麻布・六本木界隈     2008年01月13日(日)




奈鳩さん・柏木さんとご一緒に都内あちこちへと行ってまいりました。


昨日から寒冷前線が関東に来襲しているとの事で、寒くなるのは覚悟していましたが
とにかく寒かったです。
朝9時前に奈鳩さんと地元の駅で待ち合わせ、一路六本木へ。
柏木さんはルートが別なので現地集合としました。

10時にウロウロしながら六本木のサントリー美術館で柏木さんと落ち合い、
『和モード/日本女性 華やぎの装い』へ。

これはもう・・・感動ものでした。
古い打掛やら小袖やらの実物が展示され、帯のところで上下の模様をくっきり変化させた
割模様というのが有り、それは帯が太くなった時期に対応して作られたそうです。
上部が松皮菱というパターン化された模様で下部が風景になっていたり、
当時の美意識が見て取れました。
また、夏場に腰に巻いた小袖など、説明がなければ気づかないような物が山盛り。

女性の着物に焦点を合わせた絵の展示も多かったですし、
着物を作る職人の作業場の絵なども。
機織、染め、縫い取り、組紐、型取りなどなど「へぇ〜」と思うような絵もありました。

でもやっぱり海辻が惹かれたのはお道具類です。
特に今回楽しみにしていたのが紅板の類。
象牙のものや銅鍍金の鍔を模したもの。
紅筆や刷毛も一緒になっていた鼈甲の紅板など・・・「欲しい!!」を連呼してしまいました(笑)
いや、海辻はアレルギーがあってお化粧はできないんですけどね・・・。

そして櫛。
印象に残ったのは黒漆の半円の櫛です。
左半分に細い三日月が描かれ右に柏の木とその枝に可愛らしい梟。
その櫛の下に鏡があり、そこで裏を見てみると梟だけがいないのです。
どこか寂しく感じるけれど、動きのある楽しいデザインに笑ってしまいました。
他にもガラスが嵌め込んである物などを見て、いつの世でも女性は
美しい物に関しては貪欲なんだなぁ、と感心しきり。

簪や笄も数多く展示されていて、本当に見ていて飽きない場所でした。
ええ、夢中になりすぎてどっかのオバサンがガラスにゴンッ!!と額をぶつけるくらい・・・。
本気で痛かったです(涙)

で・も、図録を買い込んでホクホクです。
しばらく何かと言っては眺めてヘラリとしていそう・・・。
あ〜、良い物見たな〜♪



そしてランチ。
和定食のお店で美味しいご飯をいただきましたv
奈鳩さんと私は食事をしてからデザートの甘味をお願いするつもりだったのに、
柏木さんだけがサクサク食事と一緒に注文しているのに笑いました。
さすがは甘味大王だ〜(笑)

食後に午後のルートの相談。
其々が持ち寄った面白い本や地図などを照らし合わせ、ああでもないこうでもないと
言いつつルート決定。

「じゃあ、行きますか」

麻布の専称寺。
聖地へ向かいました。


ヒルズ足元の交差点あたりに白河藩下屋敷があったそうで、総司はそこの長屋で
生まれたのだそうです。
道路とビルばかりの場所をそれでも感慨深く眺めやり。

「おお、ここが生誕の地かぁ〜」
「ここだ、ここだ〜!!」
「道路をまたいでぐる〜っと敷地だったんだねぇ・・・」

しばし堪能してから、再び目的地へ!!



・・・・・・そして、いきなり迷子(汗)

ええと、確か六本木駅から徒歩10分もかからない場所のはず。
地図は確認したし、途中でお巡りさんにも聞いた。
なのに・・・なんだか、ちょっと、道が違う?
公園なんて無いんだよ? 地図の上では。
でも海辻達の隣には公園で可愛い子供達が嬉々として遊んでる。

・・・・・・あれ〜〜〜??

スゴスゴと来た道を戻り、お巡りさんがいた場所を通り過ぎたその少し先。


『専称寺』


・・・・・・お巡りさん、嘘を教えたらいけないんだよ?


