日野漫遊萌え全開オフの報告。
2007年8月13日。
参加者は藤枝さん、奈鳩さん、秋原さん、白神さん、柏木さん、utaさん、そして海辻でした。
前夜は2時間も眠れずドキドキしながら出かけました〜。
普通なら1時間半程度で到着するはずが、首都高で迷って時間を大幅にロスした挙句、
やっと入った中央道にて『相模湖を先頭に渋滞35キロ』などという非常識な事態に
巻き込まれましたが、どうにか待ち合わせ時間前に到着。
ぼちぼちと集まられた各サイトの管理人様達ときたら・・・十人十色に魅力的な方々過ぎてっ!!
海辻、正直少し引きました(汗)
だって正統派美人さん、総司並に甘味大好きで良く食べる少年のような方、
静やかだけれど要所要所で締めてくる方、大人の落ち着きを纏った凛とした方、
それでもって手の平でコロコロと転がし撫でくり回したくなる方がふた〜り♪
うわ〜、何だ何だこの集団わっ! こんな中に入っていいのか? 場違い極まり無いじゃないかっ!
・・・と、引いたのは一瞬の事・・・
こそりと静かに小さくなって後ろからついていくはずの海辻は、何故か先頭を切って歩いていました(爆)
年寄りの押しの強さで図々しさってやつだいっ!!
それも事実ですが、本当は何より暑さが最大重要事で、人見知りをしている場合ではなくなりました〜。
神経は「どう暑さと戦うか」の一点に絞られ、気づけば妙にデカイ顔をしてて、
「はじめまして」の謙虚さ等どこへやら(汗)
特に後半は暑さと疲労でバンバン出てくる自分のタメぐちと暴言にもはや歯止めも効かず、
「もういいや〜」と投げやりにすら・・・。
何だか一杯失礼をした気がします。
でも楽しかったです〜。
では旅日記。
集合は高幡不動駅だったので、そのまま高幡不動へ。
副長の像がありまして、新選組両雄の碑、というものもあります。
像は台座の上から私達を見下ろしているのですが、utaさんが「あれって等身大なんですかね」とポツリ。
その瞬間に「登って比べてみる?」と返事が・・・
一気に笑いこけて「はじめまして」の緊張は吹き飛びました。
像の後ろに石田散薬の素になる牛額草なる草がわさわさと生えておりました。
私には雑草にしか見えなかったです(笑)
そのまま本堂にお参りして・・・そこで海辻はこの日最初の痛恨の失策を犯しました(涙)
ここをご覧の同行の皆様、申し訳ございません。
先程これを書くために高幡不動のHPを見ていて思い出しました。
海辻は 『大嘘』 を言いました!!!!!!!
純真なutaさんの質問に「明治の神仏分離令で〜」云々とエラそうな講釈を垂れ流しましたが、
あれは八坂神社の事です!!
高幡不動は奈良時代とも平安初期とも言われる程古くからの由緒ある古刹寺院ですっ!!
申し訳ございませんっ(土下座)。
とんでもない記憶違いをしておりました〜。
ここに謹んで訂正とお詫びをさせていただきます(号泣)。
ああ・・・きっとこの時に、この後で色々起こる失策は暗示されていたんだ・・・。
海辻の凹みは置いといて。
熱気うずまく境内をうろうろしたのですが、奥殿と大日堂は休館日で見れず、
副長の書簡や木剣、お位牌などは次回に持ち越しとなりました。
それでも『鳴り龍』のある最奥の大日堂の前まで皆で歩き、その前に着いた瞬間に何故か散開(笑)
庭木を見る人、軒先の天井を見上げる人、瞬間的に日陰を探して我先にと涼むやつ
・・・微妙にまとまりがなく面白い。
それぞれが自分の興味がある場所に散るんですよ〜。
でも少し経つとわらわらと集まってくるんです。
これもまた何か楽しい(笑)
「これからどうする〜?」
と言いながら休憩所に向かう途中にあった境内の案内図を見ていたらお寺に沿って
自然散策路があり、色々な花や木の名が書かれていました。
その中に「崖注意」という文字が・・・。
それを見て「危ないけど、行ってもいいって事だね」という言葉に
「一応書いたんだから、事故があっても自分の責任だよ〜、という事じゃないですかね」と
ボソリと返した海辻の言葉に、皆様が引いてなかった事を祈ります(汗)
寺内の無料休憩所でまったりしているうちに、白神さんが遅れて到着。
お土産にお菓子をいただきました♪
その前にも奈鳩さんから落花生パイもいただいていたので海辻の夜食は決定しました〜。
そして藤枝さんが買った歳三饅頭をこの場で食べました。
表は中島登さんが書いた歳三の絵で、裏に『歳三』と書かれた人形焼です。
微妙に笑いを誘いましたよ〜。
皆様色々な食べ方をされていましたが、私は頭からばくり!
