乙女心とホトガラヒー




「沖田先生っ!」

セイがひどく真剣な顔で呼びかけてきた。

「はい?」

「あのっ、あのっ、お願いがあるんですっ!」

必死の気配に総司が先を促す。


「ホトガラを、もう一度撮っていただけませんか?」




また一緒に撮るのかと前回のセイの女子姿を思い浮かべて頬を染める男に
今度は総司一人で撮って欲しいとセイが願った。
以前のようなガラス板ではいつ何時割ってしまうかと不安にもなるが、
大坂屋与兵衛の所で紙に転載できる事を知ったのだ。
紙なら割れる気遣いも不要。
無残に割れたホトガラに愛しい男の不吉を感じて涙する事もないだろう。
あの時の身体の内から湧き上がる不安と恐怖は思い出したくもない。
けれど紙なら大丈夫。
そう確信したからこそ、お守り代わりに鬼神の絵姿を持っていたいと思った。

いつの時代でも恋する娘の思いは変わらぬものらしい。


とはいえ心の内を全て口にする事などできない以上、微妙にぼかした言葉の数々は
件の男の思考を大きく横滑りさせてしまった。

「なるほどっ!」

総司が大きく頷き立ち上がった。

「良い事を教えてくれましたね、神谷さん! 大切な人の絵姿は確かに
 お守り以上の効果がありそうです! だからねっ!」

きらきらと瞳を輝かせ、セイの手を握って立たせると音を立てて歩き出した。

「一緒にお願いしにいきましょう! 近藤先生にっ!」

「はぁっ?」

「何たって貴女も私も近藤先生スキスキ仲間ですし。誰より頼りになるのは近藤先生ですもの。
 ホトガラを撮っていただいて、それを一緒にお守りにしましょうねv」

「・・・・・・・・・!」


セイが総司の手を振り払って駆け出した。
さっきの言葉を言い出すまでにどれほどの勇気を振り絞った事か。
それを微塵も察する気配の無い男に、押さえ切れない怒りを感じたからだ。






「野暮天ヒラメっ! お前なんかホトガラに魂を抜かれちまえぇぇぇっ!」

「神谷?」

壬生の外れで怒りを解き放ったセイに、足元から静かな声がかけられた。

「ぅえ? ええっ? さ、斎藤先生っ? どうしてここにっ!」

「少し昼寝をな・・・」

小川のほとりは丈の高い草が生い茂っている。
その中に身を横たえていたせいで、セイの視界に入らなかったようだ。

「で?」

「は?」

軽く手招かれて斎藤の隣に腰を下ろしたセイが首を傾げた。

「ホトガラがどうしたと?」

相変わらず無表情の斎藤の問いに一瞬でセイの頬が色づいた。
今にも頭から湯気を出しそうなほどに動揺している。

「え、ええっと、あの、その・・・」

指先をつけたり離したりとせわしない姿が、内心の慌てぶりをそのまま現す。

(い、言えないっ! いくら兄上にとは言え、沖田先生のホトガラが
 欲しかったなんて言えっこないよぉっ!)

「ホトガラを撮りたいのか?」

セイの様子を見ていた斎藤がぽそりと尋ねた。
この好奇心旺盛な弟分であれば、興味を惹かれてもおかしくないと感じたからだ。

「いっ、いえっ! 私ではなくっ! じゃなくて、あのっ、ええとっ」

「あれは相当高価だと聞いているが・・・」

斎藤の言葉どおり当時のホトガラは、大名や裕福な公家、大商人など一部の者にしか
許されぬほど高価なものだ。

「そ、そうですよね。うん、そうだ。・・・そうです。私は里乃さん達の面倒も見ないと
 いけないんだし。いったい・・・何を無理な事を考えてたんでしょうかね・・・」

ばかみたいですね・・・。

消えそうな声で呟いたセイの言葉と同時に斎藤が起き上がった。

「沖田さんが一緒に撮るのは嫌だと言ったのか?」

唐突な言葉にセイがぽかんと斎藤を見つめる。
水の面を滑った風に頬を撫でられても見開かれた眼はそのまま斎藤から動かない。

「神谷?」

ようやく問いの意味を理解したセイの頬が、再び茹蛸のように真っ赤に染まった。

「な、わ、私はははっ、そ、そんな事は一言もっ!」

「聞かずともわかる」

そっけないとも言える口調の裏で斎藤が滂沱の涙を流している事など
野暮天女王は気づかない。
けれどその涙だけは伝わったかのように、大きな瞳から煌く雫が転がり落ちた。

「あ、あにうえぇぇぇ・・・」



「・・・ひっく、・・・っく・・・」

涙と鼻水と嗚咽を交えながら、以前総司と共に写真を撮った件から始まり、
それが割れてしまった事、代わりのホトガラを撮るようにと土方に金子を渡されながら、
再び割れる事の不安からそれをしなかった事。
けれど紙の存在を知り、憧れの武士である総司の絵姿が欲しくなった事などを
ぽつりぽつりとセイが語った。

