君へ贈りたい




「ねぇ、土方さん」

いつものように副長室をふらりと訪れた総司が、土方のうっとおしそうな空気にもめげず、
肩にもたれるように擦り寄ってきた。

「今、何か貰えるとしたら、何が欲しいですか?」

突然の問いに土方は眉ひとつ動かさず返す。

「うるさいガキが部屋から出て行って、訪れる静けさが欲しい」

「も〜、そんなものじゃなくって〜。何か買える物ですよ〜。
 ちゃんと考えてくださいよ〜」

口を尖らせて総司が言い募る。

「別に欲しいもんなんざねぇよ。いったいどうしたってんだ?
 何でそんな事を聞きやがる?」

いかにも面倒そうに問う土方に、総司は上目遣いでぼそぼそと話しだした。



「こないだ多摩から近藤先生や私達に荷が届いたでしょう?」

先日近藤宛に多摩から色々と送られてきたのを、土方も思い出した。
中には多摩の縁者達からの便りと共に、近藤には妻女のツネから、
土方と総司にはそれぞれの姉ののぶとミツから、
丁寧に縫われた夜着の単や草履などが詰められていた。

「嬉しくて隊士部屋に戻って神谷さんに見せたんですよね。
 姉さんが縫ってくれたんですよ〜、子供達の世話で大変なのに
 私の事も忘れないでくれて嬉しいです、って」

そこまで言うと視線を伏せて、無神経ですよね私ってば、と呟いた。

「神谷さんもにこにこして、良かったですね、って言ってくれたんですけど。
 “優しいお姉さんでいいですね”って・・・すごく淋しそうに聞こえたんです。
 神谷さんには、そうやって気遣ってくれる人はいないのに、どうして私って
 こんな事にも気づかなかったんでしょうか」

しゅんと項垂れる弟分の頭を土方は殴りつけた。

「身内がいないやつなんざ、隊内にはいくらでもいるんだ。
 一々そんな事を気にしててどうするっ!」

「だって神谷さんですよっ! あの人一倍人懐こい子が、淋しくないわけが
 ないじゃないですかっ! 土方さんは冷たいっ!」

殴られた頭を摩りながら涙目で土方にくってかかる姿は、とても二十歳もとうに過ぎた
男とも思えず、もう一度殴りつけたくなる衝動を土方は無理やり押し留めた。

「で? せめて家族の変わりにお前が神谷に何か贈ってやろう、って事か?
 しかも何にしていいか思いつかなくて、俺の知恵を借りたいと?」

呆れ交じりの土方の言葉に総司がこくこくと頷いた。

「神谷さんってば特に何かを欲しがったりしないし・・・。二年以上も一緒にいるのに、
 私があの人に贈ったものなんて大刀二振りだけなんですもん」

(以前鞘に笄のついた大刀を贈った時、それはそれは怒ったあの人だから
 櫛だの簪だのなんて贈っても絶対に喜んでくれないでしょうし・・・)

という言葉は胸の内だけで呟いて。


「ねぇ、土方さん、何か考えてくださいよ〜」

しつこい弟分の言葉に土方の眉間に皺が寄る。

「大刀を二振りもやったってのか? 安い買い物じゃねぇだろうが」

「あぁ、それはね、お兄さんの形見の大刀を私が折っちゃったのでお詫びの分と、
 もう一本は・・・」

何かを含むような視線で総司が土方を見た。

「神谷さんって威勢が良いわりに力が弱いから、あの人に合った刀を
 探してたんですけどね。土方さんのおかげで運よく古川さんっていう、
 とても立派な刀工と知り合いになれたもので、お願いして作ってもらったんですよ」

土方の本気で嫌そうな顔にくすくすと笑いを零しながら総司は続ける。

「神谷さんの腕に負担にならず、けれど威力は私達の大刀にそれほど劣らない。
 そんなものを古川さんと色々相談するのは楽しかったなぁ」

「おい、和泉守兼定の大刀なんざ端金で済むもんじゃねぇぞ。
 そんな高価なもんをあのガキにやったっていうのか?」

土方が顔色を変えた。

「えぇ、斎藤さんにも五十両じゃ利かないって脅されましたけどね。
 まぁ頼んじゃった後だったし、それで神谷さんの命を守る
 助けになるならいいか・・・と思っていたら」

困ったように総司が笑う。

「古川さん、“自分の勉強のために打ったものだから、和泉守の銘も切ってないし
 お代はいらない”って受け取ってくれなかったんですよ。
 さすがは土方さんを好きになる人ですよね、素敵な人です」

総司の言葉に突っ込みどころが多すぎて、さすがの鬼も頭を抱えた。






――― いっそ神谷の女にでも聞きやがれ!

