持ちし者の論理




「・・・あの・・・沖田先生・・・」

午前の鍛錬を終えると同時にどこかへ行っていたセイが、裏庭でぼんやりしていた
総司を見つけると口ごもりながら視線をうろうろと彷徨わせた。

「あ、あの・・・その、里乃さんのところへ・・・」

「あ、ああ・・・そうですか・・・」

毎月の事にもかかわらず互いに頬を染めてしまうのはどうしようもない。

「わかりました。土方さんには私から言っておきます。早くお行きなさい」

「はい、すみません」

ペコリと頭を下げると早足でセイがその場を去った。



「はぁ・・・」

思わず溜息が零れる。

「女子は大変ですねぇ・・・毎月お馬で苦労するなんて・・・」

サラリと自分の口から出た言葉に再び頬が熱を持つ。
ブンブンと頭を振ると、門までセイを見送ろうと総司もその後を追って歩き出した。


「な・・・んだと? おうま? 女子だと?」

バサリと手に握っていた発句帳を落とし呆然とする土方が、
前栽の陰にいた事を総司もセイも気づかなかった。









翌日、午前の巡察を終えた総司が土方に局長室へ来るようにと呼ばれた。
いつもの如く無造作に声をかけて入室した総司の顔が強張る。
正面に座る近藤は苦りきっており、土方は無表情、そして土方と相対するように
松本法眼が座していた。

それでもどうにか笑みを浮かべようとした総司が口を開く前に
土方から鋭い声が飛んだ。

「とっとと座れ。そして全て綺麗に吐きやがれ」

「え? 何をですか?」

どんな斬り合いでも緊張などした事のない自分が、ひどく緊張している事に気づく。
これは何かとても困った事になる気配がするのだ。

「神谷が女だって事だ。言い逃れはできねぇぞ」

咄嗟に松本に視線を移す。
けれど松本は表情ひとつ変えずに土方に視線を据えている。

「俺が昨日、お前の口から確かに聞いたんだ。神谷が月の障りだとな」

ハッと総司の目が見開かれる。
裏庭での独り言を聞かれたのだと理解した。
あれほどセイが必死に隠してきたものを己の不注意から露見させてしまうとは。
総司は崩れるようにその場に座り込んだ。



その先は土方に尋問されるままに、セイが入隊した直後に女子だと
知った事から始まり、全てを包み隠さず話すしかなかった。
これ以上の隠し立ては無駄だ。
そうである以上自分はどのような処罰を受けようと、せめてセイの身だけは
守る事がただひとつ、自分にできる事なのだから。
セイが誠心誠意、隊の為に尽くしてきた事を理解してもらい、近藤の温情に
すがるべきだと総司は判断した。


全てを話し終わった時、近藤が長い長い溜息を吐いた。

「か弱い女子の身で・・・よくも厳しい隊務をこなしてきたものだ・・・」

その瞳の中には賞賛と同時に深い憐憫の思いが浮かんでいる。
けれど土方が苦々しげに口を開いた。

「よってたかって庇われていたんだ。ガキの遊びじゃないんだぜ、近藤さん。
 舐められてたって事だ、俺達が」

それは違うと総司は言おうとしたが、土方の鋭い一瞥に口を閉ざす。
総司の口を押さえ込むと同時に、苛立たしげに首を振った。

「女なんぞに士道がわかってたまるか」

吐き捨てるような土方の言葉に松本が薄く笑い、初めて言葉を発する。

「はははっ、じゃあお前にゃ士道が判ってるって事か? 土方よ」

何をわかりきった事を聞くのかと怪訝な顔の土方に、尚も言葉を重ねる。

「元来士道ってのは武士のもんだぜ。武士ってのはな、その血を生まれた時から
 持ってる奴のこった。武士が身分を捨てる事は許されても、他の身分の者が
 成り上がる事なんざ許されねえんだ」

「それは私が士分の生まれでない以上、士道を理解できぬという事ですか?」

「わかってるじゃねぇか。なぁ、武士の衣を得意げに被った多摩の百姓よ」

その程度の事なら陰口で言われ慣れている土方は、片眉を上げただけで
激すような事は無い。
代りに総司が口を開いた。

「いくら松本法眼といえ、近藤先生や土方さんを侮辱するような言葉は
 控えて頂けませんか」

「侮辱じゃなくてただの事実だろうよ」

松本のにべも無い言葉に総司の表情が険しくなる。

「出自がどうあれ、土方さんも近藤先生も武士として相応しい力量をお持ちです。
 そうあるように努力を重ねてこられた。そして武士の魂もお持ちです。
 それを貴方に愚弄する資格は無い」

