春嵐一過
「おい、アンタ。沖田ってやつを呼んでくれない?」
ある長閑な春の午後、西本願寺の新選組屯所の門前に立った町人姿の男は、
その身なりに似つかわしくもなく横柄に門番に言い放った。
「沖田先生」
柔らかな日差しに促されるように隊士部屋の前の縁で、うつらうつらとまどろみに
揺蕩いかけていた総司は、走り寄ってきた隊士の声にとろりと眠そうな目を開いた。
「先生にお会いしたいという町人が門の所に来ているのですが、用件を言わず
名を聞いても会えばわかるからの一点張りで・・・」
「町人ですか? う〜ん、何か特徴は?」
「妙に態度が横柄で、まぁ色男といいましょうか・・・。あ、“うき”と伝えろと言ってました」
「うき? うき・・・浮ぃぃぃ??」
腕を組んで、う〜んと首を傾げていた総司がその言葉に慌てて立ち上がった。
「わ、わかりました。すぐ行きます。ご苦労様でした」
そのまま振り返りもせずに走り去っていく総司の姿に、神谷の事以外であれほど慌てる姿も珍しいと
残された隊士は首をひねった。
「浮之助さんっ! こんな所で何をやってるんですかっ?」
駆け寄った総司に「よう」と片手を上げてにやにやと人の悪い笑みを浮かべている男の腕を掴むと、
門番に軽く会釈をしてそのまま物陰にその身を押し込んだ。
「おいおい、乱暴だなぁ」
「そんな事はどうでもいいです。何しにいらしたんです?
こんな所に来ている暇なんてないでしょう?」
総司の口調がきつくなるのももっともで、折りしも世間では征長論が声高に叫ばれている時で
幕府内では誰も彼もが喧々諤々と論議に走っているはずだ。
下級藩士あたりならまだしも、世を忍ぶ身なりをして浮之助などと名乗っていても、
れっきとした徳川御三卿、一橋慶喜がこんな所に現れて良いはずもない。
「あぁ、あんなのは暇で無能な老中達に任せておきゃぁいい。俺が知った事じゃないの。
難しい事は嫌いなんだよ」
突き放した物言いに難しい論議が苦手な総司は親近感を覚えかけるが、
そんな場合ではないと自分に言い聞かせた。
「まぁ幕府内部の話は私にはわかりませんけど。いったい何しに来たんです?」
「うん、それそれ。巷で猛者として有名な新選組の屯所ってとこがどんな風なのか、
見てみたいと思ってね。ついでに清三郎の顔を拝みに?」
それまで困惑しながらも笑みを浮かべていた総司が、セイの名を聞いた瞬間に
不機嫌な表情になる。
「神谷さんは今、傷病者の手当てをしてます。ただでさえ忙しいのにあれこれ皆が頼むんですから、
浮之助さんの相手をする暇なんてありませんよ」
私の相手だってしてくれないのに・・・とぶつぶつ口の中で呟いた言葉は
浮之助には届かなかった。
「ほぉ、清三郎は人気者なんだなぁ。こりゃぁますます会うのが楽しみだね」
相変わらず軽い笑みを閃かせ、ズカズカと屯所内部に歩を進める浮之助の後を
総司が慌てて追う。
「ちょ、ちょっと待ってくださいよ」
「あぁ? うるさいよ、沖田。忍びじゃあるが俺が直々に検分してやろうっていうの。
光栄に思って案内しろよ、なぁ」
止めても止まる様子が無い事に諦めの心境で、ここは土方達に見咎められる前に
さっさと案内して少しでも早く帰ってもらおうと総司は溜息を吐いた。
「なんだねぇ・・・」
ちらちらと隊士部屋を覗き込みながら、どこかつまらなそうに浮之助が呟く。
「狼どもの棲家って聞いてたからさ。さぞや男臭くてむさ苦しくて、いっそ火でもつけて
燃やしてやろうかってくらい汚いとこを想像してたんだけどね」
意外に小奇麗じゃないの、つまらないねぇ・・・と続ける男は、自分がどんなに失礼な事を
言っているのかわかっているのだろうか。
総司が困ったように笑う。
「以前はもうちょっと汚かったんですけどね。松本法眼に指導されてから
土方さんと神谷さんが頑張ってますよ」
