糠袋縫い
「新選組だ!御用改めを行う、神妙にしろ!」
昼下がりのゆったりした空気がその一声で一変する。
昨日の夜、監察から長州系の浪士たちが会合を開くとの報告があった。その会合の場となっている茶屋に沖田総司率いる新選組一番隊が踏み込んだのだ。隊士に抵抗する者、脇差を振り回す者、そして屋根伝いに逃げようとする者など、茶屋は騒然となり、瞬く間に大捕物が始まった。
そんな中、いつもなら総司の指示がない限り自分の力を省みず先頭を切って捕縛に向かう神谷清三郎---------セイの様子が何だかおかしい。心なしか顔色も悪く、動きも緩慢である。これでは敵と対峙した時、確実に後手を取ってしまうではないか。総司はそんなセイに苛立ちを隠せない。
「神谷さん、何をやっているんですか!」
これでは本人だけでなく、他の隊士にまで類が及ぶ。総司はつい声を荒げたが、セイの足下に視線を落としてハッとする。
「も、申し訳ありません・・・・行きます!」
総司の表情の変化にも気がつかないのか、顔をしかめながらも捕縛へ向かおうとする。しかし、総司に腕を掴まれ動きを阻止された。
「とりあえずこの場は他の隊士に任せますから、あなたは屯所に報告に帰ってください。そして・・・。」
総司は声をひそめ、セイの耳元で囁く。
「そのままお里さんのところへ行きなさい。お馬のようですね。袴の裾が少し汚れてしまっていますよ。」
屯所へ捕物の報告を終えた後--------もちろん報告の前に袴は履き換えた-------セイは鉛のように重く感じる身体を引きずりながら自身の妾宅へと向かった。
「面倒くさいなぁ。なんで毎月お馬が来るんだろう。だるいし気分は悪いし。」
ただでさえ他の隊士より劣るのにお馬の分だけ休まなければならない。それが癪でならないのだが、女子として生まれてしまったからには仕方がない。
「お里さ〜ん、清三郎ですよ〜。」
中に声をかけながら、こぎれいに整えられた玄関の引き戸をがらがらと開ける。中には思わぬ来客にびっくりした里の顔があった。
「あら、おセイちゃん。どないして・・・・そか、お馬やね。今月は少し早かったなぁ。」
里はセイに早く上がるように促す。里の手には小さな紅絹の端切れが握られていて、セイの目を釘付けにする。
「まあ坊が寺小屋から帰ってきたら八木さんとこへ預けてきます。」
里は端切れを置くとセイを寝かすための床の準備を始めた。
「・・・・もしかして今日糠袋縫いなの?お里さん。」
糠袋縫いとは、新しく仕込んだ糠床の余りの糠を使って行う京都の風習である。紅絹を使い、身体を洗うための糠袋を作るのだが、これを月明かりだけを使い縫い上げるのである。女の子の裁縫の上達を願う風習であるが、新選組に入隊してからのセイには無縁の風習でもあった。
「そうなんやけど今回は買占めがあった後に行ってしもうたから、少ししか糠が手に入らなくってなぁ。」
床を敷き終わった里はセイに糠袋縫いに使える糠を見せた。確かにこれでは普通の大きさの糠袋ならば二、三袋がやっとであろう。セイは少しがっかりしたように糠を見つめる。
「判っていたら糠くらい賄方から持ってきたのに。せっかくだから私もやりたかったなぁ。」
あまりにもがっかりした顔をするセイに里は思わず吹き出してしまった。
「ならその糠はおセイちゃんにお願いするわ。うちはまた糠が手に入った時にでもするし。」
そんな会話をしているうちに元気な声が外から聞こえてきた。まあ坊が帰って来たのだ。
セイと里の女子の会話はそこで打ち切られてしまった。
秋草が風に揺れ、鈴虫の鳴き声が庭に響く月明かりの下、セイは一人で糠袋縫いをしていた。
まあ坊がセイの宿泊を快く思わずごねた為に、仕方なく里がまあ坊と一緒に一晩八木邸へ泊る事になったのだ。里は申し訳なさそうな顔をしていたがセイは全く気にはしていなかった。否、むしろいつも以上に体調が悪かったせいもあり一人で寝たいというのが正直なところであった。