それはそれとして、専称寺。
聖地です。
沖田総司の墓所です。

新選組と出会い、沖田総司に惹かれて、多少の浮気はあったものの
20年以上、足を向けられなかった場所です。
感無量・・・。


今は立ち入る事のできないその場所は、お寺の正面右脇から伸びている
細い路地に入り、本堂の背後にある小さな墓地を塀越しに臨むだけです。
胸の辺りまでの低い塀は中に入る事を制限しているお寺の方の
優しさのように感じました。
その気になればもっと高い塀を設置し、観光と間違えている人間を
完全にシャットアウトする事もできるのですから。

塀越しに見た総司のお墓は縦に細い通路の左から2本目。
そこの右側に可愛らしい屋根に覆われてありました。
残念ながら横から、しかも手前にいくつもある他の墓石が目隠しとなり
はっきり見る事はできませんでしたが、静かにその場所にありました。
花がお供えされ、千羽鶴が添えられたその場所に確かに彼がいるはずで。

久々に頭が真っ白になりました。
今、少なくとも平和ボケと言われるこの日本に生きている自分が、
豊かさの中で漫然と生きている自分が、
生死の極限に己を置き、逝った人に向ける言葉も無く。
ただ手を合わせて呼びかけるだけでした(苦笑)

想いは深く言葉にならず、ただ空に投げるは祈りのみ。
真実の彼がどんな方だったのかは全くわかりませんし、幻想に恋する時代は
とうに過ぎた自分です。
けれど長い時をかけて積もった祈りだけが解き放たれた気がしました。
ただ安らかに。
叶う事なら平和な世で、再び生を受けん事を、と。

彼のおかげで私の暮らしの中に、とても楽しく活気に満ちた色が加えられてきたのです。
感謝の気持ちももちろんあるのですが、それはこちらの勝手な事情で。
そんな事を突然言われても迷惑なだけだろうなぁ・・・などと思う人間が私です。
だから今回は本当に祈りのみ、でした。

・・・・・・今回は?

はい。今回は初めましてのご挨拶。
また必ず行きます、うん、絶対に。
そして次こそご迷惑を承知で想いの丈をぶつけてまいります。
ふふふふふっ(怖っ)。


ここで印象的だったのが柏木さんの一言。

「ここは、風が優しいですね」

そうなんです。思い込みではなく、その場所に辿り着くまでは凍えるほどに
冷たく体に吹きつけていた北風が、突然なりを潜めたのです。
ヒルズの足元です。
ビル風轟々の場所なんです。
それが・・・とても穏やかになっていました。
吹きつけるのではなく、そよぐ感じ。
周囲に風を遮るようなものも何もない、吹きさらしの路地なのに。

海辻の論ですが、祈りの場所には磁場ができると考えています。
だから神社仏閣の独特な空気が大好きです。
勿論祈りには欲に塗れた醜悪な物も多いですが、最も多いのはとても単純なもの。
「大切な人が幸せでありますように」「大事な人が無事でありますように」
「先に逝った人が安らかでありますように」
そんな純粋で素直な祈りはその場に清浄な場を作る気がするのです。

そしてきっとあの細い路地の途中には、そんな祈りが満ちているのではないでしょうか。
だから風が優しい。
そうであって欲しいと思いました。

と、あの場所では海辻のアクもちょっとだけ浄化されるようです(笑)

本堂前で中のご本尊様に深く深く感謝を捧げて、次の予定地に向かいました。



六本木駅まで戻り、大江戸線で2個目の国立競技場前で降ります。
徒歩5分弱の場所に聖地2があります。

千駄ヶ谷、池尻橋近く、植木屋平五郎方離れ。
沖田氏の最期の地、と言われる場所です。

外苑西通り、通称キラー通りと言われる大通り沿い。
ちょうど新宿御苑のフランス式バラ花壇の真ん前になります。
古地図と今の地図を合わせると、2つのビルの間とその前の歩道のあたりに
離れがあったようです。

今は全く往時の見る影も無いその場所ですが、やはり色々思う事はあって。
三ヶ月ぐらいはこの場所にいたんだろうなぁ、としみじみ。

通りの向こうにあった大木は、彼の姿を記憶しているでしょうか。

その大木のある場所が新宿御苑で、木立が茂っていました。
彼がここにいた頃、きっとこんな木立に取り巻かれていた事でしょう。
「総司もあの木々を眺めたかなぁ・・・」
という海辻の呟きに
「木は生え変わってしまっているでしょうけれど、あそこにある土は
 きっと変わりませんよ」
と奈鳩さんが返してくれました。
ちくりちくりと胸に走る痛みに共感してくれる人が傍にいる、
どこか似たような思いを持ってくれる、嬉しいな、と思いました。

そして海辻にしては珍しく、この場所で数枚の携帯写真を撮りました。
近くにあった大木や、離れがあっただろう足元など。
見事に! 全て!! ピンボケでした(涙)
ありえない・・・。
いつか再トライだっ!!