「清三郎はわかる気がするが・・・」
脳裏にパタパタとハタキと雑巾を持って走り回るセイの姿を浮かべながら、
不思議そうに浮之助が尋ねた。
「土方ってのは、副長だろ?」
「あはは、土方さん本人が掃除をするんじゃなくて、衛生面に関して
目を光らせてるって事ですよ。結構几帳面なんですよね〜」
「へぇ・・・でもそいつって衆道が嫌いなんだろ? 清三郎との事は秘密なの?」
突然の攻撃に総司の頭が真っ白になった。
「まぁいいさ、内緒にしといてやるよ。こないだ伏見で遅れた侘びだ」
悪びれた様子もなく浮之助が話をまとめる。
伏見での侘び。
将軍家茂の東帰騒ぎの折、事もあろうに寝過ごして止めに来るのに遅れたのだ、
この男は。
おかげで近藤が将軍の駕籠前に飛び出し、それを追った総司とセイも腹を切る事を覚悟した。
それほどの騒ぎをさらりと口にする神経には笑うしかない。
「でも、浮之助さん。新選組の事に詳しいみたいですね」
「あんたが面白そうだったんで、ちょいと調べた。あんたと清三郎と、もう一人
面白そうなやつを見つけたん・・・」
にやにやと笑いながら続けていた言葉が途切れた事を不思議に思い総司が振り返ると、
その視線は数間先に佇む男の背に固定されている。
視線を感じたのかこちらを見た男が口を開いた。
「なんだ、沖田さんか。そっちは誰・・・」
言葉の途中で目を大きく見開くという定形外の顔をさらし、次の瞬間には
ザザッと音を立てるように顔色を青ざめさせる。
「ひ、ひとつ・・・」
ばし公、と続くその言葉を遮るように浮之助が手を上げた。
「よぉ、地蔵。もしかしたら会えるかなぁ、と思ってたんだけどね。
今の俺は浮之助だから、そういう事で」
言外に過剰な礼など不要だと言い捨てて歩き出す。
その後を総司と共についていきながら、小さな声で斎藤が尋ねた。
「どういう事だ」
なぜ一橋公と知り合いなのか、まして屯所などに彼がいるのか。
様々な問いかけが含まれた低い一言に、総司もどう返せば良いのかわからない。
「え〜と、ちょっとした事で町で知り合って、今日は屯所を検分したいと
急に来られたんですよ〜。私にだって訳がわかりませんよ〜」
半泣きの総司の言葉に楽しげな声が被さる。
「それと清三郎に会いにだね。どこにいるんだい?」
自分に視線を戻した斎藤から微量の怒りを感じ取った総司は、体を縮めるように小声で呟いた。
「神谷さんも知り合いなんですよぅ。何だか気に入られているみたいで」
一瞬額に青筋を立てかけた斎藤だったが、隣で説明しながらも「不愉快です」と
眉間の皺ではっきり顔に表している男の様子に気づいた。
セイが誰彼なく人を惹きつけ慈しまれる事が、誰よりも面白くないのは
この野暮天男なのは確かなようで。
取り合えずもう少しだけ、この男を観察するのも面白いか、と思考を切り替えた。
「ところで沖田さん」
ふと思いついた事を口に出す。
「局長と副長は、このことは?」
「し、知りませんよ、もちろん」
総司が慌てたように首を振る。
「近藤先生は今日は出かけているからいいですけど、土方さんに会ったりしたら」
禁門の変以前から土方は一橋慶喜にあまり良い感情を抱いていない。
まして殿様ともあろうものが町人姿に身をやつし、忍びでこんな場所に居ると知ったなら
何を言い出すか予想もつかない。
かといってただの町人だと言い切るには、男っぷりといい、どこか上から見下す横柄な態度といい、
かなりの無理があり、それを土方に問い詰められれば総司に言い抜ける自信などなかった。
どちらが上とも言い難い色男ふたり、互いに頭の切れは超一流。
そんな二人の棘を多分に含んだ舌戦など聞きたくもない。
その場に流れる凍りつくような空気を思って、総司の背中がぶるりと震えた。
「ひ、土方さんに見つからない事を祈ります、私。 えぇ、本気で」