「なるほど・・・」

懐から出した手拭いで弟分のグショグショに汚れた顔を拭いながら斎藤が頷いた。

セイ本人は単純に恋情を覚える男の絵姿を欲していると感じているようだが、
斎藤にはその裏に隠れているもう一つの気持ちが透けて見えた。
以前割れたという写真。
その時に感じた不吉の予感。
それが強烈な不安となってセイの胸の内に巣食っているのだろう。
だからこそ説明する間にも「紙だから割れないのだ」と幾度も繰り返していた。
新しく手にするホトガラには傷一つ、折り目一つつける事無く、
それを総司の身の無事と重ねて安堵したいのだろうと思われた。
唐突に家族を奪われた者だけに、心の内に蟠る失う事への恐れはたやすく無くなるまい。

いまだ未熟で己の心の奥底と対峙する術を知らぬ弟分を甘やかすつもりもないが、
放っておく事もできないのはやはり惚れた弱みなのだろうと斎藤は溜息を吐いた。

「・・・・・・俺では駄目か?」

「はい?」

真っ赤な瞳が斎藤を見返した。

「憧れの武士、とは違うだろうが、剣の腕では沖田さんと良い勝負のはずだ。
 アンタのお守り代わりにはなれると思うが、俺では役不足か?」

「い、いいえっ! そんな事はありませんっ!」

セイが慌てて首を振った。
総司とは別の意味で兄とも慕う憧れの存在なのだから、役不足だなどと有りえない。

「明日一番隊は非番だったな。その大坂屋とやらの所へ撮りに行くとしよう」

夕暮れが迫り川風が幾分冷たくなった中で斎藤が立ち上がった。

「え、で、でも・・・やはりそんな無駄遣いは・・・」

予想外の方向へと話が向いてしまった事に混乱しつつ、セイが小さく首を振った。

「その心配はいらん。ただし・・・」

「兄上?」

「撮るのはアンタも一緒だ。祐馬に見せてやろう」

これで全て決まったとばかりに斎藤がセイの腕を引いて立たせると、先を歩き出した。
困惑していたセイも、自分を慰めようという斎藤の気持ちが伝わったのか、
徐々に表情に明るさが戻った。
当初の願いとは違うが、大好きな大好きな兄上の絵姿だって欲しくないはずがない。

「ふふっ」

「どうした?」

押し殺した笑みを背中に感じた斎藤が振り返った。

「何でもありませんv」

「そうか」

泣いていたカラスが笑う様子に斎藤の頬も柔らかに和んだ。





翌日、非番の日の常として甘味処へとセイを誘おうと屯所内をうろついていた男の目に、
睦まじげに並んだ背中が飛び込んできた。
揃って黒い隊服を身に纏い、草履を履いて外出しようとしている。

「斎藤さんっ! 神谷さん!」

駆け寄った総司を振り返った斎藤の眉間にはくっきりと皺が寄っている。
セイは悪戯が見つかった童のように落ち着かない様子だ。

「二人揃って隊服なんか来て、どこに行くんですか? 何か仕事が?」

「いや、違う」

無愛想な三番隊長の声にもひるまず、総司がセイに視線を向けた。

「ええと、あのぅ・・・」

「ホトガラを撮りに行くだけだ」

口ごもったセイの言葉を引き継いで斎藤が告げた言葉に総司が首を傾げた。

「斎藤さんもホトガラを撮ってみたかったんですか?」

「ああ、まあな。コレと共に撮って、祐馬に見せつけてやるのも面白いと思ったんでな」

ポンと手が置かれた月代の下では、セイがはにかんだ笑みを浮かべている。

「で、でもっ! 土方さんに貰った金子で撮り直そうって言った時、神谷さんは嫌だって
 言ったじゃないですかっ!」

「だってまた割れたら縁起が悪いと思ったから・・・」

総司の剣幕に押されたように、セイが口の中でモゴモゴと呟いた。

「アンタは局長の絵姿を抱えていればいいだろう。俺達は俺達で」

言葉の途中で総司が反射的に叫んだ。

「私も一緒に行きますっ! 仲間ハズレは嫌ですっ! 着替えてきますから、
 待っててくださいねっ!!」






「本っ当に斎藤さんも神谷さんもイケズなんですから。いっつもいっつも私を仲間ハズレにして、
 二人だけで仲良くしてるし・・・」

「アンタ、まだそんな事を言っているのか・・・」

唇を尖らせてブチブチと文句を言い続けている隣の男を呆れた顔で見やった斎藤が、
そのまま背後へと視線を投げた。
そこには先日撮ったホトガラを受け取り、手の中の紙片を嬉しげに眺めるセイがいる。


