ささやかながら



――― ぱたぱたぱた

今日も副長の小姓は元気に屯所を走っていた。

「お〜い、神谷。ちょっと待て。話があるっ!」

呼びかけながら駆け寄ってくる仲間の姿にセイが足を止める。

「相田さん! 何だか久しぶりな気がしますねぇ」

「おお、そうだな。お前はすっかり局長や副長の小姓が板に着いちまったし・・・。
 ってそんな話じゃなくてな」

ガシリとセイの肩を掴んだ相田は必死の面持ちだ。

「お前、沖田先生と喧嘩でもしたのか?」

「は?」

セイが首を傾げる。
総司とは先程まで近藤を交えて和やかにお茶を飲んでいたはずだ。

「とにかく機嫌が悪いんだよ」

本人は無意識のようだが周囲に振り撒く気配が機嫌の悪さを物語るという。
何より稽古の荒さがその内心を如実に表しているのだそうだ。

「でも私が参加している時には・・・」

「だからだよっ! お前が局長達の許しを貰って稽古に出てくる時には全く普段どおりだ。
 でもお前がいない時の沖田先生ときたら。昨日だって二人も意識を失くしたんだぜ?」

ブルリと体を震わせた相田の瞳には恐怖の色が濃く滲んでいた。
一番隊といえば隊内最強の者達が集っている。
そんな者達の意識を失わせるほど叩きのめすなど尋常とは思えないし、
日頃の総司であればそこまでする事は無い。
さすがにセイも眉根を寄せて考え込んだ。

「喧嘩をしたにしても何か他に原因があるとしても、絶対にお前が関わっているはずだ。
 頼むから何とかしてくれっ!」

縋るように両手を合わされればセイも頷く以外に無い。

「わかりました。正直私に心当たりはありませんが、少し沖田先生と話をしてみますね」

「頼んだぞっ!!」

必死の形相で今一度念を押され、セイが再び頷いた。





「沖田先生! 今、お時間はありますか?」

翌日、午前の巡察を終えて一番隊の部屋でころごろしていた総司にセイが声をかけた。
むくりと起き上がった男の表情はどことなく不機嫌そうにも見える。

「いいですけど・・・小姓の仕事があるんじゃないですか?」

「今日は副長はお出かけになってますし、先ほど局長が午後は好きにしていいと
 言ってくださったんです。それに、ホラ」

セイが掲げた手には小さな紙包みが乗っていた。

「局長がお菓子をくださったので、久しぶりに沖田先生と壬生に行こうかと」

「そうですかっ! そうですねっ! たまには皆に顔を見せないと忘れられちゃいますよね!」

お菓子の包みを見た瞬間に頬を緩めた男が跳ねるように立ち上がった。
脳裏には壬生寺で賑やかに遊んでいるはずの子供たちの姿が浮かんでいるのだろう。

「楽しみですね〜。本当に久しぶりだし、皆元気にしてますかね?」

神谷さん、早く! と、うきうきとした足取りで部屋を出て行く男の背に続きながら
セイがちらりと室内へと視線を投げる。
そこには期待に満ちた瞳で自分を見つめる仲間達の姿があった。




「残念ですねぇ・・・」

はむっ、と包みの中から出した饅頭にかぶりついた男が呟いた。

「仕方が無いですよ。みんな忙しいんですし、こんな日もあります」

肩を落す男をセイが宥めた。

久々に訪れた壬生寺には見慣れた子供達の姿は全く無かった。
たまたま寺の前を通りかかった子守の少女に尋ねたところ、今日は其々に用事があって
遊んでいる暇が無いのだそうだ。
まるで仲間外れにされた子供のような風情の男の手を引いて、セイがやってきたのは
泣き虫のつく木。
するすると木に登り、並んで座った枝からは遠くまでを見渡す事ができる。
心地良い風とのどかな景色に少し機嫌が上向いた総司の前に菓子の包みを差し出すと、
ぶつぶつと文句を言いながらも一つ、また一つと手を伸ばしてきた。