しかし世の中とはえてして会いたくないと思っている人ほど、むしろそれが定めであるかのように
出会ってしまうものらしい。
セイの姿を探して屯所をうろついている三人の背後から声がかけられた。
「誰だ、そいつは。総司?」
声の主を察知すると同時に、総司と斎藤の面には「まずい」と大書きされる。
そちらを向きたくないと盛大に自己主張する首を、無理やり後方へ向けて
かろうじて浮かべた笑みのまま口を開く。
「え、えっと、ですね。ちょっとした知り合いなんですけど、一度屯所を
見学してみたいと言うので・・・」
後半はむにゃむにゃと口の中に消えていく。
そんな総司の様子を相変わらずにやにやと人の悪い笑みを浮かべたまま、
黙って見ている浮之助を土方は顎でしゃくった。
「随分な色男じゃねぇか。でも鬼の住処にゃそぐわねぇなぁ。気の荒いやつらに遊ばれて、
怪我なんざしねぇうちに帰った方がいいぜ」
ひどく居丈高に、とっとと出てけ、と態度に表す土方に浮之助の唇が釣り上がる。
「ほぉ、これが鬼の副長かい。思っていたよりも、ずっと優男だねぇ。
これじゃ衆道のやつらに言い寄られるのも納得ってもんだ。
新選組ってのは面白いねぇ。」
くくくっと喉の奥で篭った笑いを漏らす浮之助と、不快さも顕に顔を盛大にしかめている
土方の間を冷たい火花が飛び散るのが見える。
総司と斎藤の背をだらだらと汗が伝い落ちた。
火中の栗を拾う覚悟で、総司が間に入ろうと言葉を捜した時。
「沖田先生?」
涼やかな声が投げ込まれた。
「あれ? お客様ですか?」
パタパタと軽い足取りで近づいてきたセイが、総司の隣にいる男の顔に
大きく目を見開いた。
「慶っ(喜公)・・・」
セイは続く言葉を咄嗟に自分の両手で口を塞ぐ事で、かろうじて漏らさずに済ませた。
「なんだ、お前も知ってるのか? 誰だ、この態度のでかい奴は」
「えぇと、ちょっと町中で知り合った人です。・・・、そ、そんな事より、副長。
伊東先生が何だか隊務についてのお話があるとかで、先ほど副長室に行かれましたよ?
副長がいないとなったら、これ幸いといつぞやのように手ぬぐいだの下帯だのを
持ち出されるかもしれません。早くお戻りになられた方が良いのでは?」
セイの言葉に土方の全身に鳥肌が浮かんだ。
「あんの野郎!」
まるで目の前で伊東に自分の持ち物を物色されているかのように表情を変える。
「部外者はとっとと追い出せ、いいな」
総司に言い捨てると鬼の形相で土方は部屋に戻っていった。
土方の姿が見えなくなった途端、崩れるように総司がしゃがみこんだ。
「・・・た、助かりました、神谷さん・・・」
大きな溜息の合間にようよう声を出す総司の様子にセイは首を傾げ、斎藤に視線を移す。
こちらも表情こそ変えていないものの、どこか硬く強張った空気を纏っているのを見て、
視線だけで浮之助を指しこそりと尋ねる。
「もしかして、兄上もお知り合いですか?」
「あぁ」
はぁ、と呆れ交じりの息を吐きながら「どこにでも出没してるんだから」と呟き、
それでも一応挨拶だけはしておこうかと振り向いた。
瞬間。
ぎゅううっ、と力任せに抱き締められ頭上から声が降ってきた。
「元気そうだな、清三郎。相変わらず子犬みたいにチョロチョロしてるんだってな。
まぁ、そんな所もらしくて可愛いが」
「む〜〜〜、む〜、む〜〜〜〜!!」
反論したくても顔を浮之助の胸に押し付けられているせいで、
セイは言葉が出せない。
「どうだい? そろそろ沖田から俺に乗り換える気になったかい?」
セイの顔を覗き込むために腕の力が緩まった隙に、近づいてきた顔に向かって
頭突きをくらわした。
ガツンという痛々しい音とともに浮之助がしゃがみこみ、手を伸ばしても届かない距離まで
セイが離れる。
「っつ〜〜〜〜っ。やってくれるねぇ、清三郎」
赤くなった顎をさすりながら、涙の滲んだ目で恨めしげにセイを見上げるその男は、
