将を欲すれば?
「神谷さんを知りませんか?」
今日も今日とて新選組西本願寺屯所の中には、頼りなげに小さな隊士を探す男の姿があった。
「神谷さぁ〜ん、どこですかぁ〜?」
「か〜み〜や〜さ〜〜〜ん?」
情けないほど間延びした声に、とうとう我慢の限界に達したらしい鬼の副長の怒声がかぶった。
「てっめぇ、うるせえぞっ、総司っ! 一番隊組長ともあろうもんがっ
母親に置いていかれたガキみてぇな情けねぇ声を出してるんじゃねえっ!
何考えてやがるっ!」
眉を吊り上げて怒る土方に八つ当たりの相手を見つけたとばかり、総司が食ってかかった。
「だってですねっ! 朝餉を食べたらすぐに神谷さんってば山盛りの洗濯物を抱えて
走っていっちゃって、それから近藤先生のお薬を煎じたり勘定方に頼まれた
お手伝いをしたり、全然ぜんっぜんっ!! 私の相手なんてしてくれなくて。
だから昼餉の時に午後は私と甘味を食べに出かけましょうねってお願いしようと
思っていたら、昼餉の席にも出てこないんですよっ! ひどいじゃないですかっ?」
立て板に水という言葉の如く、総司にしては珍しい程にぽんぽんと言葉が飛び出す様に、
土方は口を挟む隙も無い。
「せっかくの久々の非番なんですよ? 普段は出来ない甘味処のハシゴをして
のんびり河原で日向ぼっこして、ゆっくりお昼寝しようと思っていたのにっ!
組長の私を置いてどっか行っちゃうなんて冷たいと思いませんかっ?
私はすっごくすっごく今日を楽しみにしてたのに、部下なんだから少しは私の事を
考えてくれたっていいじゃないですかっ! 神谷さんってばひどいっ!」
文句を重ねているうちに感情が昂ぶってきたのか、目に涙まで浮かべている。
「あっ」
突然何かを思いついたように、じっと睨みつけてくる総司の目に、隊の内外を問わず
鬼と恐れられる土方も思わず僅かに腰が引けた。
「土方さんっ、もしかしてまた意地悪をして神谷さんに用事を押し付けたんですか?
私と遊びに行けないように、どっかにお使いを頼んで出かけさせてしまったとか?
いっつもいっつも神谷さんにばっかり御用を言いつけるからあの人ってば
走り回ってばっかりじゃないですかっ。神谷さんは私の部下なんですから、
もうもう勝手に使わないでくださいよぅっ!」
ほとんど据わった涙目で食いつかんばかりに迫ってくる総司の様は一種異様な迫力を
かもしだしていたが、さすがに土方も当初の動揺から立ち直り、怒りすら通り越した
妙に冷静な頭で深い溜息を吐いた。
「総司、ちょっと落ち着け・・・」
ぽんぽんと肩を叩いてうなだれる。
「俺は今日は神谷のツラは一度も見てねぇし、当然用も頼んじゃいねぇ。」
土方にしては静かな口調に「ほんとぅですかぁ?」と多少の疑いを残しながらも
総司の視線から棘が落ちていく。
と共に、段々と視線が下がって大きな体が縮んでいくようにしょぼくれていく様子に
再び土方は大きな溜息を吐き出した。
(さっきは母親に置いていかれたガキみたいだと言ったが、これじゃ丸っきり
懐ききっている飼い主に捨てられた子犬みたいじゃねぇかよ。情けねぇ。)
「あのな、お前ももうガキじゃねぇんだから甘味処ぐらい一人で行けるだろうが。
神谷神谷って情けなく探し回ってるんじゃねぇ!みっともねぇ」
土方の言葉に上目遣いで恨めしげな視線を返しながらぶつぶつと反論する。
「駄目なんですもん。神谷さんと一緒じゃないと、あんまり美味しくないんですもん。
ひとりで行ったってつまらないんですもん。土方さんの馬鹿・・・」
そのままくるりと背中を向けるとトボトボと去っていく。
あれが隊きっての剣豪の真の姿かと思わず土方は頭を抱えながら、隊内一威勢が良く
敵味方から“花の阿修羅”と呼ばれる隊士に心の中で呼びかけた。
(神谷、頼むから餌付けの仕方をもっと考えてくれ・・・)
肩を落としたまましゅんと表門に面した階段に座り込み、ぼんやりと屯所を出入りする人々を
眺めていた総司の顔が一気に明るくなる。
門の向こうに朝からずっと追いかけていたセイが姿を現したからだ。
だが、セイの隣に斎藤を見止めた瞬間、土方もかくやという程深い眉間の皺が出現した。
むすりとした表情のまま、さっきまではこれでもかという程落ちていた肩を逆にそびやかせて
二人の元に歩み寄る。
「あ、沖田先生♪」
総司の姿を見つけて嬉しそうに駆け寄ってきたセイの前で、不機嫌な顔はそのままに足を止めた。
「どこに行ってたんですか?」
「え?」
