ご注意ください!
このお話は本誌9月号を読んだ後、海辻の頭の中でわんわんと湧き出した
ひどく勝手で強引なストーリーです。しかも史実バレもあります。
本誌をご覧になっていない方、本誌10月号で満足された方、
また本誌10月号を読まれて 「神谷を甘やかすのもたいがいにせえよ! 腹を切らせろ!」と
思われた方などには向かない話になってます。
ですので上記に該当する方は読まれないのが賢明です(汗)
注意書きが長くてすみません。
それでも読んでやろうという心の広い方は、ずずっと下へおいでくださいませ(礼)。
楔石 (9月号を読んで)
伏見奉行所から坂本捕縛の依頼を受けて一番隊が寺田屋へ向かった。
セイは局長付きの役目柄屯所に残っていたが、どうにも落ち着かず
土蔵の整理中に見つけていた僧侶の衣服を纏って寺田屋へ走った。
寺田屋で坂本不在を確認したところへ一番隊が踏み込んできた事から、
あわてて裏より抜けようとするがそこで待機していた総司と鉢合わせてしまう。
坂本の逃亡を助ける為にセイがここにいる事を一瞬で悟った総司は
力任せにセイを殴りつけた。
「切腹を覚悟するんですね」
遠ざかるセイの意識の中で、総司の声はどこまでも冷たく響いた。
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「沖田さん」
背後からかけられた声に総司が振り向くと、足早に斎藤が近づいてくる。
地面に倒れ伏すセイの様子と強張った総司の表情からすぐさま状況を察すると、
セイの具合をみていた隊士を押しのけて軽いその身を抱えあげた。
「どうするんですか、斎藤さん」
「屯所に連れ帰る」
「その人は隊を裏切ったんです。くれぐれも途中で逃がそうなどとしないでくださいね」
総司の声は凍った山野を吹きぬける寒風よりも冷えきっていた。
感情の全てを失ったかのようなその様子に、近くにいた隊士が半歩後退る。
「神谷がそう言ったのか?」
「聞くまでもない事です。そんな姿でこの場所にいる。そして私達の目を逃れるように
裏から抜け出そうとした。事実が全てを語っているでしょう」
「つまり何も聞かずに一方的に殴り倒したという事か」
無言で肯定を表す総司の様子に斎藤は内心で安堵の吐息を吐く。
これならどうにかなるかもしれない。
「とにかく、俺の責任で神谷は連れ帰る。異存はあるまい?」
「ええ、私達が戻るまで蔵込めでもしておいてください。詳しい詮議はその後に」
総司に答えもせずに斎藤はその場を去った。
セイを駕籠に乗せ屯所に戻った斎藤は未だ意識を取り戻す様子の無いセイから
大小を抜き取ると空き部屋に寝かせた。
三番隊の部下を呼び部屋の外に控えさせ、自分は副長室へと向かった。
「副長、斎藤です」
土方の返答を聞いて室に入ると、そのままかなりの時間を何事か話し合っていた。
そして翌日、一番隊が戻り総司は局長副長の待つ部屋へと報告に向かった。
「そういう事情です」
静かに伏見での出来事を語った総司の言葉が消えてゆく。
坂本の不在、セイの行為、淡々と語る総司の声に抑揚はない。
土方が腕を組んだまま静かに口を開いた。
「それでお前は何も聞かずに神谷を殴ったってこったな?」
斎藤からも報告がいっているだろうと総司は黙って頷いた。
「俺から特命が出たとは考えなかったのか?」
「特命・・・ですか?」
総司が怪訝な声で聞き返す。
「上から厄介な要請があってな。神谷を伏見に送った。だがやつの事だ。
どこか不安で後から斎藤も向かわせた」
苦虫を噛み潰したような土方の声に、総司は眉間に皺を寄せる。
「斎藤さんに何か頼まれましたか? 神谷さんを助けてやって欲しいとでも」
「馬鹿な事を言うな。隊規がそんな甘いもんじゃねぇ事はわかりきってるだろうが」
「では、本当に神谷さんは土方さんの命令で伏見に来ていたと?」
「ああ、そうだ」
