向き不向き




いつものようにセイが洗濯物を干そうと幹部棟の裏庭へ来ると
何やら耳に馴れた男の怒声が響いている。

「今日は、何ですか?」

隣に立っていた一番隊組長を見上げる。

「原田さんみたいですねぇ」

くすくすと笑みを漏らした男がセイの手から洗濯物の詰まった籠を持ち上げて
干し場へ向かう。

「原田先生がいったい・・・あ!」

何かに思い当たったらしい部下の様子に総司が頷いた。

「ええ。あの件ですよ」

「ふぅ・・・だから原田先生には無理だと言ったのに・・・」

呆れた色の濃いその言葉に総司が苦笑した。

「無理とわかっていても譲れない武士の意地があったんじゃないですか?」

その言葉にセイが眉根を吊り上げる。

「譲れない程の武士の意地なら、何があろうと請け負った仕事はなすべきです!」

ある意味最もなその言葉に総司も視線を泳がせた。




「だ〜か〜ら〜。悪かったって言ってるじゃねぇかよ・・・」

原田の言葉を土方は聞き流す。
最初から言っていたのだ。
この仕事は原田には向かないと。

それを己を軽んずる言葉だと憤慨して無理矢理抱え込んだ挙句、片付ける期限の
今日になって「出来ない」と言い出したのだから怒るなという方が無理だろう。

「もう、いい。やはりてめぇに任せた俺が間違いだったというだけの事だ」

冷たい土方の言葉に大きな体を小さく竦めた原田の視線が畳に落ちる。



「まぁまぁ土方さんよ、そのあたりで勘弁してやっちゃくれねぇか」

原田の背後に座っていた永倉が穏やかに取り成す言葉を挟んだ。

「ぱっつぁん・・・」

振り返った原田の眉が情けなく垂れているのを見やって、永倉が言葉を継ぐ。

「左之の不手際は俺達でなんとかするからよ。今日のところは大目に見てやっちゃ
 くれねぇか。この通りだ」

軽く下げられた永倉の頭を見ながら土方が腕を組んだ。



「いいじゃないですか」

そこに吹き込んだ風のような声が場の重苦しさを緩和する。

「明日の朝までに片付ければ良いんでしょう? 私達も手を貸しますから
 どうにかなりますよ。ねぇ、神谷さん?」

自分の背中から室内の様子を覗き込んでいる愛弟子に総司が微笑みかけると
釣られてセイがコクリと頷いた。

「明日の朝までだぞ・・・」

苦虫を噛み潰したごときの土方の言葉に男達がにんまりと笑みを浮かべた。




「おい、トシ・・・何の騒ぎだ?」

局長室から幾らも離れていない空き部屋から、日頃は聞かれる事もない
喧騒が響いてくる事に近藤が首を傾げた。

「阿呆共が左之の不始末の尻拭いを手伝ってやがるんだよ」

不機嫌に吐き捨てられた土方の言葉に近藤が微笑を浮かべる。

「ああ、やはり無理だったか・・・」

「誰も彼もわかってた事を、ぎりぎりまで意地を張りやがって、あの馬鹿が」

吐き捨てるような土方の言も最もな事だと近藤も理解しているが、それでも
そんな原田を助けようという仲間達の気持ちが愛しいと感じるのだ。

「明日の朝までだったな?」

近藤の確認の言葉に土方が眉間の皺を深くする。

「ああ・・・だが、あんたまで手助けなんてするんじゃねえぞ。
 左之が調子に乗りやがる・・・」

けれど土方のそんな言葉も近藤は一笑に伏した。

「困った時は相身互いってものだろう。細かいことを言うなよ、トシ」





京都守護職であり、新選組の管理者である会津藩へ定期的に
隊の活動に関する報告書を出すのは当初からの決まりである。
いつもその書類を作成している隊士がたまたま体調を崩していて、
誰か他の者に仕事を任せようとしていた土方の元に原田が顔を出した。
困っているなら自分がやってやると男気を見せたまでは良かったが
その仕事は最も原田に向かない報告書作成。
お前には無理だ、と無造作に言い放たれた土方の言葉に意固地になって
無理矢理請け負ったのだ。