十個もあった饅頭がすっかり無くなった頃合を見計らって、セイが小さく問いかけた。

「沖田先生のご機嫌が悪いと皆が心配してましたが、何かありましたか?」

「えっ?」

ぼんやりと遠くを眺めていた総司が驚いたように振り返った。

「色々と思い返してみると、最近の沖田先生は何だか元気が無いような気もしましたし、
 私に対してそっけないというか、少し冷たい感じだったような」

「そんな事は無いですよっ! ただ貴女は土方さんの小姓の仕事が忙しかったし」

「本当ですか?」

じぃと真っ直ぐに見つめられ、総司が視線を逸らした。
その態度が何よりも胸の内に蟠る何かをセイへ伝えてくる。

「私が先生に何か失礼な事をしましたか?」

感情的になって問い詰められるよりも、こうして静かに問われる方が逃げ場を失う
気分になるのは何故だろうかと総司は溜息をついた。

「・・・何もしてませんよ、貴女は・・・」

セイが小さく首を傾げ、前髪がサラリと音を立てる。

「貴女は何もしていない。ただ・・・私が嫌だっただけなんです」

「沖田先生?」

眉間に土方並の皺を刻んだまま黙りこくってしまった総司の袖を、セイがそっと引いた。
困ったような気遣わしげなその表情が、総司の口を開かせる。


「だって・・・土方さんや大坂屋の与兵衛さんの子供に胸を掴まれても、
 貴女ってば全然気にしないし」

「はぁ?」

「何でも無い事みたいに、全然平気でいるし」

「ちょ、ちょっと沖田先生?」

「もう少し恥じらいとか慎みってものをですね」

「私は武士ですっ! 一々そんな事を気にしていられませんし、鎖帷子だってつけてます」

「それでもですっ! それでも嫌なんですよ、私がっ!」

一方的に言い立ててくる言葉に反論したセイを遮って総司の声が大きくなった。

「武士なのはわかってます! でも貴女には綺麗なままで居て欲しいんです!
 無防備に触れさせて平気でいて欲しくないんですよっ!」

耳まで赤くしながら必死に言い募る様子は、セイを思う感情に満ちていた。
それが伝わってきて、セイの頬もじわじわと熱をもってくる。

「そんなに嫌だったんですか、先生は」

「ええ、何だか嫌だったんですよ」

「そう・・・ですか・・・」

恥かしげに俯いたセイの様子を眼にした総司が、はっと我に返った。
何だか必死に言葉を重ねていたが、もしかしたら自分はとてつもなく恥かしい事を
言っていたのではないだろうか。
それを自覚した途端、総司の脳内が鳴門の渦潮並にぐるぐると混乱しだした。


「あ、あのですねっ! 私としてはたとえささやかな膨らみだとしても、大事にして欲しいと」

「ささやか?」

ほんのりと染まっていたセイの頬がピクリと引き攣った。
さすがに自分の失言に気づいた総司が言葉を重ねようとするが、こういう時ほど
まともな言語は出てこないものだ。

「ええっと、ほんのちょっとだけだとしても?」

「・・・どうしてそんな事が沖田先生にわかるんですかっ!」

「え、だって」

「私だって、それなりには普通に・・・」

「いやぁ、さすがに深雪太夫ほどとは言いませんが、せめてお孝さんぐらいを
 普通と言うんじゃないかと」

「やだっ! 見たんですか、お孝さんの・・・」

「えっ、ええっ? 違いますよっ! 着物の上からだって、それぐらいは」

「こっこの、スケベヒラメっ!!」

――― どんっ!

「うわわわわっ!」

突き飛ばされた総司が片手片足を必死に枝に絡めて、どうにか転落を免れた。

「あっ、危ないじゃないですかっ! 突き落とすつもりですかっ!」

「落ちて潰れヒラメになってしまえば良いんですっ!」

「神谷さんっ!」

うるっ、とセイの瞳に涙が滲む。
それを見て総司が慌て出した。

「ちょ、ちょっと神谷さん、何を泣く事があるんですか。それほどの事じゃないでしょう?」

野暮天ヒラメにはセイの気持ちなど理解できない。
どれほど武士であろうとしていても、慕う男の言葉だけは内心に眠らせた
女子の気持ちを刺激するのだ。

「もう・・・仕方の無い人ですねぇ」

涙を見せまいと顔を背けるセイを引き寄せて、腕の中に抱え込んだ男が溜息を吐いた。

「いいじゃないですか、貴女は貴女なんだし。私はそれで良いって言ってるんですよ、
 堂々と胸を張ってなさい」

「・・・ささやかでも・・・ですか?」

「根に持ちますねぇ」

苦笑する総司の着物に涙を擦りつけたセイが小さく笑う。

「そういえば以前副長も同じ事を仰ってました。私は私なんだから堂々としていろ、って。
 如身遷の事を話している時でしたけど」

あの時、意外に気を使う人だと思ったのだ、とセイの表情が柔らかくなった。
けれど反して総司の表情が歪む。

「今は土方さんはどうでも良いんです! 私は貴女に約束して欲しいんです!
 もう他の人になんて触らせないでくださいよ!」

他の人って・・・自分は良いとでも言うのか。
思わずまじまじと眼前の男の顔を観察するが、本人には全くそんな意識は無いのだろう。
相変わらずの野暮天に内心で呆れの溜息を吐きながらセイが頷く。

「勿論、私にはそんなつもりは一切ありません。別に望んで触らせたわけじゃないですし」

「絶対に! ですからね!」

しつこいほどに念を押す男の表情は何故か必死だ。

「はいはい」

「神谷さんっ!」

「大丈夫ですよ。約束は守ります」

「絶対ですよ! 約束ですからねっ!」






「神谷、副長が呼んでいる」

帰り道、前方からやってきた斎藤の言葉にセイが慌てて走り出した。

「やばっ! 夕刻には戻るって言ってあったんでしたっ!」

「あ、そんなに急ぐと」

――― こつんっ

総司の声と同時にセイが石ころに躓いた。

「げっ!!」

盛大につんのめって目の前で倒れかけた身体を支えようと、斎藤が咄嗟に手を出した。


――― ふにっ


「「「あ・・・・・・」」」

伸ばされた男の両手の平はちょうどセイの胸に当てられている。

「やっ!!」

「すっ、すまんっ!!」

セイの悲鳴と斎藤のうろたえた叫びが重なった。

「い、いえっ、助けてくださってありがとうございま・・・し?」

言葉の途中で背後から漂ってきた異様な気にセイが恐る恐る振り返る。

「か〜み〜や〜さ〜ん〜〜〜。貴女って人は、言ってる傍からっ!」

「こっ、これは、不可抗力ですってば〜」

目尻を吊り上げ浪士相手にも発する事の無い怒りの波動を撒き散らす男から、
ズリズリと距離を取ったセイが一目散に逃げ出した。

「こらっ! 神谷さんっ! 待ちなさいっ!!」

「い〜〜〜や〜〜〜!!」

「神谷さんっ!!」



怒声と悲鳴が風に乗って遠ざかる。
ポツンとその場に残された男が自分の手の平を見つめた。

「少しは・・・あるのか・・・」

ポッと染まった頬を見たものが居なかったのは幸いだったかもしれない。




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