日溜り抱いて
ここ最近単独で動く仕事が多く、今日も昼近くに帰営した総司が
幹部棟外れの空き部屋の隅で浅い眠りにまどろんでいた。
冬とは思えぬほど暖かなその日の大気の中、昼餉までの僅かな時間の
仮眠のつもりでうつらうつらしていた眠りが深くなりかけた時、
柔らかな声音が耳を掠めた。
「もう、こんな所で転寝をして・・・風邪を引かれたらどうするんですか」
総司を起こさない為だろう、囁くような声と共にふわりと優しい重さが感じられた。
(ああ・・・神谷さんが何か掛けてくれたんだ・・・)
眠りに落ちながら、総司の口元が柔らかく笑んだ。
「神谷っ! おい、神谷いねぇのかっ?」
どたどたと床を踏み鳴らす音が総司を眠りの淵から引き上げる。
それでも溜まった疲れのせいか、いつものようにスッキリと頭が働かず
薄目を開けて声のした方向を透かし見た。
部屋の前まで来た土方を廊下に座り込んだ永倉と原田が押し止めている。
「おいおい、少しは静かにしてやれよ、土方さん」
永倉の膝元には湯呑みと五合徳利がある。
「そんなに騒がしくしたら起きちまうじゃねぇか」
不機嫌そうな原田の手にも湯呑みが乗っている。
原田の視線の先に眼をやった土方が眉間に皺を寄せた。
「何だ、寝てやがるのか、こいつは・・・」
「ああ。可愛い顔だよなぁ。せっかく眼の保養をしながら気分良く呑んでるんだ。
邪魔するんじゃねぇよ」
原田の言葉に総司は内心で首を傾げた。
今更自分の寝顔を可愛いなどと言うはずは無い。
薄目のままでそろそろと視線を動かすと総司の足元に転がっている
小さな体に行き着いた。
(え? 神谷さん?)
驚きと同時にセイの隣に座り、顔に当たる陽射しを遮っていた斎藤が口を開いた。
「昨夜も勘定方の手伝いで明け方まで仕事をしていたようですな。
命じたのは副長でしょう? 仮眠ぐらい取らせなくては倒れますよ、神谷とて」
「総司がいない時ばかり仕事を押し付けるからなぁ、土方さんは。
そのうち、また総司に怒られるぜ?」
永倉の言葉に土方が唇をひん曲げた。
総司とて理解はしている。
暮れも押し迫ったこの時期は、隊で購入したあれこれの清算をしに
あちこちの商家から掛取りがやってくる。
それを前提に勘定方は昼も夜も無く、帳簿整理に明け暮れているのだ。
算術が得意で几帳面なセイの能力はこういう時に最も発揮されるのだから、
土方の命令が無くても勘定方から泣きつかれて手伝う事になっただろう。
ここ暫く、総司同様にセイが本来の仕事の傍ら何かと忙しくしていたのは知っていた。
年の瀬だから仕方が無いと総司も放置していたのだ。
けれど総司から僅かに見えるセイの顔に浮かんだ疲労の色は、
休息を求める合図に他ならない。
「まぁ、神谷はいいが・・・」
土方にもセイの疲労は見て取れたのだろう。
ここで無理をさせて寝込まれでもしたなら、それこそ不都合が山と出る。
今の隊は細かい部分でこの小柄な隊士に負う部分が多くなっているのだから。
「おめぇらは、こんな所で何をしてやがるんだよ?」
暗に昼酒とは良い身分だな、と含んだ土方の言葉に永倉が笑った。
「俺は昨夜巡察だったんだけどな。帰営してから道場で隊士に稽古をつけて今の時間だ。
寝酒を呑んだら寝るからよ・・・それまで眼の保養だ」
「俺は今日は非番だからさ。ぱっつぁんの酒の相手をしたら、おまさの所へ帰るだけだ。
それまで眼の保養だな」
永倉の言葉に同調するように手の中の酒を一気に飲んだ原田も笑う。
「私は午後の巡察まで、ここで日除けですかな・・・。まぁ、そろそろ時間ですが」
斎藤の言葉に「贅沢な日除けだぜ」と笑った永倉が土方を振り仰いだ。
「で? 神谷に何の用なんだい?」
「あ、ああ・・・黒谷まで書状を届けさせようかとな」
セイの真っ直ぐな気性は会津藩士にも好意的に受け止められているようで、
他の隊士に頼むよりも返書が早く戻ってくる。
だから少しでも早い返事が望ましい書状の場合、セイに使いが任される事が多かった。
それを知っている永倉と原田が顔を見合わせ、よっこらしょと立ち上がった。
「しょうがねぇなぁ・・・寝た子を起こすのも可哀想だろう。俺が行って来てやるよ」
新選組の幹部が出向けば、当然会津藩の対応も素早くなる。
土方がセイに頼むという事は、速さを求められる書状なのだろうと判断しての
永倉の言葉だ。
「馬鹿。酒の臭いをさせる使者なんぞ・・・」
言いかけた土方の言葉を原田が目の前に突きつけた徳利が遮った。
軽く振られたそこからは、中身がいくらも減っていない事を思わせる水音が響いていた。
「呑み出したばっかりだからよ。黒谷に着く頃には酒の臭いなんざ、すっかり消えてるぜ」
片目を瞑った永倉が届けるべき書状を渡せと言うのか土方に向かって片手を差し出した。
「いや。書状はまだ部屋だ」
「そうじゃねぇよ。羽織を貸せって言ってるんだ」
「ああ?」
何を言っているのかと土方が目を見開く。
そういえばこの寒いのに永倉は羽織を着ていない。
「羽織も無しに外へ出るのはさすがに寒いからな。かと言って、あれを取り上げて
そのままじゃ神谷が風邪をひくだろうが」
永倉の視線の先には大きな羽織をかけられたセイが無邪気に眠っている。
確かに冬にしては暖かいとはいえ、何も掛けずに寝ていたなら
風邪をひきこむのは目に見えている。
「何で俺が! 起こしゃあいいじゃねぇか・・・よ・・・」
言葉の途中から鋭く見つめる三対の視線に土方の言葉も弱くなった。
「一度起こしたらどんなに疲れていようと、こいつが昼寝なんぞすると思うのかい?