くくくっと松本が喉の奥で笑った。

「努力を重ね、それに相応しい力量と魂があればそれを認めよっていうのかよ。
 土方、お前も同じ事を言うかい?」

総司の言葉の途中から眉間に皺を寄せていた土方が答える。

「そうですな。男である以上、武士として己の誠を貫く事は理想の形でしょうから。
 私は誰がどう言おうと己を武士だと思っております」

「・・・嫌な男だな。とっくに話の方向を読んでたって答えを寄越しやがる」

一瞬苦々しい表情を松本が浮かべる。

「だがな。お前達はどれ程の努力も血筋という一事の前に斬り捨てられる
 悲哀を身に沁みて知っているはずだ。そのお前らがセイの努力を簡単に
 斬り捨てられるのか?」

総司がハッとして松本を見つめる。
けれど冷徹な土方の表情は変わらない。

「だが神谷は女子です。これはどうにも変わらぬ事実だ」

「嫌だねぇ。持たねぇものが持つ側に変わっちまうと途端に持つ側の傲慢さを
 恥ずかしげも無く振りかざすようになりやがる。セイが女子だと知ったからって
 あいつ自身のどこが変わった? あいつは最初から女子だった。
 だが武士としてここで立派にやってきたんじゃねぇのか?
 それを今更何が変わるというんだ」

「女子は守られるべきものです。刀など振り回しているべきではない。
 女子には女子として相応しい勤めがあるはずです」

動じる気配も無く静かな土方の言葉に、松本ではなく総司が唇を噛んだ。
自分も幾度もそう思ったのだ。
けれどセイの強い意志を前にするとその考えを押し通す事が出来なくなった。
できることなら今この瞬間も、セイの意思を尊重してやって欲しいと
叫びたくなるほどに。

「セイをその辺の女子と一緒にするんじゃねぇぞ、土方」

ズシリと腹に響く声音と共に、松本の瞳が火を噴くような熱を発した。
土方の考えが石のように硬いというなら、松本は岩かもしれないと総司は思った。
より強固でより大きく、けして動く事はあり得ない。
背後にセイという玉石を庇い、少しも揺らがずそこにある。
胸のどこかで羨ましいという感情が蠢いた。



「確かにセイは女子だ。その事実は変わらねぇ。だがな、一度でもそれを
 言い訳にして甘えた事があったか?」

無表情に自分を見返す土方を見つめながら言葉を重ねる。

「確かに男に比べりゃ身体も小さい、力も弱い、体力だって少ないだろうよ。
 だがな、そんな事を理由に自分を甘やかし周囲に頼るような、
 そんなやつじゃなかったはずだ。違うか? 沖田」

突然話を向けられて一瞬動揺した総司だったが、慌てて首を振った。

「い、いえ、いいえ! むしろ他の隊士よりも余程仕事をしていました。
 度胸だって誰にも負けないくらいで、何度私の肝を冷やしてくれた事か・・・」

セイの無鉄砲さを思い出すと無意識に総司の頬が緩む。

「そうだろうよ。あいつは常に武士たらんと己を律してきた。そんな事くらい
 共に仕事をしていたやつなら判るはずだ。それがわからねぇってんなら、
 そいつの眼は余程に曇ってやがるんだろうな」

「だが女子である以上、常に同じ状態で仕事が出来る訳でもありますまい。
 現に神谷は月に三日の休みを取っていた。今もそうです」

暗にお馬の時期は使い物にならないという事を土方が言っていると気づき、
無意識に総司の口から言葉が零れた。

「休めなかった事もあったんですよ。待機命令が出ていたり、急ぎの仕事が
 入っていたり・・・仕事、してましたよ、あの人。蒼い顔をして、私が休めって
 言っても聞きもしないで。どんな状況でも働けてこそ武士なんだって。
 それが出来ないなら隊にいる事なんて許されないって・・・」

意地っ張りなんですから・・・と困ったように総司が笑う。

「本当に頑固者だぜ、あいつは。でもな、誰がなんと言おうとあいつは武士なんだよ。
 いい加減に認めねぇか、土方」

松本の諭すが如き静かな声に反応したのは、ずっと黙したまま
その場の会話を聞いていた近藤だった。


「法眼。歳は最初から神谷君を武士として認めているんですよ。
 ただ女子の身にこれ以上修羅の道を歩かせたくないと、
 そう考えて隊から離したがっているだけなんです」

