金太郎と一寸法師
八坂神社の祭礼は賑やかだ。
境内のあちこちに見世物小屋や飲食物の屋台が立ち並び、小さな空き場所にも
大道芸人が入れ替わり立ち代りに現れる。
そんな中、古今無双の力持ち『女人金太郎』が話題を呼んでいる。
足柄山の金太郎で馴染みの深いその名の通り、熊でこそないが熊と見紛う大男を
軽く投げ飛ばすその姿は確かに女子である。
並みの男よりも背丈は高く、豊かな胸と引き締まった腰、けれど固く鍛えられた筋肉が
ただの女子ではないと語っている。
隊内の噂でそれを聞きつけたセイが興味を持ったのも当然と言えよう。
「え〜〜〜、と・・・。このあたりのはずなんだけどなぁ」
浮かれた人々の波は途切れる事がなく、祭りの賑わいを一層盛りたてている。
夏にひと月を通して行われる祇園会の規模には及ばないが、春先の今催されている
五穀豊穣を祈る祈念祭も充分に大掛かりだった。
明日には舞殿において神楽笛や琴、篳篥の音を従えた『浦安の舞』が神へと奉じられる。
だが厳かに行われる神事をよそに、庶民はあちらこちらの出店や見世物に夢中だ。
江戸や大坂に限らずどこの地においても祭りは庶民の楽しみなのだから、
神事そっちのけで周辺が騒がしくなるのも最もかもしれない。
「ふぅ・・・人が多すぎてわからないよ〜。あ、あれかな?」
重なるように立てられている幟旗の向こうから一際大きな歓声が上がった。
人波を掻き分けてそちらへと向かったセイの耳に、激しく怒鳴りあう
男と女の声が飛び込んできた。
「やいやいっ! いつになったらこの金太郎様に勝てるんでい?」
「う、うるせいやいっ! 今日はちょっくら腹具合が悪かっただけのこった!」
「ほほう。昨日は頭が痛ぇと言ってたが、明日は腰でも傷めなさるんかのぉ」
頬に振りかかっていた髪を一束指に巻きつけながら、さも可笑しげに投げられた言葉に
男の顔は紅潮し、周囲の人垣からはどっと笑いが上がった。
腕に覚えのある者を観衆の中から募り、相撲まがいの取り組みをしてみせるのが
この興行の目玉である。
中には女に負けた悔しさから、この男のように連日通い詰める者も出てくるらしい。
「明日こそはお前を地べたに這い蹲らせてやるからなっ! 覚えとけっ!!」
どこでも代わり映えのしない捨て台詞に観客から失笑が漏れる中、
男が人垣から飛び出していった。
「おやおや、そんなに厠を我慢してたんじゃろうかのぉ」
どこからか持ち出したマサカリを肩に乗せた女子が小馬鹿にしたように呟くのと同時に、
仕切りの小男が中央に進み出て、口上を述べ始めた。
その声を後ろにしてセイは女子の控えとなっている小屋へと足を向けた。
押すな押すなの人混みを抜け、ぐるりと裏手に回ると芸人達の休む仮小屋が
幾つか並んでいる。
先程も立っていた幟旗と同じ物が入り口の筵の上にかかっている場所を確認して、
セイが恐る恐る声をかけた。
「あのぅ・・・すみません・・・」
「はいよっ!」
威勢の良い声が聞こえ、ガタガタと騒がしい音を響かせながら件の女子が顔を出した。
「おやまぁ、お武家様」
流れ者の芸人に会いに来る者は少なくない。
たまたまその場に居合わせた近郷の名士が、次は我が村へと話を持って来る場合もあるし、
時には邸の奥で日々を暮らす奥方を始めとした女子達の無聊を慰めようと、
名を伏せて家臣を向かわせる殿様もあるという。
小姓にしか見えないセイの姿を一瞥して、今回もどこかの殿様が近習を送ってきたのかと
判断した女子が衣服を繕いながら愛想笑いを浮かべた。
「どちらのご家中のお方か存じませんが、拙芸披露に関しましては親方を通して」
「い、いえっ! 違いますっ!」
言葉の途中でセイが慌てて手を振った。
「私は誰かの遣いで参ったのではありません。ご迷惑は重々承知なれど少しだけ
お話を伺わせていただきたく、こちらにお邪魔させていただきました」
ペコリと頭を下げると女子が吐き出したらしい溜息が聞こえてきた。
割の良い仕事を持ってきた客ではない事に落胆したようだ。
「次の出まで時間はあるけどね、タダじゃないよ」
「あ、勿論です。先程拝見した分も含めて、些少ながら」
セイが懐から紙包みを取り出そうとする前に女子が小屋の中に引っ込んでしまった。
「あ、あの?」
「何やってるんだ? 入んな!」
「はいっ!」
強い口調に促されて、半ばまで捲くれ上がっている筵の中へとセイは足を踏み込んだ。
