夏夜の風物詩
夏の風物詩といえば決まっている。
「・・・でよ? その女が障子を開けると・・・そこには海に沈めたはずの男が・・・」
――― サラリ
計ったように障子が開いた。
「きゃぁぁぁぁぁっ! きゃあ、きゃぁ、きゃぁぁぁぁぁぁぁぁっ!!」
甲高い悲鳴が室内一杯に響き渡った。
「・・・・・・・・・なんの騒ぎだ?」
障子を開けた土方が思い切り顔を顰めて部屋を見回した。
それも道理だろう。
じっとしていても汗が吹き出すような夏の宵だというのに、狭い部屋を締め切って
数人の男達が車座になっているのだ。
その中心には蝋燭が一本だけ灯され、頼りない光を放っている。
突然開かれた障子と直後の悲鳴のどちらに驚いたのか知れないが、今の今まで
語り続けていた原田が大きく息を吐いて背後の土方に答えを返した。
「いやぁ、あんまり暑いんでな。少し涼もうかと思って怪談話をよ・・・。
・・・にしても・・・」
原田の視線が土方から移動すると室内の人間の視線もそこに向けられる。
「・・・役得v」
華奢な隊士にしがみつかれた男がニンマリと表情を崩すと同時に
腕の中から小さな姿が引き剥がされた。
「まったくっ! 武士でしょう、貴女は!
幽霊話如きに何を騒いでいるんですか!」
至極真っ当な説教をしているようでも、その実セイが隣に座っていた自分では無く、
逆隣にいた永倉にしがみついた事が気に入らないのだと誰もがわかっている。
この男は弟分としている小柄な隊士が何に置いても自分を一番としなければ
気が済まないのだから。
「・・・・・・スミマセン・・・・・・」
セイが小さくなりながら謝罪する。
その姿を見ていた土方が口端を歪めた。
「怪談か・・・面白ぇじゃねぇか。とっておきのを聞かせてやるぜ」
江戸の夏には怪談がつきものだ。
奉公していた時も、行商をしていた時も、うんざりするほど聞かされたそれらを
惜しみなく土方が語り出した。
日頃は隊士の誰もが震え上がる自分の怒声さえも小憎たらしい表情で
聞き流すセイが、必死に平気な顔を繕いながら無意識に少しずつ
隣に座す総司に擦り寄っていく姿に人の悪い喜びを感じて。
短い怪談を二つほどした後で土方が僅かな間を空け、セイを眺めた。
きつく唇を噛んで総司の腕を抱え込むように縋りついているその姿は
小動物のようだ。
「なんだ、神谷。怖ぇのかよ、てめぇは」
「こっ、怖くなどありませんっ!」
慌てて総司の腕を離したセイがつんと顔を背けた。
「ほほぉ。それにしちゃ随分と顔色が悪いようだがな」
元々話術に関して秀でる男が、持てる技の全てを使って語るのだ。
作り話と現実の境が見極められなくなったセイが怯えるのも無理は無い。
「顔色が悪く見えるのは蝋燭のせいです。私は武士ですから、この程度の話を
怖がったりなどいたしません!」
「ふふん、言いやがったな。じゃあ、極めつけの話・・・」
「か、神谷さん! 貴女はそろそろ寝る時間でしょう!」
土方の言葉を遮った総司を原田達が一斉に批難する。
「邪魔するんじゃねえよ、総司」
「そうそう。土方さんの怪談なんざ滅多に聞けるもんじゃねぇんだし」
口々に言いながら総司に向けられる視線の中には、邪魔をするなら
部屋から追い出すぞ、という脅しが含まれていた。
「そうですよ。大人しくしててください、沖田先生!」
セイにまで言われては総司も口を噤むしか術は無い。
これ以上口を挟んだところでこの悪餓鬼共は自分を追い出してでも話を続けるの
だろうし、意地っ張りのセイの事だ、大人しく部屋に戻りはしないだろう。
それなら今はこの場で成り行きを見守り、いざという時に対処するべきだろう。
こういう時の土方の意地の悪さを熟知している身としては
この先の騒ぎを予想できる。
「・・・・・はぁぁぁ・・・・・・」
総司が大きな溜息を吐き、座りなおした。
「それ以来どういう訳かわからねぇが、その手が移動するらしくてな。
何の係わりもねぇ家の厠に現れちゃぁ穴の中へと引きずり込もうと
するって話だ・・・」
土方が喉を湿らせるために茶を口に含んだ。
だいぶ短くなった蝋燭の灯心が頼りなく揺れ、男達の影をゆらゆらと
奇妙に引き伸ばす。
羽虫が明りに誘われたのか、静寂の中に突然響いたジジッという音に
セイが小さく身震いする。
「ああ、それからな。どうやらその手は厠だけでは飽き足らなくなったらしく
家の中のあちこちに現れやがる。すぅっと冷たい風が吹く夜に畳や床から
細くて青白い腕がするりと生えて、がしりと足首を握られたが最後、その腕の下に
いつの間にか現れた底も見えない穴の中に引きずり込まれるんだとよ・・・」
――― コクリ
セイの喉が小さく鳴った。
その怯えようにニヤリと笑った土方が話を終える。
「その穴、どこに繋がってるんだろうなぁ?」
「っ、知りませんよっ、そんな事っ!」
からかいめいた響きで自分に向けて投げられた言葉に視線を逸らしながら
そっけない答えを返すが、セイのふっくらした頬は強張っている。
言葉と同時に土方が背後の障子をほんの少し、後ろ手に開けた。
土方とセイのやり取りを眺めていた男達にはわかっていたが
顔を背けたセイには悟られない。
開いた障子の隙間から涼やかな夜風が部屋に吹き込んだ。
――― フッ
ただ一つの光源だった蝋燭が風に揺らいで消えた。
「っっっっっっっっっ!」
押し殺したセイの悲鳴を感知した男達が笑い声を飲み込む。
土方の意地悪い行為も、火にくべた栗のように威勢の良いセイをからかうには
格好の素材となるのだから。
「ほう・・・。今夜は随分冷たい風が吹くなぁ・・・」
「っ!」
セイが反射的に伸ばした手の先には求めたものが無かった。
灯りが消えると同時に男達がセイから総司を引き離していたのだ。
(ん〜〜〜! んん〜〜〜! ん〜〜〜〜〜〜!!)
