水戸迷走報告記       2007.10.24.(水)



ペッカーと晴天の秋の日に奈鳩さん、utaさんとご一緒に水戸の歴史ツアーへと
行ってまいりました。


取りあえずutaさんに、はるばる海辻の地元まで来てもらったお礼として、
朝の一発目に『近藤勇陣屋跡』なんて所に連れていってみましたら、
奈鳩さんとふたりで歓喜の雄叫び。
・・・朝の8時頃に、静かな住宅街で叫ぶのは・・・(爆)
近藤土方の永遠の離別の地ですし、気持ちはわかりますが。
でも喜んで貰えて良かったです♪

流山の新選組陣屋跡は流山街道という松戸と野田を繋ぐ道路から、車一台が
入れる程度の路地を入った場所にあります。
現在あるものは近藤達が逗留したと言われている長岡屋という酒造家の蔵だけで、
はっきり言えばそれを見るためだけに来るほどのものではありません(苦笑)
少し離れた場所にある光明院というお寺にも隊士が分宿していて、そちらで隊士達は
訓練していたという話も残っています。

彼らが流山の地にいたのは僅か2日の事だったらしいですが、
それでも近藤達にとっては大きな区切りとなった土地。
utaさん達も嬉々として写真を撮ってました(笑)



そこから高速をブンブン飛ばして水戸へ乗り込みましたが、やはりここでも高速の標識に
“水戸まで○km”と出るたびに「水戸っ、キターーーッ!」の叫びが(爆)
好きです、そういうノリv

まずは徳川博物館へ。
開館時間の前に着いてしまったのですが、係の方のご好意で早目に開けてくださいました。
そんなに広い展示スペースではないのですが、常設展示室では水戸徳川家の人間、
特に2代藩主光圀・9代藩主斉昭(慶喜の父)・慶喜などに関して丁寧な資料が
多く展示されていました。

印象的だったのは安政の大獄の時期、攘夷派の親玉として井伊直弼に隠居の上、
幽閉させられた斉昭が乾電池を自分で作っていた事です。
他にも様々な西洋各国の知識を吸収していたようで、彼が日頃読んでいたという
オランダ語の新聞もありました。
攘夷派と一口に言っても色々といたんですよ、と奈鳩さんが言ってましたし、
当時の日本がどれほど列強諸国に比べて遅れているかを理解していた人
なのかもしれないと思いました。
斉昭という人に対して、180度見方が変わった気がします。


第二展示室では水戸光圀に関しての様々な展示がありましたが、こちらは今回は割愛。


何より楽しみにしていた第三展示室の期間限定展示物。
『姫君を輝かせた奥道具』。
・・・今回はこれが目的で行ったようなものですからね〜。

入って早々に源氏物語の写本とそれを収める黒漆の書籍箱。
名前のままに数冊ずつの本を引き出しにしまう箱なのです。
嫁入り道具の一つとして持参した、と説明書きにあったのですが、思わずutaさんに
「嫁入り道具に不貞な男の話を持ってくるのも何だか縁起が悪くない?」 と言うと
「男なんてこんなものだから覚悟しておけ、という事かもですよ〜」 と返され納得。
でもそんな覚悟は嫌かも・・・(笑)

嫁入り道具と伝わる色々な揃いの道具が2種類ありました。
片方は斉昭夫人、登美宮吉子のもので婚儀の席で使われたという食事道具一式の他、
化粧道具や貝桶などがありました。
そしてもう一種類の揃いの道具は持ち主が判明しておらず、吉子さんの道具に比べると
多少古ぼけた感がありましたが、品揃えがとにかくすごい。
櫛箱には荒目・中目・細目と3種類の櫛が各12個ずつ。

「1ヶ月事に使い分けてたって訳じゃないですよね?」と奈鳩さんと首を傾げつつ、
12という数字に何か意味があるのだろうか、でも昔は閏月などがあったから
1年が正確に12ヶ月ではなかったはずだし、でも干支なんかも十二支だから
何か陰陽道とかそっち的な意味があるのかも・・・・・・。
ふたりでアレコレアレコレと怪しい情報を出し合ってみましたが、今でも謎です(笑)

他にも化粧用の刷毛(これまたサイズ違いで15本)や鏡などかなりの物がありました。
櫛の目の隙間を掃除するブラシなんかもあったりして、やはりお道具はとても
大切に扱われていたのだなぁ、と感心。