何も考えずに齧り付いたのですが、食べかけの首の無い饅頭を見た瞬間に
裏を向けて食べなかった事を猛烈に後悔しました(汗)
ご・・・ごめんよ、副長。 と思いつつ、残りを口の中にポイッ。
証拠隠滅、後腐れ無し、って事で。
では次の予定地、石田寺に行こうとなりました。
海辻は車で来ていたのですが、これは普通の乗用車。定員は5名です。
ですので2度に分けて輸送する事に。
暑さに強い方を炎天下のお寺へ先に運んで、その他の方は涼しい休憩所で待機。
わずか車で5分の場所なのですがね・・・迷いました(汗)
川沿いに入っていったら行き止まり。戻って次の道を進むと曲がり角ばかりの住宅地。
車内にいてもじりじりとした日差しが腕と眼を焼き汗がだらだら。
思わず海辻が「なんだかもう、汗っていうよりアヤシイ汁が出てる気がする」と呟くと
すかさず奈鳩さんが「肉汁?」と切り返しました。
このセンスの良さ! 思わず拍手をしたくなりましたよ〜。
ハンドル握ってたから出来ませんでしたけど(笑)
どうにか目的地に到着して第二陣も輸送し、お墓参りならお線香も必要だろうと
再びハンドルを握りutaさんとコンビニへ。
できればお花も欲しかったのですが、さすがに地元でない場所では店の場所もわからない。
心残りはあれど、お線香だけ購入してお寺に戻りました。
副長のお墓は土方家(副長の兄の家系)のお墓の隣に並んであります。
墓石の前には副長の写真もあって間違えようも無いのですが、副長にお参りしてから
皆さん隣の土方兄家のお墓にもきちんとお線香をあげご挨拶していました。
私も勿論。
静かに眠っていらっしゃるだろう方々は、日々騒がしく現れる副長ファンの人間達に
実は迷惑なさっているのではないかなぁ、と。
ですから「いつもご迷惑おかけしております。申し訳ありません」とお詫びと共に、
「ありがとうございます」とお礼を。
周囲のお墓の方々にも暫し眼を閉じ同様にお祈りしました。
他の方がお参りしている間に周囲の墓石を見回していた柏木さんが
「ほとんど土方姓ですけど、村全体が同姓って事はあるんですかね?」とぼそり。
「う〜ん、詳しい事は判らないけど昔は庄屋とか一部の家しか苗字を許されてなかったから、
そこと縁ができれば必然的に同姓になっただろうし、墓石に苗字がついてる家って事は
同族みたいなものだったのかもね」
・・・またまたアヤシイ海辻の推測に純真な柏木さんは頷いていました(汗)。
今回は「でもいい加減な知識だし、適当な推測だから信用しないでね〜」
ときちんと言い訳しておきましたから!
ただ江戸期は一村同族っていうのは多かったのは事実ですしね。
それが日野の石田村にも適用されるかは調べなくては何とも言えませんが。
副長へのお参りを終えて車に戻る途中に大きな木があって、何だか兄や姉に手を引かれて
両親のお墓参りに来た幼い歳三が登ってる姿が思い浮かびました。
帰宅後に調べてみたところ、この大木は樹齢400年とも言われる榧(カヤ)の木だそうです。
間違いなく歳三の姿を見守っていた事でしょう。
次の予定地へ行く前に昼食にしようと万願寺近くのファミレスへ。
ここで藤枝さんの美麗絵の原画を拝見。
いや、すっごいんですよっ!! 原画ってネットで見るのと違うんです。
上手に表現出来ないのですが、絵が生きているというか別格のオーラを発しているというか・・・
とにかくスゴイんです!!
