不器用ですが (四万打踏んづけリクエスト)
「洗濯物をお持ちしましたよ、先生」
「あ、ああ、はい。ありがとうございます」
慣れた様子で畳んだ洗濯済みの衣類を総司の行李に仕舞っている姿を
後ろから見つめる男の耳が赤い。
けれどセイがくるりと振り向くと同時に視線を逸らしてしまう。
「? 先生?」
どことなく違和感を感じさせる総司の様子にセイが首を捻った。
「な、なんでもないですっ!」
「そうですか・・・」
自分と視線を合わせようとしない総司を怪訝に思いながらセイが立ち上がった。
「ど、どこへ?」
機嫌を損ねたのかと慌てた口調で問いかける男に、セイが手に持った洗濯物を見せる。
「永倉先生達の分も片付けてきます」
「あ、ああ、そうですか・・・ご苦労様です」
安堵したように口元に笑みを浮かべた総司を置いて、小柄な隊士は部屋を出て行った。
総司をかばったセイが重症を負い、生死の境を彷徨ったのはそう前の事ではない。
幸い松本法眼の腕のおかげかセイの生命力が強かったのか、隊務に復帰
できるまでに回復し、局長の小姓として日々立ち働いている。
けれどセイの怪我を切欠に、ようやく己の恋情と正面から向き合う事になった
野暮天大王。
つまりは一番隊組長沖田総司の胸の内は嵐の中の波頭の如く
一瞬たりとも落ち着くことが無くなった。
(だ、だって・・・仕方が無いじゃないですか。今でも毎晩肩の傷に
薬を塗ってあげてるんですよ。あの白い肌や細い首、華奢な肩と
柔らかそうな体を前にして、私がどれほどに・・・)
心の内で叫びながら首から頬、頬から額と赤みが差してゆく。
(恋情を持つ相手のあんな姿を見て普通でいられるほど、
私だって朴念仁じゃないんですっ!)
ぎゅっと瞑った瞼の裏には肩から夜着を滑り落としたセイの後姿が浮かんでいる。
(拷問ですよっ! 拷問っ! それとも私の忍耐力に対する挑戦ですかっ!)
バクバクいう心の臓はすでに馴染み深いものとなっていた。
これから逃れるにはセイの傷に薬を塗る事を拒絶するしかないのだろうか。
だが傷は塞がったとはいえ、深く斬られたせいで何かの衝撃で再び開く事も
ありうるのだと松本に告げられている。
それを防ぐためにも今しばらく薬は塗るようにと、セイと共に回復具合を
診て貰いに行った時にきつく言われたのだ。
もしも自分が「もう勘弁してくれ」と言ったなら、セイは他の誰かに
その役を願うのだろうか。
(・・・他の・・・・・・。 そんなの駄目ですっ!!)
自分が夜毎、本能とすさまじい激闘を繰り広げざるをえないあの姿を
自分では無い男の前に晒せるものか!
傷跡に薬を塗るという事は、あの人の肌に触れるという事じゃないか。
――― ボンッ!!
総司の頭上から確かに水蒸気が上がった。
脳の沸点を越えたらしい。
(神谷さんには私以外の誰も触っちゃ駄目ですっ! 見ても駄目なんですっ!!)
総司の脳裏に無防備に肌を見せる愛しい女子の背後に座す、セイが最も信頼する
三番隊組長の姿が浮かぶ。
今にも薬を乗せた手が、柔らかな肌に触れそうだ。
(駄目だったら、駄目ですっ!!)