賢い副長さんよ」
永倉の言うとおりだ。
目覚めたセイは転寝などをした事を恥じ、駆け回って仕事を始めるだろう。
しかも今夜は一番隊が巡察の当番なのだから、ここで少しでも睡眠を取らなければ
セイは明日の朝まで寝る事など出来ない。
ちっと小さく舌打ちした土方が羽織を脱いだ。
それをセイの身に掛けていた自分の羽織と取り替えた永倉が喉の奥で笑った。
「目覚めた時の顔を見たいもんだな」
転寝しているうちに我が身に掛けられていた土方の羽織・・・セイの驚愕の表情が
目に浮かぶ。
「副長って意外に優しいんですね〜、なんて感動するかもしれねぇぜ?」
原田も心底可笑しそうにしている。
「うるせいっ!」
苛立ち紛れに怒鳴りつける土方がふたりを引き摺って部屋から離れていった。
静寂の戻った室内で、少し遅れて立ち上がった斎藤が総司を振り返る。
「神谷に風邪を引かせるな」
それだけを言い残すと、斎藤もまた部屋を出て行った。
一連の様子を薄目のままで見ていた総司が身を起こす。
「あはは・・・やっぱり斎藤さんにはバレバレでしたねぇ」
苦笑しながら四つ足で近づくと、セイは小さく体を丸め眉間に皺を寄せている。
部屋の入り口で吹き込む風を遮っていた男達がいなくなり、
寒さを感じているのかもしれない。
総司は自分の身にかけられていたセイの羽織を、袴から出ているセイの足元に掛けた。
土方の羽織は小さなセイの体と言えど、足元までは届きはしないのだから。
くしゅんっ!
それでも寒さを感じるのか可愛いくしゃみをする姿に、どこかから掛け布団を持ってこようかと
腰を浮かせた総司が思い直したように自分の羽織を脱いでセイに掛けた。
そのままその中に潜り込み柔らかな身体に腕を回すと、すぐ傍に現れた熱源に
セイが擦り寄ってくる。
「風邪を引かせるなって斎藤さんに言われたからなんですよ? 怒らないでくださいね。
それに・・・」
あれだけの騒ぎにも目を覚まさぬほど深い眠りに落ちているセイではあるが、
起こさぬように気遣う総司の声は小さい。
(可愛い寝顔は皆に見せたけれど、こうして貴女の温もりを独占できるのは
私だけなんだって実感させて貰っても良いでしょう?)
胸の中でセイに囁きかける。
優しい仲間達が、この可愛い人を慈しんでくれるのは嬉しい。
けれど愛しいからこそ独占したいと思うのは人間の本能なのだろう。
額にかかる前髪を掻き分けてそこに唇を触れさせると、セイの手の平が
何かを探すように彷徨った。
小さな手をそっと包み込んだ瞬間に、きゅっと握り締められる。
安心したかのように口元に笑みを刷くセイの手を包む総司の手の平にも
力が込められる。
女子のセイと武士のセイ。
全てを知った上で愛しんでいるのは自分だけ。
その優越感は格別で。
この稀有な人を慈しみ導き共に歩める幸いを、時にこうして噛み締める。
けれど自分の腕の中で大人しく守られてなどくれない人は、事ある毎に自分の前に
飛び出しては生粋の武士でさえ叶わぬほどの煌きを見せつけるから・・・。
「・・・ぅんっ・・・」
薄っらとセイの目の下に浮かぶ陰に指を滑らせると、くすぐったいのか
桜色の唇から不満げな声を漏らし小さく首を振る。
その幼子のような仕草が総司の微笑を誘う。
自分の前へと走り出そうとする華奢な身体を背に押し込めて、
いつまでもこの人の前に毅然と立つ自分でありたいと思う。
悔しげなこの人の気配を背に感じながら、けして振り向く事はせず、
背後の敵は全て任せて自分は常に前を見据える。
ひたすら前だけを見つめる貴女の瞳に映るには、貴女の前に立つしか無い。
そして自分の背が大きくなればなっただけ、貴女の視界を
私だけが占有できるのだから。
その為にも留まってなどいられない。
毎日ほんの僅かずつでも、大きく強くなり続ける。
後退する事はもちろん、停滞する事でさえ許してくれないこの人は、
何と厳しく愛しい存在か。
喉の奥で笑みを噛み殺し、総司はセイをすっぽり抱き込める。
強い輝きを放つ瞳を閉じた少女は日溜りのような温もりを伝えてくる。
まどろみの淵に沈みながら総司は思う。
昼餉を食べ損ねてしまったから、この人が目覚めたら美味しいお茶を
淹れて貰って、買い置きしておいたお饅頭をふたりで食べよう。
きっとまた「こんなに隠していたんですか?!」と叱られるのだろうけれど、
それでも結局は美味しそうに一緒に食べてくれるはずだから。
甘味を頬張り笑顔を向ける愛しき存在を思い、総司の意識は夢へと落ちた。
冬の合間の戦士達の休息は邪魔するものも無く、夕刻まで穏やかに続いた。
絵 : 柏木あきら様