知らずの守り手





「だから、いっつも言ってるじゃないですか?」

珍しくも総司が本気で土方に噛みついていた。


「夜番の巡察前に神谷さんに用事なんて言いつけないでくださいよ!」

「しょうがねぇだろう。たまたま黒谷への使いを誰かに頼もうと思ったら、そこに神谷がいやがったんだ。
 いちいち隊士の巡察予定なんざ把握しちゃいねぇ! 使えるもんを使って何が悪い!」

土方の眉間の皺が増えていく。

「だったらもう神谷さんに用事を頼むのはやめてください。
 あの人ただでさえ仕事を抱え込んでいるんですから!」

あまりにもしつこい総司の様子にとうとう土方が怒鳴りつけた。

「隊士が仕事するなんざ当然の事だっ! だいたいがてめぇは神谷に過保護過ぎる!
 そんなんだから衆道だなんだとふざけた事を言われるんだっ! 少しは頭を冷やしやがれっ!!」

障子が震える程の一喝と共に総司を部屋の外に蹴りだすと、鼻息も荒く障子を閉めた。

それでも室の前でぎゃんぎゃん何かを言っている弟分を無視しながら、あまりに過保護な組長と
威勢は良いがどことなく頼りなげな配下の隊士を、しばらく引き離す方策を思考しだした。




夕餉の後、夜間巡察の前に総司を呼びつけた土方が隊務を言い渡した。

「明後日から5日間大阪に出張へ行け。今回は幕府の要人護衛だから
 手練を2.3人連れて行けよ。」

昼間の不満の影を微かに頬の辺りに残しながらも総司が頷く。

「あぁ、神谷は外せ」

土方の言葉に何か言いかけた総司を遮って続ける。

「護衛だって言っただろう。新選組の強面を揃えて外見で威圧するのも仕事のうちだ。
 わかるな?」

それは総司にも理解できた。
道中は勿論、大阪でも無駄な争いをしないに越した事はなく、そのためには一番隊組長率いる
屈強な新選組隊士を印象付ける事は先々も役に立つ。
セイの少女のような容姿はそういう場合利点となるどころか、逆の作用しかもたらさない。
総司の表情から納得した事を読み取った土方は退室を命じた。




出立の間際までセイの傍で何かを言い含めていた総司の尻を蹴り上げるように
屯所から追い出して、土方は溜息を吐いた。

過保護にしても程度を越えているように思えてならない。
本当に衆道だとしたら一度近藤ときちんと話をして、真っ当な道に立ち返らせる
方策を考えねばならないだろう。
なんで自分がこんな事を考えなくてはいけないのかと怒りを覚えつつ、
とりあえず総司不在の間に自分も頭を冷やそうと執務に向かった。




「副長、お茶をお持ちしました」

軽く書類を避けた文机の上に茶を置くセイを見て思い出す。

「総司達が大阪から戻ってくるのは明日だったか」

「そうですね〜。きっと山のような甘味を抱えてくるんでしょうね」

ニコリと笑うセイの顔色が悪いような気がする。

「お前、具合でも悪いのか?」

「はい? 元気ですが、何か?」

「いや、だったらいい」

小首をかしげながら部屋を出て行くセイの背に
「総司が心配で眠れないなんぞと言いやがったら殴ってやる」
と内心で拳を握りながら茶に手を伸ばした。


それから時間も経たぬうちに隊士が駆け込んできて、神谷が倒れたと告げた。
医師を呼びに行くように指示を出し、セイが寝かされているという隊士部屋に向かうと、
元々色白な肌が青ざめて呼吸もひどく弱い事に驚かされた。
傍についている一番隊の隊士に事情を問いかけても、洗濯物を取り込んでいる最中に
突然崩れ落ちたのだ、と言うだけではっきりした原因がわからないらしい。

呼びつけられた医師がセイの診察をしている間、出かける前に誰彼なく
「神谷さんをお願いしますね」と言い回っていた総司の姿が土方の脳裏に浮かび、
厄介な事になったもんだ、と苦々しい思いを噛み潰した。

