2007年9月16日 浅草散策オフ報告



午前中、ちょっと家で用事があったので遅れて参加。
両国の江戸東京博物館で奈鳩さん白神さん柏木さんと合流。
これ以後、柏木さんは海辻に『かっしー』と呼ばれました(笑)


博物館内は江戸期・明治の展示物が色々とあったのですが、かっしーが若いわりに
意外に知識が豊富で、とにかく楽しい。
昔は江戸のあちこちで山車(2階建てで車輪のついているアレ)を引いての祭りがあった
という展示を見て、「へぇ」と感心している海辻に、今も埼玉の川越ではそのお祭りが続いていて、
という話から、蔵の街になった由来や水運業の雑学などを説明してくれました。


長い長い巻物に商家の並んだ大通りを延々と描かれた絵を見ながら、
奈鳩さんが「黒い壁は裕福な商家が好んで染めたらしいよ」と言えば、
かっしーが「つまり、うちは盛況です、って公言する意味もあるんですね」。

・・・鋭い、鋭いよ、その考察!!

海辻はそんな方向に思考は行ってなかったよ。
ぼーっと見ながら「この黒壁で書かれてるのは味噌屋だなぁ」なんて考えてたくらいだ。
確かにそれは何よりの宣伝。貴女の一言は時に眼から鱗だ〜。


でもこのお嬢さんは時々困った発言をする方で、突然
 「これ、“女駕籠”って書いてありますけど、男は乗らないんですか?」
 等という質問をしてきます。
目の前にあるのは大名のお姫様等が乗る、綺麗に蒔絵を施された木製の4人で担ぐ女駕籠。
別名姫駕籠。
海辻は「女駕籠って言うんだから、女の乗り物なんだ」と今まで何の疑問も持たずにいたのですが、
その質問にわたわた(汗)
少ない記憶を引っ張り出して 「女駕籠っていうくらいだからそうだろうし、確か落城の際に
“女駕籠に隠れて脱出した殿様”っていうのが、恥ずかしい人っていう視点で見られていたはず。
だから女性に限定された乗り物なんだと思うよ」

・・・冷や汗ダラダラでした。妙な質問をしないでください、かっしー。
そしてこの時、数歩先にいた奈鳩さん。後で「背中で聞いてましたよ」と仰ってましたが、
助け舟を出してください。イケズなんだから(笑)


内部の展示物は本当に色々あって、戦国期に江戸城を築城した太田道灌に関するものやら
歌舞伎に関するもの。細かい部分は覚えておりません(汗)
その中でも印象的だったものの一つが蘭学のコーナーにあった蘭医の医療道具です。
糸鋸のようなものがあって、「これって何に使うのかな〜」 「骨を切るんじゃないかな?」
「だったら刀でバッサリの方が良くない?」 「それだと痛いからこれを使うとか?」
「鋸でギコギコの方が痛いよ〜。やっぱりバッサリ」

・・・・・・妙齢の女性達の会話がこれで良いのだろうか、と(笑)

戊辰戦争の時、伊庭八郎氏は自分で負傷した腕を切り落とした、という話ですが、
蘭医にそんな剣の腕を期待してはいけないのでしょう。
だから鋸でギコギコ・・・ああ、痛そうです(汗)



一通りの展示物を見てから博物館を出て、皆でぷらぷらと浅草を歩き神谷バーの前で
「何だか笑える」と言いつつ、もんじゃ焼きとお好み焼きの店で遅めのランチ。
我侭貴腐人と欠食子犬の為に、せっせと白神さんがお好み焼きを焼き、もんじゃを焼き、
立ち上る高温の湯気にもめげず作成したブツは、無言のままはぐはぐと頬張る前出2人の
お腹の中に消えていきました。とても美味しかったです♪
白神さんのお手伝いをしていた奈鳩さんとふたり、落ち着いて食べられなかったのは存じております。
そしてそんな貴女にかっしーが捧げた称号が『鉄板奉行』。
私からは剣聖ならぬ、『コテ聖』と。
実に素晴らしかったです、貴女のコテさばきは。もう、うっとりでした。
海辻は、あのお餅がホールインワンした瞬間に「絶対に手出しはすまい」と心に決めていたのです。
(うっかりお手伝いをしようとした海辻が、お餅を1個ゴミ穴に落とした事件です)
慣れない人間は余計な事をしてはいけません(笑)
しかし今回のツアーの主催とは言え、白神さんは神経が細やかだ〜。


お腹が満足してから、またぷらぷらと伝法院通りの店に時折引っかかりつつ、浅草寺に軽くお参りをして
(ここでかっしーが御神籤で凶を引きました。しかも置いていくために紐に括り付けている時に
ブチリと紙を千切るというオマケつき。愉快すぎるよ、かっしー(笑))、あっちだー、こっちだーと
言いながら今戸神社へ。