その映像を消そうかというように、総司が両手でガリガリと頭を掻き毟った。
――― プツリ
あまりの勢いのせいで元結が切れ、長い髪が頬にパサリとかかる。
「あ・・・・・・」
切れた紐を片手に摘み上げ、大きな溜息を吐く。
「はあぁぁぁぁ。何をやってるんでしょうかね、私は・・・」
役を果たせなくなった手の中の物が今の己の姿と被って見える。
日々心を乱し、平常心というものを失った自分はいずれこの紐のように
無価値な存在に成り果てるのだろうか。
しばらく手の中を見つめていた総司がポイと紐を捨てて立ち上がった。
「神谷さんに結って貰いましょう・・・」
どれほど懊悩しようと自分がセイを手放せぬ以上、その場その場で己の欲と
闘うしかないのだ。
離れてる間にセイに近づく他の男の影を案じる方が余程胸を乱すのだから。
それならば常に共にいた方が、恋情に振り回されようとも
それ以上の喜びもあるはずだろう。
現に自分の髪を結ってくれるセイの優しい指先を想像しただけで
こんなにも幸せを感じている。
ぱさりと一度頭を振るとセイを探して歩き出した。
「神谷さ・・・」
「でも神谷は凄いよなぁ」
幹部棟の手前で求めていた人を見つけた総司が声をかけようとした時、
セイの前に立っていた一番隊隊士の声が響いた。
「別に凄くなんてないですよ」
「凄いよ。三番隊に異動してたってのに命がけで沖田先生を守ってよぉ」
「隊士として幹部を守るのは当然の事じゃないですか」
総司からは後姿しか見えず、セイがどんな表情をしているかはわからない。
「そりゃそうだけどよぉ。神谷がいなくても沖田先生は全然平気そうだったし。
見舞いにだって行かなかったんだろう?」
セイの背中がビクリと揺れた。
同時にあの時自分がすっかりセイの事を忘れ去っていた事を、
今更ながらに思い出した総司の体が強張った。
「そうですね・・・」
心なしセイの返答が低く聞こえた。
「冷たいよなぁ、って皆で言っていたんだぜ」
「いいんです!」
その言葉に間髪を入れずセイが答えた。
「沖田先生は私の事など忘れていて良いんです。もしも私が死したところで
嘆く必要などありません。組下の者の生死に一々引き摺られてなど
いられないでしょう」
「だけどお前と沖田先生は衆・・・」
「ただの上司と部下です。特別な関係ではありません。
いなければいないで忘れられる存在で良いのです。
その方が私も後顧の憂い無く命を捨てられますから」
きっぱりとしたセイの言葉はその隊士に向けたというよりも
セイ自身に向けられたものだったのかもしれない。
けれどそれ以上に総司の胸に突き刺さった。
あの時、傷が回復したといって松本法眼の元から隊へと戻って来たセイは
自分がすっかり見舞いに行く事を忘れていたのを許してくれた。
『仕事馬鹿な沖田先生が私は好きですから』
と笑ってくれた。
確かにそれは嘘では無いだろう。
けれど・・・。
セイと隊士の後姿が幹部棟へと消えてゆく。
それを呆然と瞳に映したまま総司の耳朶に先程のセイの言葉が繰り返された。
『いなければいないで忘れられる存在で良いのです』
傷ついていなかったはずが無いのだ。
松本が言っていたではないか、セイは日夜自分の身の無事を祈っていると。
そうして真摯に想いを向けた相手が自分の事を綺麗さっぱり忘れて
仲間達と笑い合っていたなど、傷つかないはずがないではないか。
『その方が私も後顧の憂い無く命を捨てられますから』
自分を庇って刃をその身に受けた時にも感じた事だ。
この子は自分の命を軽んじている。
里乃が、松本が、セイが死した時に嘆く事を承知していようとも、時という
無慈悲な流れの中で嘆きは薄れ、忘れ去っていく事を知っている。
それと同様に自分も忘れてしまうと思われている。
――― ぎりっ!
握り締めた拳の中で爪が強く食い込んだ。
そんな事があるものか!
あの時はセイから命の危険が無くなったと承知していたから、薄氷を踏むような状況下
長州にいる近藤の安否に想いが向かっただけだ。
セイが失われていたとしたなら・・・。
――― ぎりぎりっ!
強く立てられた爪が皮膚を破る。
『いなければいないで忘れられる存在で良いのです』
『その方が私も後顧の憂い無く命を捨てられますから』
その言葉が幾度も響く。
冗談じゃない。
忘れられるはずが無いではないか!
命を捨てるなどと許せるはずが無いだろう!
こんなに貴女を想っているのにっ!!
