かぐやひめ  三



 「はー、終わった終わった」
 「お疲れ様でした」
 いつまで続くかわからない宴会を無理やり辞して、土方たち四人は料亭を後にした。
 「何がお疲れ様だ、元はと言えばテメェが安請け合いするからこんなことになったんじゃねえか」
 「えー、面白かったからいいじゃありませんか」
 さすがに小袖を何枚も重ねられては肩も凝る。
 ぐるぐると腕を回して疲れを取る神谷に労いの言葉をかけた沖田は、土方に文句を言われて口を尖らせた。
 「沖田先生の場合、面白かったって言うよりもおいしかったんじゃないですか?」
 出された菓子を恐ろしいほどその腹に収めた沖田を神谷が揶揄した。
 「あっ、神谷さん、ひどいです。そんなこと言うなんて」
 「ひっどいのは沖田先生じゃないですか!人をこんな目に合わせて!」
 大坂くんだりまで来て人前で女装させられて。
 神谷は沖田をぽこぽこと殴りつけた。
 「いったー!神谷さん、止めてくださいよー」
 「待てー!」
 逃げ出す沖田を神谷が走って追いかける。


 「・・・ったく、ガキかあいつら」
 くだらねえ、と土方は目を眇めた。
 その様子を見てはふっと口元を緩めた。

 沖田と神谷の姿が暗闇の向こうに消えていった。
 宿に向かう道は難しくない。あの二人でも迷わず宿屋にたどり着けるだろう。
 そう思うと土方はと二人で並んで歩き出した。

 川べりをゆっくりと歩く。
 宴会で少し飲んで酔った頬に夜風が気持ちよかった。
 桜並木になっているが、時間が時間だけに花見の人影はほとんどない。
 時折風が吹き、枝を揺らされた桜が花びらを降らせる。
 それが頭や服につくのを払い落としながら二人は静かに帰り道を歩いた。

 「・・・お疲れ様でした」
 がぽつりと口を開いた。
 「あ?」
 「元々は私が持ち込んだ厄介ごとでしたよね。申し訳ありませんでした。土方さんは関係ないし、神谷さんは巻き込まれるし、沖田さんは悪くないのに」
 「今更だろ、もう終わった事だ」
 謝るの言葉を土方は切った。
 「・・・すみません」
 その言い方が何だか可笑しくて、は苦笑した。
 土方はもう一度今更だろと言うと、の頭を小突いた。


 さあっと音を立てて、風が桜の枝の間を滑ってゆく。
 揺れた枝の隙間からは月光がきらきらと瞬いた。


 「・・・」
 土方は横目でを盗み見た。
 先ほどのあの姿。
 月の使者の変装をした彼女を見て、あの場の雰囲気と相まってまるで本当に月に還る供の者かと思ってしまった。
 がいずれ元の時代に帰っていく身なのと重ね合わせ、土方は絶句してしまったのである。


 「・・・帰るな、と」
 が呟いた。
 「あ?」
 土方は己の心を見透かされたのかと思い、驚いて足を止めた。

 「もし帰るなと言ってくれる人がいたら、かぐや姫は月へと帰らなかったのでしょうか」

 「は?」
 続けたの言葉に土方は間の抜けた声を出してしまった。
 「かぐや姫って、求婚してくれる殿方は何人もいたけれども、帰るのを止めてくれる男の人がいたって話は聞いた事がないんですが」
 は同じく足を止め、土方の方を向いた。
 「自分は月の姫だと告白できて、その人に帰るなと言ってもらえたら、かぐや姫は」
 そこまで言うとは急に口を噤み、下を向いた。
 「・・・」
 「すみません、変なことを言って。ちょっとそう思っただけで。少し・・・酔ってるみたいです」
 は顔を上げると黙って話を聞く土方に微笑んだ。


 お前、もしかして。
 土方はの腕を掴むと、近くの桜の幹の影に連れ込んだ。
 「土方さん?」
 はその力に従って歩を進めたが、驚きは隠せない。

 土方はの背を幹に押し付け、その両側を己の手で塞いだ。
 何のつもりなのか理解できず、は土方を見上げる。
 その目を真っ直ぐに見据えると、土方は口を開いてよく通る声で言った。



 「・・・帰るな」



 「え?」
 「帰るんじゃねえ」



 元の時代に。



 土方は手をごつごつとした感触の幹から離し、の体を引き寄せて抱き締めた。
 風呂には入らせてもらったものの、まだ白粉の香りが残っている。
 土方はその香りを吸い込んで、耳元でもう一度同じ台詞を囁いた。



 「・・・」
 しばらく腕にを閉じ込めた後に、土方は体を離してを見つめた。
 どう返していいのかわからずに、目を丸くしている。


 「・・・こんな感じか?」
 土方はくっと笑った。

 「え、あ、えっと」
 それを合図にしたように、は我に返った。
 「吃驚しました。土方さん、役者さんみたい」
 整った顔立ちに無駄な肉の無い体。男らしく低い声に乗せられた言葉。
 そして綺麗な瞳で見つめられ、吸い込まれそうになった。
 本当に役者でもおかしくない資質を備えていると、は素直に思った。


 「つまらねえ世辞はいらねえよ」
 「お世辞じゃないですよ、本当に」
 そう思いましたよ、とが言おうとした時に。


 ざあっと大きく風が吹き、桜の花びらが大量に降ってきた。
 「あっ」
 「・・・ちっ」
 二人は花びらまみれになってしまった。

 「ああ・・・もう」
 「ったく」
 それぞれ自分の着ている物や頭を払い、同時に溜息をついた。
 「結構花びらってくっ付いているんですよね、払ったつもりでも」
 「頭にまだついてるぞ」
 「え、取っていただけますか?」
 は膝を少し曲げて髪を土方に見てもらった。