今戸神社は松本法眼宅があった辺りという事で、『沖田総司終焉の地』という碑が立っていました。
が・・・その文字が笑点の題字を書かれた方の手蹟という事で、ポップすぎ。
亡くなった方、しかもあの時代の方の事を書くのにこれはちょっと、と海辻はぶつぶつ。
奈鳩さんが笑ってました。

あの一帯は東京大空襲の関係でほとんど当時を偲ぶものは残ってませんが、
奈鳩さんが「道だけは変わらないですよ〜」と言っていたのが印象的でした。
それと境内にある御神木。大銀杏とか、きっと見ていたでしょうね、総司を。
今は当時の面影を偲ぶことも出来ない境内で、ひとりシミジミ。

「あの〜、この後甘味処に行くんですよね?」
振り向くとヤツがいる。
「白神さ〜ん、子犬が鳴いてるから甘味処行こ〜」
海辻の言葉に爆笑する方、微妙な表情の方。
でもこれで完全にかっしー=子犬は定着いたしました(笑)


またまたプラプラと仲見世を冷やかしつつ、甘味処『いづ美』を探しました。
が、中々見つからない・・・。
日野の時よりはマシとは言え酷暑の中、歩き通しの年寄りはそろそろ限界。
「白神さ〜ん、そろそろ“疲れた〜”って海辻がキレるよ〜」
・・・我侭を承知で自己申告。
でもね、白神さんだけではなく奈鳩さんまで一緒になってキョロキョロと店を探し出さなくても良いと思うの。
そんなに慌てなくても暴れたりはしないから。ちょっと言ってみたかっただけだから。
そんなに怖いかな、私(汗)


ようやく見つけた甘味処では、かっしーがまたまた笑いを取りました。
白玉クリームみつ豆を食べていた彼女は、ついてきた黒蜜を一気にザザッとかけ、
私が残していた黒蜜半分も思い切りよくかけて、黒蜜の海に浮かぶ白玉を
それは実に美味しそうに食べてました。
そして黒蜜汁を飲み干した貴女は総司並の甘味大王。
是非に次はぜんざい10杯にトライしてくださいませ(笑)



そして一同新宿に移動してutaさんと合流。
しきりに「仕事が無ければ昼からご一緒したのに」と言い募るutaさんを宥めつつ、
本日最後の目的地の飲み屋へ。

ここで驚いたのが白神さんがビンゴを用意してきていた事。
しかも風光るビンゴ!
関連する方々の名前やアイテムを各自書き込み、それでビンゴをするんです。
何て細やかな気遣い・・・驚くと共に見習うべきだなぁ、と感心しきり。
のこのこくっついて歩いてるだけで、我侭三昧の我が身を振り返りちょっと反省いたしました
・・・が、すぐに忘れて楽しい語らいに参加。

奈鳩さんとは最近何かとお話をさせていただく機会が多いので、相変わらずの幕末歴史話に盛り上がり、
utaさんが義経北上伝説についてこられるのに驚き喜び、
柏木さんの親御さんのご実家が青森の最北端で北海道が見えるという話に萌え、
白神さんの酔いの回ったトロンとした目をからかい。

気付けば海辻とutaさんはビールやら酎ハイやらを6.7杯ずつ飲んでいて、
知らない間に白神さんもそれを追走。
ほとんど外で飲んだ事は無いと言っていたかっしーも梅酒を4杯も飲んでいて、
飲んでいないのは奈鳩さんだけという・・・とんでもない酒豪の一団。
何故に酒豪かといえば、それだけ飲んで誰も完全には酔っていない(汗)
ほろ酔い気分程度なんですよ。
もっともジョッキではなく、ビアグラスでお行儀良く・・・だったせいもありますが(笑)


とにかく楽しく過ごさせていただきました。
ブログにも書きましたが、素のままで歴史に対する勝手な考察を言い募っても
誰も痛い者を見る目をしない、そのまま風光るの妄想を絡めようと自然に乗ってきてくれる。
こんな貴重な環境など滅多にありません。
大切にしたい繋がりだと思いました。


主催という事で細々と神経を使い、皆が飽きないように楽しめるようにと
心を配ってくださった白神さん。
相変わらずの海辻の自作品に対する自信の無さに「頑張れ。面白いよ」と
励ましの言葉をくださりつつ、話を聞いてくださった奈鳩さん。
数多くの雑学を交えつつ、笑いを振りまきつつ、散々海辻にいじられてくださった柏木さん。
そして今回もお仕事の関係上お昼からは参加できなかったけれど、相変わらずの可愛らしさで
和ませてくださったutaさん。

また是非遊んでやってくださいませ。
心からの感謝を込めまして、本当にありがとうございました(礼)


                                         海辻 那由