鞴 祭

         〜壱萬打記念フリー小説・表〜



 十一月八日の未明、総司とセイは連れ立って五条へと向かっていた。二人の手には角樽と菓子折がある事から、どうやら祝事であるらしい。実は総司とセイの二人はいつも刀剣の修繕を頼んでいる鍛冶屋の鞴祭への祝いの品を近藤直々に頼まれて届けるところなのである。
 鞴祭とは十一月八日に行われる祭りであり、鍛冶屋のみならず鋳物師、錺(かざり)師、時辰(とけい)師、箔打師、石職等普段鞴を使用する職業全般の祭日なのである。平日火を扱う仕事柄火防(ひぶせ)と仕事の繁栄を稲荷神社に願い、祀るのである。そのような大事な祭事である為、鞴祭りを行う家々は祭り間近になると色々と慌ただしい。掃除は勿論のこと家事の繕い、畳替えなど、やることは沢山ある。そしてそうやってきちんと整えたところへ客を招くのだ。総司とセイは近藤の名代として、いつも世話になっている鍛冶屋へお祝いの品だけでも届けようと夜勤明けのその足で鍛冶屋へ向かっているという訳である。

「もしかしたら蜜柑まき見ることができるかもしれませんね。」

 何故か嬉しそうに総司がセイに話しかける。

「沖田先生・・・まさか子供に混じって蜜柑まきに参加するつもりじゃないでしょうね?」

 うさんぐさげにセイが総司をじぃ〜っと睨む。

「え、いけませんか?」

 悪びれもせずに総司が言葉を返す。どうやら総司は、ちゃっかり参加するつもりだったらしい。この蜜柑まきという行事も鞴祭りの一環で、鞴祭を行う家で未明に蜜柑を往来に投げるのである。それを目当てに近所の子供がやってきて、『まけまけ拾え、鍛冶やの貧ぼ』と大声で怒鳴って駆け回るのだが、この風習は江戸のもので、京都ではこんな下品な真似はしない。

(去年もそれでがっかりして帰っていったのに・・・忘れてるのかな〜?)

 とりあえず、この重たい酒樽を鍛冶屋まで持っていってもらうまでは黙っていよう・・・・さすがに二年半も一緒にいると、セイの方もだんだんといい様に総司を使うようになってくる。

「あ、そうだ!沖田先生、お使いが終わったらお稲荷さんへ行きませんか?絵馬を奉納しに。」

 蜜柑まきと同様、この日の絵馬の奉納は鞴祭りの名物の一つである。今でこそ絵馬の奉納は初詣と合格祈願の受験時が多いが、江戸時代においては稲荷神社の祭礼の鞴祭りと同じく稲荷神社の初午の祭礼のときに絵馬を奉納することが多かったのだ。これは稲荷神社が現世利益を司る契約の神であったことに由来するものであるが、願いを叶えてもらったらきちんとお礼のお参りに行かないと大変な目に会うということで、怖い神様でもある。鞴祭でもその事を重々承知したお供え物--------今年一年無事に過ごせた感謝を込めて沢山の奉納品や灯明が納められるのである。どうせなら祭はとことん楽しんだ方がいい。江戸者である総司もセイもその点は一致する。

「いいですね〜。じゃあ蜜柑まきが終わったら行きましょう。」

 あまりにも能天気な総司の言葉を、さすがに気の毒に感じたセイであったが、結局本当の事は言わずじまいであった。そして、半刻もたたないうちに総司に泣きつかれることになる。






 そもそも神仏に対する願懸けというものは他人に内緒にしておきたいことが多い。その為、本来絵馬は氏名も願文も一切書かずに、ただ『辰歳男』とか『酉歳女』と干支と性別のみ記した。それでもう神様は願いを知ってくれたものと信じたのだ。