原田に押さえつけられ、藤堂に口を塞がれた総司の声は闇に沈む。
「沖田先生?」
パタパタと総司を探して畳を叩く音が響く。
「な、永倉先生?」
振り返ったセイが永倉の姿を求めて手を伸ばす。
「原田先生? 藤堂先生?」
夜目の利く男達にはセイが不安げに周りを見回す姿が見えている。
「おきた・・・せんせい・・・?」
細く細く震えるようなセイの言葉が室に落とされ。
同時に再び冷たい風が障子の隙間から吹き込んできた。
「ひっ・・・」
男達は揃って綺麗に気配を消し去っている。
一流の剣客だ。
その程度の事は造作も無い。
ひとり気配を殺していない総司だったが、むしろ少し離れた場所で
原田と無言の格闘を繰り広げながらズリズリと畳を擦るような音を
響かせる得体の知れない存在として、セイの恐怖を煽るだけだった。
カタカタと小さく震え出した華奢な隊士の様子を見て取った土方が
仕上げとばかりに音を立てずに背後へと回り、落ち着かなく膝立ちになった
セイの足首をグイと掴んだ。
「っっっっっっっっっっ!! やだっ、やだっ、やだっぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!
いっやぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁあああああっ!!」
屯所どころか近隣全てに響き渡るような悲鳴が上がった。
泣き疲れて眠ってしまったセイを片腕に抱いた総司が
目の前に並んで正座した男達に冷たい眼を向けている。
隣には近藤と山南が仁王立ちとなっていた。
「・・・トシ・・・お前は少しも成長していないのか?」
近藤が呆れたように呟いた。
まだ総司が幼かった頃、ほぼ同様の行為をして散々周斎に説教されたはずだ。
「君達も同罪だ」
日頃は温厚な山南が批難を込めた視線で藤堂達を見据える。
「いや、だってよぉ・・・」
何事か言い訳をしようとした原田が、鋭い視線を総司に投げられて口を閉ざした。
「まだ子供なんですよ? この人は・・・」
そっと触れた瞼は泣き膨れて熱を持っている。
普段であればあの程度の怪談になど怯える人ではないはずだが
土方の話術に煽られて恐怖心が増した状態で、闇の中足首を掴まれれば
さすがに限界だったのだろう。
恐慌に陥って泣き続けるセイを宥めるのに総司と山南がどれほど苦労した事か・・・。
まろやかな頬に残る涙の跡を指で辿って小さな溜息を落す。
「しかもつい先頃家族を失ったばかりの・・・。それを大人達が寄ってたかって」
その言葉にはさすがの土方も罰が悪そうに視線を逸らした。
あまりに激しいセイの泣きように、確かにやりすぎたかとも感じていたのだから。
「この子が目覚めたら、ちゃんと謝ってくださいね」
にっこり笑う総司は勿論、近藤と山南から向けられる重圧に
男達は揃って頷いた。
翌日の宵。
「悪かったと思ってるんだぜ。だからよ、お前が厠へ行く時は
俺達が番をしてやるから心配すんな」
「いや、お気遣い無くっ!」
「遠慮するなって、なぁ、ぱっつぁん」
「おお。詫びの気持ちだ。安心して用を足しゃぁいい」
「お二人が外に立ってなどいたら、安心どころか落ち着いてできませんよっ!」
「まぁまぁ」
「まぁまぁ」
「まぁまぁって、どこへ連れて行くんですかっ!」
「そろそろ寝る時間だろう。良い子は寝る前に用を足しとくもんだ」
「そうそう。寝しょんべんなんぞしたら笑い者だからなぁ」
「はっ、放せぇぇぇ!!」
男達の謝罪の気持ちは明後日の方向へと突っ走るようで、
いずれにしても年若な隊士は幹部達の格好の玩具となるらしい。
背景 : 小山奈鳩様