「・・・近藤さん」

渋い顔で自分を振り返った土方に、近藤が悪戯じみた笑みを向ける。

「もういいだろう、歳。新選組は出自を問わない事と決めている。
 必要なのは真の武士の魂を持っているかどうかだけだ。
 そして神谷君は紛う事無き武士の魂を持っているんだ。
 それはお前だって否定しないだろう?」

「だが・・・」

「それにな、松本法眼だけじゃなくて、どうやら総司も神谷君の味方につくようだ。
 俺達じゃ勝ち目はないだろうよ」

思いも寄らぬ事を指摘されて、目を瞬いている総司の様子に近藤が笑う。

「なんだ気づいて無かったのか? お前は途中から神谷君を残したいという気配を
 全身から漂わせてたぞ。それにすっかり神谷君を擁護する立場で物を言っていた。
 本当は神谷君を隊に残したいんだろう?」

近藤の言葉の途中から顔を赤く染め始めた総司が、羞恥から視線を逸らしながら
それでも小さく頷いた。
一度眼を閉じ短く息を吐く。
次の瞬間、すっと姿勢を正すと真正面から近藤を見つめた。


「今まで黙っていた事については、近藤局長土方副長には幾重にも
 お詫び申し上げます。けれど神谷清三郎の中に宿る誠の武士の魂だけは、
 どうか認めてあげていただきたいのです。その上で、このまま神谷を隊に残し、
 今まで通り働かせてくださる事を、沖田総司、伏してお願いいたします」

そのまま畳に両手をつき、深く頭を下げた。


「総司。このまま神谷を残して万が一女だって事がばれたなら、隊内の混乱は
 並大抵のもんじゃねえ。その時は性別詐称で処罰する事になるんだぞ」

土方が言外に、総司にセイを斬る事を命じると含ませる。
伏せたままの総司の表情が歪んだ。

確かに隊内にはセイや総司に好意的な者ばかりが居る訳ではない。
セイが女子だと知れたならその騒ぎは小さなものでは済まないだろう。
そしてそれを収拾する為にセイを処罰する可能性は高い。

「沖田が手を下すまでもないぜ。セイをそこらの女と一緒にするなと言ったがな、
 そこらの武士なんぞとも一緒にするんじゃねぇよ。自分が隊の障りになると
 認識したら、笑って腹ぐらい切れるやつだ」

思い惑う総司に助け舟を出すように松本が言う。
頭を上げた総司に向かって松本が苦笑を浮かべる。

「お前があいつに骨の髄まで武士としての在り方を叩き込んじまったんだよ。
 あの頑固者は、もうただの女子にゃ戻れねぇ・・・」

近藤の、そして土方の脳裏に“阿修羅”と呼ばれる隊士の姿が浮かんだ。


「全て、私が責を負います・・・ですから・・・」

総司が喉の奥から搾り出すような声で土方に乞う。
たとえどれほどの危険が伴おうとも、セイの誠をこんな形で折りたくはない、
ただその一念だった。


「はぁ・・・」

天井を見上げ両目を片手で覆った土方が大きく息を吐き出した。

「まったく、惚れた女ぐらいしっかり制御しやがれ、この馬鹿が」

「はぁ?」

素っ頓狂な声を上げた総司をニヤニヤと見ながら尚も土方が言葉を続ける。

「俺や近藤さんを騙してまで守りたかった女なんだろうが。
 惚れてねぇなんぞと言わせねぇぞ」

「え? いや・・・そんな・・・ええっ?」

音がするほどの勢いで耳まで真っ赤になって総司がバタバタと手を振る。

「そ、そんな気持ちは・・・なっ、なっ、無いですよっ!
 変な事を言わないでくださいっ!」

近藤も笑いながら口を出す。

「隊になど置いて危険な事をさせずに、嫁にしてしまえば良いじゃないか。
 そうしたら先々の心配も無用になるぞ」

土方も異論が無いようで黙って頷いている。
けれど松本が視線を逸らして口を挟んだ。

「そいつぁ、無理だろうな」

三人の視線を向けられたまま、静かに続ける。

「以前沖田に縁談があったろう? あの時に俺も言ったんだ、いっそお前が
 やつの嫁になればいいとな。だがあの馬鹿は嫌だと泣きやがった」

総司の表情が凍りつき、近藤たちが顔を見合わせる。
普段のセイを見ていれば総司に深い情愛を持っている事など一目瞭然なものを、
妻になるのを泣いて嫌がるほど、女子としての恋情は無かったというのか。