「沖田先生は何をお願いするんですか?」

 奉納する絵馬を手にセイは総司に訊ねる。

「もちろん、近藤先生の誠が公方様に通じますように、ですよ。」

 これ以上は無いという笑顔であっさりといわれる。

(・・・近藤局長好き好きな人ですもんね。)

 判っていたこととはいえセイは少しがっかりする。

「そういう神谷さんはどんなお願い事をするんですか?」

 願文など書いてはいないのに、あたかもそこに何かが書いてあるかのごとく、総司はセイの手元を覗き込もうとする。

「剣術上達です!」

 セイは総司の視線から逃れるように絵馬の奉納所へかけてゆく。その手の中には『酉歳男』と書かれた絵馬が握られていた。

「勇ましいですね〜」

 チラッと見えたその絵馬を、くすくすと笑いながら総司が茶化す。

「いつまでもみそっかす隊士じゃいられませんからねっ!」

 そういい捨てるとセイは絵馬の奉納所に自分の絵馬を括りつけた。

「一寸厠へ行ってきます!」

 怒り覚めやらずといった風情のセイは、そう捨て台詞を残すとセイは神社の裏にある厠へと小走りに向かっていった。






 厠の近くはさすがに薄暗く、鬱葱としていた。セイは当たりをきょろきょろ見回すと懐から一枚の絵馬を取り出した。すかさず矢立を取り出し、その絵馬に『酉歳女』と書き入れる。

「こんなところにぶら下げてたら神様に気がついてもらえないかもな。」

 自嘲気味に笑いながらセイは潅木の陰に絵馬を括りつけた。”女子のセイ”の願いは、ともすれば武士として生きていくには邪魔にさえなるような思いだが、女子のセイにとっては何ものにも替えがたい大切な思いである。一生隠し通さなくてはいけないし、叶うことは無いであろう思いを願うのは馬鹿げているとは思いつつ、願わずにはいられない。そのような願いをするのにはひっそりとしたこのようなところが似合いだろう。セイは潅木の影に絵馬が隠れたことを確認して総司の待つ神社表へと戻っていった。

「神谷さん長かったですね〜。もしかして大のほうですか?」

 開口一番総司に突っ込まれる。

(え・・・そんなにかかったかな?)

 セイは何かばれたのではないかとどぎまぎする。

「はは・・・ちょっと。」

 苦し紛れの笑いを浮かべながら総司に答える。

「そうですか。・・・どれ、私も厠へ行ってきますかね。」

 総司はセイと入れ替わるように厠へと向かった。

(ど、どうやらばれなかったみたい。)

 セイはほっと胸をなでおろす。しかし、そんな気持ちも長くは続かなかった。






「神谷さ〜ん。裏でこんなものを見つけちゃいましたけど〜。」

 しばらくして総司が戻ってきたのだが、その手にはなんと先程セイが裏の潅木に隠して括りつけていたはずの絵馬があるではないか。

「お、沖田先生!その絵馬は?」

 動揺を悟られないように必死で取り繕うセイであったがいかんせん顔が強張っている。

「ええ。裏に隠して吊るしてあったんですよ〜。あんな処に括りつけてちゃ神様だって判らないでしょ?」

(な、なんでわかったの?絶対わかんないように隠していたのに!)

 セイは唖然とする。よりによって何で一番見つけて欲しくない人に見つかってしまうのだろうか?しかもあの絵馬には『酉歳女』と書いてある。男として新選組に置いてもらっているのにこれではあまりにも不甲斐無いではないか。

(ああっ、あんな絵馬括るんじゃなかった!)

