小姓の戀
「神谷さんっ!」
「はい?」
声変わりはしているようだが、まだどこか幼さを残した声の呼びかけにセイが振り向いた。
「わ、私のっ、ねっ、ね、念友になってくださいっ!!」
「はぁぁぁっ?」
局長室の真ん前の廊下で放たれた衝撃的な告白は、その日のうちに隊中に知れ渡った。
庭の前栽も薄闇に沈む刻限、糸のような細い月が朧な姿を天空に浮かべていた。
「はぁぁぁぁぁぁぁぁぁっっっ・・・」
すでに指定席となっている裏庭に面した廊下に力無く座り込んだセイが、
身体の中身が全て出てしまう程に盛大な溜息を吐いてがくりと俯く。
直後、背中にのしりと重みが掛かった。
「随分大きな溜息ですねぇ」
くすくすと笑う男は華奢な身体の両側から腕を回しておぶさっている。
「ちょ、沖田先生、重いですっ!」
「重くないですよぉ。加減してますから」
セイの両脇に足を投げ出し、ユラユラと前後に身体を揺らす男は楽しげだ。
「そんな事より。何だか大きな溜息でしたね?」
事情を熟知しているにも関わらず、からかうようなその言葉にセイが頬を膨らませた。
「意地悪ですね、沖田先生は。ご存知でしょう?」
「ええ、まぁ・・・」
相変わらず笑いを含んだ声音のままで、総司の瞳が優しくほころんだ。
怪我が回復するまでの間という期間限定で、近藤の小姓として細々とした用件を
片付けていたセイが体調が戻ると同時に一番隊へと復帰した。
それまでセイに任せていた事を改めて自分で行ってみた近藤が、瑣末な用事も
重なれば以外に時間を取られる事に気づいた。
同時にそれを処理してくれる小姓の必要性を実感したらしく、土方と諮って
試験的に一人の少年を仮採用する事となった。
若いながらも古参に分類されるセイだからこそ近藤の小姓も手際良くこなせただけで、
子供を入れても役に立たないと当初は渋っていた土方だったが、近藤の乞いには弱い。
同様に近藤の願いなら無条件に聞き届けようとする総司からの申し出もあり、
当面の指導役にセイを当たらせる事で渋々と了承した。
そんな背景で仮入隊した少年は、未だ元服前の十四才。
公家の屋敷で家宰を勤める家柄の三男坊に相応しく色白な肌の滑らかさは女子にも勝り、
黒曜の如く輝く瞳には知性の芽吹きを感じさせた。
けれどまだまだ幼さは抜けきれず、その不安定さが周囲の目を惹きつける。
当然良からぬ大人達が何かとちょっかいを出そうとする。
(特に原田とか伊東とか原田とか伊東とか・・・)
それを放っておけるセイではなく、小姓の務めを伝授しながら何かと世話を焼いていた。
まさかそれがこんな厄介な事態を引き起こそうとは予想外の事だった。
「何だかもう、どうして良いやら・・・」
途方に暮れたような溜息と共にセイが呟いた。
よりにもよってという場所で放たれた念友志願の叫びは、当然ながら近藤土方も
それぞれの部屋で耳にした。
全身に鳥肌を立てて部屋を飛び出してきた土方を、近藤とふたりがかりで
どれだけ苦労して宥めた事か。
今にも白刃を抜いて斬り捨てかねない勢いを思い出せば、セイの溜息も仕方がないだろう。
すぐに荷物を纏めて出て行けと少年を怒鳴りつける土方に、隊規違反も隊務上の
失態も無いのに辞めさせる事は出来ないと懇々と言い聞かせたのは近藤だった。
いくら男色が嫌いだとはいえ、それだけで仮とはいえ一度入隊させた者を追い出せないと。
それはセイも同感だったし、少年のすがるような瞳を見れば庇わずにいられない。
とはいえ少年の気持ちを受け入れる事などできるはずもない。
その場で自分は誰とも念友になるつもりは無いし、そういった嗜好は無い事を断言して
土方を納得させると同時に、少年にもきっぱり邪念を捨てるようにと告げたのだ。
近藤ですら感嘆の眼差しを向けるほど毅然とした態度を見せたはずだった。
少年も不承不承ながら納得して頷いたはずだというのに。
気づけば追ってくる視線、セイに少しでも認められたいと必死に立ち働く姿。
気持ちに応えられない以上、意識的に距離を置こうとする想い人に向けられる
切なげな表情を見れば、自分が悪い事をしている気にさえなってしまう。
相手が子供なだけに中村の時のように邪険にする事も出来ず、周囲の隊士からも
もう少し優しくしてやれと責められる始末だ。
「皆、無責任に面白がるし、沖田先生だって・・・」
セイがぶつぶつと口の中で呟いた。
少年に振り回されるセイを助けるでもなく、微笑ましげに見守っている男の態度に
どれだけ胸中で文句を言った事だろう。
自分を特別視して欲しいとまでは言わないけれど、弟分が本気で困っているのを知りながら
救いの手を差し伸べてくれようともしないのだから。