けれどあの娘は自分の想いなど知らない。
知らぬままに黄泉路へと駆け込もうとするのだろう。
それを押し留める術を総司は必死に考え続けた。
「何をしてるんですかっ! 沖田先生っ!」
「まぁまぁ」
「まぁまぁじゃありませんっ! 幹部ともあろう方が洗濯なんてしないでくださいっ!」
「いいじゃないですか、たまにはお手伝いをしても。ねv」
「・・・・・・・・・/////。って、それ私の下帯っ!!」
「おや?」
「おや、じゃないぃぃぃぃぃっ!!」
「ちょ、ちょっと沖田先生っ!」
「高い所は貴女には届かないでしょう? だから私がこうやって・・・」
「だからっ、ぶほっ・・・」
「ハタキでパタパタ〜ってねv」
「拭き掃除した後にハタキなんかかけないでくださいっ!」
「あれ?」
「きゃぁぁぁっ! 何って事をしてくれたんですかっ! 沖田先生っ!」
「何って、貴女がいつもやっているように薬の調合を」
「私はそんな混ぜ方はしませんっ!」
「え? だってこの壺の中身とこっちの壺の中身をいつも・・・」
「それじゃないです、隣ですっ! しかも最も高価な薬を駄目にして・・・」
「あ、あはは」
「あはは、じゃなぁぁぁぁぁいっ!!」
一体この物体はどうしたというのだろう・・・。
ここ数日、背後霊の如くぴったりと自分に纏わりついていらぬ手出しをしては
怒鳴りつけられている男を横目でちらりと見る。
今は広間での昼餉の最中。
何が嬉しいのか口元に笑みを浮かべた男は、膳も自身の体も心持ち
セイの側に寄せている。
「ん!」
「な、何ですかっ!」
総司の小さな声にセイが過敏に反応した。
「これ、この玉子焼き美味しいですよ、神谷さんっ!」
もぐもぐと口を動かしながらもう一つ玉子焼きを箸で摘み上げた。
「・・・だから、どうしてそこで私の口元にそれを突き出すんです?」
最早疲れきった表情でセイが呟く。
周囲の隊士達はまたかという表情で視線を逸らすだけだ。
「美味しいんですよ、ほら、あ〜んv」
「童ではないのですから、自分で食べられると何度申し上げれば・・・むぐっ」
言葉の途中で口に押し込まれた玉子焼きがセイの声を留める。
その隙にセイの手に握られた箸でセイの玉子焼きを突き刺すと、
総司がそれを自分の口に放り込んだ。
「んっ、なっ、なっ!」
口の中が占領されているからだけではなく、セイが言葉を探して眼を白黒させた。
「うふふ〜。食べさせっこも楽しいですよね〜。まるで餌付けのし合いみたい」
セイより早く口の中の物を飲み下した男が満面の笑顔で告げた。
部屋のあちらこちらでむせ返る男達の苦しげな呻きが聞こえる。
セイの中で何かが切れるプチリという音が響いた。
――― タン
膳に乗せられていた茶を一息に飲み干したセイが、静かに空の湯飲みを置く。
紅潮していた頬からは血の気が引き、静かな面からはぴりぴりとした緊張が
周囲に伝わった。
「沖田先生、お話があります」
「え? でもまだ食事の途中ですよ?」
セイの変化に気づかないのか、気づいていても気にするつもりがないのか
総司は暢気に返事をした。
「お話が、あります!」
一言ずつ区切るように言いなおしたセイが音も無く立ち上がり広間を出ていく。
「ま、待ってくださいっ! 神谷さんっ!」
膳の残りに未練タラタラであろうとも置いて行かれては堪らないとばかりに
総司がそれを追いかける。
残された隊士達は一連の騒ぎを見なかった事にしようと囁きあった。
「神谷さんっ!」
自分を振り返ろうともせずスタスタと前を行くセイに総司が何度目かの
呼びかけをした時、ようやく小柄な背中が立ち止まった。
「何を怒っているんですか? 黙っていたらわかりませんよ?」
不安そうに呟く総司の胸に、くるりと振り返ったセイが指を突きつける。
「わからないのは先生の方です! 一体どうなさったというのですか!」
「どうって・・・」
「人目も憚らずベタベタベタベタとっ! 子供じゃあるまいし、何を考えて
いらっしゃるんです? 沖田先生らしくもない!」
火を噴くようなセイの言葉に総司が俯いた。
「だって・・・」
「だって、何ですか? はっきり言ってくださいっ!」
ずい、と一歩総司に向けて歩を進めたセイの体が強い腕に包まれた。
「なっ、何をなさるんですっ! まだ私をからかうおつもりですか?」
「・・・から・・・です・・・」
怒りに眼を吊り上げて男の腕から逃れようと暴れていたセイの耳元に、
ひどく頼りない声が落とされた。
「は?」
聞き取れなかった言葉をセイが聞き返した。
「・・・・・・・・・だって、わからないんですもん・・・」
「何がわからないんです?」
どうやらふざけているようでは無さそうだと、セイが総司の腕の中で暴れるのを止めた。
けれど総司は押し黙ったまま言葉を続けようとしない。
「沖田先生?」
