背負いしものは
微かに聞こえる虫の音も耳に心地よい秋の宵。
空には満月には数日足りないが、それでも男達の足元を明るく照らす大きな月。
「すっかり遅くなっちゃいましたね」
にこにこと楽しげに話しかける総司に、少し前を歩いていた土方が振り向かぬままに答える。
「仕方ねぇだろう。会津の御重役のお誘いを、無下に断って帰るわけにもいかねぇ」
「そりゃそうですけど。どうにもああいう場は肩が凝ってしまって」
「その割に総司は、良く食べてたじゃないか?」
土方と並んで歩いていた近藤が総司の顔を覗き込むようにからかう。
「だって私はあまりお酒が飲めませんし、近藤先生達みたいに難しい話にもついていけないし、
そしたら食べる以外する事がないじゃないですか」
悪びれる事も無く当然の行動だと言い放つ様子に近藤が笑った。
三人は日頃の働きを労う為という事で京都守護職会津藩の重役に招かれ、
黒谷で酒肴を馳走になってきた帰りだった。
そう酔うほどには呑んでいない三人の数間先の路地を曲がって男が一人姿を現した。
背には何か大きなものを背負っている。
「あれ? 斎藤さんじゃありませんか?」
夜目の利く総司が一番に気づき声をかける。
「あぁ、沖田さん。局長と副長も、黒谷の帰りですか?」
近藤達が追いつくのを待ってその場に佇んだまま斎藤が問う。
「ああ、少々遅くなったがね、会津様の御重役と有意義な話ができたよ」
おだやかに答える近藤の隣から斎藤の背の荷物を覗き込んだ土方が呆れた声を出す。
「んで、お前は何を背負って・・・って、神谷じゃねぇか?」
「え? 神谷さん?」
土方の言葉に即座に反応した総司が斎藤の背に回りセイを覗き込むと、
慌てたように斎藤に尋ねた。
「神谷さん、どうかしたんですか?」
「いや、いつものだ」
斎藤の返事に総司は大きな溜息を吐いた。
「もぅ、私がいないとこれですか。何度もお酒は控えなさいと言っているのに」
「退屈そうにしていたから俺が誘ったんだ。たまには良いだろう」
どこか棘を含んだ総司の言葉に被せるように斎藤が言う。
「ん、あにうえぇ・・・」
それに呼応するように、うつらうつらしていたセイが斎藤の背にすりすりと頬を擦りつけた。
それを見た総司の目が一瞬鋭く細められたのに気づいたのは斎藤だけで。
「こんなに酔って。何かあったらどうするんですか? 斎藤さんは神谷さんを甘やかしすぎですよ」
総司の怒気に当てられたわけではないだろうが、ふと虫の音が止んだ。
「何かあったらと心配するべきなのは、こっちではなくそちらじゃないのか?
幹部が三人も揃っているのに護衛無しとは・・・」
会話を交わしながらも足を止めずに屯所へ向かっていた彼らは、ちょうど小さな神社の前に
差し掛かっていた。
小さいといえども周囲をぐるりと鎮守の森に守られた静かな空間だ。
斎藤の指摘に総司は小さな笑みを浮かべる。
「護衛は私がしてるんですよ。役不足だなんて言わないでくださいね」
そのまま二人の数歩先を歩きながら、後ろの会話を苦笑を浮かべて聞いていた
近藤達の後について神社の境内に足を向ける。
斎藤もそれに続いた。
社は小さくても境内は充分な空間があり、近藤と土方は先程から自分達の様子を伺う
いくつもの殺気に動じる事なく楽しげだ。
「まったく嫌になるなぁ。そんなに嬉しそうにされたら、せっかく待ち伏せしていた人達が
可哀想じゃないですかぁ」
総司は軽くぼやきながら斎藤の背からセイを抱き上げ地面に下ろす。
酔っている中でも殺気に反応したのかセイは目を覚ましており、しきりに目元をこすっている。
「近藤先生。すみませんけれど、この人を見ててやってください」
近藤とセイを後ろに庇うように土方を中心に三人が振り返った。