皆で回して見ていたのですが、あちらこちらから「はぁ〜」とか「ふぅ〜」とか溜息が続出。
漫画のコマに私達の席を描いたなら、きっと小さな溜息の吹き出しで
全て埋まってしまったのは間違い無いほど(笑)
やっぱり絵師様の指は魔法の指だ〜。
笑えるのが皆さんスケッチブックやポストカードホルダーに納められた美麗絵を手に取る前に
必ずおしぼりで手を拭くんですよ。
「万が一でも汚しちゃなんねぇ!!」という気持ちは誰もが一緒(笑)
藤枝さんご本人は「家では描いては後ろに放り投げてるんだから、そんなに気を使わないで」
と言うけれど、そうは参りません。
何たってお宝お宝♪
水滴ひとつでも許せないのがファン心理って事で。
次の土方歳三資料館の混み具合を見るために炎天下、軽やかに走り去ったutaさんが戻ってきて
「今なら空いてます!」と言うのでガサガサと移動。
ファミレスから徒歩3分程度の副長の家に皆さんには歩いてもらい、私とutaさんが少し離れた
有料駐車場に車を置いて戻ってくると・・・何故か資料館の前で皆様が待っていらっしゃる(汗)
・・・このクソ暑い路上におらずとも・・・。
皆様の優しさが身に沁みると同時に、「先に中に入っててください」と言わなかった
自分の気遣いの無さに凹みました。
で、土方歳三資料館。
展示物は色々あったのですが、印象に残ったのは和泉守兼定と天然理心流の木刀。
木刀はとにかく太い!
奈鳩さんと「こんなもんで素振りしていたら、すぐに肩や肘を壊しそう」とぶつぶつ。
ほとんど丸太と呼んでもいいぐらいのもので、これって斬るより殴るための修行ですか?
などと思ってしまいました(笑)
兼定に関しては入手時期が色々言われていて確かな事はわからない、と記憶していたのですが、
朱色で鳳凰と蔦が散る鞘の説明が会津塗りとなっていて思わず
「やっぱりこれを作ったのは古川さん?」などと妄想がむくむく(笑)
隣にいた秋原さんと「やっぱり柄の巻き糸の握る部分が磨り減ってるよねぇ。
あそこを握り締めていたんだろうねぇ。触ってみた〜い」などと話しました。
ここで京都の古地図が販売されていたのですが、壁に貼ってあった見本を指差し藤枝さんが
「ここが壬生屯所で、ここが頂妙寺。総司はこんな距離をとことこ歩いてセイちゃんを救い、
この場所で初めて人を斬ったんですね〜」と説明。
・・・すみません。
この瞬間まで私は頂妙寺という場所は架空の物だと信じて疑いもしませんでした(汗)
感動のあまり、思わず古地図を買ってしまいましたよ〜。貴重な資料ゲット♪
建物の玄関先にわさりと生えている歳三手植えの矢竹を見て、これでここの見学は終了。
次は佐藤彦五郎資料館へ車で移動。
駐車場まで移動して半分の方には近くのコンビニで待機してもらい発進。
・・・しましたら、またまた迷子(汗)
私が妙な地図の印刷の仕方をしたためにナビしている藤枝さんが「ここはドコ」状態になりウロウロ。
それでもどうにか辿り着き、第二陣も無事に到着。
ここで海辻はこの日最大の痛恨の失敗をやらかしたのですが、これは新選組ファンとして
あるまじき事なので内緒にさせてください・・・。
あぁ、何度思い返しても穴を掘って埋まりたい〜〜〜(号泣)。
き、気を取り直して。
この日は館長さんが旅行で不在という事で、ご主人が丁寧に説明してくださいました。
色々と楽しいお話があったのですが、あれは現地に行ってご自分で聞かれた方が
絶対に良いと思うので細かい事は書きませぬ。
展示物が色々あり、興味を引くものが山盛り。
でもその中でも近藤が浪士隊に入る2.3年前に彦五郎に贈ったという短筒が一番気になりました。
その場でも言ったのですが、試衛館というのは小さな町道場でしかなく、その頃の江戸は
まだまだ幕府の目が届く場所で鎖国の真っ最中。
そんな場所に居た貧乏道場の道場主(失礼)が、こんなもんをどうやって手に入れたのか。
すっごい謎じゃないですか?
