叶いますように
「はい」
と神谷さんは、私に短冊を渡してきた。
「書いてくださいね、後で笹につけますから」
じゃあお願いしますと言い、神谷さんは手にまだ何枚かの短冊を持ってどこかへ消えていった。
私は短冊を見つめた。
こんなことをするなんていつ以来だろう。
子供の頃はそれこそ毎年何を書こうか悩んでいたと思う。
でも結局は、「頭がよくなりますように」とか、「背が伸びますように」とかの平凡な願いで終わってしまっていた。
長方形の紙に付けられた紐を持ってぶらぶらと揺らす。
せっかくだから何か書こうと思った。
だが、何も思い浮かばない。
前川邸に置いてもらって衣食住には不自由していない。
黒谷で英吉利語を学ぶという仕事もある。
体調も、時々は悪くなるが、健康の範囲内だ。
これ以上何を望むことがあるだろう。
短冊を懐にしまい、土方さんの部屋へと向かった。
土方さんは部屋の前に居た。
諸肌を脱いでごろりと転がっている。
こんな風にしている土方さんはとても珍しい。いつもきちんとしているのに。
「・・・何だ」
土方さんは私が来たのに気がついて、こちらへ視線を寄越した。
横になって頭の後ろで手を組んでいる。
あまり日焼けしていない肌は白い。
だが剣術で鍛えただけあって、筋肉が程よく発達している。
均整の取れた体だと思った。
「何だよ、ジロジロ見やがって」
「いえ」
「思わず見つめるほどイイ体だとか言ってくれねえのか」
「・・・」
「なぜそこで黙る」
「・・・すみません」
本当はそれにかなり近い思考なのだろう。
でも何かが少し違うと思う。
ふと彼の頭の上に視線を向けると、短冊が横たわっていた。
「ああ、それな。神谷が俺にも書けって持ってきたんだが」
私が見ているものに気がついた土方さんは親指で面倒臭そうにそれを指し示した。
「今更この歳になって何書けってんだ。別に書いたからって叶うわけでもねえのによ」
土方さんはそう言うと眉を寄せて目を閉じた。
鬼の副長と呼ばれ、神も仏もなんのそのな性格の土方さんらしい。
私は思わず肩を揺すってしまった。
「何笑ってんだ」
「土方さんらしいと思って・・・」
口元を手で覆って、せめて笑いを表している口だけでも見えないようにしたつもりだった。
が、もちろんそんなことは土方さんに通用するはずもない。
「お前が書け」
土方さんは頭の上にある短冊を私に寄越した。
「え?」
「笑った罰としてお前が書けっつってんだ」
もらったのは土方さんなのだから、土方さんが書くも書かぬも決めればいいだけだ。
私は自分の分も持っているし、罰も何も関係ない。
そう思った。
「関係ねえってツラしてんな」
「えっ」
言い当てられて、私はどきりとした。
そんなに顔に出ていたのだろうか。
動作が止まった私の指に、土方さんは短冊の紐をかけた。
「いいからお前が書け」
「でも・・・」
「副長命令だ」
土方さんはからかうような目つきで笑った。
それでも私が黙ったままでいたら、ずるずると仰向けのまま畳の上を移動して
私の足元に来て、手を伸ばしてきた。
私が反射的に避けようとして腰を上げると、土方さんは私の袴の裾をさっと払って足首を掴んだ。
「何するんですか?」
私は正座を崩し、ぺたりと畳に座り込んだ。
「書くまでこのままだ」
大きな手がまるで足枷のように私の足首を掴んでいる。
目で離してくれるように頼んだが、同じく目でダメだと返された。
仕方なく私は文机の前へ移動した。
土方さんも先ほどと同じようにずるずると、私と一緒に動いた。
「筆、お借りしていいですか?」
「ああ、水差しと墨もそこにあんだろ」
足首から手を離さないまま土方さんは言った。
筆の道具箱を開けると、墨と整えられた筆が二本と硯が入っていた。
机の上の水差しから硯に水を入れ、墨を磨った。
小さな音とともに墨の香りが漂う。
が、黒い硯の中ではどの程度墨が磨りだされているのかわからない。
どんな願い事を書こうかと思いながらゆっくりと手を動かす。
でも、さっき考えたように何も願うことがない。
ここでの生活は土方さんや斉藤さんたちに守られて満足している。
だから、「無事に元の時代に帰れますように」なんて書く気がしなかった。
だったら何を願うべきなんだろう。
私は土方さんを何気なく見た。
私の足首を掴んだまま、笑みを浮かべて目を閉じている。
今、土方さんは何を考えているのだろう。
彼の顔を見たら、頭にソレが浮かんできた。
そうだ、そう書こう。
私は体を文机の方に戻し、筆を手にした。
そして反対側の手で水差しを持って筆の先を濡らした。