ふぅ、と溜息をつきながら南部医師が振り返った。
彼は元々会津藩と縁があり、また松本法眼とも懇意だった事からも
新選組の御用医師ともいう立場で、近藤や土方にも遠慮無く物を言う。

「過労ですな。土方先生? 神谷さんを死なせるおつもりですか?」

南部の責める様な視線に土方は困惑した。

「いや、最近はそんなに厳しい隊務も無かったはずですが」

原因に心当たりが無いという気配の土方に、南部の視線も幾分和らいだ。

「この人は元々そんなに体力のある人ではありません。意思の強さで日々重なる疲労を
 補っているようですが。だから睡眠だけは十分取るようにと、先日怪我をした隊士の
 付き添いで来た時もお話したんですよ。でも・・・」

ちらりとセイに視線を落とした南部が苦く呟く。

「ここ数日、ろくろく寝ていないようですね。2.3日という話じゃないと思いますよ」

とにかく数日は安静にゆっくりと眠らせ、滋養のあるものを取らせるようにと
言い置いて南部は帰っていった。
心配そうに見守る周囲の隊士達に静かに寝かせておくようにと指示して土方も自室に戻ったが、
やはり総司が気になって眠れなかったとでも言うのかと腹が立って仕方がない。
セイが目覚めたら怒鳴りつけてやろうと腹に決めながら書類を睨みつけた。




夕餉の前にセイの様子を見ようと隊士部屋に向かった土方の前には
布団に起き上がって繕い物をするセイの姿と、その前に転がった姿勢のまま
にこにことしている平助。

「神谷っ、具合が悪いっていうのに何をしてやがるっ!」

思わず怒鳴りつけた土方を平助が宥める。

「まぁまぁ土方さん。昼の巡察で羽織が破れちゃったんだよ、俺。
 総司がいたら神谷を貸してくれないけど、いない時ぐらいお願いしたっていいじゃん。」

苦笑しながらセイも言う。

「すぐに終わりますし、もうすぐ夕餉ですから寝てしまわないようにやってるんですよ。
 すみません、副長にまでご心配かけて」

いつもは自分に向かって威勢良く突っかかってくるセイが、ひどく頼りない笑みを浮かべて
頭を下げた事で、土方にしてもそれ以上文句も言えなくなる。


その間にも

「神谷〜、包帯がうまく巻けねぇ〜」
「お〜い、俺の下帯洗濯してくれたろ? どこに置いてあるんだ?」
「こないだ黒谷から贈られた会津塗りの椀、どこにしまったんだ?」
「あぁ、それの礼状の事で局長付きの小姓がお前を探してたぞ」
「おい神谷、予備の薬を補充したから後で確認して欲しいって、
 病室付きの小者が言ってたぞ?」
「神谷、局長が茶を持ってきて欲しいってよ」

自分も多忙な仕事をこなしていると思っていたが、セイの多岐にわたる細々とした用件には
唖然とするしかない。
それをサクサクと整理していくセイの顔色はやはり悪い。
近藤に茶を淹れるため立とうとしたセイを土方が押しとどめる。

「近藤さんには神谷は寝込んでいると俺が伝える」

そのまま周囲の隊士に視線を流した。

「今日は、神谷に“一切”仕事をさせるな。副長命令だ、いいな」

こくこくと頷くしかない隊士達を置いて部屋を出た。



「あんな場所じゃ養生なんて出来ねぇかもしれねぇな」

何かとセイを頼る隊士達の真っ只中で静かに寝ていろというほうが無理に思えるが、
かといって使っていない小部屋に今の弱っているセイをひとりで寝かせるのも、
これを好機とよからぬ事を企む人間がいそうでどうも不安だ。