どうしてこんな野暮天が良いのか、自分の趣味の悪さにも苦々しい思いがこみ上げた。
苦節数年の片思いを振り返れば何だか涙が滲みそうだと、瞬きを繰り返したセイの身体に
更に重みが掛かる。
「貴女が冷たくできるはずがないんですよ」
くくく、とさも可笑しいとばかりに総司が笑った。
「だってあの子の姿ってば、まるで昔の貴女にそっくりじゃないですか」
その言葉にセイの眼が大きく見開かれた。
大好きで大好きで大好きで。
ただひたすらに見つめて、少しでも役に立ちたくて、ほんの小さな触れ合いさえも
至上の甘露の如く魂全てで感じていた頃。
強く大きな背中に追いつこうと、僅かでも近づこうと、無我夢中だった自分を思い出す。
「ね?」
「はぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっっっ・・・」
再びセイが大きな大きな溜息を吐いて項垂れた。
「確かに。そう言われれば、そうかもしれません・・・」
頷いたセイの腕を抱き締めたままで、無骨な手の平があやすように叩く。
「必死に自分を見つめてくる眼差しは愛しいでしょう? 無下に振り払うのは難しい」
こくり、と頷きながらも眉間に皺を寄せる細い体がゆらゆらと揺すられた。
「で、も! 早い者勝ちなんですよね〜」
怪訝な顔で振り向こうとした頬に総司の頬が当てられた。
「神谷清三郎の相方の席は埋まってるんですよ。女は里乃さん。男は・・・、ね?」
ぎゅう、と締めつけてきた腕が答えを告げろと強請っている。
触れ合った場所を少しだけ滑らせ、男の頬を掠めた唇が耳元で囁いた。
「いいんですか? 副長に斬られますよ?」
「そんな事はとうの昔に覚悟の上です」
耳朶に微かに触れる唇の感触をもっと強く感じようと総司が首を傾ける。
「では・・・神谷の念友は、もう定まっている・・・と言っても良いんですか?」
「それは、誰?」
「沖田先生に決まってるじゃないですか。それとも斎藤先生にお願いします?」
「こらっ」
「あははっ」
二人の笑声に重なってパタパタと遠ざかる足音が響いた。
その音を聞きながら眼を伏せたセイが、そっと自分を戒める腕を叩く。
「ありがとうございました、沖田先生。もう、いいです」
途中から二人の様子を少年が盗み見している事にセイも気づいていた。
総司はとうに承知していて、彼に聞かせるように話をしていたのだろう。
数年前の月夜の決闘がセイの脳裏に浮かび、いつになっても変わらぬ自分達の距離に
複雑な感情が湧き上がる。
自分こそ邪念を捨てるべきだな、と軽く頭を振って総司の腕から抜け出そうとした
身体が強く締めつけられた。
「何が、いいんですか?」
「え?」
「私はこういう事で嘘は言いませんよ? そんなに器用な男じゃない事は、
貴女が一番知ってるでしょう?」
零れそうに目を見開いて振り返った柔らかな頬に、唇を押しつけて総司が続ける。
「貴女の真実を知っていながらこんな事を言う私は酷い男だと承知しています。
それでも・・・せめて念友として独占したい」
かすれる声音は切なさを多分に含みながら甘く響く。
セイが女子だと百も承知で、男同士、武士同士としての想いの交感を望む。
傍から見れば残酷に見えようとも、セイには総司の精一杯の気持ちだと理解できた。
「独占、してください」
「また、貴女は私を甘やかして・・・」
華奢な身体を背後から包み込んで、総司の身体がゆらゆら揺れる。
二人の眼差しは庭に向けられたまま。
じんわり伝わる互いの体温を感じながら、同時にそっと視線を空に投げた。
おそらく生ある限り、二人が向き合う事は無いだろう。
見つめる先は常に同じ。
近藤局長の願う未来。
平和で穏やかに皆が暮らせる世界。
だからこそ、今、相手を視界の中心に据える事はできない。
けれどいつでも感じる。
愛しい人の吐息を。
ぬくもりを。
そんな距離にいたい、と願う。
そんな距離にいるのだ、と誓う。
ふたりの祈りが聞こえたとばかりに、笑みを象った月が夜空に光彩を放った。
数日後。
純粋ゆえに想いの破れた痛みに打ちのめされた少年は、意気消沈した姿を見かねた
近藤の配慮でひっそりと隊を離れていった。
哀愁漂うその姿を物陰から見送った二人の武士の瞳の中にあったのが、
憐憫だったのか安堵だったのかは当人にしかわからないだろう。
ただそれ以降、小姓という言葉に土方が過剰な拒絶反応を起こすようになり、
新たに小姓が雇い入れられるまで、かなりの時間が必要とされた事は事実。
こうして副長の苦手がまた一つ増えていったのだった。
背景素材は 月世界への招待様 からお借りしました