四つ彩語り



  四



ざばっ!

突然腕を掴まれ、セイの身体が水から引き上げられた。

「何をしているんですかっ!」

袴の膝まで水に濡らした総司が強張った表情でセイを怒鳴りつけた。
いくらか水を飲んでいたのか、小さく咽るセイの頭に素早く脱いだ自分の着物を被せ、
その上からぎゅうと抱きしめた。

「・・・きた、せんせ・・・」

セイが震える声で問いかける。

「私は・・・父と兄を殺した男を許せないのです。
 蘭医というだけで丸腰の人間を斬るような者は・・・。でも・・・局長も」

「違いますよ」

セイの言葉を遮って静かな声が落とされた。

「近藤先生は違います。それは貴女も知っているでしょう? だって言っていたじゃないですか、
 面白い人だったんだって。近藤先生は一方的に斬ったりしません。
 ちゃんと相手の話を聞く懐の深さを持っているんです」

抱き締めていた腕を緩め、総司がセイの顔を覗きこんだ。

「近藤先生は、貴女の父上や兄上を殺めた男とは違うんですよ」

完全な信頼を込めて鮮やかに笑った。


その笑みは一瞬でセイを包み込んでいた青磁の霧を吹き散らす。
それはセイにとってどこまでも哀しみしか覚える事の出来ないあの出来事の時、
初めてこの男に出会ったあの瞬間、憎悪と絶望に取り巻かれた自分の身に
一瞬吹き抜けた清かな風と同じもので。

足元すら見えぬ絶望の中、いつも自分を掬い上げてくれるのは
この風なのだと改めて感じた。
どれほどの時が経とうと、事ある毎に自分の心を取り込もうとする
悲哀と言う名の青磁の霧を吹き散らすのもこの風なのだ。

日頃どれほど野暮天であろうとも、こんな稀少な風を纏った男に
如何して惚れずにいられようか。

眼の縁ぎりぎりで涙を堪えたまま、総司を見つめてセイが微笑んだ。
その笑みに総司の胸がどきりと鳴った。




屯所を飛び出したセイの後を追いかけ、水底に力無く横たわる姿を見つけた時には
全身が凍るような思いをした。
セイの痛みが理解できぬはずもない。
あの悲しい現場を自分は知っているのだから。

けれどこの子には悲しみよりももっと相応しい感情があるはずで。
少しでも早く、それを取り戻して欲しいと思った。

それはどこか頼りない弟分だからでは無く、可愛い弟子だからでも無い。

だって、自分はこの子が悲しいと悲しくて。
この子が嬉しいと嬉しくて。
この子が楽しいと楽しいのだから。

そう、楽しいのだ。
この子が傍にいて笑っていると、全てのものが明るく見える。
視界の縁から桜色に輝く。
それはこの子が桜の精だからかもしれないけれど。

この子が笑うと桜の花弁が舞うように、ふわりと視界全てが桜色に輝くのだ。

だから笑って?
楽しいと、幸せだと、桜色に笑って欲しい。



「本当に先生は風みたいですね」

セイが微笑みながら言葉を続ける。

「だって私を包み込んでいた負の感情を、綺麗に吹き散らしてしまわれるんですから」

クスリと笑った総司がセイの両脇に手を差し込み、そのまま抱き上げた。

「せ、せんせいっ?」

「ほら、暴れない」

慌てたセイの言葉に笑い混じりに返す。

「貴女、裸足のままでしょう? 足の裏が傷だらけのはずですよ?」

総司の言葉に今更ながらセイは足の痛みを自覚した。
夢中で屯所を飛び出し、裸足のままでここまで走ってきたのだ。
小石や枯れ枝を踏んで、きっと大小の傷がついているのだろう。

「で、でも、先生も濡れてしまいます」

自分はずぶ濡れなのだからと、総司を気遣う。

「平気ですよ。いいんです」

柔らかなその身を自分の胸に押しつけるようにしながら、その肩越しに明るく答える。

「それより早く戻らないと、近藤先生と土方さんが心配しますからね。
 きっと近藤先生は落ち込んでますよ」

総司の言葉にセイが小さく頷いた。
確かに近藤はひどく胸を痛めている事だろう。

「・・・すみません」

小さく消えそうな声音で囁くセイの言葉に総司が微笑んだ。



この子が自分を風だと言うなら、桜の化身であるこの少女を取り巻き
共に天上へと舞い上がるのも良いかと思う。
優しい色の花弁はいずれ風に溶け、風をその色に染める。

そして彩づきし風が楽しげに天空で踊るのだ。
きっと永遠に・・・。



「走りますよ。しっかり掴まっててくださいね」

恥ずかしそうに頬を桜色に染めた少女が腕の中にある。
それが楽しくて仕方ないという微笑を浮かべて、総司が走り出した。




―――――それは桜色の風。








これはutaさん(UTAKATA様)の所で“喜怒哀楽・色バトン”というものに答えて
utaさんが描かれた綺麗綺麗な絵を眺めているうちにムクムクとやってみたくなり、
無謀にも「だったら私は駄文でやってみよう!」とトライしたものです。

結果はまぁ・・・見ての通り(汗)

これ以上のボヤきは日記に垂れ流しま〜す。