奈鳩さんも「名主という立場で大きな存在だった佐藤家から近藤へならまだしも、
近藤から彦五郎へっていうのは不思議ですよね」と言ってました。
この話はこの後も折に触れては話題に上がって、最終的には会津でも話してました。
それぐらい意外性のあるブツだったんですよ〜。
それと歳三が彦五郎に京土産として送ったという綺麗な茶碗もありました。
茶碗といっても中国茶を飲む時の小さなサイズのもので、佐藤家では長い事酒盃として
使用していたそうです。
土方資料館にも歳三が隊士募集の東下の際に土産として持参したという丼よりかなり大振りな
鉢があったのですが、確か土方は関所すら駕籠から降りずに駆け抜けた、
という逸話が残っていたはずで。
駕籠の中で大事に丼と茶碗が入った箱を抱えていたのかなぁ、などとニヤニヤ。
壁に古写真が貼ってあって、その中に明治初めの日野宿を街道を中心に何枚か撮ったものが
パノラマ状に繋げてあったのですが、その街道を間違いなく彼らが歩いたのだろうなぁ、
と感慨深かったです。
家々が固まってあって、周囲は一面の田畑。
その中に1本伸びる街道を彼らはどんな想いを抱いて歩いたのでしょうね。
土方資料館でも佐藤資料館でもそうなのですが、刀や槍がそのまま現存している事に
正直驚きました。
第二次大戦の折、軍の命令で鉄と名のつく物は悉く、時には寺の梵鐘でさえ
供出された事は有名です。
それがこれだけの武器というものが残っているとは。
勝手な妄想なのですが、明治政府の流れを汲む当時の政府通達に逆らってでも両家の方々は
幕末の勇将の形見を守りたかったのかなぁ、なんて思ってしまいました。
きっと色々とご苦労もあったでしょうに、貴重な品々を守って来られた両家に密かに感動してました。
総司の文の書き方だとか面白おかしく説明してくださったご主人が、とても素敵な絵を描かれる事に
皆で驚愕したり、楽しく過ごした土方資料館はここまで。
では最後の目的地、八坂神社へ行こうという事になり。
歩いても5分程度の場所なので「若い人は歩け〜」と歩いていただいて他は車で移動。
うるさい蝉の鳴き声の中、八坂神社はひっそりありました。
高幡不動での勘違い発言はこちらの事で、もともと普門寺内に組み込まれていた
牛頭天王社という神社が明治の神仏分離令で切り離され、八坂神社となったとか。
あぁ、やっと正しい情報を報告できたよ(ほっ)。
こちらに近藤や総司の名がある奉納額があるというので見れるかなぁ、と楽しみにしていたのですが、
残念ながら見れたのは公開する時に額を飾るための枠だけでした、がっかり。
でも暗い社の中を格子越しに覗き込もうと、みんなして格子に張り付き、光を遮る為に
目の周りを手の平で筒状に覆っている様子ははっきりいって笑えました。
なんだか可愛いよ〜、みんなして〜(爆)
今は狭い境内なのですが、きっと当時はもっとずっと広くて、額を奉納した頃の総司は
15歳ぐらいですから近藤さんの後をついて回ってたでしょうね。
奉納試合もしたはずですから、きっとこの社に師弟揃って手を合わせて・・・。
素振りをしたり軽い打ち稽古をしたり、彼らの姿があちらこちらに見える気がしました。
社の中を覗き込んだ時、「何だか妙な構造をしているなぁ」と思ったのですが、
家に戻って調べてみたら私達が張り付いていた格子のある建物は“鞘堂”で
中にあった大きな神座らしきものが拝殿だったようです。
考えてみたら平泉の中尊寺金色堂と同じ構造でしたねぇ。
その場で気づかなかったのがちょっと残念。色々と壁面に彫ってあったみたいです。
最も堂内は暗くてあまり見えませんでしたけど・・・オペラグラスを持っていくべきだったのかな。
とりあえず、これで予定していた場所は全て回りきりました。
時間も少し早いし、だったらお茶でもしようかと再び2度に分けて移動。
第1陣を乗せて車を走らせ、ぐるりと八坂神社を回った時に元気に日野駅に向かって走る
待機組のはずの柏木さんを発見。
・・・そういえばさっき「駅前のタイ焼きが美味しくて有名なんですよ。誰か食べませんか?」
と嬉々として言っていたなぁ、と思い出して思わずクスリ。
可愛いなぁ、元気だなぁ、若いっていいなぁ、と笑ってしまいました。
が、彼女の真価はこの後知る事となります(笑)