外光を取り入れるのは入り口だけという粗末な仮小屋の中は薄暗かった。
周囲には何に使うのかセイには想像もできないガラクタめいた道具が置かれている。
他には誰も居ない狭い小屋の真ん中に座った女が『梓』と名乗った。
「私は新選組の神谷清三郎と申します」
武士としての礼をとったセイの姿を上から下まで梓が眺める。
「新選組・・・ねぇ・・・」
京での滞在が短いとはいえ、新選組の名と評判ぐらいは耳に入っている。
鬼のような人斬り集団。血も涙も武士としての矜持すら無い野良犬の集まり。
耳にするのはおおよそそんな話ばかりだっただけに、眼前に座す身なりの整った若衆が
意外に感じて仕方が無かった。
「あ、別に詮議の筋ではありませんからっ!」
慌てたように言葉を続けたセイに梓がくすくす笑いを零した。
「いや、まぁ、詮議されたところで出るホコリはこっちばかりだしね」
脇に置かれていた衣服らしき塊を持ち上げてバサリと一度振って見せると、
薄闇にも関わらず細かい埃が舞い広がるのが見えた。
「ぶっ、ぐほっ、げほっ!」
背後にある入り口に向かって飛来する埃を見て、慌てて袖で口元を覆ったセイだったが
一瞬遅く盛大にむせ返る。
「あはは、ごめんごめん。それで聞きたい話って何だい?」
金太郎を意識してか肩の上でざんばらに切られている髪をうっとおしげに撫でつけて、
梓が問いかけた。
「し、失礼しました。あの、実は・・・実は・・・ええと・・・」
ちらちらと梓の腕や足に視線を走らせながら、セイが言葉に迷っていた。
きちりと正座した膝に置かれた手が、幾度も握りかえられる。
その様子を黙って眺めていた梓が痺れを切らした。
「さっさと言いなっ!」
「は、はいっ! どうしたらそのように逞しい身体になれるのか、
ご教示いただきたいのですっ!」
「はぁ?」
セイの言葉を聞いた梓の口から、間の抜けた声が放たれた。
「って事はあれかい? どんなに剣の修行とやらをしても、どうにも細くて頼りない身体なんで、
私みたいにドッシリガッチリしたい・・・と?」
「はい、そうなんです」
はぁ・・・と梓が大きな溜息を落す。
話を聞けばわからないでもない。
セイの身体を改めてじっくり見直して、内心で大きく頷いてしまった。
噂によれば日々命の遣り取りをしている集団の中にいるというのに、
女子か陰間かと思えるほど華奢なこの姿では不安もあろう。
とはいえ。
「そう言われてもねぇ・・・」
難しげな表情を浮かべると共に身体の前で組まれた梓の腕は、セイの太腿よりも太い。
ずいっと膝を進めたセイが、その逞しい二の腕を握り締めた。
「お願いしますっ! どんな厳しい鍛錬でもこなす覚悟はできています!」
「ちょ、ちょっと落ち着きなよ、あんた」
「どうしても強くなりたいんです! 守りたい人がいるんです! その為にはもっと強く
どんな事にも耐えられる身体が必要なんですっ! だからお願いしますっ!」
あまりに必死なその形相に、梓が思わずセイの肩を押し戻そうとした。
「・・・・・・華奢だねぇ、神谷さん」
思わず漏れた言葉は心からのものだった。
無駄な肉の一つもついていない事は触れただけでもわかったが、
同時に筋肉の内にある骨格の具合も感じ取っていた。
掴んだ肩の骨はあまりに細い。
元が違う・・・考える必要も無い歴然とした事実がそこにはある。
梓の片手でポキリと折れそうな程に細い首をしている眼前の武士は、
そんな事を百も承知でいるのだろう。
それでも守りたいものの為にと必死な様子を見ればその切実さも伝わってきたし、
無理だと一言で突き放す事を躊躇う何かを、この小柄な武士は持っていた。
面白半分で自分に会いに来る者とは違い、教えを乞う真摯さを漂わせる者を
無下に扱えるほど梓も人が悪くなれない。
「あのね、私の生国はずっとずっと北の国なんだ」
華奢と言われて悔しげに俯いてしまったセイの月代を見やりながら、
梓が訥々と語りだした。
「豊かとはいえない山村じゃ少しずつでも開墾して、田畑を広げなければ
家族は生きていけない。幼い頃から荒地に転がる大きな石を運び上げ、
太い木を切り、頑丈な根を掘り起こす。ずっとそういう暮らしをしてきたんだ」
のうのうと町中で暮らしてきた自分が、長くそういう暮らしをしてきた人間と
同じものを求めるのは間違っていると言うのかと、セイの拳に力が入る。
「でもさ、村の中には私と同じに働きながら、いつまでたっても
細っこいヤツも大勢いたんだよ」