きっぱり言い切った土方の言葉に被せるように襖が開き、原田達幹部や
隊士達が雪崩れ込んできた。
皆口々に 「神谷に限って隊を裏切るはずがないと思った」 と興奮した様子で
肩を叩きあっている。
「総司に殴られて落ち込んでるぜ、神谷はきっと」
原田の言葉に皆が頷く。
「土方さん、神谷を呼んで来てもいいよね? 総司に謝らせないと」
藤堂の問いかけに土方が頭を振った。
「いや、しばらく神谷は静かに休ませる」
「え? どうして?」
「この馬鹿が力任せに殴りやがったもんで、かなり具合が悪い」
総司を顎で指した土方の言葉に永倉が気遣わしげに問う。
「そんなにひどいのか?」
「頭痛と肩の傷が開いたんでな。だからしばらく静かにしてやれ」
その言葉に納得した面々は頷きながら部屋を出て行った。
「総司、お前も下がって休め」
まだどこか納得のいかない様子の総司に近藤が声をかけ、その背を押すように
共に部屋を出る。
その姿を確認して土方は小さく溜息を吐いた。
「これでいいのかよ」
その言葉に最後まで残っていた斎藤が頷く。
「ここからが沖田さんと神谷の勝負所でしょうな」
「総司が神谷を斬るか、神谷が腹を切るか・・・か?」
「もしくは互いに全てを飲み込んだ上で、一回り大きくなるか」
無表情に言葉を続ける斎藤を土方が見やる。
「俺は神谷の野郎が、腹を切ると思うがな」
「それならそれまでの事」
「惚れた相手への言葉とも思えんな」
「このような事で失せる者なら、惚れる価値もありますまい」
冷たいとも言える斎藤の言葉の裏に確かな信頼を見て取って、土方が喉の奥で笑う。
「俺は借りを返せば気が済むんだ。今回は目を瞑ってやるさ」
軽く頭を下げる斎藤を置いて、土方も部屋を後にした。
療養する事となったセイは屯所の端の小部屋に移された。
処分を待つ罪人という訳ではないので監視がつけられる事もないが、
厠以外は勝手に部屋から出る事は許されていない。
火の気の無い室の中。
布団から出てじっと端座したままのセイは自分の行動について、ただ自分を責め続けた。
斎藤から土方の特命で伏見に赴いた事にすると告げられた。
局長副長の同意の元の決定だとも。
上での複雑な事情から決まった事なので反論も質問も許されない、ただ従い
総司に何を問われようと“特命”以外は答える事を許さぬと。
セイには上で何が話し合われたのかはわからない。
鉄の隊規を遵守する事にかけては、一切の私情を含めない土方も承知の事と言うならば、
何らかのしかとした事情があるのだろう。
けれど感情のままに勝手な行動を起こした自分がどうしても許せない。
伏見に赴く前に近藤に言われた事が甦る。
立場が違えば見方も変わる。
真実その意味を理解していなかった、いや、理解しようとしなかったのだ。
おセイちゃんではなく神谷清三郎に戻り、立場を変えて考えなくてはいけなかったのだ。
自分を殴りつけた総司が、どれほど悲しんでいたか、自分の裏切り行為に傷ついていたか、
それが判らぬ程愚鈍では無い。
あの場に居た仲間たちとてどんなに胸を痛めていたのか、考えるまでもない。
愚かな、愚かな自分に向けて紅蓮の怒りが湧き上がる。
何が真実大事なのかを、何を守らねばならぬのかを、自分は見据えていたはずだった。
けれど目先の情でそれは曇り、甘い感傷で過ちを犯した。
どれほど坂本が善人でも、どれだけお春に好意を持っても、隊命の為、総司の為には
斬り捨てる覚悟が必要だったのだ。
総司が慕っていた芹沢を斬ったのを、自分は知っていたのでは無かったか。
ただひとつ、守る物を決めた以上、それ以外のどんな事にも揺らぐ事は許されなかったものを。
誰が許そうと自分で自分が許せない。
ギリッ。
無意識に噛み締められたセイの唇から一筋の血が滴り落ちた。
「あれ?」
一番隊の隊士部屋、一人でごろごろとしていた総司は山口が部屋に運んできた
行李を見て首を傾げた。