先を促すように、大きな背中に手を添える。
「だって・・・貴女が失われてしまったら、私は平気なんかじゃないのに
全然わかってくれないし・・・。忘れられる存在でいい、って。
その方が安心して命を捨てられるなんて・・・」
セイを抱き締める腕が力を増した。
「貴女が死んでしまったと聞いた時、世界から色も音も失われてしまったんです。
それぐらい私は貴女を大切に思っているのに、貴女ときたら全然自分の命を
大切にしてくれないじゃないですか・・・」
呟くような声音が掠れていく。
「どうしたら貴女にその気持ちをわかってもらえるのかって、ずっと考えていたけれど
私は土方さんや斎藤さんのように考える事は得手ではないし・・・」
「だからずっと一緒にいて、私の事を監視していたんですか?」
セイの言葉に総司ががばりと顔を上げた。
「違いますっ! 監視なんかじゃありませんっ! ずっと一緒にいたら、
そして少しでも役に立てたら私がどんなに貴女を大切に思っているかが
伝わるんじゃないかと思ったんですっ!」
セイの瞳を見つめながら必死に言葉を連ねる男の姿が、その心情を余さず伝えてきた。
セイの面に春の陽射しを受けた花が綻ぶが如き穏やかな笑みが広がってゆく。
至近でそれを見た総司の顔が一瞬で紅潮し、それを見られぬように
慌てて再びセイの肩に面を伏せる。
「ありがとうございます、沖田先生。先生のお気持ちは確かに受け止めました。
自分の命を軽んじたりなどいたしません」
総司の耳元に柔らかな吐息が掠めていく。
「けれど沖田先生をお守りするためでしたら、いつでも私は命を差し出します」
「それはっ!」
ちっとも理解してないという事じゃないか、と抗議しようとした総司の唇に
細い指が当てられた。
「ですから、先生はいつものように誰よりも強く誰にも負けない武士でいてください。
私のような微弱な力など必要としない、強い強い武士で・・・」
セイの瞳に悪戯めいた輝きが瞬いている。
それを見ながら総司も理解した。
自分が危険に晒されなければこの愛しい人が命を投げ出す必要も無いのだろう。
そして自分が近藤のためであれば命を捨てるように、この人の信念も
何があろうと曲がる事は無いと知る。
ぐっと再び腕に力を込める。
「本当に頑固なんですからね、貴女は」
「師匠譲りなのかもしれませんね」
くすりと腕の中で笑いが零れた。
何だか自分ばかりが空回りしていたようで、総司としては面白くない。
あれこれと思い悩んでいるうちに、恋情に振り回されて意識し過ぎていた
セイとの距離も気にならなくなっていた。
そうなると自分ばかりが心配して、自分ばかりが意識していた事が
どうにも悔しくなってくるのだ。
何か、何かこの人にも自分を意識させる方法は無いものか。
必死に頭を動かしている総司の眼前には白く細い首がある。
にんまりと口元を吊り上げ。
「きっ、きゃぁぁぁっ!」
――― どんっ!
セイが悲鳴と共に総司を突き飛ばし、その腕の中から飛び出した。
片手は首筋を覆っている。
「な、何をっ、一体何をしたんですかっ!」
「ちょっと私の物というシルシを・・・」
「シルシって、シルシって!」
先程までの穏やかな表情はどこにも残っていないセイの瞳は涙が滲んでいる。
「だって私のためなら命を捨てられるんでしょう? 私も近藤先生のためなら
同じ気持ちですし、私だったら近藤先生にシルシをつけられたら
嬉しいぐらいですけどねぇ・・・。貴女は違うんですか?」
まるで自分の気持ちは近藤を思う総司の気持ちより弱いものだと言われたようで、
セイの負けず嫌いが頭をもたげる。
「わ、私だって!」
「嬉しいですか?」
総司の瞳が挑発するように瞬いた。
「う、嬉しいですっ!」
どれほど胸の内が複雑であろうと、セイにはその言葉しか許されていなかった。
「だったら消える前にまたつけますね。けして消えたりしないように、ずうっと」
「ず、ずっと?」
セイの眼が大きく瞠られ、顔がどんどん赤くなる。
「ええ、貴女が私の事などどうでもよくなるまで、ずうっとです。
ああ、心配しないで良いですよ、襟で隠れる場所にしてあげましたから。
さすがに誰にでも見える場所は、いらぬ好奇心を引き寄せますからね」
先程までの頼りない男の風情はどこにもない。
セイの眼前には悪鬼のような性質の悪い笑みを浮かべた男が立っている。
何やら酷い疲労感に座り込みたくなった。
そんなセイの手を掴み上げ、総司が歩き出した。
「昼餉が途中でしたからね〜。もう片付けられちゃってるでしょうから、
外に行って何か美味しい物を食べましょう」
憂いの消えた清々しい笑顔を浮かべて総司が歩む。
その背を見つめながらセイが続く。
いつまでもこうしていられますように。
その祈りは繋がれた手の平を通して互いの間を行き来し続けた。