柏木さんが近くで小さな石の柱を見つけたと言っていました。

「下の方が埋まっていたけれど何か文字が彫られていたから、
 橋の名残じゃないかと思うんですよ」

良く見てるな〜。
すでに現地を離れ駅へと向かっていた途中でその話を聞いたので、海辻は確認
できませんでしたが、もしも『池尻橋』とか書かれていたら大発見ですよ。
今度撮った写真を見せてください、かっし〜。




そして次の目的地の渋谷へ向かい、『たばこと塩の博物館』で開催されている
“幕末ニッポン”の展示を見ました。
海辻は以前utaさんと行っていたので2度目。
でも絶対にお薦めだったんですよ〜。そして2度目でも飽きません。

展示物は幕末明治に日本にいた外国人達に関するものが大半で、
ハリスやアーネストサトウなど、有名どころがぞろぞろです。
特に以前utaさんと行った時に注目した “幕府がハリスに贈ったお菓子”を再現したもの。
もちろんレプリカなのですが、これがかなり美味しそうで大量。
温泉街でよく見る温泉饅頭を蒸す四角いセイロを想像してください。
あれぐらいの大きさの木箱にぎっしり和菓子が詰められてるんです、3段も。
70ポンドあったそうですよ、つまり32kgぐらい。

かっし〜が言いました。

「この量だったら1日1箱、3日で完食できますよv」

・・・・・・バケモノ・・・・・・(汗)
でも総司だったら1日で全て食べ尽くす事でしょう。
私も1個だったら実物を食べてみたいなぁ〜。


静かに色々と思考に浸りながら見ている奈鳩さんと、何か面白い発見をするたびに
「海辻さん、海辻さん」と呼びに来るかっし〜が対照的。
幕末に高輪に建設中だった英国領事館に火をつけて燃やした、長州の井上だの
伊藤だのが明治になると外務大臣や総理大臣になっている事を読んで
ひどく感心していたかっし〜が可愛かったです。

「年と共に国の事を考えるようになったんですねぇ」
と、うんうん頷いている隣で
「年とともに自分の身の安全と欲に素直になっただけだよ」
と言い放ったのが海辻です・・・純粋な子に向かって毒を吐くなよ、自分(汗)


この建物は4階が特別展示室で今回は“幕末ニッポン”。
3階が塩に関する展示フロアで巨大な漬物樽ぐらいのオレンジ色をした
塩の固まりが展示されています。

「舐めても大丈夫ですかね?」

・・・誰の発言か、おわかりになるでしょうか。

「舐めたら駄目だから、かっし〜!!」

それでも諦められないようにナデナデしているかっし〜の向こうで、そっと
ナデッとした奈鳩さんの手を私は目撃してます。
海辻はニホイだけ嗅いでみました。潮の香りはしなかったです。
私達って、みんな変・・・。


2階のタバコに関する展示は煙管や昔の煙草盆なども展示されていて、
やっぱりお道具好きには嬉しい場所です。
昔の煙草入れなどは今でも充分に通用するほどに綺麗なんですよ〜。
欲しいです♪


そんな感じで2時間かけて展示を満喫した一行は、打ち上げを兼ねた
新年会に繰り出しました。
渋谷の幕末居酒屋(笑)

utaさんに教わった店なのですが、私達は中2階に通されました。
座敷なのですが、殿様が使うような肘掛があったりして・・・。
奈鳩さんが嬉々として使ってましたよ〜。

他にも日新館の“什の掟”が壁に貼ってあったり、慶応元年の新選組隊士の名簿が
額に飾って壁際に無造作に置いてあったり。
・・・・・・ヨダレものの店です。
でも階段を登って部屋に入った瞬間に「ゴンッ!!」と天井に頭をぶつけました。
店の人に「天井が低いので気をつけてくださいね」と言われていたにもかかわらず・・・。
額といい頭といい、よくぶつける日でした・・・ホントに痛かった(涙)