「妻として家で待っているだけなんざ嫌なんだとよ。例え沖田が嫁を取り、
 他の女を抱こうとも、自分は武士として共に戦う方を選ぶ。
 どれほどの苦痛を伴おうとも、沖田を戦場で孤独に戦わせる事などしない。
 死線ギリギリの場で沖田の盾となって死ぬのが望みだそうだ。
 馬鹿もここまでくると呆れて物も言えなくなったぜ」

言葉どおりに呆れた口調の松本だが、その表情はその一途な愚かさが
愛しくて仕方ないと確かに語っている。

「なんという・・・女子だ・・・」

近藤の眼が潤んでいる。
土方も固く瞼を閉じ、溢れそうな感嘆の感情を押さえ込んでいる。
総司だけが呆然と松本を見つめていた。

「・・・本当に?」

ようやく出た声はひどく掠れていて、こくりと一度喉を鳴らした。

「あの時、神谷さんがそんな事を?」

静かに頷く松本から視線を外し、総司は俯いた。
あの時、好きでもない相手の方が妻とするのに都合が良いと言った自分を
セイは責めた。
相手が可哀想だと・・・。
どんな思いで一言一言を口にしていたのだろうか。
ひどい事をした。
苦しい思いをさせた。
今更言っても詮無い事と承知していても、己を責めずにはいられない。

総司は皺が残るほどに袴を握り締めた。


「どれほどセイが望んでも、いずれ男として戦うのは無理な日がくるだろう。
 あいつが自分で納得して剣を置くまで、俺はあいつの意思を通させて
 やりてぇんだ。その後の事は・・・沖田、お前が一緒に考えてやれ」

松本の言葉は総司の親代わり兄代わりの近藤達にも向けられている。
娘を託す父親の如き声音の響きに近藤が頷いた。
土方も黙っている。

「・・・はい・・・」

総司は俯いたまま、どうにか声を絞り出すのが精一杯だった。

「神谷清三郎は如身遷。俺達はそれ以外何も知らない。それでいいな、歳」

「・・・ああ」

近藤の言葉に土方がそっぽを向きながら答えた。

自分とセイを温かく見守り続けてくれる三人に、総司は深く深く頭を下げた。







用は済んだとばかり土方に部屋を追い出された総司はそのまま道場で
平隊士達に稽古をつけていたが、どこか上の空の様子を心配され
早々に退散せざるをえなくなった。

行き場の無いまま昨日セイと話をした裏庭に足を運んだ。

普段であったならセイが庭一面に洗濯物を干しているその場所は、
妙にがらんと空虚な空間となっている。
縁に腰を下ろし、総司はぼんやりとその空間を眺める。

松本が援護してくれなければ、この風景が日常になったのだと思うと
心に隙間風が吹いてゆく。
どこにもセイがいない日常。
もはや想像することすら出来ない。
考えたくもない。

片足を抱え込むように縁に上げ、膝に額を押しつける。
空虚な空間を見ているのが辛くなった。

自分がセイへの恋情を自覚したのはつい最近の事。
それまでずっとセイはそんな自分を見つめていてくれたのだろう。
申し訳なさと同時に愛しさが胸を満たしてゆく。
この胸に灯った恋情は消える事はないのだろう。
この先もずっと自分の胸の中でくすぶり続け、焦がれる想いとなっていく。


けれど・・・。

足から手を離し、ゴロリと縁に寝転がった。

セイを武士として隊に残すという事は、男女の情の交換は
許されないという事でもある。
沖田の女が武士として隊内に居たとなれば、それはそのままセイの身の
危険に繋がるのだ。
万が一女子だという事実が外部に知れた時、総司と恋人となっていれば
いかな土方とて二人に対する処分を下さぬ訳にはいかなくなる。
そんな危険な立場に立たせることなどできっこないのだ。

愛しい娘の想いを知りつつ、そ知らぬ振りを通すしかないとは。

(・・・蛇の生殺しですね)

武士としてのセイの誠を尊重すると言いながら、僅かの間も手放したくない
という胸深くに有る己の欲は自覚している。
そして同時に女子であるセイを求めている事も。
焦がれる想いを押し殺すしかないのは、己への罰なのかもしれない。


それでも・・・。

これからもセイはここに居られるのだ。
明日になれば戻ってくる。
自分の傍に。
パタパタと軽い足音を立てて「沖田先生!」と満面の笑みを見せてくれるのだろう。

今はそれでいい。
それさえあれば、いい。

高い高い空にセイの笑顔を描き、総司は小さく笑みを浮かべた。