紅葉踏み分け
「神谷さ〜ん、紅葉狩りに行きましょう!」
秋も深まった非番のある日、総司がセイを誘ってきた。
想いを寄せる男からの誘いにセイが二つ返事で同行したのは当然の事。
ましていつものような甘味処への誘いではなく、この男にしては珍しく
風情ある誘いなのだから。
そしてふたりが辿り着いたのは嵐山だった。
京都の西。
桂川を越えたその場所は錦の彩りに染まっている。
「うっわぁ〜」
セイが感嘆の声を上げたのも最もだろう。
燃えるような赤、輝きを纏った黄、僅かに残る緑の葉がそれらを引き立たせ
真実自然の作り出した色彩の競演と見えた。
山裾でその鮮やかな美しさに見とれるセイの手を引いて総司が歩き出す。
「ほらほら、もっと近くで見ましょうよ。そのために来たんですから」
ぎゅっと握られた手の平の温かさにセイの頬がほんのり染まった。
すっかり秋の気配となった風は頬をひんやり撫でてゆく。
「本当、真っ赤に染まってますねぇ」
感心しきったように総司が呟いた。
時折はらはらと降ってくる椛の葉は夕陽よりも濃い赤だ。
黄色や茶色に枯れている葉の中にあって、そこだけは焔を置いたような鮮やかさに
意識をせずとも眼が惹き寄せられる。
燃え上がる如き深紅。
命の終焉を目前にして、一際激しく輝くのだろうか。
ふとそんな思いが浮かび、セイが寂しげに瞳を伏せた。
「綺麗ですね・・・」
かけられた声の先を見上げると染み入るような笑みがあった。
何だか嬉しそうなその気配に小さく首を傾げたセイの髪へと
総司がそっと手を伸ばす。
「日差しに照り返された椛の赤が神谷さんの頬を染めているんですよ。
それがすごく綺麗だなぁ、って。だから、こうしたら・・・」
髪に真っ赤な椛を一枝挿した。
「ああ、やっぱりもっと綺麗になった」
子供のように無邪気に笑う男の様子に、いつものように怒る事もできず
セイは視線を彷徨わせる。
じわじわと頬に熱が上がってくるのを抑えられず、闇雲に歩き出そうとした時、
ふわりと身体が拘束された。
「そんなに真っ赤になって・・・。まるで貴女まで秋に染まってしまったようですね。
それとも秋を司る龍田姫に変化したのでしょうか」
背中から覆いかぶさるようにして耳元に落とされた声は甘く優しい。
「そんな秋の女神にお願いがあるんです・・・」
囁くようなその言葉に、今ならこの男のどんな我侭でも聞いてしまいそうだと
セイの胸が震えた。
たとえ一時だけ女子に戻り、幻の逢瀬を望まれようと。
頬を染め、走り出す鼓動を宥めながらセイは総司の次の言葉を待った。
「栗、取りますから、栗ご飯を作ってくださいv あ、栗の甘露煮もv」
その日、嵐山の一角では怒りに満ちた阿修羅の奮戦により、栗は勿論
柿もアケビもことごとく持ち去られたという。
けれどそれらが怒りの根源である男の口に入る事は・・・
無かったらしい。
〜〜〜 紅葉踏み分け その後 〜〜〜
「おい・・・。何で沖田先生が泣いてるんだよ」
非番のこの日、皆が思い思いに充実した時間を過ごした夕餉の席で
相田が隣の山口に問いかけた。
「沖田先生がああなる原因なんて一つに決まってるだろう」
苦笑交じりに戻って来た答えに相田が肩を落とした。
「またかよ・・・」
日頃は仲睦まじい御神酒徳利は時々派手なケンカをやらかす。
ケンカは仲の良い証、と笑っていられるのは、二人を遠巻きに見ている者達だけである。
同じ一番隊に所属している自分達はほとんどの場合、このふたりの諍いに巻き込まれ
散々な目に合うのだから笑い事では無いのだ。
「で・・・今回の原因は?」
「あれらしい・・・」
ぼそぼそと言葉を交わした男達の視線の先、膳の並べられた広間の中央には
「好きに食え」とばかり、蔓籠にアケビや山葡萄がこんもりと盛られている。
自分達の膳の上も柿ナマスやきのこ汁、栗ご飯まで季節の恵みで満ちていた。
「あれ?」
広間を見渡していた相田の視線が総司の膳で止まった。
しくしくと涙を零している男の膳の上には秋の味覚が一つも無い。
ご飯はほこほこと湯気を立てているし、美味しそうな煮物や卵焼きまで揃っているが、
皆の膳とはあきらかに違う。
「・・・沖田先生の膳・・・」
相田のつぶやきに山口が頷いた。
「どうやら栗拾いに行った先で沖田先生が何かをやらかしたらしい。
神谷が激怒して先生には仕置きとして秋の味覚は食わせないんだってさ」
まるで子供への仕置きだが、自分達の上司にとって
何より堪えるものなのは確かだろう。
そこに神谷の怒りの深さを見た二人は、同情を含んだ視線を向けた。
その視線の先では空腹に耐えかねた男が目の端に涙を残したままで箸を握り、
食事を始めていた。
まずは野菜の切れ端が浮くだけの昼餉の残り物らしい味噌汁を一口。
物欲しげな目で隣に座るセイの膳に載るきのこ汁を見やるが、
セイは素知らぬ顔をしている。
諦めたように飯茶碗を片手に持ち、栗の風味だけが残る米を掬い上げた。
途端、ぱぁぁぁっと総司の面が輝いた。
「あれさ・・・」
「ああ、神谷が沖田先生の茶碗からは栗を全部ほじくり出してたはずだが、
欠片でも残っていたんだろうな」
まるでこの世の幸せ全てがその箸先にある一口の飯に詰まっているかのような
総司の表情に、男達は憐憫の情を禁じえない。
そんな部下達の哀れみの視線の先で歓喜の気を放ち続ける男は、大きく口を開いた。
「あ、まだあったんですか」
箸の先にあった飯粒の塊に華奢な指先が伸び、ひょいっと小さな黄色い欠片が
持ち去られた。
(((((あああっっ!!)))))
周囲から一斉に声無き悲鳴が上がった。
当の総司は箸を持ち上げたまま固まっている。
「駄目だって言ったはずです」
にっこり笑う阿修羅の言葉に意見できる者はここにはいない。
溢れそうな涙を湛えた男がすっくと立ち上がった。
「かっ、神谷さんの意地悪ぅぅぅぅぅっ!!!!」
残響だけをその場に置いて泣きながら走り去った男のいた場所には、
同情に満ちた溜息が集まった。
その夜半。
あまりにも不憫な上司の様相を見かねた部下達によって、各々の膳から少しずつ
栗ご飯を集めて作った握り飯がこっそり総司に差し入れられた。
それを副長室で涙ながらに貪り食う男の姿は、後々までの語り草になったという。
これが秋のある日の本当の顛末。