「じゃあまあ坊、私はこの家で休ませてもらうからその間お里さんを頼んだよ。」
セイのその言葉に、まあ坊は誇らしげに胸を張り、里と二人で八木邸へと向かったのだった。二人を送り出した後、セイは里が敷いてくれた布団に横たわりしばらくの間眠りについた。よっぽど体調が悪かったのだろうか、セイが起きた時はすでに日が沈んでしまった後であった。
久しぶりに味わう一人きりの夜である。ひとしきり寝て、里が用意してくれていたおじやを食べたせいか大分気分は良くなっている。
月の明かりだけでちくちくと無心に紅絹の糠袋を縫ってゆくと忘れ去っていた女子のセイが頭をもたげる。出来るだけ丁寧に、可愛らしく----------いつの間にか本当にこれが糠袋かと思うような可愛らしい巾着状のお手玉のような糠袋が二つほど出来上がっていた。
「あと、入れる量を調節すればもう二つくらいできるかな・・・・・。」
そう呟いたその時である。
がさがさがさっ。
怪しげな物音が生垣の方から聞こえ、セイは思わず身構える。何者か・・・・しかし、次の瞬間とんでもない人物が生垣をくぐってやって来たのだ。
「かっみやさ〜ん!遊びにきましたよ〜!」
能天気な声とともに生垣を潜り抜け、やって来たのは総司であった。お馬の時にセイを訪ねる事などよっぽどの事がない限りないのに・・・。セイは脱力感に襲われる。
「沖田先生。一番隊組長とあろう者が生垣なんか潜り抜けないで・・・・・うっぷ、お酒臭い・・・・。」
平常なら絶対考えられないような行動や、この酒臭さ。どうやらかなりの量を飲んでいるらしい。お馬の所為もあろう酒の匂いに敏感に反応するセイであったが総司はそんな事はお構いなくセイにすり寄り抱きつく。
「いいじゃないですか〜。今日の捕物ですっごい大物を捕まえることができたんですよ〜一日遅れの十五夜を兼ねて祝杯をあげていたんですよ〜って神谷さんずる〜い。一人でこんな美味しそうなお菓子を食べようなんて〜。もしかしてお馬の時ってお菓子食べ放題ですかぁ〜。」
酔っ払ってやたら饒舌な総司を必死に引きはがそうとしながら、セイの頭の中にふと疑問が湧き上がる。
(お菓子・・・・?そんなものある筈は・・・・あっ、まさか!)
セイが気が付き総司を止めようとしたがすでに時は遅かった。総司がセイに抱きついたのは実はそのためだったのである。動きを封じて目指すものを確実に奪い取れるように。
そう、出来上がったばかりの糠袋は総司の口の中に放り込まれてしまったのである。
「ひどいじゃないですか〜。なんで教えてくれなかったんですか、神谷さん。」
口の中の糠の味に顔をしかめながら--------少しばかり袋が破れてしまったらしい------セイが淹れたほうじ茶と昨日の残り物の月見饅頭で口直しをしていた。
「私が止める前に糠袋に喰いついたのは先生じゃないですか。大体お皿にも折敷にも乗っていないのをおかしいと思わなかったのですか?」
セイは呆れながらも空になった総司の湯呑に新しいほうじ茶を注ぐ。
「それにしても面白い風習ですね。」
総司は縫い上がった紅絹の糠袋を手にとってしげしげと眺めていた。
「京都ならではの風習だそうですよ。お里さんも祇園に来て初めて知ったって言っていましたから。」
セイは縫いかけの糠袋を手に取ると再び縫い始めた。
「あとはこれだけなのですぐ終わらせますね。」
ちくちくと糠袋を器用に縫っていく手を総司はじっ、と見つめる。
「ひとつはお里さんでしょ、ひとつはまあ坊のですよね?ひとつはあなたのだとして…。」
「いいえ、これはお里さんとまあ坊のだけですよ。一人二つずつで。今回糠が手に入ら・・・。」
「糠袋くらいいいんじゃないですか?そこまで男になろうとしなくても。」
その言葉に真剣なものを感じ、セイは縫い物の手を止め、思わず顔をあげる。
「先生?」
先ほどの酔っ払いの総司とは明らかに違う、真剣な表情が月の光に浮かび上がり、セイは思わず固唾をのむ。