滅多に見せない超絶不機嫌な総司の表情に、セイは困惑して言葉が出ない。
「私に黙ってどこに行って来たんですか? と聞いているんです」
(斎藤さんとふたりっきりで、どこへ?)という言葉はさすがに飲み込んだが
先程よりも一段と声が低くなるのまでは抑えられなかった。
「墓参だ」
追いついてセイの後ろに立った斎藤がそっけなく答える。
「祐馬の墓参にな。今まで多忙でなかなか行けなかった事を詫びるついでに
お前の“宝物”は十分頑張っていると報告してきた」
セイから自分に視線を移した総司に向けて、言葉を続ける。
「それに“父上”にもな」
セイの頭に手を載せ、軽く弾ませながら。
「何かと賑やかな子だが、以外にしっかりものだから皆に可愛がられているし
俺もついてるから安心してくれと、“挨拶”してきた」
「はい、父上も兄上も斎藤先生には感謝してると思います。
すっごくすっごく安心してますよ、きっと♪」
満面の笑みを浮かべて自分を見上げるセイに、斎藤も柔らかな視線を向ける。
そのふたりを見ながら眉間の皺をより深くする総司には、斎藤がセイに悟られない程度に
語調を強めた部分が不快で仕方がない。
(斎藤さんは神谷さんが女子だって知らないはずなのに・・・もしかして気づいてるんですか?
だってだって“父上”って何ですか、“父上”って! それに“挨拶”って、
娘さんをくださいってお願いしにいったみたいじゃないですか。
“自分がついてるから安心してくれ”なんてそのまんまじゃないですかっ!)
ぎっと睨みつけてくる総司の視線を斎藤は軽く流した。
「あぁ、あんたはまだ行ってないらしいが。“父上”はどっちの誠意を認めてくれるだろうな」
斎藤は口の端だけで挑戦的に笑った。
むううっと頬を膨らませた総司はセイの腕を取ると、そのまま斎藤を置き去りにして、
ずんずんと屯所を出て行った。
「お、沖田先生?」
無言で歩を進める総司に腕を掴まれたままのセイが恐る恐る問いかけるが総司は答えない。
ふぅ・・・と困ったように溜息をつきながらセイも足を進める。
いつもふたりで昼寝をする河原まで来ると、総司がドサリと腰を下ろし、
そのままセイの手を引っ張って腕の中に抱え込んだ。
「う、うえっ?」
突然の事にうろたえるセイをぎゅうぎゅうと締め付けながら恨めしそうに問いかけた。
「どうして私も誘ってくれなかったんですか? 斎藤さんだけなんてズルイです」
「ち、違います。お墓参りに行く途中で偶然斉藤先生に会って、行き先を聞かれたので
お話したら兄上に会いたいから一緒に行かれる事に・・・」
総司の腕の力が強まったため、語尾が消えていく。
「神谷さんの上司は私だし、一番お世話してるしお世話されてるのも私です。
だからお父上や祐馬さんにちゃんとご挨拶するのは私の役目じゃないですか。
斎藤さんを先に連れて行くなんてひどいです」
腕の中のセイを覗き込むように言い募る様が、どことなく子供じみていて
セイの頬が緩んでしまう。
「あ、何を笑ってるんですか?」
口を尖らせてそっぽを向きながらもセイを抱き締める腕は緩めない。
「すみません。先生がそんなに気にかけてくださっていたなんて嬉しくて。
どうしたらご機嫌を直してくださいますか?」
拗ねた子供を宥めるようにセイが柔らかく微笑んだ。
ちらりとセイに視線を向けて、う〜ん・・・と考えるように目を瞑った総司が
次の瞬間ニンマリと笑った。
パッとセイを抱き締めていた手を離すと、そのままセイの体を膝から下ろし
今度はころりとセイの膝に頭を乗せる。
あっけに取られているセイを下からにこにこと見上げながら総司が言う。
「神谷さんの足が痺れるまで膝枕してください♪ そしたら今日の事は許してあげます。
それで次の非番の日は朝一番で一緒にお墓参りです。
父上と兄上に神谷さんは私に任せてください、ってご挨拶します。
その後は今日行けなかった甘味処のハシゴをして、それからまた河原で
膝枕してくださいね。約束!!」
突っ込みどころや照れどころがあまりに多くて火を吹くかという程に顔を赤く染めている
セイの手を取ると、小指を絡めて「指きりですっ」と総司が笑う。
まだあわあわしているセイに、総司が「お返事は?」と問うてくる。
その目の中に真剣な光を見つけて。
「はいっ、約束です♪」
セイは満面の笑みで答えた。
―――――斎藤さん、絶対に神谷さんは渡しませんからねっ!!
野暮天王を覚醒させた男の受難がこれから始まる。
・・・・・・・・・・・・かもしれない。