秋色の風景




「ねぇ、神谷さん」

ふいに呼びかけられた声音が、まるで紅葉の赤に吸い込まれてしまいそうに頼りなく、
不審を感じたセイが顔を向けた。
視線の先では声を発した男が真っ直ぐに東に連なる山並を見つめている。

「昨年も、この山は赤く染まりましたよね」

男の身体を包み込んでいるのは、濃い紫の実をたわわに実らせた山葡萄の蔓だ。
つい先程まで一心にその実を口に運んでいた幼子の如き表情はなりをひそめ、
今はまるで遠き未来を託宣する神官のような静やかな面を見せる。

「沖田先生?」

このまま自分の手の届かぬところへと離れていってしまうような不安を覚えて、
セイが小さく問いかけた。

「来年も、きっとこの山は紅葉に染まる。再来年も、その次も。
 変わらぬ時を刻んでゆくんでしょうね・・・」

セイに語るともなく呟く声音は相変わらず木立を走り抜ける風のように
感情という色を乗せはしない。
今までこの男は初夏の風を思わせる爽やかで涼やかな気質だと思っていたが、
この場で見せる静かな佇まいはセイの目に秋色の風を纏っているように映る。

「たとえ今年の葉が枯れ落ちても、芯たる幹は後継となる次代を育むのでしょう。
 巡り続ける営み。無限の志の連なり。・・・凄いことですよね。とても尊い。
 私には難しい・・・けれど貴女なら・・・」

途切れた言葉の先を秋風が山裾へ向かって吹き流していく。
物思うように伏せられた瞼が、引き締められた唇が、胸の内に隠された何かを
放とうか、堰き止めようかと惑い、ひどく苦しげに見えた。
山葡萄の蔓に引っかかるから、と外していた大刀を握る手に力が込められる。
無意識にセイの手が伸びた。


「繋がっていきますよ」

「神谷さん?」

大刀をぎゅっと握っていた総司の手に、そっと添えられた小さな手の平が温かい。

「近藤先生の志を守りたいという沖田先生の思いをいずれ誰かが継ぎ、
 その誰かの思いをまた別の誰かがきっと継いでくれるはずです。
 そうやってずっと繋がっていきますよ」

――― にこり

向けられた笑顔と共に小さな手の平に力が加えられ、優しい温もりが熱を増した。
それが嬉しくて、でも少し照れくさくて困った男が視線を逸らせる。

「神谷さんが継いでくれるんじゃないんですか? 冷たいですねぇ・・・」

「駄目ですよ」

一瞬の間も無く返った答えに思わずセイへと視線を戻すと
総司の手から優しい感触が離れ、数歩先の大樹の下へと場所を移す。

「私は沖田先生と一緒に局長のお力になるんです。こうして・・・」

――― ひらり

鮮やかな朱とくすんだ黄色にその身を染め、役目を果たした朽葉が舞い落ちる。
ひらり、と頭上へ降ってきた一葉を受け止めたセイが言葉を続けた。

「夏に緑となるのも、秋に色づき散る時も一緒です。先生の思いを継ぐ事はできません」

――― はらり

再び舞い落ちた一際色鮮やかな朽葉をセイが手に受け、もう一葉の上にそうっと重ねた。
小さな手の中でかさりと微かな音が鳴る。
その響きはこの可愛らしい人の手の平に包まれた事に、喜びの声を上げたようにも聞こえて、
総司の頬がほんのり染まった。
まるで自分の心が漏らした声にも思えたからだ。

――― こほん

小さく咳払いした総司が再び東の峰へと視線を向ける。
いつの間にか傾き出した日差しに照らされて鮮やかな木々の作り出す山の稜線が、
青空との間にくっきりとした境界を作り出している。
それらは明らかに異なり、けして相容れるはずのないもの達でありながら、
言葉などでは表現しつくせぬ美しさを描き出しているのだった。