「確かに隊に所属しているのなら男であり続けなければなりませんけど・・・・・どうしたって女子を捨てきるわけにはいかないでしょう?確かに武士が糠袋なんて・・・って思うかもしれませんけど、隊内にだって糠袋を使っている隊士だっていますし。」
いつもにも増して真剣な顔で語る総司に、セイはいけないと思いつつ嬉しさを感じてしまった。自分の事をここまで思ってくれているとは・・・・・。
「・・・・先生、それは考えすぎです。」
何となく熱を帯びた空気をほぐすかのようにセイはくすりと笑い、総司にすり寄る。
「か、神谷さん?」
そのすり寄り方に女子のセイを感じ、総司はどきりとして身体を固くした。そんな総司を見つめながらセイは言葉を続ける。
「本当に手に入れたいもののためなら何かを切り捨てなければならない時もありますけど、この糠袋はそこまで御大層なものじゃないですよ。例えるならば昨日先生が食べ損ねたおはぎくらい・・・・・。」
「それは御大層なものですっ!あ〜思い出しちゃったじゃないですか〜。」
総司はまるで子供のように頬を膨らます。
「おはぎ〜!思い出させた罰です、お馬の休暇が終わったらおはぎを作ってくださいよ!」
先ほどよりはるかに真剣な総司の物言いにセイは我慢しきれずに吹き出してしまった。
「はい、お造りしますよ。先生が二度とおはぎなんて見たくないっていうくらい。」
そして、しばらくの間、二人の楽しげな笑い声が消えることはなかった。
実は新選組の賄方が沢庵漬けを漬けるためにかなりの量の糠を買い占めてしまったらしい。その直後に糠を取りに行った里がとばっちりを受けたというのがこの話の顛末である。そしてそれを命じたのは大の沢庵好きの土方であったのは言うまでもない。
《終わり》
《参考文献》京都な暮らし 入江敦彦著 幻冬舎文庫 平成19年4月10日発行
《あとがき》
隊内で糠袋を使っているのはもちろんかっしーを始めとする伊東派の面々です。
歳の糠の買い占めもそれが原因かもしれません(笑)いやがらせとして。
ふ、ふふっ、ふふふふふっ、にょっほほほほほっ!!!!(崩壊)
すっごいでしょう? 凄すぎですっ! うみのすけさんの1点モノ!!
こんなトンデモナイお宝を、このへなちょこサイトに頂いてしまいましたよっ!
シンジラレナーイ(感涙)
ほんのちょびっとだけ、うみさんのサイトのお手伝いを押しかけでさせていただいたら
ご褒美にって・・・。
エビで鯛どころか、オキアミで鯨を釣っちゃったよ〜!
お話が届いた夜は心拍数が上がって眠れませんでした。
何度も起きては「夢じゃないよね」と、パソ子を覗き込んでは安心するという状態。
頭の血管が切れるかと思いましたよ〜(汗)
お話の内容は海辻なんぞが口にすべきではないのですが、やっぱりスゴイ。
我侭にも海辻がリクエストした「京の風習を絡めた総セイほのぼの話」というものに
きちんと仕上げてくださってます。
しかもセイちゃんと里乃さんとの女子の会話有り、総司の野暮天炸裂かと思いきや
女子の部分を許容する優しさとか、でもセイちゃんに女子の空気を感じると
思いっきり動揺する様子など・・・萌え処満載です。
そしてメールで「内海さんも糠袋を使ってたらちょっと怖いかも」と申し上げた海辻に
「内海さんはカッシーの命令で“仕方なく”使ってるんですよ。彼も被害者」と、こそっと
うみさんが教えてくれました(笑)
結局伊東派は皆、絹の肌なんですね〜(怖っ)
そう言えば以前“遙か”の二次創作で知ったのですが
『紅絹』 って “もみ” って読むんですよね。
“女物長着の胴裏や袖裏に用いる紅(べに)で染めた無地の平絹” と、辞書にあります。
確か着物に使った端切れを昔の女性はハンカチ代わりに使ったり
爪を磨いたりした、と何かで読みました。
こんな所でもさり気なく女子のアイテムが出てるんですよ、うみさんの作品は♪
うみのすけさん、素敵な作品を有難うございました。
これからもガッツリ憑いて(怖っ)まいりますので、どうぞよろしくお願いいたします(礼)。