その言葉にセイが顔を上げた。
「貧しいから肉がつかないって言うんじゃないんだ。ただ生まれつきそういうタチだ、
って事なんだろうさ。人間には持って生まれた資質があるんだ。私は元々こうだった。
あんたにはあんたに見合う何かがあるんじゃないかね」
わかっていた事だ。
わかっていた事ではあるが、悔しい思いを抑えられないセイが肩を落とした。
どうにか気を持ち直したセイが差し出した礼金の入った紙包みを梓は受け取らず、
あと数日この場で興行をするから、また遊びにおいで、と笑いながら見送ってくれた。
振り返ればその姿が目に入る間は気力を奮い立たせて背筋を伸ばしていたが、
じきに力が抜けて肩が落ちてくる。
無理だとわかっていたけれど、どうしても欲しかったのだ。
確かな強さの下地となる頑強な身体が・・・。
とぼとぼと力無く屯所へ戻るセイの背後から声がかけられた。
「神谷君? 珍しいな、君と町中で会うなんて」
「局長?」
振り返ったセイの表情を見た近藤が一瞬首を傾げ、そのまま乗っていた馬から下りた。
「私は黒谷の帰りなんだ。神谷君はこれから何か用でもあるのかい?」
「いえ。私も帰営するところです」
門限まではまだ刻がある。
「ではたまには私と一杯やらないか?」
唐突な近藤の言葉にセイの目が見開かれた。
下っ端の平隊士を局長が呑みに誘うなど有りえない事だ。
「そ、そんな。副長が心配されますから!」
「知らせをやるから大丈夫だろう。いつも総司や斎藤君とばかり過ごしているけれど、
たまには私の相手をしてくれても良いだろう? 一度は親子の縁を結ぼうと思った
間柄なんだからね」
悪戯めいた笑みで片頬にえくぼを刻んだ男は護衛の隊士に言伝を頼み、
先に立って近くの料理屋の暖簾を潜っていく。
セイが慌ててその背を追った。
供の者を先に帰らせ小さな料理屋に入った近藤に、ぽつりぽつりとセイが語る。
どれ程修行しても尊敬する総司のようには剣を振るえない事が悔しいのだと。
精一杯鍛えても自分の腕は細いままで、以前総司に言われたように腕の力が弱いために
敵と切り結ぶ時に力負けしてしまう。
素早さだけが取り得としてそれを磨いているが、あくまでもそれは奇襲に近い戦法であり、
総司のように正道の実力ではない事が悔しい。
このままでは守りたい武士の力になるどころか、いつまでも足手まといのままではないか。
それが不安で恐ろしい。
黙って話を聞いていた近藤が小さく微笑んだ。
「総司に憧れる気持ちはわかるよ。君は最初から総司に育てられたのだからな。
言ってしまえば君にとって、総司の姿が武士そのものなのかもしれない」
その言葉にセイが頬を染めた。
近藤にそんなつもりが無いのはわかっているが、まるで自分の恋心を
言い当てられたかの気持ちになったからだ。
「けれど総司は特別なんだ。あれは天性の剣の才を持っている。
誰も真似る事のできないものだ。わかるだろう?」
セイがこくりと頷いた。
同じ天然理心流を学んだだけに近藤と井上の剣は似ている。
けれど総司の剣は似ているようであきらかに違った。
他流派で揉まれた実戦主義の雑多な土方の剣ともまた違う。
天然理心流を下地としながら、より強くより早くより鋭い、沖田の剣というものだった。
「高い場所に近づこうと努力する事は大切な事だ。けれどけして手に入らない物を
得ようと望むのは愚かな事だと思わないかい?」
けして手に入らないもの。
男ならばこそ持ちえる鋼のような強靭な肉体。
いくら望もうと自分には得ることのできないものだ。
「私も歳も本気になった総司には叶わないかもしれない。けれど総司とは違う自分の剣を
持っている。それを磨き続ける事で総司に並び立っていられるのだと思うんだよ。
それは肉体が強固であれば得られるものではない。必要なのはたゆまぬ修練と
強い精神力だ。君にはわかっているはずだと思うが?」
(女子の自分を認めなさい。その上で貴女にしか得られない剣技を身に着け、
貴女らしい武士になればいい)
セイの耳に近藤の声の向こうから総司の声音が聞こえた気がした。
近藤が膳に置かれた盃を手にし、こくりと音を立てて中の酒を飲み干す。
空いた盃に酒を注いだセイがその場で身を正し、深く頭を垂れた。
「局長のお話、身に染む思いがいたしました」
「うん? そんなに大層な事は言っていないが?」
酒席でのたわいない話のつもりだった近藤が小さく首を傾げる。