とても将軍の次に位置する身分とは思えない。
「当然ですっ! 武士を子犬扱いされて、黙っていられるはずもありません!」
怒りと酸欠で乱れた呼吸を整えながら、セイが疑問を投げかける。
「それに、どうしてこんな場所にいるんですか? お一人のようですけど、
お付の方たちはどうなさったんです?」
「いやぁ、なんだかんだと煩いから島原の入り口で撒いてきたよ」
「ええっ? じゃ、島原から西本願寺までお一人でいらっしゃったんですか?」
これには総司も驚いて口を挟んだ。
このご時勢に一橋公を狙っている輩とて吐いて捨てるほどいるだろうに、
そんな中を一人で出歩くなど正気の沙汰とも思えない。
よくも無事に屯所に辿り着けたものだと、今更ながら肝が冷える。
「そう。だって清三郎に会いたかったし、いつもいつも見慣れた顔ばかりじゃ
飽き飽きするじゃないの」
それを聞いた途端、セイの額にピキリと青筋が立った。
そのまま浮之助にくるりと背を向けると総司と斎藤に話しかける。
「沖田先生はそろそろ巡察の用意をなさった方がよろしいと思います。
斎藤先生はこの人をご門まで送って差し上げてください。
私達はこの国の為に働く忙しい身。このような甘ったれの相手をしている暇はありません」
「おやおや、甘ったれとは随分な暴言じゃないの」
セイの怒りを滲ませた口調に、浮之助は面白そうに言葉を返す。
「甘ったれを甘ったれと言って何が悪いんです? どんな気に入らない事があったんだか
知りませんけど、あれこれと神経を使って御身を守ろうとしてくださっている人達を
置き去りにするなど、甘えも極まるというもの」
「言うねぇ、清三郎。良い度胸だ。あんたの首一つ、俺の一言でどうにでもなるんだぜ?」
「はぁ? どうするってんですか? 私の目の前にいるのは、
甘やかされたどっかのぼんくら放蕩息子。素っ町人の浮之助ですよ。
何を言おうと勝手だし、こっちが無礼打ちしたって良いくらいです」
「か、神谷さん・・・それくらいで・・・」
さすがに総司もセイの暴言を止めようと動く。
先程は土方の浮之助に対する対応を心配していたが、もしかしたらセイの方が
数段タチの悪い相手だったかもしれない。
総司の背を今日何度目か知れない冷や汗が伝う。
「沖田先生は黙っててください!」
総司の言葉をきっぱり斬り捨ててセイが続ける。
「それとも身分を笠に着て腹を切れといいますか? いいですよ。
だったら一度お屋敷に戻って馬でも駕籠でも輿ででも、再度屯所に乗りつけてきてください。
そして隊士達の面前で“忍びで屯所に遊びに来たら、神谷に無礼を働かれた”と言えばいい。
一橋公ともあろうものが町人姿で町をうろついていると、大声で言えるものでしたらね!」
セイの一言ごとに不機嫌そうに浮之助の眉間に皺が刻まれるのを、
総司と斎藤は胃の痛む思いで見つめていた。
それでもセイの言葉は止まらない。
「だいたいが今の情勢を舐めてるんですよ。こんな場所まで一人で来られた事だって
奇跡みたいなものだし、どうせ影で気づかれないように誰かが警護していたんでしょう。
周囲にそれだけ迷惑をかけて、平気な顔してこんな所で管巻いてるなんざ、
上に立つ者のする事じゃありません。少しは会津様や近藤局長を見習われてはいかがです?」
「はんっ。真面目だけが取り得の融通の利かない石頭なんぞを見習ったって、
良い事なんかあるもんかい」
そっぽを向き鼻で笑う浮之助にセイの怒声が炸裂する。
「真面目のどこが悪いっ! 帝大事、将軍家大事と粉骨砕身、日夜懸命に励んでおられる方達を
お前なんかが愚弄するなっ!」
ピシリと総司と斎藤の身体が凍りついた。
事もあろうに一橋公を怒鳴りつけ、お前呼ばわりするとは・・・。
正体を知らない時なら許されようものも、それを知っての暴言は不敬の罪で