様々な物の中で特に3人共に目を惹かれたのが香合わせの道具です。
香炉はもちろん香板・香台・聞き香の時に使用したと思われる香札など、
細かな蒔絵を施された小さな道具が綺麗でした。

香木を削るためのトンカチや小刀なども大小ずらずらって、かなりあるんですよ〜。
「まるで小さな大工道具だね〜」と笑ってしまうほど。
けれど姫君の優雅な生活の一端が覗けた気がしました。

「お香ってお寺で使うのだけじゃないんですか?」 とビックリしていたutaさんが
可愛かったです。
華道、書道と同様に香道というものもあって、お香にも色々と作法があるんですよ〜。
そして香の種類もかなりの数。
奈鳩さんが「聞き香をした事がある」と言っていたのを聞き、私もやってみたいと思いました。
でもあまり判らないんですよね、お香の微妙な香りの違いって(汗)


吉子さんの道具は中に生家である有栖川宮家の紋と水戸徳川家の葵の紋を
共に蒔絵で散らした道具が入っていて持ち主が判明したようですが、
もう一方の物にはそういう情報が全く無いようでした。
どなたの持ち物だったのでしょうかね〜。

蛇足ですが、吉子さんのご生家の有栖川宮家は当然ながら皇族で
姉君は徳川12代将軍家慶の正室、甥の子が和宮と婚約していた事と戊辰戦役で
東征大総督となった事で有名な有栖川宮熾仁親王。
息子が15代将軍慶喜だった事と合わせて考えると、幕末の中枢にいた方々と
とても深い繋がりを持った方ですよね。



と、こんな感じで徳川博物館を堪能し、そろそろ時刻も良いのでお昼を食べようかと・・・。
水戸で有名なのは納豆ですが、実は『水戸藩ラーメン』というものがあるのです。
黄門様こと水戸光圀公は日本で初めてラーメンを食べた方だそうで、
当時のラーメンに近いものを再現しているお店があります。
以前私が水戸に行った時、偶然見つけて友人と入った事があるので、そこに行こうと
いう事になりました・・・が、場所も名前もうろ覚え、どころか「確か大通り沿いにあったよ」
程度しか覚えてませんでした(汗)

ひたすら国道を走り回り、探し回り、うろつく事1時間・・・。
どうにも見つからず、空腹も限界に近くなった時にキレかけた海辻が
「utaちゃん、携帯で検索してっ!」
・・・・・・・・・・・・ゴメンナサイ(汗)
どうしても食べたかったんです・・・ワガママなんです・・・。
「こういうのは、かっしーが上手なんですよね〜」と困りつつ、ぽちぽちとutaさんが
探してくれましたが、これまた見つからず。
そろそろ諦めようかと思った頃「もしもし? 水戸藩ラーメンのお店なんですが・・・」
・・・最期の手段とutaちゃんが番号案内に問い合わせてくれました。
そしてようやく判明したお店に電話をしてみると・・・。

『本日定休日』

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・大・爆・笑!!!!!

こんなオチなんですよ、私たちの旅なんて(爆)
もうどこでも良いから入ろうか、と言いつつも「どうしてもファミレスとかは嫌!」という
海辻のワガママからまたまたウロウロした挙句、「ここで手を打つ」と入った
ファミレスもどきのお蕎麦屋さんが、“めちゃくちゃ安くて美味しかった”ですっ!!

どんなものを頂いたかは他のお二人が写真を載せてますのでそちらでご覧ください。
本来1050円のはずが、11月までの期間限定で200円引き。
850円でお変わり自由の出来立て豆腐・普通&大盛&特盛から選べる十割蕎麦・
日替わりわっぱ飯・天麩羅・先付け3種・そしてデザート3種と選べるランチドリンク。
近かったら毎日通いますからっ!!!!
んまかったです、お蕎麦がめっちゃ美味しかったです。
自分で下ろす生わさびまでついていました。
温かいかけ蕎麦を頼んだutaちゃんにはついていなかったので興味があったようで、
お膳を下げる前に「ちょっと良いですか?」と私の使った後のおろし金を鼻先につけて
ニホイをかいだ途端に、ビククッと顔をそむけ、盛大にむせてました。
・・・そりゃ刺激物だからさ・・・子供じゃないんだから・・・(爆)
それを見ていた奈鳩さんが口元を押さえ、肩をひくひくと揺らしていた事も可笑しかったです。
本当に退屈しません、この方々と一緒にいるとv



ランチの後は、県立歴史館へ。

特別展として“小川芋銭”という方の絵画が展示されてました。
説明書によると明治大正に活躍した茨城の画家さんなのだそうですが、
私は知りませんでした。
河童絵の展示だったんですよね〜、しかも100枚。
・・・海辻、芸術に関してはさっっっっっぱり興味がありません。
なんとなくスル〜〜〜ッと歩きつつ、気になっていたのはただ一点。

“芋銭”って、なんて読むんだ?

