前髪の清三郎 前編
新選組の隊士たちの主な仕事は毎日の巡察である。
その目的は、宿改めをして許可されている滞在日数を越えて在京している旅人がいないかを調べたり、不審箇所の捜索においては怪しい者が潜んでいたり、武器弾薬が隠されていないかなどを探ったりしている。
時にはその最中に思わぬ敵と出くわし、白刃を交わさねばならぬこともある。出身を偽り滞在している者、数丁ずつ運び入れた武器を一カ所に集めようとする者、様々だ。あるいはこちらが新選組だとわかっていて斬りかかってくる場合もある。
相手が敵ならばまだいい。
もっとも厄介なのは身内に刃を向けねばならぬ時だ。新選組には鉄の掟である局中法度が存在する。もし法度を守らねば切腹と最後に記してあり、隊士は恐れを抱きながら法度に抵触しないよう努力している。
しかしながら法度を遵守しない者もいる。己の罪を認め、武士として潔く腹を切るのはまだいい。が、法度を破り罪を認めぬ者には死の制裁が待っている――――
西新屋敷傾城町――通称島原は壬生の屯所から近く、漏れる明かりをうらやましく眺める隊士も多い。ほぼ全員が独り身で女っ気のない隊士たちは妓を買って憂さを晴らすしかなく、俸禄をもらっては島原へ通っていた。
始めこそ島原の大門をくぐれるだけでありがたかったが、次第によりよい妓を求めたくなるのが人情と言うものだ。そのためには金がいる。平隊士たちはより高い俸禄を手にするために手柄を求め、巡察では敵が潜んでいないか、怪しい積み上げものがないかと目を光らせ、巡察のない日は稽古で剣術の腕を磨いていた。
「いいよなあ、神谷は」
稽古が始まる道場に入りながら、一番隊の相田が清三郎に向かって呟いた。
「何がですか、相田さん」
清三郎は頭に手ぬぐいを巻き付けながら言った。
「月に三日だけの逢瀬とはいえ、馴染みの妓がいるんだからなあ、うらやましいぜ」
「ああ、明里さんのことですか」
「まったく、かわいい顔してやるこたやってんだから」
横から山口が清三郎を肘でつつく。
「山口さん、からかうのはやめてくださいよ」
「あ、赤くなった」
「いい加減にしないと怒りますよっ」
「はは、悪い悪い」
清三郎は相田と山口に握り拳を振りかざす真似をする。相田と山口は笑いながら軽口を謝罪した。
「そこ、支度は出来てるんですか?」
じゃれる三人の後ろから沖田がため息混じりに現れた。
「あ、沖田先生」
清三郎が素早く姿勢を正して礼をする。他の隊士たちも一斉に頭を下げた。
「どうかされたんですか?」
珍しく険しい顔の組長を見上げ、清三郎が聞く。
「ええ、今、近藤さんと土方さんからお話があったんですけど、最近辻斬りが横行しているらしいですよ」
全員が正座をして並ぶ中、沖田も冷たい床に腰を下ろして話し始めた。
一番隊が稽古に入ろうとする直前に、幹部全員が局長室へと呼び出された。
「近頃、島原田圃で人斬りが多発しているとの報告が監察から入った」
副長の土方が切り出した。
華やかな島原の外には、実り豊かな田圃が広がっている。
昼間は穏やかな風景を見せるそこには、夜になると島原のこぼれ客を狙う夜鷹、つまり公の許可なく体を売る私娼が姿を現すようになった。
その島原田圃に最近、朝になると死体が転がっているのだと土方が言った。
「どのホトケにも刀傷があるらしい」
「監察が今、全力で情報を集めているが、気をつけるよう皆に伝えてくれ」
土方に続いて近藤からも組長たちに通達した。
幹部たちは承知と返事をし、それぞれの部屋や道場へと散っていった。
「ええっ? そんなことが?」
清三郎は驚いた。