場合によっては良くて切腹、悪ければ斬首。
二人はそのまま目の前の光景を傍観するしかなかった。
ふっ・・・。
小さく息を毀し、そのまま浮之助が身を二つに折って笑い出した。
「あっはははは、いいねぇ、本当にいい。良い目だ清三郎。それが見たかったの。
今の俺の周りには媚びるように濁った目と妬みに歪み、欲に染まった厭らしい視線ばかりでね。
あんたみたいな、そんな強く澄んだ目が見たくなったのさ」
突然笑い出した浮之助を相変わらず睨んだままのセイの傍に近づくと、
月代に手を乗せて優しく撫でる。
「良い仲間達に真っ直ぐに育てられているんだな。あんたはそのままで、いりゃあいい。
その目を濁らす事無く、無謀なくらいの愚か者でさ」
言っている事は失礼極まりないはずなのに、その眼差しのあまりの柔らかさに
セイも反論の言葉を飲み込んだ。
セイの頭から手を下ろすと、浮之助はこれで気が済んだとばかりに踵を返す。
「そろそろ帰るよ。さすがにこれ以上行方知れずじゃ騒ぎになるからねぇ」
慌ててその後に付いて歩きながら総司が問いかけた。
「あ、あの。ちょっと聞きたい事があるんですけど」
「なんだい?」
足は止めぬままに浮之助が答える。
「さっき斎藤さんの事を“地蔵”とか呼んでませんでした?」
その言葉に浮之助が何を今更という顔をし、斎藤からは何も神谷の前で聞かずとも、
という不快気な視線が投げかけられる。
「だってあの顔、地蔵じゃないの。だからだよ」
「はぁ、隊内では仏像顔とか言われるんですけどねぇ・・・」
総司の言葉にセイは「そんな事を言われているんだ」と驚き、浮之助が反論する。
「仏像? そんな神々しいもんかい、あれが」
三つの視線を集中されて斎藤が視線を反らした。
「で、でも・・・ぷっ、ぷぷっ・・・」
突然堪えきれないように総司が笑い出す。
不審そうなセイ達の目にも動じる事無く、笑いながらどうにか言葉を続ける。
「だ、だって、お地蔵様って言ったら子供の守り仏じゃないですか?
そのまんまなんですもの・・・くっくくくっ・・・」
笑いを抑えきれず口元を覆いながら、斎藤とセイに交互に視線を送った。
その意味を悟って斎藤は苦笑しセイは頬を膨らませる。
浮之助の笑声が春霞の空に高く響いた。
屯所の門前でうろうろしていた護衛を引き連れて機嫌良く浮之助が屋敷へ戻り、
斎藤は所用があると言って出かけていった。
門前でふたりを見送りながら、斎藤はおそらく会津公に一部始終を報告に行ったのだろうと
総司は思う。
短い間だといえ一橋公の行方が判らなくなったという事が、京都守護職である
会津公の耳に入っていないはずもないだろう。
頭の片隅で、斎藤さんも大変ですねぇ、とひとりごちているとセイが隣でぷりぷりと怒っている。
「まったく人騒がせな人ですよね、浮之助さんって!」
「あははは、色々とご苦労も多いんでしょう。ほんの少しの息抜きなんですよ、
大目に見てあげてください」
「もう、沖田先生はお優しいんですから。振り回される周囲の人の苦労も
考えてあげてくださいよ」
まだまだ続きそうなセイの文句を聞きながら、ついつい頬が緩んでしまう。
真っ直ぐに、どうかこの子はこのまま真っ直ぐに。
きっと誰もがそう願うのだろう。
自分達がどこかで取り落とし見失ってきた何かを、
確かに今も持ち続けているこの子だから。
人の世の穢れた部分に触れようとも、けして心を染める事なく
歪みも折れもしない子だから。
きっと誰もが癒される。
きっと誰もが慈しむ。
だからどうか、どうか貴女はそのままで。
ほんぽんと月代の上で手を弾ませながらセイの言葉を遮った総司は、
この奇跡のような子の一番近くにいられる幸いを噛み締めた。
「さあ、そろそろ巡察の時間です。行きましょう、神谷さん」
「はいっ! 沖田先生!」
セイの威勢の良い返事が屯所に響き、ふたりは肩を並べて歩き始めた。