「いいえ。いつも同じような事に躓き迷う自分の未熟さには呆れるばかりです」
何度も同じ悩みを繰り返す己の愚かしさ。
ましてそこから派生した愚痴めいた事を局長に聞かせるとは。
「ははは。君はまだ若いんだ。迷って当たり前だろう。私だってトシだって
若い頃には多いに迷い、馬鹿もやったものだ。それにね」
笑いを噛み潰した表情で近藤が腰を上げる。
「局長?」
「君が迷う事も無く完璧に独り立ちしてしまったら、淋しくて仕方が無い者も
ここにいるだろう?」
言葉と同時に開かれた襖の向こうには複雑な表情の総司が座り込んでいた。
「お、沖田先生っ! いつから!」
「いえ、今さっき・・・」
「じゃないだろう、総司」
近藤に断じられ、ほんのり頬を染めた姿が全てを語っている。
「話を聞いていたんですかっ!」
セイにしてみれば一連の話は、総司には聞かれたくない事ばかりだった。
守りたい、などと身の程知らずも良いところだと思われるに違いない。
セイの面が赤に青にと忙しなく色を変える。
どうしよう、どうしようと動揺しきりなセイを庇うように近藤が口を開いた。
「盗み聞きはいけないと、いつもトシに叱られているんじゃないのか?」
近藤にしては珍しい嬲るような言葉をかけられた総司の頬が僅かに膨れる。
「だって近藤先生が供を帰して神谷さんとふたりだけだっていうから」
「いうから?」
「ずるいじゃないですかっ! 私を仲間ハズレにするなんてっ! それに・・・」
「それに?」
「近藤先生が心配だったんですよぅ」
「この店は屯所からそう離れていないし、特に危険も無いと思うが。
まして池田屋の英雄が一緒にいるんだ、そう滅多な事も起きないだろう?」
その言葉に総司が大きく頭を振る。
「そうじゃなくてっ! 神谷さんが近藤先生にご迷惑をおかけするんじゃないかと!」
詮無い事を近藤に零した自覚のあるセイが視線を落すと同時に、
愉快で仕方がないとばかりに笑いが響いた。
「はははっ、結局総司が心配だったのは神谷君じゃないか」
「い、いえっ! 本当に近藤先生の事がっ!」
耳まで赤くして必死に言葉を重ねる総司を微笑ましく見つめていた近藤が
盃に残っていた酒を飲み干して立ち上がる。
「この分じゃトシも心配している事だろう。そろそろ屯所へ戻るとしようか」
店に入った時とは別人のように明るい顔をしたセイが大きく頷き後に従う。
「置いてかないでくださいっ!」
どこか不満気に頬を膨らませた総司もまた、共に帰営の途についた。
翌日、土方に命じられた黒谷への遣いの後で少し寄りたい所があるというセイに付き合い、
賑やかな一角に足を踏み入れた総司の表情が固まった。
筋骨隆々という言葉が相応しいざんばら髪の女子が、自分とそう変わらない体格の男を
頭上高く持ち上げ、そのまま投げ落とす場面を見てしまったからだ。
わぁぁぁっ、と周囲から歓声が上がり、さも当然とばかりに女子が顎を突き出す。
その雄姿へ総司の隣から一際高いセイの声が投げられた。
「梓さんっ! 恰好良いっ!」
それが届いたのか振り返った女子が、丸太のような腕をセイに向けてブンブンと振った。
多めの祝儀を親方と呼ばれる男に渡したセイが、すでに場を退いた梓の後を追って
裏手の仮小屋へと向かうと、小屋の前には梓が腕を組んで待っていた。
「梓さん、お疲れ様でした。さすがですよね」
「ふふっ、そりゃどうも。それで・・・」
梓の視線がセイの隣に立つ男へと向けられた。
「あ、こちらは私の上役で新選組の」
「一番隊組長、沖田総司です」
セイの言葉を引きとった総司が名乗り、にこりと微笑んだ。
「へぇ・・・アンタが噂の・・・」
マジマジと自分を見つめるぶしつけな視線に居心地悪さを感じ、総司がセイへと話を振った。
「ところで神谷さんはこの方とどういったお知り合いなんです?」
太い腕と厚い胸板、完璧に鍛えられたこんな身体の持ち主は、
腕が自慢の隊内にも居ないかもしれない。
先程からセイが向けている憧れとも羨望ともつかない眼差しも理解できた。
けれどセイの知人にいるとも思えない系統の人間だけに、疑問を持つのは当然だ。
「えっとですね。実は昨日、ちょっとした相談にのっていただいて・・・」
歯切れの悪いセイの言葉に首を傾げた総司だったが、続いた梓の話に眼を剥いた。
「私のように逞しくなる方法を教えてくれ、とそりゃ必死でね」
「ちょ、ちょっと待ってください。神谷さんがこの方のように、ですか?