どの言葉に切れたのかは不明だったが、怒りに満ちた声と共に
背中を蹴り飛ばされた総司は土方の部屋を追い出された。
だが怒れる兄分の言葉は総司の目から鱗を落したらしく、そのまま里乃の元へ赴き、
事情を話して力を借りる事となった。
けれどあれこれと総司が選ぶものといえば、どうしても女子を意識したもの
ばかりとなってしまい里乃もほとほと困り果てていた。

里乃から何度目かの「そんなもん、神谷はんを困らせるだけどす」という
駄目だしをくらって離れた小間物屋から次の店に向かって歩んでいた途中、
ふと眼をやった古物商の店先に淡い水の色に雪輪が浮かぶ茶碗を見つけた。
二つ並んだそれの片方は総司の手にすっぽり隠れるほどの湯呑茶碗で、
もう一つはそれよりも一回りほど大きいものだ。

総司が足を止めた事に気づかなかった里乃が振り返り戻ってくる。

「あれ。・・・あれ、いいですよねっ!」

キラキラとした瞳は茶碗から離れようとしない。

「え? でも沖田センセ、あれは夫婦茶碗やし・・・って、センセッ!」

里乃の声も聞こえぬように総司が暖簾を上げて店に入っていった。


「すみません。あの店先の茶碗を頂けませんか?」

その言葉に主人らしい五十がらみの恰幅の良い男が、総司の示した場所に
チラリと視線をやり眼を剥いた。

「や、堪忍、堪忍しとくれやす! あれはあんな場所に置いてええもんやなし。
 そうそう譲れるもんと違いますんや!」

その表情が赤くなったり青くなったりする様子から、その言葉が総司を若侍と見縊って
値を高く吹っかけようとしている訳ではない事を示していた。

「そんなに価値のあるものなんですか?」

小さく首を傾げた武士に店主はコクコクと頷いて返す。

「温故堂の旦那はん、お邪魔はんどす」

総司の後ろから入ってきた里乃が朗らかに声をかけた。
どうやら里乃が店に出ていた頃の馴染みだったらしく、里乃の口利きで
詳しい話を聞くことが出来た。


この茶碗は鍋島焼でしかも鍋島藩が門外不出として藩が一切の売買を始めとする
取扱を仕切っている逸品なのだという。
特にこの雪輪・・・六花模様の青磁は藩主が考案したという物で、将軍家への献上か
大名家への進物としてのみ取り扱われるものなのだ。
それが昨今の手元不如意の某大名家から一点が売却され、それに続くように
雪崩を打って市場に流れるようになった。
けれどそうとしても簡単に下級武士程度が手を出せる品では無い。
店先に出ていたのも、下働きの者の不手際で誤って置かれていただけの事だという。


「なるほど・・・。それでは確かに容易く売れる品ではありませんねぇ」

小さな溜息を吐きながら雪輪茶碗を手に取った総司がしげしげと見つめる。
日頃自分達が使う無骨な茶碗と違い、透明感のある水色の椀は薄く儚げだ。
これを手にするセイの姿を見たいと思ってしまった。

「ですが、私もどうしてもこれが欲しいんです。お幾らですか?」

「沖田センセ・・・」

呆れを交えて里乃が零した言葉に店主が反応した。

「沖田はん?」

「へぇ、新選組の沖田先生どす」

京の町人に今でも壬生狼と忌まれている新選組だ。
その中でも人斬りの代表格として恐れられている男が目の前にいるという事に
店主が震え上がった。
その様子を見て総司が苦笑する。

「別に刀にものを言わせて手に入れたりなどしませんよ。これは私がとても
 大切にしている弟分に贈りたいと思った品なんです。人様に迷惑をかけて
 手に入れたりしたら、それこそその人に叱られてしまいますから」