じりじりと近づいてくる数名の浪士の姿に土方が唇の端を上げる。
「ひとり充て三人片付けりゃいいってところか。この程度の人数で何とかしようなんざ、
俺達も舐められたもんだな」
スラリと大刀を抜きながら総司も笑う。
「物足りないなら私の分も譲りますよ?」
「不味いもんを欲張って食って腹ぁ壊すのはゴメンだからな。お前の分はお前が食っとけ」
にべもない土方の言葉に斎藤も微かに笑みを浮かべる。
と同時に硬質な刃が打ち合わさる音が響き戦いが始まった。
斬り合いの緊張に包まれた男達の後ろから長閑とも言える声が投げられる。
「あにうえ〜、おきたせんせ〜、かっこいい〜」
隊内でも屈指の腕前の男達に守られている安堵感からか、酔いも完全に醒めきらなかったらしく
ご機嫌な大トラが一匹。
「てめぇ神谷っ! 士道不覚悟で腹ぁ切らせるぞ!」
「あ〜、取り合えず子供ですから、禁酒ぐらいにしといてやってくれませんかぁ」
「俺が飲ませたわけですから、切腹は勘弁してやって欲しいですな」
それぞれがすでに二人ずつを切り捨て、戦闘部隊も緊張感の無い会話に
参加する余裕が出ていた。
「きゃはは〜、鬼ふくちょ〜って強いんですねぇ〜、こんど〜きょくちょ〜」
ペシペシと地面を叩く音と共に妙に機嫌の良い声が響く。
その時、白刃の舞う様を眺めていた近藤の視線が総司の斜め後方で止まった。
闇に沈む幾本かの大木のあたり。
近藤が一歩踏み出そうとした瞬間。
足元から風が走った。
「てめぇらっ、いっくら剣豪として名高い沖田先生にビビッてるからって、
仮にも志士なんぞと口にしてやがるんだったら、背後からこそこそしてねぇで
堂々と切り合いやがれっ! それでも武士かぁっ!」
あまりに威勢の良すぎる罵声に総司達と切り合っていた浪士だけでなく、
土方や斎藤までもビクリと刃先を揺らした。
それでも対峙した浪士に隙を見せる事無く、視界の端でその声の響いた場所を確認すると、
ついさっきまで近藤の足元でまともに立つことすら出来ず座り込んでいた小さな隊士が、
木の陰から二人の浪士を既に抜き放った白刃をもって追い出している。
・・・というより、蹴りだしていた。
しかしさすがに一対二という数の優勢を恃んだ浪士達がセイに向かって刃を振り上げる。
「神谷さんっ!」
総司だけでなく、斎藤土方も自分と斬り結んでいた相手を斬り倒し、
間に合わない事を覚悟しながら振り向いた時。
「おおぉっ!!」
近藤の野太い声と。
「ぃやぁぁぁぁっ!!」
セイの甲高い気合が楽の如く重なって響き。
天空から轟き落ちる滝のような重量感を感じさせる剣と、厚き雲の隙間から暗闇を突き抜け
真っ直ぐ地に差し込む月光の如き清廉さを纏った白刃が同時に敵の身を裂いた。
言葉無くその光景を見つめていた三人には、未だ先程の気合の声が
耳に心地良く木霊していた。
二振りの剣尖によって地に沈んだ浪士の脇には、笑みを交わす近藤とセイの姿。
「よく、気づいたな、神谷君」
「えへへ〜、沖田せんせ〜をお守りするのが私のお役目ですから〜。
もち〜ろん〜こんど〜きょくちょ〜と兄上も〜、お守りするんです〜。
まぁだまぁだみじゅくものですがぁ〜、沖田せんせぇのりっぱな盾に
なれるよぉに〜がんばりますぅ〜」
たった今、目の覚めるような速さで敵を切り捨てたとは思えないほど暢気に
幸せそうにけらけらと笑いながら、セイはその場にへたりこんだ。
「あれぇ? 立てない〜? うぅ〜〜〜んっ」
地面に両手をついてうんうん立ち上がろうとしている姿が子供のようで、周囲の笑いを誘う。
急に動いた事で尚更酔いが回ったのか、総司に抱えられるようにして立ち上がった
セイを眺めて土方が憎まれ口を叩いた。
「大トラで前髪の童の貧弱な盾なんて頼りになるものかよ。