明日になれば総司が戻ってくるが、今夜頼れそうな者と言えば・・・。
しばし考え浮かんだ仏像顔。

「いや、斎藤は今夜は夜番だったな」

近藤の部屋に向かいつつ眉間の皺が深まる副長の様子に、すれ違った隊士が
怯えているのに気づきもしない。



夕餉を終え寝るまでの間、残っている書状に目を通しながらも青白い顔をして
微笑むセイが頭から離れず、土方はイライラしながら立ち上がった。

「ったく体調管理も隊務の一環だって、総司の野郎は教えてねぇのかよっ」

苛立ち紛れに呟きながらも足は一番隊の休む部屋に向かう。
総司という庇護者が傍にいないセイを、実は自分がひどく心配している事を
土方は気づかぬまま。


すでに屯所内は寝静まり、起きているのは門衛ぐらいのものだろう。
足音を抑えて隊士部屋に入ると、入り口脇に寝ているセイの布団の端に座した。
隊士の何人かが人の気配に気づいて起き上がろうとしたが
土方が「寝ていろ」と小さく声を放つと、そのまま横たわった。

セイの呼吸は昼間よりも大分しっかりしているように思えるが、闇の中に浮かぶ頬は
血の気が失せたままで。
このまま呼吸が絶えてしまうのではないかと不安が滲んでくる。
何を馬鹿な事を・・・と溜息を吐きかけた時、小さな足音が近づいてきて
障子の前で止まった。


「神谷、すまんが起きてくれ。怪我人が出た」

囁くような障子越しの声は、夜の巡察に出ていた斎藤のもの。
その瞬間、セイの目がぱちりと音を立てるように開いた。
すぐ脇に座る土方の姿に驚いて一瞬体が強張ったが、小さく目礼を送ると
他の隊士を起こさないように斎藤に返答し身支度を整えだす。
土方が止める間もなく部屋を滑り出たセイは、真っ直ぐ傷病者が運びこまれる部屋に向かい
手際良く手当てを始めた。

「すまんな、時間が時間だ。南部先生を呼ばなくても、お前なら処置できると思ったのでな」

セイの手当てを隣で手伝いながら斎藤が呟く。

「はい、この程度でしたら私でもお役に立てます。でも念のため、明日南部先生の所に
 行かせてくださいね。なんだったら私が付き添います」

ニコリとセイが笑う。


一通りの処置を終わるとセイは以前からの傷病者が休んでいる隣室に足を向けた。
黙って背を追った土方の前で、ひとりひとりの怪我人の傷、病人の額に触れて
言葉を交わしていく。

「騒がしくて起こしてしまいましたね」
「お腹の具合はどうですか?」
「今日は南部先生に見ていただきましたか?」
「熱は下がったみたいですが、明日もう一日大人しくしていてくださいね」
「傷口はふさがったみたいですけれど、まだ動かしては駄目ですよ」

仄かな行灯の灯りの中でふわりと揺れる白い手は小さく、優しく。
セイに声をかけられ、額に、傷口に、そうっと触れられた隊士達が
安心したように再びの眠りに落ちていくのを眺めつつ、
癒しの手だな・・・とぼんやり土方は思った。

ふと背後に人の気配を感じて振り返ると、心配そうにセイを見ている隊士がいた。

「おい、お前一番隊の山口だったな」

はい、と答える隊士にセイの布団を副長室の自分の寝間に運ぶよう命じ、
追いかけるように自分の寝具は隣の執務の間に移すよう告げた。
一瞬困惑した山口に苦笑しながら。

「総司のいない隊士部屋じゃ、神谷の野郎はゆっくり寝られねぇだろう。
 総司が戻ってぎゃんぎゃん言われるのは迷惑だからな」

そのままセイの腕をひっ掴むと副長室に戻り、山口の運んできた布団の中に押し込めた。





翌日の昼過ぎ、屯所に戻った総司は帰営の挨拶に向かった副長室で
昏々と眠るセイの姿に目を見開いた。


「ど、どうしたんですか? 神谷さん。何かあったんですか?」

「どうしたもこうしたも・・・」

土方から一連の話を聞いた総司は土方を責めるでもなく苦笑した。

「もぅ、そんな事になるんじゃないかなぁ、って思ったんですよ」

すいと立ち上がると部屋の外を通りかかった隊士に山口を呼ぶように頼む。
待つまでもなく現れた山口は総司と土方が壁となり、眠るセイに聞こえない程度の小さな声で
ここ数日の報告を始めた。

