――― ずっと、あなたに触れたかった・・・。
優しい風が耳朶に吹き込まれ、大きな瞳が見開かれた。
信じられないとばかりに可愛い人が自分を見上げる。
華奢な背に腕を回して引き寄せると、一瞬だけ身体が強張った。
けれど逃げようとはしないその人の頬を、
そっとそっと包み込むように触れてみた。
ずっとずっと、あなたに触れたかったんです。
愛しさを隠す事無く。
想いのままに。
ようやく枷を除かれた言の葉は、押さえきれない熱を帯びる。
――― ずっと、あなたに触れられたかった・・・。
囁くような吐息に乗せた音に、背に回された腕の力が
僅かに強さを増した。
本当に? と震える声が頭上から降りかかる。
頷きながら目の前にある着物を握り締め、
想いが伝わるようにと頬を押しつけた。
ずっとずっと、あなたに触れて欲しかったんです。
弟分としてでは無く。
愛しき女子として。
ようやく重なった想いに、大きな瞳からとめどなく雫が伝い落ちた。
「こんな時にしか言えない私を許してください」
家の外を取り巻く者達から放たれる殺気は、刻々と数を増す。
二十人は下らない襲撃者の中には短筒を手にしていた者もいた。
どれほど自分が奮戦しても、飛び道具を相手にするのは分が悪い。
今回ばかりは愛しい人を守る自信も、無い。
手の中の温もりを守りきれない自分が悔しい。
「どんな時でも私の想いは変わりません」
だから自分を責めないで欲しい。
生きるも死ぬも共にありたいと願い続けてここにいる。
なろう事なら愛しい男の盾となり、自分が先に逝ければ良い。
自分が開く血路を抜けて、危地を乗り越えてくれればそれで良いのだ。
祈りを込めた眼差しで、ただ必死に男を見つめる。
「駄目ですよ」
ふわりと額に温もりが触れた。
「あなたひとりを逝かせない」
再び触れた温もりは、頬。
「あなたの返事が聞こえない場所に、私はいたくないんです」
鼻先を掠めた唇がゆるく開いた。
「だから」
微笑みの向こうから伝わる激情が、
互いを縛りあげていた禁忌の枷を全て溶かした。
「「・・・共に・・・」」
初めて重なった唇は、繰り返し息吹を交し合う。
その一時だけは外界全てがふたりの脳裏から消え去って
ただ互いの存在と想いだけを確かめる。
――― やっと、あなたに触れる事ができた。
甘さの滲んだ男の呟きに、娘の頬が嬉しげに綻ぶ。
――― やっと、あなたに触れてもらえた。
幸せそうな娘の囁きに、男の瞳が愛しさで満ちる。
外の緊張は熟しきった果実が爆ぜる寸前の如く高まっている。
互いの身体を一度強く抱き締めあったふたりが、名残惜しさの欠片も見せず
腕の戒めを解き放った。
「三途の川、抜け駆けは無しですよ」
先程の甘さを払拭した鬼神が腰から刃を抜き放つ。
「承知!」
不敵な笑みを浮かべた阿修羅も白刃を鞘走らせた。
「「いざっ!!」」
――― パシッ!
戸板の開かれた音が闘いへの合図。
甘い余韻は室内へと残し、ふたりの姿は闇の中へと消えていった。