 後悔してもあとの祭である。そんなセイの心の内を知ってか知らずか総司はその絵馬を手にしたまま、すたすたと奉納所のほうへ向かっていく。まさかあの絵馬を奉納所に奉納するのだろうか?セイの不安は的中した。総司は奉納所の前に立つと奉納しやすいところを物色し始めたのである。

「多分、この娘さん恥ずかしがりやさんなんでしょうね。あんなところに隠して絵馬を括りつけるなんて。」

総司の何気ない一言にセイの心臓はドキン!と大きく跳ねる。

「な、なんで娘さんってわかるんですか?」

 やっぱりばれているのだろうか。ここではさすがに人目もあるから言わないだけなのだろうか?セイの動揺は頂点に達する。

「何となくですよ。」

 そんなセイへ目もやらず、総司は奉納所の一番高い場所--------セイが絵馬を外したくてもそれが不可能な高さのところに絵馬を括りつけた。よりにもよってあんなところに括りつけられたら取るに取れないではないか。セイの絶望感は頂点に達する。しかし、しかしである。

「叶うといいですよね、この方の願い。」

 多分他意はないのであろうが、何気なく漏れた総司の一言。それはセイの気持ちを晴れやかにするには充分すぎるほどであった。今までの動揺、絶望感がまるで嘘のようである。

「ええ-------。」

 たとえ、叶わなくてもいい。総司にそう言ってもらえただけでセイは幸せな気分になれた。





 実は総司が絵馬を見つけたのは偶然ではない。絵馬を買う時、何だか自分の目を避けるようにこそこそ買っていたこと、先程セイの手元を覗き込んだときちらっと懐から絵馬のくくり紐らしきものが覗いていたこと、そして極めつけが裏の厠へ回ったとき、つい先程踏まれたような落ち葉のあと------そちらのほうには人は行くことが無いのであろう、柔らかな腐葉土の上に可愛らしい足跡が残っていたことで気がついたのだ。

(こんなとこでばれちゃうなんて。まだまだ修行が必要ですよ、神谷さん。)

 しかし、やはり筋金入りの野暮天である。総司が発した次の言葉はセイを打ちのめすのに充分であった。

「しかし、神谷さんも大変ですね〜二枚の絵馬でお願いしておかなきゃ神様も迷っちゃいますよね〜。」

 絵馬のことで咎められないのは良かったが、この感想は何なのであろうか?まるで男装してるがゆえに絵馬を二枚奉納したかのような言い草ではないか。

(この野暮天に乙女心をわかってほしいというのは十年早いの?折角霊験あらたかなお社選んだのに・・・・やっぱり厠の近くの潅木に最初括りつけたのがいけなかったのかな〜。)

 今度からはちゃんとお願いするときは奉納所へ絵馬を奉納しようと心に強く誓ったセイであった。




 ちなみに”女子のセイ”の本当の願いは『沖田先生が壮健でありますように。そしていつか自分の想いが届きますように。』である。




                  《終》





《あとがき》
 こちらは壱万打記念アンケート2位&3位&5位のリクのお話です。慣習は盛り込めたけどコメディというには自分としてはいまいちパンチに欠けるな〜。
副長がらみとか兄上がらみのほうがコメディというかギャグは書きやすいかも。いじり易いですよねあの二人。弐萬打の時は絶対この二人出そう。(今回は抹茶さんのところに捧げたお話と被ってしまいそうだったので兄上ネタは避けました。)




《参考文献》
妖怪と絵馬と七福神  岩井宏實著 青春出版社 2004年1月15日発行

日本の伝統を読み解く暮らしの謎学  岩井宏實著 青春出版社 2003年8月15日発行 

江戸の歳時風俗誌  小野武雄著 講談社学術文庫 2002年1月10日発行








うみのすけさんのお宅から掻っ攫って(え?)きた、
トレジャーハンター海辻の初仕事のお宝ですv
いつも丹念に史実や行事、風俗などを検証なさっている
うみのすけさんですが、かといって話が硬くなる訳ではなく。
とても温かな雰囲気を感じられるのが素敵です。

個人的なツボは、セイちゃんが尊敬してる(はずの)沖田先生を
上手に使いつつ、また使われてしまう総司が好きです。
蜜柑まき、そんなにしたかったんですか?(笑)