「それって神谷さんのじゃありませんでした?」
どこといって代わり映えのしない行李だが、左端の一部がへこんでいる。
原田がふざけてセイの私物を漁ろうとした時に争ってできた傷だ。
「はい。神谷に頼まれて持っていったんですが。必要な物は抜いたから片付けておいてほしいと」
山口の返答に総司が目を細めた。
何か嫌な気がする。
何かが引っかかる。
自分が殴りつけた事が間違いだったのなら謝罪しようとセイの部屋に向かった所を
斎藤に止められた。
しばらくは静かに休ませてやれと。
あの時からだ。
何か言いようの無い違和感が自分を覆っている。
山口が行李を置き、部屋から出て行くのを待つと素早くその蓋を開けた。
元々荷物を多く持たないセイの行李の中は数枚の衣と身の回りの品が僅かで。
きちんと整理されたそれらの中に自分や里乃あての文を見つけた総司は
部屋を飛び出した。
セイの休んでいるはずの部屋に走りこんだ総司の目の前には今にも脇差を
腹につき立てようとするセイと、その刃を素手で握り締めている近藤の姿で。
セイが少しでも刃を引いたなら近藤の指はスパリと落ちるだろう。
「何をっ、何をしているんですかっ!」
総司の絶叫にセイが脇差から手を離し、近藤がそれを静かに床に置いた。
ポタポタと床に赤い花を咲かせるその手の平を軽く握り締め、近藤が総司に歩み寄ると
その襟を掴み上げセイの隣へと座らせる。
「出て来い、歳」
静かな近藤の声に総司が駆け込んできた庭に面した廊とは逆側の襖が開き、
土方が入ってきた。
「死にてぇってヤツをわざわざ助ける事もねぇだろうが。相変わらず人が良すぎだぜ、
近藤さん」
「・・・きちんと説明してやれ」
低い近藤の声には確かな怒気が含まれており、セイはもちろん総司すら背筋に震えが走る。
土方が声を出す前に総司が噛み付くように言葉を発した。
「やっぱり特命なんて嘘だったんですね? 神谷さんは隊を裏切ろうとした。
坂本を逃がそうとしたんでしょう? だから腹を切ろうとした。
そうなんでしょう、土方さん。どうして特命なんて嘘を!」
「近藤さんの指示だ」
膝でにじり寄りポロポロと涙を零しながら、近藤の傷の手当てをするセイを見やって
ポツリと土方が告げる。
「総司達が伏見に向かってすぐに二条城から特使が来た。一橋公の使いとして
坂本を捕縛する事ならぬという密使だ」
土方が苦々しげに口にする。
この段階では公になっていなかったが、幕府内開明派と呼ばれる一橋慶喜らは
穏健派が藩政を握るようになった土佐藩の老公こと、山内容堂を通じて幕府から朝廷への
ゆるやかな政権移譲と国内統一を勧める坂本からの建白書を手にしている。
坂本の案を全て肯定する事はできずとも、この稀代の傑物を簡単に幕吏の手に捕らえさせ
獄死させる事を良しとしなかった山内容堂からの依頼を受けた慶喜からの命があったのだ。
「その密使の命を新選組局長が受け取っちまった以上、我々が坂本を捕縛する事はできねぇ。
だから急ぎ斎藤に後を追わせたんだ」
「斎藤さんはそうでも神谷さんは違うじゃないですか。この人はそんな命は知らなかった。
知らないままで・・・」
「ああ、確かにそうだが、万が一その場に坂本がいた場合、神谷が動かなかったなら
厄介な事になっていただろう」
土方に言われるまでもなく総司にもわかる。
近藤が上からの命令を聞いてしまった以上、たとえ伏見奉行からの要請が城からの使者より
先に来ていたとしても、それを無視するような行為に言い訳になどできはしない。
隊の、ひいては近藤の立場が微妙なものになっただろう。
「神谷の行為で救われたから不問に処す。救われなかったから処罰するという事では
道義が立たぬという事だ。だから今回の事は一切をかまい無しとする。それが局長の決定だ」
土方の言葉の後に近藤が口を開いた。
「それにな、結局坂本はその場におらず、神谷君が逃がした訳では無いんだろう?