嫌ですよっ! こんな風になっちゃったりしたらっ! 冗談じゃないっ!」
「・・・・・・失礼な男だね、あんた」
悲鳴のような自分の叫びに低い低い声が返されて、総司が二.三歩後ずさった。
それでもセイの腕を引いて懐に抱え込むと、必死に首を振る。
「でもですね、駄目ですこの人は。っていうか、嫌です、じゃなくて、無理です。
そう、無理に決まってるじゃないですかっ! あなたのようにはなれません!」
まるで梓が無理矢理セイを自分のように仕立てようと目論んでいるかの総司の言葉に、
唖然としていたセイが腕の中から抜け出して異議を唱えた。
「いい加減にしてください、沖田先生っ!」
「いい加減にするのは貴女の方ですよ! いつもいつも勝手に思いつめて、心配させて!
無理なものは無理なんだって、いつになっても理解しないで!」
「無理だって事ぐらい、よ〜くわかってます!」
「わかってないじゃないですか! 大体貴女が“こんな”風になれるはずがないでしょう」
嫌悪感も顕な“こんな”という言葉に、梓の眉間に皺が刻まれた。
「でも少しぐらい鍛錬の手掛かりになるかと思ったんです!」
「そんな鍛錬は無意味です! あの人が金太郎なら、貴女は一寸法師です!
一寸法師が金太郎の筋肉を付けてどうなります!
身体の均衡を欠いて剣どころじゃなくなるに決まってます!」
「一寸法師っ! そこまで言いますかっ!」
「とにかくっ! 貴女に“こんな”ゴツイ筋肉は不要です!」
「おい、こら」
またしても“こんな”と指された梓が不満気に口を挟んでも、二人の言い合いは止まらない。
「ええ、ええ、わかってますよ! 近藤局長にも諭されましたしっ!」
「それもですっ! どうして貴女は私に黙って他の人にばかり頼るんですっ!
貴女の上役は私じゃないですかっ! それを無視して!」
「無視したんじゃありませんっ! 今回はたまたまですっ!」
「今回ばかりじゃないでしょうっ!」
「うるさいっ!! 痴話喧嘩なら、余所でやれっ!!」
日頃屯所で聞き慣れている言葉だが、発した相手の怒気が段違いだった事に
ふたりが同時に口を閉ざし、そうっと声の方向へと視線を向けた。
そこには金太郎というよりも仁王像のような怒気を放つ女子の姿があった。
「あ、あの・・・」
申し訳無さそうにセイが身を竦め、総司も言葉を捜して視線を彷徨わせる。
そんなふたりに向かって梓が一歩を踏み出した。
「揃ってほん投げてやろうか? ああん?」
一瞬の空白を置いて伸ばされた太い腕を避け、セイと総司が走り出した。
走りながらセイが振り向き声を投げる。
「梓さん、またっ!」
「もう来るんじゃないよっ!」
そっけない言葉には親しみが滲む。
昨日の思いつめた気配は微塵も残らぬセイの姿に、梓の胸も軽くなっていた。
守りたいと必死になっている相手が誰なのかは、今の様子を見ていれば容易くわかった。
同時に大きく深い想いに守られているのだという事も。
激した感情のせいで言葉の端々にほの見えた上役とやらの悋気具合も微笑ましい。
あの男が一寸法師に打出の小槌を振っている限り、何の心配もいらない事だろう。
「また、ね。次はいつ会えるんだろうね。それまで生きてる事を祈ってるよ。
衆道のお二人さん」
駆け去る大小の背に向けた笑い混じりの梓の呟きは、社から響く神楽の音曲に紛れて溶けた。
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