完成品だけを見れば一冊に纏まった薄い冊子でしかなくとも、その実は各組長、
監察方から集められた日々の巡察や諜報報告から必要な部分を抜粋し精査し
要約した上で一定の体裁に整える必要があるのだ。
その他にも浪士達の動きや市井に流れる不穏な噂の真偽、あるいはその出所など
内容は実に細かく多岐に渡る。

本来は知に秀で、その作業に馴れた隊士が数日かかりきりになる仕事なのだから、
大雑把な原田に最も向かない仕事である事は明らかだったのだ。

その結果がこの喧騒となった。



「兄上、ここはどう書けば」

「ああ、そこは・・・」

形式を重んじる公式の報告書だ。
セイにしても細部に関しては斎藤の知識に頼る事になる。

「すまねぇな、神谷」

「私には?」

「おめぇは手伝わなくていい、総司」

申し訳無さそうにセイに小さく頭を下げる原田に総司が自分を指差して
同様の言葉を強請ったが、ぷらぷらと手を振られた。

「ひどいですねっ! だったら神谷さんも連れて行きますよ」

ぷうっと頬を膨らませた総司が憤然と立ち上がろうとする。

「うるさいですよ、先生方! 原田先生、手を動かしてくださいっ!」

「神谷さんっ! 原田さんなんて放っておいて甘味を食べに出かけましょう!」

セイの怒声にも怯まず、総司がその手を掴んだ時。

「お前にはお前のできる事があるだろうが。子供のように拗ねるんじゃないぞ」

柔らかな井上の声にしぶしぶと頷いた。
確かに書類作成などは原田同様に自分も苦手な部類だ。
セイのように役に立てるとは言えない。

「そうですね。私も自分にできる事を頑張りますっ!」

気持ちも新たに目を輝かせた総司に声がかかる。

「そうそう、お前にもできる事がある。水差しの水が無くなった。
 汲んで来てくれ」

「はい、永倉さん・・・って、私の仕事ってこんな事ですかっ?」

「沖田さん、茶が欲しいな・・・」

「斎藤さんまでっ! ひどぉい・・・」

しくしくと畳に蹲って涙する総司の頭上から穏やかな声が響いた。

「私も仲間に入れて貰おうか」

いかつい顔を四角に崩した近藤が立っている。
仲間達の顔にも笑みが広がり、原田の瞳が潤んでいる。

「近藤さん・・・」

「こら、左之。この程度の事で何を泣きそうな顔をしてるんだ。
 ほら、清書が必要な書類を回せ」

「すまねぇ・・・」

「ったく、てめぇらは公式書類の書き方の体裁も知らねぇのかよっ!」

「・・・土方さんまで・・・ぷぷぷっ・・・」

近藤の後ろから入ってきた男の姿に総司が口元を押さえた。

「総司っ! 何を笑ってやがる! 妙な書類を会津に提出してみろっ、
 隊全体の恥になるんだぞっ! それを放っておけるか!」

空いていた文机の前にドサリと座った土方が、ふんっ、と鼻息を荒くした。
くすくすと笑う仲間から顔を背けているが、耳まで赤くなっていては
照れ隠しの言葉だと白状しているようなものだった。