だったら問題にする程の事ではあるまい」
「ですが、敵を逃亡させようとした事実は事実です。それは十分に士道不覚悟。
隊規違反に当たる事でしょう?」
近藤の言葉に噛みつくように総司が反論した。
セイは俯いたまま唇を噛むだけだ。
自分は坂本を逃がしたかった。
あの優しい梅さんとお春さんには幸せでいて欲しかった。
だからこのまま京から離れ、どこか遠い地で穏やかに暮らしてくれるなら、
一度だけ逃げる機会を作ってあげたかったのだ。
それが総司をどれほどに傷つけ、隊を裏切る行為であるか深く考えもせずに。
見つかったら切腹だ、などと甘く考えた自分が情けない。
見つからずともその行為を行おうとしただけで、切腹に値するものだったのに。
「我々は武士であると同時に人でもある。時には迷う事とてあるだろう。
まして神谷君はまだまだ未熟だ。それはいつもお前が言ってる事ではないのか? 総司」
諭すような近藤の言葉が続く。
「“逃がすつもりだった” “つもり” なんてものは戯言だと、以前神谷君に言ったのは、
お前じゃないのか? その上で何を掴み取り、選ぶかが重要なのだと諭したんだろう?」
それはまだセイが入隊して間もなかった頃の話だ。
後ろ傷を受けた仲間の隊士を逃がそうとセイが迷った時に、総司が諭した話を
何故に近藤が知っているのか。
ビクリと肩を揺らし顔を上げたセイに向かって近藤が微笑んだ。
「以前神谷君に聞いたと山南君が話してくれたんだよ。考える事の苦手な総司が
おそらく一生懸命に考えて、まだ若い君に武士としての在り方を伝えようと
したのだろうとね。我々が思うより総司も成長しているのかもしれないと笑ったものだ」
穏やかな近藤の邂逅話に場の空気が和らぎかけたが、総司の表情は固い。
「入隊したばかりの頃とは違います。神谷さんはすでに古参と言っても良い。
隊の規律も厳しさも十分に熟知しているはずです」
「ああ、そうだ。だからこそ神谷君は逃げずにここにいる。療養として部屋に置いていた間も、
必要以上の監視はつけなかった。逃げる機会なら幾度もあっただろう。
それでも逃げる事無く、新選組隊士としてここに在る事を選び取った。
そして自分の行為を振り返り、自ずから腹を切ろうとした」
セイによって白い布を巻かれた自分の手の平を眺めながら近藤は苦笑する。
「たとえ情に揺らぐ事があったとしても、神谷君の根底には立派な隊士としての
覚悟があると思う。だからな、総司。“戯言”などであたら有能な隊士を
処分する必要は無いと思わないか?」
「ですがっ!」
頑なな総司の様子に土方が小さく溜息を吐く。
「確かに神谷の行為は罪に値する。だが神谷の性質を知っていて、最もコイツに
向かない仕事を割り振った俺も無関係とは言えねぇだろうな。近藤さんの言うように
情に厚いのはコイツの特性だ。お前はそれを知っていてこの仕事に反対した。
斎藤も良い顔はしなかった。その結果がこれだ」
再び俯いたセイの赤黒く腫れた頬に視線をやって、土方が顎をしゃくった。
「俺達にしても、このまま神谷に死なれようものなら寝覚めが悪ぃんだ」
誰にも聞こえないように、口の中だけで土方が呟く。
衆道騒ぎで散々セイを振り回した自覚があるだけに、土方としてはその借りは
早いうちに返したいところでもあった。
一番隊から無理矢理三番隊に配置換えをした時、総司に冷たく突き放されて
傷ついたセイの表情は土方にしても後味が悪かった。
まして突き放した当人である総司自身にしてみれば尚の事だろう。
そんな状態でセイを処分する事はできれば避けたかった。
故に決定的な背反行為でない以上不問とすると、近藤が決めた事に
異論を挟むつもりもなかった。
「“戯言”であれ、勝手な行動をしたのは事実だ。しばらく神谷は療養という名目で謹慎とする。
それでいいな、近藤さん」
土方の裁断に近藤が頷いた。
まだ何か言おうとする総司を視線だけで止め、土方が言葉を続ける。
「実際坂本に接触していたとでも言うなら、確かに切腹に値する。だがそんな事実は無かった。