くすくすと笑う様子は人斬りの陰惨さなど微塵も感じさせない。
店主が視線を向けた先では里乃が微笑んでいる。
緊張感を緩めた店主がようやく価格を口にした。

「っ、そんなにするんですか?」

総司の口から驚きを形にした言葉が放たれる。
それはそうだろう。
たかが二客の湯呑茶碗の価格が平隊士二月分の棒給に相当するのだ。

「これは大店のご隠居はんが道楽で手に入れはる品や。沖田センセのような
 お武家はんには手に余るもんと違いますやろか」

「そうえ。沖田センセ。こんなん貰ても神谷はんかて困るだけや思うえ?」

店主と里乃が口を揃えて総司を留めようとする。
総司にしても二人の言葉が正しい事を頭では理解しているのだが、
どうしてもこの茶碗を手放したくないのだ。
理由はわからないながら、その強い想いに総司は従った。

「・・・これをいただきます。今すぐは無理ですが、来月の末までには
 必ず金子を揃えて持参いたします」

必死なその様子にとうとう店主が首を縦に振った。





「早く、早く、神谷さん!」

非番の日、総司に屯所から連れ出される事はいつもの事だが
どうやら行き先はいつもの甘味処ではないらしい。
それでもワクワクとした感情を抑えきれない総司の様子を見れば
悪い事ではないのは明らかで、セイも大人しく後に続いて歩いてきた。

「え? ここって、里乃さんの家じゃないですか」

不思議そうなセイの手を掴むと総司が中へ声をかけた。

「里乃さ〜ん、お邪魔しますね〜」

そのまま返事も待たずに居間へ座り込むとセイを手招きする。

「沖田先生? いったい・・・」

訳のわからないセイが総司の前に座ると奥から出てきた里乃が
その膝先にことりと茶を置いた。

「あっ、すみません里乃さん。勝手に上がらせてもらってます」

礼儀正しく挨拶をしたセイの言葉に小さく笑う里乃の視線は
茶碗に落とされたままだ。

「? あれ? これって・・・」

何かを感じ取ったセイが茶碗を持ち上げてしげしげと見つめる。
それが町家で使うような物ではない事は一目瞭然だった。
隊で上等な客に出す茶碗にしてもこれほど品が良くは無い。
少なくとも総司より審美眼に秀でているセイには、
これがたいそう価値のある物だと察し取れた。

「一体どうしたんですか? これってただの茶碗じゃないでしょう?」

無造作に茶を淹れてある事がいっそ不思議で里乃に尋ねると
里乃ではなく総司が答えを返してきた。

「ね? 綺麗だと思いませんか?」

「え、ええ。とても美しいと思います」

セイの言葉に総司が満足そうに微笑んだ。

「気に入りました?」

「え?」

「沖田センセからおセイちゃんへの贈り物なんよ、それ」

照れからか中々続きを口にしようとしない総司に代わって里乃が説明する。

「“自分は神谷さんの兄代わりなんだから、たまにはご褒美ぐらいあげて
 当然なんですっ!”ってすごい勢いで買い物に付き合わされてなぁ。
 挙句“これじゃなきゃ絶対に駄目です!”やて。おセイちゃんの給金の
 二月分も注ぎ込むんやから、しょうもない兄様や思うわ」

「さっ、里乃さんっ! そんな事まで言わないでくださいよ!」

総司が慌てて里乃の言葉を遮った。
時折総司の口真似を交えた里乃の言葉に嬉し涙を滲ませていたセイだったが、
聞き逃せない言葉に涙が引っ込み、茶碗を持ったまますっくと立ち上がった。

「神谷さん?」

怪訝そうに見上げてくる総司を見下ろす表情は焦りに満ちている。

「何を考えているんですか、沖田先生っ! こんなものに十両?
 し、信じられない!」

「あ、それ一個じゃないんです。もう一個ありますからもしも壊れたら
 そっちを使ってくださいね。でも屯所では駄目ですよ。
 あそこじゃすぐに誰かが割ってしまうに決まってますし。
 里乃さんにお願いしましたから、この家で使わせて貰ってくださいね」

何でもない事のようにニコニコと告げられた言葉にセイの眉が吊り上った。

「どこにあるんです、それっ! これを綺麗に洗って、それと一緒に返しに行きましょう!
 お願いして引き取って貰うんです! こんな品、分不相応にもほどがあります!」

「駄目ですよ」

穏やかに返された言葉だったが、そこからは強い意志が伝わってきた。

「それは私が貴女に買ったものなんです。だから誰が何を言っても聞く気はありません」

笑みを浮かべたままの男が愛しげにセイの手の中の茶碗を見つめている。
長い付き合いと言えるほどの時間は過ごしていないが、この男がこんな表情をして
口にした言葉は、近藤でさえ覆す事が難しい事ぐらいは知っている。
セイが大きな溜息を吐きながら再び腰を下ろした。

