風伝へ      後編




「やっぱりここにいた」

屯所の隅の普段使われない空き部屋を覗き込んだ総司が声を弾ませた。
部屋の奥ではこちらに横顔を向けたセイが無心に針を動かしている。
最近のセイは小さな繕い物は別として、それなりに時間を取りそうな縫い物をする時は、
この部屋に篭るのが常となっていた。
本人の弁としては、武士たるものが縫い物をするなどみっともないという事なのだが、
総司はセイのそんな姿を見るのが好きだった。


「今度は何を縫っているんですか?」

セイに向かい合うように壁に背を預けて座った総司が尋ねる。
ちらりと総司を上目遣いで見やって、セイは再び手元の白い布に視線を落とした。

「先生の襦袢です」

短いセイの返答に総司が首を傾げる。

「あれ? でも襦袢は先日も縫ってませんでした? 出来上がったって私にくれましたよね?」

江戸から持ってきたという総司の襦袢のあまりのくたびれようを見かねて、
先日セイが縫ってくれたはずだ。
総司の言葉にセイの頬がぷくりと膨れる。

「えぇ。あれはちゃんと縫いあがりましたけどね。どこかのどなたかが思い切り良く
 袖を千切りとってしまわれたので・・・既に雑巾に成り果てましたよ」

先日の嵐の中で、幼女の止血をするために破ったものがそれだったのかと
今更ながら総司が心底惜しそうな表情を浮かべた。

「全く、手当てのためにと清潔な手ぬぐいをいつも持っていただいているのに、
 すぐに忘れてしまわれるんですから・・・」

そういえばあの夜も出動の前に「何かあったらこれを使ってください」と
セイに予備の手ぬぐいを渡されていた事を思い出す。
重ね重ねの申し訳なさにうろうろと視線を泳がせていた総司の目に
おそらく襦袢の成れの果てなのだろう、綺麗に縫われた雑巾が映った。

「ごめんなさい・・・」

消え入りそうな総司の声に顔を上げたセイが仕方無さそうに笑う。

「いいですよ。また何枚でも縫って差し上げますから。誰かの命を救えるのでしたら、
 これぐらい大した事ではありません」



あの後、松本直伝の薬を使い処置を終えたセイだったが、あくまでも自分のした事は
応急処置でしかないと言って、風が弱まるのを待ち、幼女を松本の仮寓に運んでいった。
けれどセイの完璧な手当てに松本もそれ以上の手をかける必要も無く、
後は幼女の生命力の強さを信じるしかなかった。



「あの子、お千代ちゃんでしたか。助かったそうですね?」

「はい。先程局長の所に親戚の方がお礼に見えてました。本当に良かった」

セイの瞳が輝き、嬉しそうに手元の布地を指先で撫でた。
まるであの少女の身を慈しむように。

その指先の動きを見つめながら総司がぽつりと問う。

「あの時、私の声が聞こえましたか?」


少し前に隊士部屋で部下達が話をしていた事を思い出す。

セイと共にいた隊士が、刀剣商での状況を聞いて実に不思議そうに首を捻っていた。
突然何かを聞きつけたらしいセイが、総司の元へと走り出したのだと。
まるで神谷は沖田先生の呼ぶ声を聞き取ったようだった、と。


総司の言葉に一瞬きょとんと目を開いたセイだったが、すぐにあぁと頷き
不思議そうに小首を傾げる。

「なんだか聞こえたんですよね、不思議ですねぇ・・・」

そんな可愛らしいセイの仕草が総司の笑いを誘う。

「やっぱり私と神谷さんが仲良しだからですかね。以心伝心ですもんねっ♪」

ほんの少し揶揄の色を混ぜながらの言葉にセイの頬が紅を刷く。

「そっ、そうですかねっ!」

照れを誤魔化そうとするかのように、手元に意識を向け猛烈な勢いで針を動かし始めた。



くすくすと笑いを零しながら総司は思う。

あの夜の慈愛の阿修羅も戦場での雄雄しい阿修羅も、全てこの子の一面なのだろう。
けれどこの子の本質は、今目の前で見せる可愛らしくも優しい姿で。
それを守ってあげたいと心から願う。
そして残された阿修羅のもう一面。
悲哀の面だけは見たくないと強く思った。


だから、貴女が私の心の呼び声を聞き取ったように
私も必ず貴女の呼ぶ声は聞き取りますから
どうか必ず私を呼んで
どんな時でも私を呼んで



未だ頬を染めたままのセイを見つめながら、総司は風に祈りを委ねた。




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