「そうらしいですよ。だから皆さんも夜道には特に気をつけてくださいね」
沖田が笑顔で皆を見回す。
「お話はこれで終わりです。稽古を始めますので、支度してください」
沖田が立ち上がると皆も素早く稽古のための胴や面を付け始めた。
清三郎は重たい面を顔の前で持ち、頭を入れる。ふと頭を上げると、胴をつけている沖田が面越しに見えた。
その沖田の目が一瞬鋭くなったのを、清三郎は見逃さなかった。
厳しい稽古が終わり、皆へとへとになった。隊士部屋に戻り、ばたばたとひっくり返る。
その中ですっと背筋を伸ばし、何事もなかったかのように汗を拭く若者がいた。
「加納さん、お疲れさまです」
清三郎が茶を配りながら言う。
「ありがとう神谷さん」
加納と呼ばれた男はにこりと笑い、茶を受け取った。
加納惣三郎。
京師の木綿問屋の三男坊で、歳は十八。実家は裕福な木綿問屋だが、剣で身を立てたいと思い新選組に入隊してきた。稽古着から黒羽二重の小袖紋附と献上博多の帯に召し変え、美しく光る朱塗りの鞘を二本差しにすると、まるで若き旗本のような雰囲気があった。
「さっきの話、物騒ですよね」
清三郎は加納の隣にすとんと座り、茶を啜った。
「ああ、島原田圃の?」
加納が沖田の話をなぞる。
「確か加納さんも島原に通ってましたよね、ええと、輪違屋の錦木太夫さんでしたっけ?」
「はい…」
清三郎の言葉に加納は赤くなって頭を掻いた。
この加納という隊士も、他の隊士と同様島原に通っていた。そして輪違屋の太夫に入れあげていたのである。
「俸禄も多くはないから通うのも大変ですけど…」
「本当に好きなんですね、錦木太夫のこと」
「はい」
「でも辻斬りなんて怖いなあ。加納さんも気をつけて」
島原に相手がいる者同士と思い、清三郎は加納に注意を促した。
「ええ。神谷さんも」
加納は唇を引き結んで頷いた。
翌日から、島原田圃にて夜警が開始された。
巡察に当たっていない組の中からひと組が当番になり、日が落ちた後の田圃を巡回した。
辻斬りの噂が出たせいか、夜鷹たちも営業している数は少ない。
新選組は数日の間夜警を続けたが、辻斬りらしい影は全く現れなかった。
ところが新選組が夜警を中止した翌朝、再び死体が転がっていた。
監察の報告を受けて駆けつけた一番隊が死体や近辺を改めてみると、財布がなかった。
「辻斬りの上に強盗ですか」
沖田が呟く。
「刀傷は二本だけ…か。それなりに手練れかもしれません」
相田が死体に筵をかけ直しながら言った。
「周りに遺留品はありませんでした」
山口が沖田に走り寄って報告する。
「沖田先生!」
清三郎が加納と共に田圃の向こうから走ってきた。
「加納さんがこれを…!」
清三郎は加納を沖田の前にぐいぐいと押し出す。
「向こうで拾ったのですが、その仏さんのものかと」
加納は財布を差し出した。
「そうですか、ありがとうございます」
沖田はその財布を取り上げて懐にしまった。
その後もしばらく一番隊は現場の捜索を続けたが、これと言った物的証拠は挙がらなかった。
沖田は皆をまとめて屯所に戻った。
戻る途中、清三郎は加納にずっと話しかけていた。
「このままじゃあ島原にも辻斬りの魔の手が入り込むかも…」
清三郎は加納の横で歩きながら青ざめる。
「神谷さん…」
加納もその表情は穏やかではない。
「辻斬りが辻斬りを止めてくれればいいんですけど」
「そうですね…」
もし島原に暴漢が入り込んで自分たちの通う妓が襲われでもしたらと思うと、清三郎は気が気でないのだろう。
普段は愛らしい眉を寄せ、祈るような目で加納を見上げた。
「甘いですよ神谷さん」