他人を守る事よりまずはいっぱしの成人(おとな)になる事を考えやがれ」
むむうっと眉間に皺を寄せて、セイが自分の脇差をスラリと抜き放つ。
「わっかりました。この場ですっぱり前髪を落としてご覧に入れます。
そしたら神谷は成人になったと副長も認めてくださいますねっ?」
酔いと怒りが混ざり合い昂ぶった精神状態のまま、左手で前髪を握り締め
自分の額に脇差を当てようとするセイの右腕を総司が慌てて掴んだ。
「ちょ、ちょっと待ちなさい。何をむきになってるんですか。
そういう事はこんな場所でする事じゃないでしょう」
「沖田せんせぇ、邪魔をしないでください!」
総司の腕を振り払おうとセイが暴れても力では総司に叶わない。
恨めし気な視線を総司に向けつつ、その後ろに立つ土方の面に何かを見つけたように
セイの瞳が輝いた。
「副長だって前髪があるじゃないですか。私が切ってさしあげます。
斎藤先生のように立派な武士の頭になったら、少しは寡黙さとか
平常心というものを学べるんじゃないですか?」
セイの言葉に驚き思わず腕の力を緩めた総司から身を離すと、土方の髪を剃ろうと
にこにこと近づいていった。
その勢いに土方が後退る。
「よせ、やめろ。総司っ、このガキを止めろ!」
土方らしくもなく悲鳴に近い声に、総司が背後からセイを抱きすくめて押さえ込む。
それでも総司の腕を払いのけようと、妙に据わった目でバタバタと暴れるセイに
近藤が苦笑し斎藤は溜息ひとつ。
「清三郎!」
日頃は聞く事のない斎藤の一喝にセイの動きが止まる。
「仮にも上役に向かって刃を向けるな。祐馬とてそんな事は許さんだろう」
今まで暴れていたのが嘘だったかのように、斎藤を見つめてセイはシュンとする。
「剣を仕舞って副長に謝罪を」
「・・・はい、兄上。ご無礼をいたしました、副長」
ペコリと頭を下げたセイに何か言いかけた土方を制止し、近藤が声をかけた。
「気にしないでいい。意地の悪かったのは歳の方なんだから」
うるるん、と涙目になったセイの頭を総司がポンポンと軽く叩く。
「えぐっ、うぇぇ。兄上がぁ、怒ったぁぁぁ」
総司にしがみついて泣き出したセイに困り顔の四人。
「斎藤さんは怒ってなんていませんよ」
「ほんとぉ? あにうえ、清三郎を嫌いになっていませんかぁ?」
総司の言葉に安堵したのか、ベタベタに泣き濡れた頬で擦り寄ってくるセイに
斎藤が無表情のまま答える。
「あぁ、怒ってなどおらん。」
「あにぃうぇぇぇぇ」
「後は任せた」とセイと斎藤を置いて近藤達は屯所に足を向けた。
「神谷は斎藤の言う事は聞くんだなぁ」
「斎藤の隊に入れた方が、あの餓鬼も少しは成長するんじゃねぇか?」
感心したように呟く近藤に頷きながら、ありゃあ泣き虫宗次郎よりタチが悪い、
と土方が言葉を重ねる。
そんな二人の様子に総司が後ろを振り返りつつ、不機嫌に言葉を挟んだ。
「駄目ですよ。あの人は私の弟分なんですからねっ! 斎藤さんになんてあげませんからっ!」
振り返った総司の視線の先には再び地面に座り込む小さな体と、
その肩に手を添えて抱き起こそうとする影。
土方のすぐ脇から走り出した影は、声をかける間もなくセイの元に走り寄り
その小さな体を背に乗せた。
「・・・はぁ、溺愛ってのはああいうのを言うんだろうなぁ、近藤さん」
溜息交じりの土方の言葉に、ひどく機嫌良く近藤が笑った。
「まぁいいじゃないか。この世で一番頼りになる盾を背負ってるんだ」
その後ろには暖かで大切な自分だけの盾を背負い満足気な男がひとりと、
微かに不機嫌の気配を纏わせながら、諦めの笑みを浮かべた男がひとり。
大きな背中の心地良さから再び眠りの世界に旅立った大トラ娘の白い頬に、
柔らかな月の光が優しく降り注いでいた。