たとえ異なるものであろうとも。


「一緒に・・・ですか」

「はい」

迷いの無い、確かな想いを伝える声音が木立の間に響いた。

「そう・・・ですか・・・」


日々女子としての輝きを増していく娘が気がかりで、今日こそは隊を離れる事を
納得させるつもりだった男は、いつのまにかその気が失せている自分に苦笑する。

いつまでもこのまま居られるものではない事など重々承知していようとも、
“ずっと一緒に”という言葉が嬉しいのだから仕方がない。
時につまづき立ち止まりながら、その度ごとにより強く逞しく、
そして美しく成長してゆく姿が愛しいのだから仕方がない。

それが当たり前の女子や武士の在り様と異なるものだとしても。
今日の所は、セイの両手に包まれた二葉の朽葉を言い訳にして。

微かに、ほんの微かに総司の目元が綻んだ。


「そう、ですか。嬉しい・・・ですね・・・」

風に紛れた言葉は、唇だけで紡がれる。



――― かさり、かさかさ

不器用な男を笑うように、色とりどりの朽葉達が辺りに舞い落ちた。

















「あれ?」

本日の収穫を満たした籠を両手に抱えたセイが、ゆるゆると山道を下る途中で
素っ頓狂な声を上げた。
慌て者の愛弟子が足を滑らせて遙か山裾まで転げ落ちて行かないようにと、
背後に意識を向けながら歩いていた男が振り返る。

「そういえば紅葉である必要なんて無いですよねぇ、沖田先生」

「はい?」

頭の中はすっかり屯所へ戻ってからセイが作るであろう秋の恵みに満ちた甘味に
占められている男には、放たれた言葉の意味がわからない。
唐突な言葉に首を傾げた。

「いっそめでたく松葉とか良いんじゃありませんか?
 ドンと大地に根を張った局長の松に張りついて、青々とした葉をピンと伸ばして
 秋が来ようが雪が降ろうが何年でも過ごすんです!」

良い事を思いついたとばかりのその表情を見て、ああ先程の話の続きか、と
ようやく総司にも理解できた。

「竹なんかでも良いですよね。こっちもおめでたいですし、局長が親竹でそこから地下の
 根っこで隊の皆がず〜〜〜っと繋がっているんです! それでうっかり副長の竹が
 花なんか咲かせちゃって“不吉だ〜”って切られたりして・・・あははははっ!」

自分の想像がよほど可笑しかったのか、セイが声を上げて笑った。
けれどまだ続きを語りたいらしく、必死に呼吸を整えて口を開く。

「そ、それでも切られた株の脇から前より元気な新しい芽を出すんですよ〜。
 副長だったら、絶対にそれぐらいします!」

ケタケタと身体を二つ折りにして笑う娘の籠から、コロリと柿が転がり落ちた。

「も、もう・・・神谷さんってば笑いすぎですよ。土方さんが聞いたら怒りますよ〜?」

自分の抱える籠を足元に置いて、セイが落とした柿を拾う総司の口元も震えている。
笑い出したらセイ同様に止まらなくなりそうで、笑いたいのを何とか我慢しているらしい。

「いいんですよ。どうせ副長なんて“一輪咲いても梅は梅”の人なんですから、
 “何が咲こうが花は花、ひと花咲かせて何が悪い!”って動じやしませんって。
 何度切られようと執念深く生えてくるに決まってます、にょきにょきって!」

「ぶっ! あっは、はっはっははははは。神谷さんってばっ!!」

とうとう我慢も限界に到った男が笑い出した。
腹を押さえてしゃがみこんだ背が、ひくりひくりと波打っている。

「もう、本当に、貴女ときたら・・・。あっははは、あははは!!」



笑いの止まらぬ男の手から力が抜け、握っていた柿が再び地に落ちる。
コロコロと勢いを増しながら山道を転がっていくそれは、総司の胸の奥に
微かに残っていた憂いも共に運んでいったのかもしれない。

頬を柿色に染めた男が上げる心から朗らかな笑声が、
秋色の風景の中で高らかに響き続けた。