燗酒五部作 其の肆〜人肌
(門付 屯所風景)
「おや、神谷君は屋敷万歳を見た事が無いのかい。」
少し驚いたように近藤は小姓のセイに尋ねた。
広島に行っている間に溜まってしまった仕事を片づけながら
新年の門付の話になり、その中で屋敷万歳の話が出たのである。
「去年壬生にいた頃、門付の振りをして
不逞浪士が入り込んできたじゃないですか。
もしかしてあれが屋敷万歳なんでしょうか?」
セイは去年の事を思い出しながら近藤に質問する。
子供の頃四谷という武家町に住んでいながら
凧上げに夢中になって万歳を見た記憶が全くない上に
京都に越してきてからも見るものは町万歳と言われる
質の悪い万歳ばかりであり、父に見るのを禁じられていたのだ。
よってセイは武家の屋敷を中心に活躍する
屋敷万歳というものをまったく知らない。
「恰好だけはそうだな。しかし芸は全く違うものだよ。
だからこそすぐに化けの皮がはがれたんじゃないか。」
近藤がセイにそう言った時、
ちょうど源さんがちろりを手に局長室にやって来た。
「若先生、ちょいと旨い戻り酒が手に入ったんじゃが。
歳の奴は飲まないし少しばかり付き合ってもらえんかのう。」
「ああ、源さんそいつはいいな。
たまには気兼ねなく旨い酒が飲みたいもんだ。」
近藤はそう言って源さんに席を勧め、
源さんが持ってきた猪口を手に取った。
人肌に燗をしてあるその酒は口当たりがよく、
するすると口の中に入ってゆく。
昔からの気兼ねのいらない仲間と飲んでいるせいか
近藤の口はいつもにも増して滑らかになっていった。
「そうそう今話していたんだが、神谷君は
本物の屋敷万歳を見たことがないそうなんだ。」
「ほぉ、それは気の毒に。あれほど面白いものはないぞ。」
酒をちびりと飲んだ後、源さんは三河万歳の万歳歌の一節を吟じ始めた。
普段は歌など歌う事がない源さんだが、意外なほどいい声で吟じてゆく。
「・・・この歌の後に掛け合いが始まるんじゃがな。」
セイがほれぼれと聞き惚れている間に歌は終わり、
セイは慌てて空になった源さんの猪口に酒を注ぐ。
「へぇ、そうなんですか。」
その掛け合いというものも気になるが
まさかこの二人にねだる訳にもいかない。
が、しかし近藤の口から意外な言葉が飛び出したのだ。
「どうだ、源さん。悪いが才蔵役をやってもらえないかな。
私はああいった機転は利かないんで太夫役をやらせてもらいたいんだが。」
セイが驚くのを尻目に、
近藤と源さん意外な二人の屋敷万歳が始まってしまった。
そしてその直後-------
「きゃはははは!」
セイの馬鹿笑いが屯所中に響き渡る。
「・・・あれは、神谷さんの笑い声ですね。」
丁度巡察から帰って来たの総司が耳聡くそれを聞きつけた。
「沖田先生、良く判りますね。」
山口が半ば呆れたように答える。
「だってあんな高い声の持ち主は
神谷さん以外屯所にはいないでしょう。」
そう言いながら複雑そうな表情を浮かべる。
何がそんなに楽しいのだろう、自分の許を離れていながら
あんなに大きな声で笑うなんて・・・・。
と思った矢先である。
「ぶわっはっはっはっはっ!」
今度はセイの声とは似ても似つかぬ
図太い男の声が屯所に響き渡ったのだ。
「こ・・・近藤さん、源さん、あんたら面白すぎるぜ!」
ひきつり笑いをしながら土方が笑い転げる。
そう、近藤と源さんの屋敷万歳を聞いていたのは
セイだけでは無かったのである。
隣の副長室にいる土方にも丸聞こえで、
そのあまりのおかしさに耐えきれず思わず笑ってしまったのだ。
「ふ、副長笑いすぎです!」
「これが笑わずにはいられるかってんでぃ!
ろくすっぽ宴会芸なんて縁がないと思ってたが
まさかこんな才能があったなんて。
・・・・・知らなかったぜ、お二人さん!」
剣術と同様生真面目な万歳歌を歌う近藤に対し
一見抜けていそうに見えるが機転の利く源さんが
絶妙の間で近藤に合の手を入れるのだ。
しかも源さんにしか知りえない
近藤のかなり恥ずかしい過去を歌に合わせて。
そして動揺しながらも
近藤がさらに真面目に歌い続けてゆくのが
また笑いを誘ってしまうのだ。
太夫と才蔵そのままの芸に二人が笑い転げるのも仕方がないが
そんな騒ぎを周囲が放っておく訳もない。
「いったい何事ですか!屯所の外にまで笑い声が聞こえましたよ!」
セイだけではなく土方まで一体何事か。
憮然とした顔のまま総司が局長室を覗き込む。
「おお、総司か。何だ、もう少し早く来れば
近藤さんと源さんの屋敷万歳が聞けたっていうのに
間が悪い奴だな。」
「残念でしたね。屋敷万歳があんなに面白いものだなんて
初めて知りました。もうおかしくっておかしくって。」
セイに至っては目に涙を浮かべながら笑っている。
「・・・・近藤先生、一体何の芸を二人の前でやったんですか。」
「ははは・・・・それはなぁ、源さん。」
「そうじゃのう・・・勢いでやってしまったところもあるからのう。」
その言葉を聞いて何を思い出したのかセイと土方は
再び笑い出す。総司はますます面白くない。
「まぁいいじゃねぇか。またの機会という事で。
それより巡察の報告はどうした、総司。」
結局話をはぐらかされてしまい、なんともいえない
もやもやした気分のまま総司はその場を離れる事になってしまった。
後日どうしても近藤と源さんの三河万歳を諦めきれない総司は
セイに問いただしたのだが、
『源さんしか知らないような局長の過去が合いの手で出てきた。』
としか言ってもらえず、その内容は結局わからずじまいであった。
《終わり》
セイちゃんと歳が大笑いするような局長の恥ずかしい過去って何でしょう?
私もぜひ知りたいものです。
ちなみに屋敷万歳も町万歳も三河万歳(漫才ではない)なのですが
決まったお屋敷だけで芸をするのが屋敷万歳。
下町あたりの庶民の家でやるのが町万歳です。
町万歳は受け狙いのかなりえげつないネタも多かったみたいで
下に見られていたそうです。
屋敷万歳も下ネタは含んだみたいですが
そこは上品に『子孫繁栄』位に抑えてたみたいで(笑)。
万歳なんかやりそうもない二人にあえて万歳ネタをやってもらいましたv
4作目、『人肌』です。
大大大好きな局長と大大好きな副長、その上大好きな神谷さんの三人が
とてつもなく楽しそうなのに仲間はずれの総司が哀れです(笑)
局長と源さんがどんな万歳をしたのか、実に気になりますが
それと同時に斎藤兄上は絶対に縁の下で笑いを噛み殺すのに
必死になっていただろうと思いました(爆)