影の形に




ここ数日、近藤の命によって中川宮の身辺警護をしていた一番隊だったが、
監察の活躍で不穏分子を一掃した事によりその任を解かれた。
帰隊しようとした総司に中川宮本人から声がかかり、以前門主を勤めていた
青蓮院への文を届けるようにと直々に命じられた。

「なまじな者に任せたくなどないのでな。とはいえ、警護で疲れている身に
 余計な仕事を押し付ける事は余としても少々心苦しい」

悪戯めいた表情はこの貴人の標準装備らしい。

「だからな、駄賃をはずもうぞ」

駄賃などという下々の言葉にも精通しているこの宮様は、それゆえに
近藤を始めとした新選組の面々にも大らかに接してくる。
孝明帝の叔父にあたる室内にいる貴人に対して、本来であれば無官の総司は
庭に控えるのが当然だ。
まして直答などもっての他の無礼であるにも関わらず、中川宮は全てを超越し、
組長の総司は勿論の事、平隊士まで同室に招き入れる。

「青蓮院の筋向いに美味なる団子屋がある。これで腹が爆ぜるほど食うが良いぞ。
 神谷も連れてゆくがよい」

はははっ、と軽快に笑いながら懐から出した紙包みを総司に差し出した。
いつの間にか隊士達の話の端々から総司の無類の甘味好きを聞き取っていたらしい。
そして最近の宮のお気に入りとなっていたセイと総司がお神酒徳利である事も。

「ありがたき事にございます」

既に隊士達を外で待たせている総司が、深々と頭を下げて宮の前を辞そうとした。

「沖田」

小さく、けれど鮮明な声が総司の耳に届く。

「はっ」

「あれの腕は、確かか?」

ここで指された対象が誰であるかなど聞き返す必要も無い。

「力では劣りますが、技は確かかと」

「ふむ。そうか・・・」

そのまま思考に沈んでいった宮に再び頭を垂れて、今度こそ総司は御前から退室した。





「うわっ!」

託された文を青蓮院に届けた帰り道、セイを伴った総司は中川宮に勧められた茶店で
団子を頬張りながら渡された紙包みを開いた。

中には平隊士の三月分にもなろうかという金子が包まれている。

総司の驚きにその手元を覗き込んだセイも言葉を飲み込んだ。
いくら宮様とはいえ、これは豪気に過ぎる。
たかが使いの駄賃である団子代にこれほどとは・・・。

「参りましたね〜。これはこのまま土方さんに渡して警護をした一番隊隊士と
 働きの大きかった監察へのご褒美に分配して貰いましょう」

苦笑交じりの総司の言葉にセイも頷く。
きっと中川宮もそのつもりで渡してきたのだろうから。

四角四面に誠実な近藤は心酔する宮様からの依頼には一も二も無く
喜んで務めを果たす。
いくら宮様やその周囲の者達が言おうと謝礼などを受け取ろうともしないのだ。
「困ったものよ」と溜息をついていた中川宮の姿がセイの脳裏に浮かんだ。
おそらく今回の文使いも、この謝礼を渡すための方便だったのだろう。
大らかでいて人の心の機微を知る宮様の人柄が伝わってくる。


「さすがは近藤先生が見込んだ宮様ですよね〜」

にこにこと満面の笑み浮かべる男は、全てを近藤に帰着させてご満悦のようだ。
セイは苦笑を浮かべながら団子を口に運んだ。

けれど実際総司の思考は別の所にあった。
最後に問われたもの。
セイの剣の腕を確かめる一言。

当然すでに近藤には確かめているのだろう。
けれど実働部隊筆頭であり、セイの剣の師でもある自分に実力を確認したのだ。
それが何を意味するかわからぬはずもない。
何かその腕を求められる場所でセイが使われる計画があるという事だ。

隣で無心に団子を頬張る愛弟子を見やると、胸のどこかがチクリと痛んだ。

「先生?」

すっかり食べる手を止めてしまった総司を怪訝に見上げてセイが小首を傾げる。

「あ、いえね。この金子には手をつけられないって事は、ここの払いは
 私持ちかなぁ、って考えていたんですよ。警護だけだと思っていたので
 余り持ち合わせが無くって・・・そろそろ食べるのを控えた方が良いかと」

すでに総司の隣には団子の皿が十枚を越えて積み重なっている。
確かにそう考えるのも無理は無いとセイが小さく吹き出した。

「あはは、大丈夫ですよ。私に少しは持ち合わせがありますから、
 ここの払いぐらいでしたら“立て替えて”差し上げます」

「ええっ? 立て替え、なんですか?」

総司の眉が情けなく垂れた。

「当然でしょう。た〜〜〜くさん召し上がる先生の分まで払っていたら
 私の給金なんて吹き飛んでしまいますよ。私には里乃さんと正坊という
 家族だっているんですから、無駄遣いはできません」

くすくす笑うセイを見ながら総司は胸の中で溜息を吐いた。

そうだ、この子にはこの子なりの守りたい者達があるのだ。
自分の願いだけで隊を抜けさせる事など出来ないだろう。
たとえ明日には命を賭す戦場へと送り出す事が決まっていようと。

ならば・・・。



「ふぅ・・・」

――――― ちゃり

溜息と同時に懐から財布を出し、団子代を皿の脇に置いた。

(私にできる事は、最低限命を守れるように鍛えてあげる事ですかね・・・)

唇から零れない言葉は胸の中だけに留まる。

「せっかく美味しいお団子に気分良くいたのに・・・ねぇ?」

視線の先ではセイが茶を飲み干し、少しずつ気を高めていた。
その様子に総司の目元が微かに和む。
この子とて日々成長しているのだ。
いつまでも入隊したばかりの頃の無力な童ではないだろう。
たとえその身が女子であろうと・・・。



「何人ですかね?」

物陰から押さえ切れない殺気が吹きつけてくる。

「五人・・・だと思います」

「けっこう」




挿絵 : uta様


縁台から腰を上げた男の表情は、すでに先程までの甘味好きな黒ヒラメではない。
死線を知り、白刃舞う中をこそ己の居場所と定めた新選組一番隊組長の顔が
そこにあった。


「行きますよ? 神谷さん」

――――― ちゃきり


阿修羅を従えた鬼神が鯉口を切り、風となって駆け出した。