あの日、ホトガラを撮りに行く途中も店の中でも、延々と悋気に満ちた愚痴とも苦情とも
つかないものを垂れ流していた男は、与兵衛が「動くな」と言った瞬間に反撃に出た。
二人に挟まれるように座っていたセイの肩へ手を掛けると、そのまま自分の方へと
引き寄せたのだ。
動くなと言われた以上動けずにいた斎藤とセイはそのまま固まったように
撮影が終るのを待つしかなかった。

そしてセイの手の中のホトガラには、眉間に深い皺を刻んだ斎藤と、困ったような嬉しいような
複雑な表情で微笑んでいるセイと、してやったりとばかりに満面の笑みを浮かべて
セイの肩を抱き寄せている総司の三人が、揃いの隊服姿で写っている。

いずれにしろ自分とセイのホトガラを見せつけて、総司がセイと共に撮る気になるよう
仕向けるつもりだったので、斎藤にしても限り無く不満な訳では無い。
だからこそセイが嬉しいなら自分も嬉しいのだ・・・と己に言い聞かせていたが、
あまりにしつこい黒ヒラメの様子に苛立ちも限界に到った。

「・・・アンタは大好きな局長のホトガラを抱いていればいいのだろう。
 次は邪魔をするなよ」

こめかみに青筋を立てた男の言葉に総司の足が止まった。

「次って・・・」

「次は次だ。俺の気持ちは言ったはずだ。アレの事は俺の好きにする」

いずれはセイを隊から抜けさせて自分の嫁に・・・確かに斎藤の想いは知っている総司だ。
斎藤であればセイを幸せにしてくれるはずだと確信している。
それゆえ一度はセイを手放す覚悟もした。

総司の視線が下がり、じっと地面を睨みつける。

だが。
セイは今もここにいる。自分の配下として、弟分として。
そうである以上。

「・・・・・・駄目です。まだ、駄目です。まだ斎藤さんのものではない」

足を止めた二人に追いついたセイが怪訝な顔をする。
それに構わず総司が言葉を継いだ。

「本人が自分で決めるまでは、誰の勝手にもさせません」

「沖田先生?」

「ほほう。つまりアンタは前言を翻す・・・というわけか?」

セイが斎藤の妻となる事に賛成だという言葉を撤回する、という意味かと重ねて問われ、
総司が視線を上げた。
ひたりと斎藤を見つめた眼差しは強い。

「決めるのは斎藤さんでも私でもない。そういう事です」

セイ本人が思いを定めるまでは、誰であろうと“自分のもの扱いは許さない”と
その瞳が語っている。
同時にセイの選択肢の中へ、自分も名乗りを上げた事にも気づいているのだろうか。

肝心な部分だけが抜け落ちたように幼い眼前の男から目を逸らし、斎藤が小さく頭を振った。

「兄上?」

話の内容は理解できていないながら敬愛する男達の間に流れる険悪な空気を感じ取って、
セイが不安そうに呼びかける。

「・・・大丈夫だ。内々の話で少し意見の相違があっただけだ。心配するな」

仕事の件だと匂わせてセイの問いを封じた斎藤が、ポンと弟分の月代に手を乗せてから
先に立って歩き出した。

「ええ、神谷さんは心配しないで良いですよ。さあ、帰りましょう」

続いて総司が小さな手を握って後に続いた。
納得できないながらも、繋がれた手の平に頬を染めてセイも頷いた。



背後の気配を感じながら、今回も厄介な二人の野暮天に関わってしまった斎藤は
心の中で大きな溜息をつくしかない。
誰がどう手出しをしようと、結局この二人は互いに手を伸ばしあい、
繋がれた手を離そうなどとしないのだから。
奇しくも今回のホトガラのように誰の入り込む隙間も作られる事はないだろう。
道化染みた斎藤の役割は馬鹿馬鹿しい以外の何ものでもない。

それでも。
ホトガラに関して抱いたセイの心の不安はこれで拭い去れたはずだと思えば、
兄分としての斎藤の胸が安堵を覚えるのも、また確か。

後ろから響く能天気なじゃれあい染みた、いつもの口論を聞くともなしに聞きながら
黙って歩を進める斎藤の唇が微かに弧を描いた。
その男の袖を華奢な腕が掴んできた。

「兄上っ! いつか兄上お一人のホトガラが欲しいですっ! 手本とすべき武士として、
 神谷清三郎、一生涯のお守りにしますからっ!」

キラキラとした瞳が真っ直ぐに見上げてくる。

「ああ・・・」

「兄上っ、大好きですっ!」

頷いた斎藤の肩にグリグリと額を押し付けてきたセイが、ベリリと音がするような
勢いで引き離された。

「お守りはそのホトガラで充分じゃないですかっ!」

「沖田先生では甘味に困らない、というご利益しか無い気がしますっ」

ツンと顔を背けたセイに総司が何やら必死に反論する。



兄分ふたりと弟分ひとり。
穏やかな午後の日差しに包まれて、ホトガラの中の笑顔が輝きを放った。




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