某チャイニーズ系ファミレスに落ち着いてからは其々に萌え語りが始まり、
なんというか・・・オタクっていいな(爆)
同じ資料館で同じものを見ていたはずなのに、視点や印象に残ったものがかなり違うんです。
話を伺っているとウンウン頷きながらも面白いなぁと感じました。
ここでutaさんが、以前藤枝さんのサイト2周年記念でリクエストした絵の原画をいただいたのですが、
それを目の前に置いてポーッとしていたのがあまりに印象的でした。
丁度私の前の席だったので観察していたのですが目が潤んで心は完全に
絵に吸い込まれている気配。
「utaちゃん、utaちゃん、ヨダレ垂らしちゃ駄目だよ、絵が汚れるよ」と
思わず言いたくなるぐらいに放心状態(爆)
可愛かったですよ、本当に。気持ちはわかりますもの。
その後、参加者の皆さんに藤枝さんが一枚ずつポストカードを下さったのですが、
みんな同じ顔をしてましたから(笑)
最初「2種類あって、それぞれ半端な数だから同じ物はあげられないの」と
申し訳なさそうにしながらも、それでも「それで良ければあげようか?」
という顔の藤枝さんが異様な気配を感じて振り向くと、
そこには目をキラキラ(ギラギラ?)させた白神さんと柏木さんの食いつきそうな笑顔が・・・。
本気でのけぞってましたよ、藤枝さん(爆)
でも他の皆ももちろん私も同様の顔だったと思います。
その勢いで揃って美麗イラストをいただきました♪
そんな感動の中、柏木さんは白神さんとタッグを組んで次々と甘味を摂取しておりました。
胡麻揚げ団子、フルーツ杏仁豆腐、よもぎ饅頭、他にも食べてたなぁ・・・ここに来る前に
タイ焼きも食べてたはずなんだけど。総司並の甘味好き。さすがは食べ盛りという所でしょうか(笑)
静やかに集団の中に溶け込んでいた秋原さんが、絵師様方が画材の話を始めた途端に
目を輝かせて参加していたのも印象的でした。
皆自分の好きな分野だとこんな風にキラキラするんだなぁ、って。
他にも色々と楽しい話はあったのです。
例えば例の短筒の話。
再三話題に出てるうちにutaさんが「那由さん、これで話を書きません?」と言い出し、
「セイちゃんが出て来ない、試衛館時代の話は私には無理っ!」とキッパリ断ると、
それを聞いていた奈鳩さんが「何とかなるかも・・・」とぽそり。
「「「はい、決定!!」」」
期間未定の宿題になった事とか(笑)
車の中で私が「藤枝さんとutaさんは手の中でコロコロ転がしたいほど可愛い」と
妙な告白をしている時に「あ〜、私も思ってました。本当に可愛いんですよね〜」
と柏木さんが満面の笑みで口にしていて、思わず藤枝さんが奇妙な表情になった事とか。
言いたかった事はわかります、藤枝さん。
柏木さんは恐らく一番年下で、一番元気が良くて、一番チョロチョロしてて、
一番子犬のように可愛かった人ですからっ!
そんな人に言われたら複雑です(爆)
皆が美麗イラストカードをいただいた時、思わず「これってもう藤枝教ですよね。
皆して思いっきり信者だし・・・藤枝さん、これからは門主様って呼びますか?
それとも教祖様?」と爆笑したり、なんて事もありましたっけ。
こんな感じで最終的には万願寺の駅で皆さんとお別れしました。
立ってるだけでも汗が吹き出る炎暑の中、皆元気で笑うし喋るし食べるし。
風光るの話だけでなく、新選組関連の漫画の話、コミケの話と話題が飛んで
全く飽きる暇も無かったです。
資料館でも一人では気づかず見落としてしまっただろう事を誰かが注目していた事で気づいたり、
自分とは違う視点を知ったりと良い体験が出来ました。
まだまた日野では回っていない場所もありますし、また是非ご一緒できたら嬉しいなぁ、
絶対にリベンジしましょうね! と思いつつ帰宅しました。
以上で日野ツアーの報告は終了です。
最後になりましたが同行してくださった皆様、危なっかしい海辻の運転で
胃の痛む思いをされた事でしょう。
とんでもないアクシデントを起こしたり散々迷ったり、大変ご迷惑をおかけしました。
申し訳ありません。
妙な地図を押しつけられてナビをさせられた藤枝さん、
暑さに弱い私をあれこれと気遣ってくださったutaさん、
お世話になりました。
本当に楽しかったです。ありがとうございました(深々と礼)。