さらさらと筆が紙の上を滑る。
「書けました」
私は筆を置いた。
「見せてみろ」
土方さんは手を伸ばしてきた。
「先に手を離してください」
と私は頼んだ。
「・・・書いてた音もしたことだし、まあいいだろう」
土方さんは私の足首から手を離すと短冊を取り上げた。
「何だこりゃ」
土方さんは顔を顰めた。
彼がそう思っても無理はない。
短冊の上には文字が見えないからだ。
「書いてねえじゃねえか」
土方さんは鋭く私を見た。
「書きましたよ・・・水で」
何も墨で書けとは言われていない。使っていいとは言われたけれど。
私は土方さんの次の行動を予測して立ち上がった。
「待てテメエ、見えるように書け」
捕えようとして伸ばされる腕を、私はさっと避けた。
「書くには書きました」
たまにはこれくらいの悪戯はいいだろう。
そう思って私は部屋を出て行こうとした。
「誤魔化すんじゃねえ」
だが土方さんは素早かった。
私の袴の裾をぐっと掴むとそのまま力を入れて引っ張った。
「あっ」
私は姿勢を崩して倒れ込んだ。
いつの間にか伸ばされた土方さんの腕の中に。
どさりと音がしたが、痛くなかった。
土方さんが私をかばってくれたからだ。
畳の上に、先ほどの土方さんと同じように仰向けに転がされた。
違うのは、私の上に土方さんが乗っていること。
「・・・戯れが過ぎたことは謝ります。どいていただけませんか」
ちょっとおふざけが過ぎたようだ。
「何て書いたか白状したらな」
土方さんは私の両腕を掴んで畳に押し付けている。
何を書いたのか言うのはちょっと・・・。
「何だ、言えねえこと書いたのか?」
にんまりと彼が笑う。
どうして読まれるのだろう。
私は土方さんのことがちっとも読めないのに。
「勘弁してもらえ・・・ませんね」
言葉の途中で土方さんにぎろりと睨まれ、私は言葉尻を変更した。
小さくため息をついて、私は土方さんの目を見て言った。
「土方さんの願いが叶いますように」
「・・・あ?」
「土方さんの短冊だから、土方さんの願いが叶いますようにって」
それが順当だというものだろう。
彼の願いが何であれ、叶えばそれが一番なのだから。
予想したどれとも違うものだったのだろう、土方さんは一瞬目を丸くした。
しかしすぐに元に戻った。
そして、私にその端正な顔を近づけた。
「・・・俺の」
「はい?」
「願いが叶うと思うか?」
「・・・はい」
何だかものすごく真剣な目で、土方さんは私を見下ろした。
私は視線を絡められて、まるで体の動きすらも絡め取られたように動けなくなった。
きょとんとした私を見ると、ゆっくりと土方さんは私の耳元に唇を近づけた。
「・・・いずれな」
そう一言囁くと、土方さんは私の上から退いた。
手に私が水で書いた短冊を持ち、土方さんは文机に向かった。
そして私と同じように水だけを筆につけ、さらさらと何かを書いた。
そのまま立ち上がって部屋を出て行こうとする。
「渡してくらあ」
肩越しに言うと、土方さんは廊下を歩いていった。
彼が何を書いたのかはわからない。
それが何だったのか尋ねても、きっと土方さんは答えてくれない。そういう人だ。
私ごときが知る必要もないことだろう、おそらく。
でも、少し気になる。
土方さんの願いとは何なのだろう。
いつか叶うかと言った彼の願いとは。
彼の願いが叶いますように。
そしてそれが何なのか、少しだけ私にもわかりますように。
体を起こして、掴まれた手首をさする。
足首にも手をやる。
どうしてだか、どの部分も熱いような気がした。
蝉が激しく鳴くのが聞こえる。
どうしてだか、この夏を忘れたくないような気がした。
久遠の空様の肆萬打感謝記念企画の作品。
こちらはサイト内で連載中の夢小説 『風に吹かれて』 のヒロインと
そのお相手である土方副長のお話です。
このヒロインの態度・・・滅茶苦茶低温なんですよね(笑)
原作ヒロインのセイちゃんはとんでもなく高温反応派ですから笑えるぐらい。
そしてその低温反応具合が管理人の奈鳩さんに酷似している所もいつもおかしいのです。
奈鳩さんも内面はとてつもなく熱い方なんですが、表面化する反応が実にcool。
理知的なヒロインは奈鳩さんを投影しているように思えて仕方がありません。
惚れた女に手を出しあぐねているタラシの男と
野暮天大王と互角の勝負が出来るだろう野暮天女王の夏の一刻。
七夕にかけた素敵なお話です。
奈鳩さん、いつもいつもありがとうございます。
そして『久遠の空』様、肆萬打おめでとうございます。
これからもアレコレと宜しくお願いいたしますねv