俺達にとっては“事実”が全てだ。違うか、総司?」
畳み掛けるような言葉に総司も頷くしか出来ない。
「神谷君」
強く自分に呼びかける近藤の声に、セイは反射的に顔を上げた。
「腹を切り責任を取って終わりなどという事は許さないぞ。今回の事、君も色々と学んだだろう。
その答えは今後総司の下において見せてもらえると期待している」
厳しい口調ではあったが、その瞳は慈しみに満ちて。
セイは畳に両手をつき、深く深く頭を垂れた。
「参りましたね」
近藤と土方が出て行った廊下へ顔を向けたまま総司がポツリと言葉を落とした。
「神谷さんに期待すると言いながら、私へも部下を導けと言われたんですよ、近藤先生は。
断罪する事で投げ出すのではなく、成長させろと。私の人として、上司としての力量も測る
と言っておいでなんです」
屯所の外れにあるこの部屋には隊士達のざわめきも響いてはこない。
時折小鳥の鳴き声が耳に届くぐらいだ。
そんな中に囁くような総司の声が流れていく。
「今回の件では、私は貴女に腹を切らせるつもりでした。そして私も貴女を育てた者としての
責任を取って、腹を切るべきかと。ですが私の命は近藤先生のものです。
勝手に捨てる事は許されない。だからせめて組長から一隊士の身分に降格して
もらおうと思っていました。けれど近藤先生も土方さんもそれは許さないと考えている。
貴女、これで完全に隊を抜ける事が出来なくなりますよ。もう女子に戻る事は・・・」
ほんの小さな風にも吹き散らされるほどの声が消えていく。
その言葉に被せるようにセイが床に両手をついて頭を擦りつけた。
「申し訳ありませんでした! 神谷清三郎の不明です。 武士としての覚悟は
充分に決めていたつもりだったのに、目先の感傷で愚かな行為を致しました。
腹を切りお詫びする所存でしたが、局長の深き慈愛の前にそれは許されません」
セイの声が涙から震えている。
「二度と愚かな行為は致しません。武士、神谷清三郎として隊の為、局長副長
沖田先生始め先生方の為、命をかけて働かせていただきます」
時折しゃくりあげる音を交えながら、セイは平伏したままだ。
「お許しいただけるなどとは思いません。でも・・・申し訳ありませんでしたっ」
声を押し殺して泣いているセイに静かに近づいた総司がその肩に手を沿え抱き起こした。
涙と鼻水でベタベタに汚れた顔と色を変えて腫れた頬が痛々しい。
苦しげに一度目を瞑り、自分の袖でセイの顔を拭ってやる。
「貴女は優しい女子なんです。知り人が無残に捕らえられ殺されるやもしれぬとなれば
助けたくなるのも当然なんです。けれど武士であるなら、そんな私情は許されない。
これから貴女はそういう鬼とならねばいけないんですよ?
その覚悟を決めると言うのですか?」
セイが必死に頷いた。
その様子を痛ましげに見つめていた総司がポツリと呟く。
「私は貴女にそんな人間になって欲しくない・・・」
「嫌ですっ! 私はっ!」
「わかっています。私のつまらない私情です。土方さんさえ貴女の先に期待するからこそ
今回は目を瞑ってくれたんです。今更逃げ出す事は許されません。
修羅の道を共に歩んで行きましょう」
セイの瞳を覗き込んで告げた総司の言葉にセイが大声で泣き出した。
「ごめんなさい。沖田先生、ごめんなさいっ!」
「ああ、貴女はまずその泣き虫からどうにかしなくてはいけませんね」
そう言うと総司は優しくセイを抱き寄せ、背を撫で続けた。
この時の出来事はセイの心の中で深き楔となり、決して揺らいではいけない
確たるものを魂の芯に打ち込む事となった。
たとえ何を犠牲にしようとも。
ただ一つ総司を守るためであるなら、どれほど情をかけたものであろうと
笑って斬れる覚悟を据えた。
その覚悟はこの後、高台寺党が離隊する事になった時、兄とも慕う武士や
入隊時から世話になり続けた向う傷の男との別離の時に発揮された。
唯一守るものを胸に抱いて、セイは静かに彼らを見送る事となる。