組長は今日も幸せ
久方ぶりの非番の日。
一番隊の隊士達は揃って室内に閉じこもっていた。
いや・・・閉じ込められていた。
外は春の嵐。
昼だというのに雨戸を立てなくてはならぬ程の激しい雨は戸板を叩き続け、
あばら家であれば吹き飛ばされるのではないかと思われる程に風も激しい。
幾つか燈された行灯の明かりの中で其々が思い思いに時を過ごしている。
――― ぱたぱたぱた
軽い足音と共に朝餉の片づけを手伝っていたセイが部屋に戻ってきた。
何やら両手に沢山の衣類を抱えている。
――― ぱさり
総司の近くにあった行灯の脇に荷物を置くと、自分の行李の中から
裁縫道具を取り出した。
「・・・それは?」
ぼんやりとセイの様子を目で追っていた総司が、手に持っていた本で
その衣類を指し示した。
「先生方の夜着や長着ですよ。皆さん本当に無頓着で、ほつれていても全然構わないで
着ているんですよね。気付いた時に少しずつ補修していたのですが・・・
どうせ今日はやる事もないですし、一気に片付けてしまおうかと思って」
口を動かしながらもセイの手元は止まらない。
手際よく針に糸を通すと一番上に乗っていた夜着と思われる単を広げて、
修繕場所を確認している。
鈍色の夜着は土方のものだろう。
裾を持ち上げると針を動かし始めた。
見るとも無くその様子を眺めながら、ふと思ったままを総司が口にした。
「神谷さんは、いいお嫁さんになりますよね・・・」
その一言を聞いた瞬間、セイが勢い良く顔を上げた。
頬は紅潮し、焦ったように視線を左右に動かしている。
総司も自分の失言に気付いて口元を押さえた。
けれど。
「そうですよね〜。神谷みたいな嫁さんだったら大歓迎なんだけどな〜」
「おいおい。そんな事を言ってると阿修羅の鉄拳が飛んでくるぜ〜」
「だけどよぉ・・・気は強いけど、美人で働き者だぜ」
「「「本当にこんな女子がいたらなぁ・・・」」」
周囲の隊士達がのんびりと会話に参加してくる様子に総司とセイの肩から力が抜けた。
それでも怒りを浮かべた視線でセイに睨みつけられて、総司が小さく体を縮める。
己の不用意な発言で、セイを困った状況に追い込みかねなかったのだから。
暫く仲間達がわいわい騒ぐ声が響き、そのうちに再び室内に静寂が戻る。
日頃であれば烈火の如く怒り出すセイが、手元の衣類に集中しているらしく
全く会話に加わらない事が男達の会話を静めたらしい。
パチリパチリと部屋の片隅で将棋や碁盤に石を打ちつける音と、パサリと本をめくる音。
セイが次の衣類を広げる微かな衣擦れの気配が雨音を縫って小さく響く。
ふいに小さな寝息が聞こえてきた。
退屈そうにごろごろしていた隊士がひとり、睡魔に引き寄せられたらしい。
昼餉まではまだ間があり、道場は他の隊が鍛錬して塞がっているはずだ。
やる事がなければ日頃溜まった疲労のせいで眠気に負けるのも当然だろう。
――― くすり
小さく笑みを零してセイが立ち上がった。
部屋の隅に足を運ぶとその隊士の掛け布を持ってきてその体に掛けてやった。
眠りの邪魔にならないようにと、顔に光のかからない場所まで
行灯を遠ざける事も忘れない。
一連の動作を眺めていた男達から知らぬ間に溜息が零れ落ちた。
先程の冗談交じりの言葉とは全く違い、本心から「こいつが女子だったなら
本当に良い嫁になる」と思ってしまったからだ。
そんな周囲の男達の胸の内など総司には手に取るように理解できる。
自分も彼らと違わずそう感じているのだから。
しかもセイの真実を知っている分、今日に限らず常日頃から。
周囲の思いなど知りもせずに、再びセイが衣類に針を滑らせ始めた。
今度の錆のかかった朽ち葉色の長着は永倉のものだろうか。
穏やかな表情で無心に針を動かすその姿に、総司の胸に