イモセンじゃないだろうし・・・??
でも振り仮名がどこにも無いんですよ〜。ここに見に来る方は当然ながらこの画家さんの
事を承知なのでしょうから、わざわざつけないのかも、とutaさんが言ってましたが、
あちらこちらに書かれている“葛飾北斎”とかいう文字には振り仮名があるんです。
そっちの方が、よっぽど振り仮名無くても読めるからっ!!

結局彼の正しい読み方を知るまで、私たちは“いもせん”と呼び続けました。


で、河童絵に関しては皆サラッと眺めただけで次の展示場が期待大の
『一橋徳川家記念室』
おおっ、いよいよだっ!!

・・・・・・・・・・・・『展示品入れ替えの為閉鎖中』

責任者、出てこぉぉぉぉぉぉぉいっ!!!!
いもせんは要らんから、ここを開けろぉぉぉぉぉっ!!!!
水戸は私達が嫌いなんかぁぁぁぁぁぁぁっ!!!!

愕然という言葉は、こういう時に使うのだと知りました(涙)
凹む海辻に比べて淡々としている奈鳩さんと、相変わらずニコニコしているutaさんが
妙にまぶしかったです。


取りあえず気を取り直して常設展示場へ。
ここは縄文弥生の時代からの茨城の歴史を展示しています。
入り口すぐに貝塚の地層を縦に切り出したものがありました。
所々に土器の破片や鹿の骨などが入っていて、人の暮らした痕跡が明確。
しばらく見入ってしまいました。

そして発掘された人骨が・・・まるっと土ごとケースの中に収められていて
奈鳩さんと二人で「ちょっと首の辺りが俯く感じで縮んでいるし、膝も曲がっているから
身長は150cmぐらいですかねぇ」「もう少し大きいかも?」など、普通〜に会話してました。
遠い昔、こうして葬られた方は、自分がこんな場所で展示されるなどと
思いもよらなかった事でしょう。
心の中だけで合掌。

他にも各時代毎の領主の事や、各地での戦の事などが展示されてました。
茨城といえば平将門が有名なのですが、彼に関してはあまり展示が無かったです。
あまりに古い時代の人だからなのか朝廷に反旗を翻した逆賊という扱い故か、
その理由はわかりませんが、もう少し見たかったと思いますね。

幕末に関しては天狗党に関しての展示がありましたが、ほとんどどこで戦闘になった、
というような事ばかりで、やは彼らについての詳しい説明は無かったです。
う〜〜〜ん。
未だに天狗党に関しては余り理解できていないので、今度しっかり調べてみようかと
考えながら見てきました。

そして明治以降の展示コーナー。
他のお二人が眺めているのを横目に、海辻は完全無視でスル〜ッと通過。
興味の無い物には、まっっったく反応しないのが海辻です(苦笑)
そんな感じで県立歴史館の建物を出ました。


その敷地内に水海道(みつかいどう)小学校を移転したという建物があります。
明治の時期に建てられた物を後に改修したらしいのですが、移転に伴って
残存していた初期の図面通りに作り直したと表示されていました。
外観はいっそ中で結婚式でもやったらどうかというほどお洒落な感じです。

内部には寺子屋の仮名手本や、尋常小学校の教科書などが展示され、
その中身に苦笑したり感心したり。
初めて見たものばかりなので、中々興味深かったです。

壁は淡いペパーミントグリーン。入り口を入った正面の天窓はステンドグラス。
明治初期の西洋化の様子が如実に現れた建築物でした。
そこを出る時、入り口脇に置かれていたチラシにふと目をやり・・・。

「う、utaちゃん、奈鳩さん、発見ッ!!!!」

そのチラシは先程の小川芋銭展を紹介したチラシでした。
そして大きく振り仮名が。
“おがわ うせん”
こうして私たちの謎が解けました(笑)

(私はけして芋銭氏もその絵も馬鹿にはしていません。風情のある絵です。
 ただ私個人がそういう方面に興味も知識も全く無いだけの事です)