「先生? どうしてこんな茶碗にそんなにこだわるんです?」

元々物に執着する性質ではない男がここまでこだわるとは、
何か深い理由があるとしか思えないのだ。
そのセイの問いに総司が首を傾げた。

「う〜ん・・・。最初に見た時に“これだ”って思ったんですよね・・・。
 キンと冷えて透き通った、雲ひとつ無い冬の空に舞う雪が浮かんで。
 雪って儚くて、けれど清らかで、それが何だか神谷さんみたいだなぁ、って。
 そう思ったら何だか手放せなくなって・・・って、何を言ってるんでしょう、
 私ってば・・・」

まるで睦言のようだと気付いた総司の顔が瞬時に紅潮し、同時にセイの面も
鏡に映したように色を増した。

――― くすくすくす

互いに次の言葉を発する事が出来なくなったふたりの間を埋めるように
軽やかな笑い声が響いた。

「まるで沖田センセはおセイちゃんを手放せなかったて、言うてはるみたいやな」

里乃の言葉に益々総司の頬が赤く熟れる。

「せやったらもう一個の方を沖田センセが使たらええんやない?
 ちょうど夫婦茶碗なんやし」

「め、夫婦茶碗?」

もう一個あるとは聞いていたが、予想もしていなかった言葉にセイが目を見開いた。
それと同時に慌てて総司が手を振った。

「駄目ですよ! それはいずれ神谷さんの旦那さんになる人が使うべき・・・
 あっ・・・」

しまったという顔で口元を押さえる男の顔をまじまじと見つめながら、
ようやくセイの中で話が全て繋がった。


確かに茶碗を見てセイを連想し、手放し難くなった事は嘘ではないだろう。
けれど女子の身ながら隊にいるセイが、いずれは総司の元を離れて誰かの下へと
嫁ぐ事を常にどこかで考えずにはいられないのだと思う。
その時の嫁入り道具の一つとしてでも持たせたいと考えたのではないだろうか。

視線を改めて茶碗に向けると青磁の肌は白みの強い冬空の水色をしている。
総司の脳裏に浮かんだように雲の無い冬空に雪が舞うとしたなら、
それは風に運ばれての事だろう。
儚い雪の欠片は風に抱かれているという事に、この男はきっと気づいていない。


――― ふぅ・・・

セイの口から溜息が零れ、総司がそっと視線を落とした。
こんな事を言ってしまえばセイが受け取ってくれないだろうと唇を噛む。

「これは“神谷清三郎”への贈り物なんですよね?」

“やはり返しに行きます!” という言葉を予想していた総司が驚いた顔で
セイを見つめ頷きを繰り返す。

「そ、そうです。神谷さんへの贈り物です!」

「でしたら・・・もう一個は沖田先生がお使いください。夫婦茶碗としてではなく、
 師弟茶碗として」

つい、とセイの指先が薄い茶碗の肌を撫でた。

「師弟・・・茶碗・・・ですか?」

嬉しいのか困ったのかどちらとも言えない表情で総司が問いかける。

「はい。神谷が常に師の手の中にある証として」

顔を上げたセイの面には照れくさそうな笑みがある。
話の途中で席を立っていた里乃が、同じ模様の、けれど一回り大振りな
雪輪茶碗に茶を淹れて総司の前に置いた。
それをそっと手の平で包んだ男が苦笑を浮かべる。

「困りましたね・・・これじゃ本当に手放せなくなってしまいそうです」

「手放す必要などないでしょう。弟子は命有る限り師に付き従うものですから。
 沖田先生だって局長から離れたりなさらないでしょう?」

「ええ、勿論」

「つまりはそういう事です」

「参ったな・・・」





そっと場を外した里乃が抑えきれない笑いを漏らした。
何の事は無い、互いに相手への恋情を師弟関係に摩り替えて
確かめあっているだけではないか。

「なぁ、山南はん。あのふたり、いつかはちゃんと向き合えるんやろか」

――― 大丈夫だよ・・・。

どこかで優しい答えが返された気がして、里乃は穏やかに微笑んだ。



                     背景 : 小山奈鳩様