すっと二人の間に入ってきたのは沖田だった。
「辻斬りは確実に存在する。その目的が何であれ、人の命を狙い、金を奪っている。危険なことには変わりないんですからね」
「はい…」
清三郎は沖田に言われて下を向いた。
「加納さんも気をつけてくださいよ、島原に通ってお相手がいるのならまだまだ命は惜しいでしょう」
沖田は加納の前に立つときらりと目を光らせて加納を見た。
「は、はい」
加納は沖田の気迫に気圧されて一歩下がる。
沖田はふうっと息を吐くと、屯所に向かってすたすたと歩き出した。
「沖田先生、お前が加納さんとばっかりしゃべってるからご機嫌斜めなんじゃあないのか?」
山口がすっと清三郎に寄ってきて耳打ちする。
「ええ?」
清三郎が目を見開いた。
「だっていつもお前は沖田先生とばっかり一緒じゃないか」
相田も寄ってきて、先に歩いて行った加納の背中をじっと見つめる。
「仕事中ですよ、沖田先生がそんなこと考えてるわけないじゃないですかっ」
清三郎はそう言い放つと、自分も屯所のほうへと早足で歩いて行った。
「…何か」
「変だよな」
相田と山口は顔を見合わせた。
その後、新選組による島原田圃の夜警は何度も行われた。
が、夜警のない日や終わった時間に限って辻斬りが現れ、新選組にその影を踏ませない。
しかも斬られる対象が島原田圃の夜鷹を買う男客だけでなく、夜鷹までにも広がった。いずれも財布から金が抜き取られていた。
島原田圃で仕事をする夜鷹だけでなく島原の妓からも心配する声が上がり、新選組に早く辻斬りを捕まえて欲しいとの陳情が殺到した。
数日後の夕刻、土方が一番隊の隊士部屋にやって来て言った。
「しばらくの間、個人での夜間外出を禁止する」
「ええっ」
隊士たちの間に動揺が走る。
「明日から隊務以外の外出は暮れ六つまで。破った奴は切腹だ。以上」
それだけ言うと土方は部屋を出て行った。
室内はざわめき、文句を言う声と宥める声が交互に聞こえてくる。
「どうしました加納さん、顔が青いですよ?」
清三郎が加納の肩に手を置いた。
「最近お前変だぞ、大丈夫か?」
相田も心配して声を掛ける。
「ええ、大丈夫です。ちょっと腹を壊してまして…厠に行ってきます」
加納はゆらりと立ち上がり、前屈みになりながら障子を開けて出て行った。
しばらくたっても加納は部屋に戻ってこない。
どうしたんだろうと清三郎は心配になり、燭台を片手に厠へと向かった。しかしどの厠にも加納の姿はなかった。
「いないんですか」
暗闇の中、後ろから沖田が清三郎に声を掛けてきた。
「ぎゃっ、お、沖田先生、びっくりさせないでくださいよっ」
突如として現れた気配に清三郎は飛び上がった。
沖田は小さくため息を吐くと踵を返して廊下を戻っていく。
「ま、待ってください沖田先生!」
その袖を清三郎が掴んだ。
「…どこへ行かれるんですか」
清三郎は声を震わせる。
「あなたも気づいているところへ」
沖田は清三郎の手を取ると、袖からその指を一本ずつはがした。
「わかっているんでしょう、あなたは妙なところで聡いから。でも止めないでくださいね」
清三郎の肩に手を置き、沖田は小さな声で囁いた。
「止めませんよ、でも」
清三郎は目を真っ赤にして顔を上げる。
「私も行きます」
ぐっと眼に力を入れ、清三郎は頼んだ。
「…仕方がないですねえ。言い出したら聞かないんだから」
ふっと沖田は笑い、清三郎の肩から手を離した。
そして二人は暗い廊下の中をひたひたと進んでいった。
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