ここから奈鳩さんに運転を代わっていただいて、時間的に観覧は無理でしょうけれど
外観だけでも見て帰ろうと弘道館へ。

ナビの海辻が方向音痴のため、迷いに迷って到着した弘道館は水戸藩の藩校です。
中には慶喜が江戸開城の後に謹慎生活を送ったという至善堂なども現存しています。
奈鳩さんは会津の日新館に続いての藩校巡りを楽しみにしていたようですが、
今回はすでに時間切れ。
また次に訪問いたしましょうv

この弘道館の近くにあった看板が何とも微妙で・・・。
“総合学習塾 弘道学館”
・・・・・・車内で見つけた時は揃って大爆笑でした。
なんだかなぁ〜〜〜、「微妙にマズイでしょう、この名前」と笑いながら
でも塾の経営者が水戸徳川の血筋だったら笑えるよねぇ、と。
どこにでも笑いの種は落ちています(笑)


この後は一路帰宅の途へ、なのですが・・・またしても海辻のせいで迷いに迷って
無駄な時間は使うわ来た時の高速とは全然違う場所へ辿り着くわ・・・。
ドライバーだった奈鳩さんに、大変なご迷惑をかけてしまいました、スミマセン。

途中立ち寄ったサービスエリアで野良猫になつかれたというか、エサをくれそうな
相手だと思われた海辻が後をつけ回されてちょっと泣きそうになったり。
「ブタクサがわさわさだ〜」とどこへ行ってもワサワサ生えている黄色い花に
嫌そ〜な顔をする海辻を見て、「ブタクサって貧乏花の事じゃないんですか?」と
utaさんに聞かれ、どうやら今まで互いに全く会話が噛み合ってなかった事に気づきました。
奈鳩さんによると貧乏花とはヒメジョオンの事だそうで、あれは春の花。
ブタクサは今の時期に咲く、黄色い花です。
茨城はブタクサ天国でした(涙)

また、utaさんに「何気に那由さんって慶喜が嫌いですよね」と突っ込まれて
「うん、嫌い!」と力説して絶句させたり・・・そこから慶喜の人物像に関しての
其々の印象や持っている知識で比較検証と、色々ありました。




そして夜7時。
車を海辻の家に戻した上で、最寄の駅前で反省会。
って、何を反省?(笑)

海辻が“組!”で近藤を香取君がやったのに違和感があったと言うと
「だったら誰が似合うと思いました?」と奈鳩さんに聞かれ「う〜〜〜ん」と唸ったり。
それでも「慎吾ちゃんにはもっと若い時に天真爛漫な総司をやらせたかった!!」と
叫んで笑われました〜。

他にも二次小説を書く上で甘さって何を指すのか、とか、松平容保が何故に
あそこまで徳川将軍家に忠誠を尽くしたのか、とか、尾張藩と幕府の対立の根本とか、
皇居内に楠正成の銅像が建っているのはナゼか、とか、相変わらず話はヲタ。
(いきなり「南北朝時代って、どれくらい続いたんですか?」とか難しい問いを
 しないでください、utaさん。 そんなもん覚えてないですよ(汗))

結局10時頃までお付き合いさせてしまいました。
でも、すっごく楽しかったです。



3人ともしみじみ話しをしていたのですが、今年の夏前はこんな形で
色々な場所に出かけたり、ヲタ話を自然に楽しめる友達ができるなど
微塵も思っていませんでした。

適度に声を掛け合って、都合がつけば参加、無理なら次回。
断るにしても変に気を使わないし、相手の都合も思いやれる。
みんな大人なんですよね〜、だから一緒にいて楽なんですよ。

それもこれも夏に藤枝さんが皆さんに声をかけてくださったからで、
その時にお初の方々が「えいっ!」と足を踏み出したからだと思います。
あの夏の日野オフのおかげですよね〜。感謝感謝ですv


今後もあちらこちらに出かける予定があります。
五稜郭にさえ行きたいね、という話も出ています(笑)
さすがにそれは希望でしかないですが、近辺でご一緒できそうな方は
「そのうち参加したいから誘ってくれ!」と一声かけておいていただければ、
海辻が嬉々としてお誘いいたしますよ〜。
ただし、迷子迷子の珍道中が標準装備ですが(笑)


今回も色々とご迷惑をおかけした奈鳩さんutaさん、スミマセンでした。
でも楽しい時間をありがとうございました。
次回も是非、ご一緒してくださいませ。



以上。 水戸迷走報告でしたv



                                   海辻那由