸に散らした花弁も、己の背に刻まれた爪跡も、
時が過ぎれば消え去るのだろう。
されど互いの魂に刻んだ呪が消えぬ事を乞い願う。

否。
消える事など許さない。
未来永劫この呪は続くのだ。



故に・・・


一度大きく呼吸をした総司がより深くセイの奥を突き上げる。

「ああっ!!」

衝撃に悲鳴のような嬌声を上げ、仰け反らせたその喉に喰らいつく。
強めに立てた歯の向こうから確かなセイの血潮の脈動を感じる。
ただひとつ、外から見える場所に残した痕跡は妄執の顕れなのかもしれない。

苦しい呼吸ときつい責めに朦朧としながらもセイが総司の肩を引き寄せ、
そこに真珠の歯を立てた。
小さな痛みと共に残った跡は、妄執は己だけではないのだと雄弁に語っている。

愛しさと切なさに想いは膨れ上がり、深く深く重なる唇と共に総司の中で
白い閃光が走り抜け、そして精が放たれた。


それ、誓い成立せし時。






寒雷、すでに聞こえず。
ただ地を打ちつける雨音が響くのみ。

近い夜明けを忌むように、溶け合うふたつの魂は淡いまどろみに沈んでいった。