 短い髪を丁寧に梳いていく感触が伝わる。
 土方の指の動きが止まるまではじっと待った。

 花びらはとっくに取り除けていた。もう少し取るふりをして彼女の髪に触っていようかと思ったが、相手は中腰だ。
 もういいぞ、と声をかけてやる。


 「ありがとうございます」
 と笑みを浮かべるの口元に、花びらが一枚ふわりと着地した。


 「・・・ついてる」
 土方はそこに視線を落としたまま言った。
 「え」
 自分の口の辺りに土方の視線が固定されているのを見たは花びらがそこにあるのを感じ、手でそれを取ろうとした。


 その瞬間、土方の手がの手首を掴んだ。


 何故こんなことをとが顔を上げると、土方の顔が近づいてきた。
 どんどん距離を詰めてこられ、は思わず顎を引き目をつぶった。


 ふっ、と土方の息が唇にかかった。
 それと同時に口元から軽い質量のものが剥がれ落ちる感覚があった。


 「取れたぞ」
 土方はゆっくりとの手を離した。
 「は、はい」
 は目を開き、頬を触った。
 自分でも少し熱いのがわかる。

 「どうしたんだ、赤くなって」
 土方が顔を覗き込んできた。
 「何でもありません」
 は顔を逸らしてすっと前に出ると、何事もなかったかのように歩き始めた。

 抱きすくめられるくらいはまだいい。
 しかし、さすがにあれだけ顔を近づけられたら。

 は軽く頭を振って、その先の思考を掻き消した。
 大丈夫、何もなかったし何も思っていない。
 は自分で自分の気持ちを確認した。

 土方はの背中を見ながら自分も足を動かした。
 面白え、あれだけで動揺してやがる。
 少しは脈ありか?
 土方は喉の奥で笑った。


 「おい、何だよ」
 僅か数歩で駆け寄ると土方はの隣に並んだ。
 「何でもないです」
 横から彼女の顔を観察してみたが、もういつもの表情に戻っている。
 「じゃあ何で置いてこうとしてんだ」
 「早く帰らないと神谷さんたちが心配するでしょう」
 それは言い訳だな。
 土方は心の中だけでまた笑った。
 そしてすっと左手を伸ばし、の右手を握った。

 が。
 はその手を振り払った。
 強い力で握っていたわけではない。土方にとってはがこうすることも予測済みだった。

 「お戯れは女の人とだけにしてください」
 自分は男なんだから、と言外に示す。
 しかし土方の心中では、いつもの口調でそう言うだろうことも折込済みだ。

 「お戯れって、何だそれ」
 土方は軽く笑って、もう一度の手を握った。
 その力はさっきよりも少し強かった。

 「・・・酔ってるんですか?」
 その強さには諦めたように溜息をついた。
 「かもな」
 土方はにやりと笑った。


 「じゃあ・・・」
 は下を向いた。


 「私も、今は酔ってることにします」
 そう言うと顔を上げ、土方の目を見た。少し困ったように苦笑いを浮かべて。
 そして土方に握られた手をそっと握り返した。


 「・・・そうしとけ」
 もっと何か言って、無理にでも手を解くかと思った。
 意外な反応に今度は土方が驚く番だった。


 桜並木の下を、二人分の足音が進んでいった。
 繋いだ掌の温度が混ざり合う。
 少し冷たいの手が温かくなり、土方の手と同じ温度になる。
 土方が何気なくの方を向くと、も土方の方を見た。


 いつかこの手のように、二人の心が混ざり合う日が来るのだろうか。


 土方は一度手を解いて、の指に自分の指を絡めて握り直した。
 の手から伝わってきたのは、ためらい。
 しかし土方は、その時に彼女がどんな顔をしたのかは、あえて見なかった。






 数日後、土方宛に大きな箱ひとつ分の筆が届いた。
 送り主はもちろん龍三郎と権左衛門で、筆の尻の紐はすべて赤だった。

 沖田はその筆が約束の品だと聞いて自分の大坂甘味道中も実現すると胸をときめかせていたが、一番隊はしばらくまとまった休みが許されなかった上に、 沖田に大坂出張の許可がなかなか出なかった為、実際に甘味を楽しむのはかなり先の話となってしまったと言う事だ。




================================================================================
参考文献:
 『江戸のきものと衣生活』 丸山信彦編著 小学館 2007年
 『江戸おしゃれ図絵』 菊地ひと美 講談社 2007年
 『和の配色事典』 ディックカラーアンドデザイン株式会社 技術評論社 2006年
 『彩色江戸物売図絵』 三谷一馬 中公文庫 1996年








『久遠の空』様の参萬打記念リクエストでいただいた作品です。
リクエストのお題として海辻が提出したのが “温度差と融合” 。
風光るの二次創作でも奈鳩さんが書いておいでの夢小説沿いでも書きやすい方で、
とお願いしましたら、こんなに素敵な作品を仕上げてくださいましたv

いずれは天へと戻ってしまうかぐや姫。
それを認識しつつ熱を抱える土方と未だ無自覚のヒロインの温度差。
大人の土方&ヒロイン、幼い沖田&セイの温度差。
そして融合は言うまでも無く・・・むふふっv

タラシ歴十ウン年男のやせ我慢全開な姿(笑)。
ドキドキしっぱなしのお話でしたよ〜。

奈鳩さん、素敵なお話をありがとうございました。
これからも、もっともっとトキメキをくださいませ。
そして『久遠の空』様の、輝かしい未来をお祈りしております(礼)