何やら異質なものが蠢き始めた。
理由は判らないけれど、何だか面白くない。
「ねぇ、神谷さん。針仕事がそんなに好きですか?」
いつの間にか増えていた寝息の合間に総司の声が小さく響いた。
「はい?」
小首を傾げながら質問の意図を問うセイだったが、手は止まらず
視線も総司に向けられはしない。
それが尚更面白くなくて総司の唇が小さく尖った。
「そんな事は武士のする事じゃないでしょう。自分の分だけならまだしも、
他の人の分は誰か町で針仕事の上手な人に頼めば良いんじゃないですか?」
そういう仕事を生業としている者とているのだ。
昔のように隊も困窮しているわけではない。
ましてセイが抱えてきた衣類は幹部のものだと思われる。
幹部の着物の繕い費用など、隊の支出として幾らでも捻出できるだろう。
そう考えると尚の事、セイがその手をかけている事が苛立たしく思えてきた。
「何も貴女がそんな事をする必要なんて無いんじゃないですかね・・・」
総司の言葉に含まれる不穏な気配を感じ取ったのか、係わり合いになる事を
避けようと狸寝入りの寝息も増えていく。
セイが立ち上がり、寝入った男達の体に掛け布を掛けて回る。
唇を尖らせたままで総司の視線がそれを追った。
「だって私で出来る事なんですよ? 無駄な出費は控えられるでしょう?」
眠る者を起こさぬように小さな声でセイが答える。
うつ伏せに、腕枕で、思い思いに横たわる男達を見守る瞳がとても優しい。
自分へは向けられない視線がひどく恨めしく総司の頬が膨れていく。
ようやく戻ってきたセイが膝の上に縫い物を広げる前に、総司はそこに頭を乗せた。
「な、何をっ!」
真下から顔を覗き込まれてセイの言葉が続かない。
ようやく自分に視線を合わせた人に向かって、総司がにっこり微笑みかけた。
「だって、神谷さん全然私の相手をしてくれないんですもん」
セイにとって最強とも言える少し甘えた声音に二、三度口を開け閉めした後で
諦めたように溜息を零した。
それでさっきから訳のわからない事を言い募っていたのか、この男は。
「甘ったれ宗次郎の降臨ですか?」
この男が何やら寂しくなると近藤の膝に甘えつく姿は幾度も見ている。
大きな図体をして、と叱る土方に「三つ子の魂だろう」と井上が笑っていた。
それと同様に甘え癖が出たのだろうと苦笑する。
「昼餉まで、少しだけ・・・ね?」
小さな声で強請るこの男が幼い宗次郎に見えるのが不思議だ。
そっと周囲を見回してみると、誰もが横たわり浅い眠りに落ちているようだ。
彼らの従うべき組長の少し情けない姿を目にする事もないだろう。
返事をする様子の無いセイに焦れたのか、総司が小さな手をきゅっと握ってきた。
そんな仕草さえ子供が我侭を強請るかのようで・・・。
ふわりと頬に笑みを乗せてセイが頷き、脇に除けてあった衣類の山の中から
一枚の着物を出して総司の体に掛けた。
色の落ちかけた藍の長着は間違い無く自分の物。
先程の穏やかな表情でセイが自分の衣を繕う姿を脳裏に描いて瞼を閉じる。
柔らかな膝と手の中の温もりが雨音を遠ざけていく。
満足そうな笑みを浮かべたまま、一番隊組長は春のまどろみに落ちていった。
(おい・・・俺達はいつまで寝た振りしてりゃいいんだ?)
(我慢しろ。今起きたら神谷が逃げ出すぞ)
(そんな事になったら沖田先生にどれだけ恨まれる事か・・・)
(とにかく、昼餉まで耐えろ。そうすりゃ神谷が沖田先生を起こすだろうよ)
(それまでこのままかよぉ)
(眠っちまえ。起きたら昼餉だ)
(くそぉ、沖田先生が羨ましい・・・)
(いいから、寝ろ。神谷に気付かれるっ!)
(((はぁ・・・・・・・・・)))
一番隊は隊士達の我慢の上に成り立っている・・・のかもしれない。