そこでは今日の反省会及び、いつもの萌え話v

次に行きたい場所は・・・から始まって、総司の父が仕えていた白河藩は
誰が藩主だったっけ?
「誰かデータ持ってないか〜?」(基本でつかえるヨッパライ)
「携帯で調べたんですけど、出てきません!」「どれどれ・・・あ、出てるよ、阿部だよ、あべ!」
「え?どこ」「ここ。さっきの麻布の古地図だと・・・ほら、ここに阿部家の屋敷がある」
「あ、ほんとだ」「主家の近くだから、菩提寺があの場所なんだよね〜」「近いですよね〜」

「でも父親が死んですぐに解雇されちゃうって事は、代々の家臣じゃなかったっぽい?」
「それって、確か・・・持ってきた本のどこかに(バサバサ)」「でも奥州白河の藩士って事は、
 会津とも近いですよね。どっかで血が混じってないですかね」「いやぁ、江戸に家族と
 住んでたって事は江戸での雇い入れ臭くない?」「でも参勤交代でついてきて、とか」
「参勤交代でついてきた家臣は江戸に家族はいないってば」「なるほど」
「あ、ありましたよ。祖父の代から白河藩に仕官したらしいです」「おお、データ出た!!」
「えらいです、奈鳩さん」

「この慶応元年7月の隊士名簿、山南さんいないんですよね」
「って事は、池田屋の翌年の7月?」「伊東はいますよ」「市村君はいないですねぇ」
「あれ?慶応元年って池田屋の年じゃなかった? 文久3年に上洛して文久4年が池田屋で、
 その年に慶応に改元して・・・」「だったら伊東がいるのは変ですよね」
「池田屋の直後ですしね」「そうそう。山南さんが渋り腹を抱えて厠に篭ってた直後」「(爆)」
「変だよ、何だか変だよ、この名簿」「誰か資料持ってない〜。そのあたりの年表臭いもの!」
「あ、これでどうです?」「おお!年号一覧表! かっし〜、えらいっ!! 良い物持ってきた!」
「で?」
「・・・・・・文久4年は元治元年に改元して、その翌年が慶応元年だ(汗)」
「元治・・・忘れてた・・・(汗)」
「なるほど・・・(汗)」

つまりはヨッパライなんですよ、みんな(爆)


基本的な事を思い出せない程妖しいヨッパライ3人が「文久が!」「池田屋で!」
「武田観柳斎が!」と、奇妙にオタクな単語を連発する事に、背後に座っていた
一組のグループが時折振り向いておりました。
そんなにオタッキーですかね・・・ですね・・・いいじゃないか、ふん。

かっし〜が話してくれた沖田氏に女が4人いた説とか、実に興味深いです。
またじっくり聞かせてくださいv


散々騒いで9時半頃に解散。
昼間に随分歩いたので皆よれよれでした。
でもやっぱり楽しかったですv

帰りも奈鳩さんと1時間近く電車に揺られながら古地図を眺めていたら、
utaさんが行きたがっていたハリスが宿としていた善福寺が、実は専称寺に
近かったという事を発見して「絶対に行きたいって騒ぐよね」「うんうん、間違いなく」
とクスクス笑っていました。

伝通院やら試衛館跡地やら、地図を見ていると惹かれる場所が満載です。
これからも時間が許す限り、あちこち歩ければ良いですね。
楽しみにしています。


ご一緒してくださった奈鳩さん、柏木さん、有難うございました。
かっし〜に前を歩かせて風除けにしたり、奈鳩さんに荷物持ちをしてもらったり。
知ってるようで物を知らない上に迷子になりまくる等々、散々ご迷惑をおかけしました。
申し訳ありません。
どうか呆れずに、また是非に遊んでくださいませv


今回は切望しつつ、足を向けることができずにいた聖地へ行く事ができた事が
何より印象的でした。
きっと一人だったら行けなかっただろうと思います。
しばらくは感動の余韻に浸りたいですね。



読んでくださった方、有難うございました(礼)