総司不在の間の夜番の翌日、寝る暇も無く直々に命じられて近藤の護衛と
怪我人の付き添いで南部の診療所へ赴いていた事。
一日あった非番の日は日中は土方の書類整理の手伝いと雑務の後、
明け方近くまで怪我が化膿して高熱を出した隊士の付き添いをしていた事。
昨夜も含めて二晩は深夜に巡察で怪我をした隊士の手当ての為に起こされた事。

「あれだけ非番の日は里乃さんの所へ行って、休ませてもらいなさい、って
 言い含めて行ったのに・・・それじゃ全然寝てないじゃないですか、この人」

深い深い溜息をつきながら、青白いセイの頬に手を伸ばす。

「こんなに冷たい・・」

呟いた総司の横顔は泣き出す寸前のように見えた。



山口に礼を言って下がらせると、総司がぽつりと話しだす。

「こんな小さな体のくせに、この人ってば逞しくて優しいから皆して頼っちゃうんですよねぇ。
 一番隊の仕事と土方さんに命じられた傷病者の看護だけでいっぱいいっぱいの
 はずなのに、皆が色々とお願いしちゃうから・・・。
 非番の日だって南部先生の所で医術の勉強をするなんて言うんですよ?
 体を休めようなんて思いもしないんですもん。困った人ですよねぇ」

「だから非番の日は朝からコイツを連れ出して、野っ原で寝転がってたって言うのかよ?」

「えぇ、そうですよ。よく知ってますねぇ」

不思議そうな顔で自分を見る総司に「以前見かけた」と不機嫌な声で返す。

「だってそうでもしないと、この人、休んでくれないんですもん。
 さすがに夏や冬は外で寝せるわけにもいきませんから、里乃さんの所で休ませて貰ったり。
 あぁ、盆屋に連れてった事もありますよ」

ぎょっとした土方の様子に小さく笑いながら言葉を続ける。

「土方さんが期待するような艶っぽい話なんてないですよ。
 私が甘味を食べてる横で、この人がぐーぐー寝てるだけですから。
 休養を取らせる目的なのに疲れさせてどうするんですか」

自分の想像に土方が苦虫を噛み潰したような表情になる。



「そこまでしなきゃ、この人が安眠できる場所はないんですよ」

一転して冷たい口調で総司が吐き捨てた。


「皆に可愛がられ慈しまれているのは良いです。でもそのせいでこの人が命を削るのを
 黙って見ていられるはずがないでしょう。それを衆道だと見るなら勝手に見ればいい。
 この人が入隊した時からずっと関わってきたのは私なんです。
 剣の元以外で命を落とすなんて許しません。」

(いっそ休息所を用意して、隊務以外はこの人を放り込んでおきたいぐらいです。)

この子以外は目に入らないと雄弁に語る眼差しで、さらりと優しくセイの前髪を撫でる。


「おめえが守るのは近藤さんだったんじゃねぇのか?」

暗にこんなガキなんぞ守ってる余裕があるのか、と土方からの問いかけに
くすくすと総司が笑う。

「もちろん私がお守りするのは近藤先生お一人ですよ。でもね、近藤先生をお守りする私を、
 この人が守ってくれるんですって。絶対に私を自分より先に死なせない、なんて言うんですよ。
 可愛いでしょう?」

総司に撫でられて、ふわりふわりとセイの前髪が踊る。

「だからね、普段の時は私が神谷さんを守ってあげるんですよ。
 だって戦場では絶対に守ってあげられないんですから。
 私の命は近藤先生のものだって、そんな事はずうっと昔から決まっている事で、
 この人もよぅく知ってる事なんですから」

髪から戻した手の平で優しくセイの頬を撫でる仕草は、長く剣を握ってきた
無骨な手とも思えぬほど繊細で。
微かに綻んだように見えるセイの頬に血の気が戻ってきたように感じる。

―――あぁ、神谷にとってはこの手こそが癒しの手なのか

昨夜のセイの白い手が土方の脳裏に浮かんだ。



「だから、土方さん」

にこりと総司が笑みを向けた。

「もう神谷さんに勝手に御用をお願いしたりしないでくださいね」

目だけは鋭く白刃を構えるような総司の微笑みに。



結局はこいつの出張前の言い合いに話は戻るのか・・・と、
土方はがくりと肩を落とした。