「神谷君。ここは我々が手伝うから、君の美味いお茶を煎れてきてくれないか」

先程の話を聞いていたらしい近藤の言葉にセイが顔を上げた。

「神谷君ひとりでは大変だろうから、総司も手伝ってあげるといい」

このままこの場に居ては際限なく土方をからかいそうな男の事も
ついでに面倒を見ろという事だろう。
セイが苦笑を浮かべながら総司の腕を掴んで部屋を出た。




「ああっ、もう。これからが楽しいのに〜」

土方で遊ぶ気満々の総司は不満顔だが、セイは気にせずそのまま賄所へと向かう。

「副長の機嫌を損ねたら、仕事に支障が出ます。
 沖田先生は大人しくなさっていてください」

「皆して私を邪魔扱いするんですから・・・」

賄所で湯を沸かし始めたセイの背を見やって総司がぶつぶつと呟いた。

「邪魔なんかじゃないでしょう?」

振り返ったセイがにこりと笑う。

「誰しも向き不向きがあるっていうだけです。沖田先生や原田先生はこの仕事が
 向いていないだけで、戦いの中では絶対的な輝きを放つんですから」

その言葉に総司の表情がみるみる明るくなった。
だが、次の瞬間に小さく首を傾げる。

「ねぇ・・・でも、それだったら斎藤さんは? 斎藤さんはどっちも立派にこなしますよね?」

ふと思いついて口にした言葉にセイの面が輝いた。

「だって兄上ですからっ! 兄上は凄い方なんですよっ!」

まるで自分の事のように誇らしげな声音に、今度こそ総司の頬が本気で膨れた。

「・・・神谷さんってば、斎藤さんの事は全肯定なんだ・・・」

ぼっそりと呟いて顔を伏せた男はまるで幼子。
床に指先で何やら文字を書きながらぶつぶつと文句を言っている。

「えっ? お、沖田先生っ?」

何がこの男を落ち込ませたのか気づかないセイも、やはり野暮天女王なのだ。
慌てて総司の隣にしゃがみこむ。

「どうしたんですか、先生?」

「・・・・・・どうせ私なんて水汲みやお茶運びしか出来ない人間ですよ」

言葉の途中でセイが笑い出した。

「だから、言ってるじゃないですか。沖田先生の輝きが発揮されるのは
 こんな場所じゃないんですって。局長も副長も沖田先生の剣の腕を
 どれほど信頼されているか」

「・・・・・・(貴女にも信頼されたいんですってば)・・・・・・」

そんな心の声が聞こえたようにセイが言葉を続けた。

「勿論私も信頼してますし憧れているんですよ。
 沖田先生の冴えた冬月のような剣を・・・」

空を見つめるセイの瞳は、憧れ焦がれる色を滲ませる。
その視線の先にいるのは自分だと感じた総司の頬が染まりだし、
同時に我に返ったセイも頬を染めた。

しゅんしゅんと鉄瓶が立てる音の中で互いに泳がせていた視線を絡ませる。
この武士の後ろについてゆきたいという想いと、この大切な人の視線の先に
常にあり続けたいという想いを乗せた視線を。

言葉にする必要も無く、互いの気持ちは相手に伝わった。





「・・・って事は何か?」

盆に乗せたお茶を運んできた総司とセイの足が止まった。
障子の向こうから土方の多分に怒りを含んだ声が響いたからだ。

「夫婦喧嘩で女房に『剣術以外何も出来ないろくでなし!』と罵られたから
 この仕事をさせろと意地になったって事か?」

土方の声音が低くなる。
これはかなり怒りの度合いが増している証拠だ。

「い、いや。まさの言葉だけじゃなくてよ。土方さんも『おめぇには出来ねぇ』
 って言い切るから・・・・・つい・・・・・・」

不気味な静寂が広がった。
総司が自分の背後にセイを押し込み障子から一歩下がる。


「出来ねぇもんを、出来ねぇって言うのは当然だろうがっ! この阿呆がっ!」

屯所を揺らす怒声に重なるようにガタリと大きな音が室内から聞こえ。

「うわっ!」

「ああっ!」

「おいっ!」

男達の悲鳴が響いた。


「っ! てっ、てっめぇっ! 腹を切れっ! こっの馬鹿野郎がっ!!!!」

声と共に音を立てて障子が開き原田が逃げ出していった。
恐る恐る室内を覗き込んだ総司達の視線の先には、清書した文書を重ねた上に
落ちた硯とそこから流れ出し紙に染み込む墨の模様。

恐らく土方の剣幕に怯えた原田が蹴飛ばした文机から転がり落ちたのだろう。
けれどそれは書きあがったはずの文書の全てを書き直す必要があるという事だった。

「「・・・・・・・・・・・・・・・・・」」

総司とセイが言葉を失って立ち尽くした。

「・・・・・・総司。左之の野郎をとっ捕まえてこい・・・。切腹なんぞ生ぬるい。
 暫く休み無しで働かせてやるっ!!」

土方の怒りの深さにさしもの総司も原田を追う為に走り出した。
今のこの男には何を言おうと火に油を注ぐだけだという事は八才の時から
身に沁みている。

「ぜってぇ逃がすんじゃねぇぞっ!
 捕まえられなかったら、てめぇも同罪だからなっ!」

鬼の叫びが屯所に響き渡った。




その後、総司に捕獲された原田は土方の言葉どおり、休み無しで働かされ続けた。
恋女房に会う事も許されない男が、日々干からびていく様子を哀れんだ
仲間達からの嘆願でようやく土方が許しを与えたのは一月後の事。

けれど二度と書面に関わる仕事が回される事は無かったという。